転輪の際者
嫌な予感がする。
妙な胸騒ぎが治まらず、室内を意味も無く歩き回ったり、あれやこれやと考え込んだりと、色々と無駄に思い悩んでは見るものの、私の胸に去来する、何かを決定的に違えたのではないのかと言う漠然とした不安は一向に解消されず……。
その予期せぬ突然の来訪者の登場で……それは私の中で確信へと至る。
「ゴルドフさん……それにマルコさんまでどうして此処へ?」
まだこの屋敷の場所すら教えてはいない筈の二人の姿と……見覚えの有る女性を前にして、私は思わず間の抜けた質問をしてしまう。
夜も更けた薄暗い屋敷の入口で、流れる僅かな沈黙が……それが全ての答えで有る様で、私は浮かんだ疑問を直ぐには口にする事が出来なかった。
「嬢ちゃん……エリオ・バルロッティが殺された」
「えっ?」
「質の悪い冗談……は止めて欲しいな、趣味が悪いよゴルドフさん……」
「お嬢……既にウチの人間に確認は取らせています、残念ですが嘘じゃありません」
死んだ? 金髪坊やが?
「エリオ様だけではありません……騎士の方々も、屋敷の使用人も全て殺されました……私だけが坊ちゃまに救われて……」
憔悴した様子の女性が涙を流しながら私へと歩み寄り。
私が預けた回復薬で重症であったこの女性の傷を癒した金髪坊やは、そのまま隠し部屋へと彼女の身を隠し、自らは囮となって殺されたのだと言う。
何なのだろうか……そんな自己犠牲……あの坊やには似合わない。
らしくないだろう……本当に馬鹿野郎だ。
「屋敷を出たらマルコ・レッティオと言う男を頼れと……そしてミリーナ様に伝えて欲しいと……」
「エリオ・バルロッティが私に?」
「はい、ただ一言『愛している』と」
女性はそう言って胸元から銀製の髪飾りを取り出すと、私へと差し出した。
「エリオ様は最後に申されました、これは等価交換だと……二度、エリオ様に救われた私に託されたのはミリーナ様への想いだけ……どうか……どうか坊ちゃまの想いを……」
私は震える女性の手からその髪飾りを受け取った。
全く最後まで締まりの無い……女性に愛の告白をするのなら此処は指輪を用意するべきだろうに。
そういえば別れ際に金髪坊やが私の髪を気にしていた情景が思い浮かび……納得すると共に妙に不自然だった行動の真意を知って、私は苦笑してしまう。
「この御屋敷の権利書と委任状は坊ちゃまの寝室に有ると、委任状は既に記入してあるから、頃合いを見て自分のモノとすれば良いと」
私は手にした髪飾りを慣れぬ手付きで髪に差し、女性が全てを語り終えるまで聞き逃さぬ様に瞳を伏せて耳を傾ける。
「他には?」
やがて口を閉ざした女性に、私は再度問う。
「ありません」
「誰が殺した?」
「ミリーナ様にお話する事は出来ません」
「何故?」
「エリオ様がそれを望まぬからです……貴女様の幸せだけをあの方は真に願っておりました、ですから此処からは命を救われた私の役目……ミリーナ様はどうか御自分の身だけを案じて下さいませ」
金髪坊やが命を賭けて聞き出した情報は自分が責任を以て王国、神殿、そして冒険者ギルドの三者の然るべき人物に必ず伝えると女性は言う。
覚悟を秘めた彼女の眼差しが、どう問い質しても答えは変わらない事を何よりも告げている……ならば此処で折れるべきは私の方だろう。
「分かった……けれどまずは少し休むといい、この場所はまだ他の誰にも知られていないから安心して大丈夫、それに回復薬で身体の傷は癒せても、精神的な疲労は回復出来ないからね。せめて明日までは睡眠をとるべきだよ」
直ぐにでも行動に移しかねない女性を前に私は諭す様に語る。
体調を整えなければ思考は回らない、万全を期したいのなら焦らない事が肝要だ、と。
「済まないけど今日だけは彼女に付き添っていてくれないかな、もう万が一は嫌だから……」
「それは構わねえが嬢ちゃん、明日からはどうするつもりだ?」
「そうですね、今の内に対策を……」
「大丈夫、夜明けまでには終わらせるから」
私の言葉に二人は驚いた様子を見せ……だが直ぐに熊さんは無言のままに肩を竦めると促す様に狐目を伴って女性を屋敷の中へと連れて行く。
狐目はまだしも、熊さんだけは私の言葉の意味を理解している……私が終わらせる、と言った言葉の真意を。
私の背中で入口の扉が閉まる音が響き、ただ一人残された私は暗闇の空を見据える。
交渉やらなんやらと随分と偉そうな事を宣ってきた結果がこれである。
結局は良い様に振り回されては利用され、自分一人では何一つ為す事すら出来ない……まったくもって不甲斐無く、情けない限りだ。
精々私に残された力など……しかし、私怨で魔法を使う事はそれこそあり得ぬ選択……。
なんて言うと思ったか!! ふざけんな、上等だよこの野郎!!
そういう遣り方が好みなら、此方もそれに合わせてやるまでだ。
私を相手に争う土俵を変えた事、必ず後悔させてやる。
金髪坊やの無念を晴らす……などと言う感傷染みた事を言うつもりは無い。
けれど……それでも落とし前だけはきっちり着ける……それがせめて金髪坊やの人生に関わった私が取るべき責任なのだから。
★★★
私にとって魔法の構成とは、
息を吸うのと同じ事。
私にとって魔法の発動とは、
息を吐くのと同じ事。
詠唱から発動までの一連の行程は私にとっては呼吸をするのと同義の自然な行為の一つでしかない。
だがそれすらも私は省略出来る。
瞬間、私の周囲に発生し浮遊する星々の輝きを秘めた球体の名は自立演算宝珠。
私の固有魔法の亜種である自立演算宝珠の演算処理能力は多次元への干渉までをも可能にし、魔法発動までの一切の行程を省略する事が出来る。
魔法士たちは通常、術式を組み上げて魔力を構成し魔法陣を展開して詠唱によって魔法を発動する。
だが私はその無駄な全ての過程を必要としない。
「道を指し示せ、叡智の輪」
黄金の流砂が螺旋を描いて私の身体を廻り流れる。
通常、結界魔法の様な大量の魔力を必要とする魔法を発動させれば、必然として魔法の発動後には残留魔力が大気に残る事になる。
ならばその魔力の性質を特定し、同質の魔力反応を示す術者の存在を追えば良い。
本来であればその様な話は机上の空論であり、微細な魔力反応を解析する事など、まして其処から術者の特定の波長を検出して特定するなど不可能な話。
そう……私以外には。
放出魔力の波長とは言わば指紋と同じ。
魔法士によってそれぞれ異なる固有のモノ。
だからそれを特定してしまえば最早それが誰かなど、まして何処に居るかすらも私には関係ない。
例えこの世界の何処に居ようとも、もう二度とこの私の目から逃れる事など出来ないのだから。




