第二幕
修道司祭サイラス・ダイスターク。
俺に向かって傲慢な態度を取る男はそう名乗った。
知らせを受けて急ぎ屋敷へと戻って来た俺を、この男は屋敷の広間でただ一人……まるで俺を待ち侘びていたかの様に不敵な笑みを浮かべて待ち構えていた。
「神殿の番犬如きが俺の……父上の屋敷にコソ泥の如く入り込むとは一体どういう了見だ、此処がバルロッティ子爵家と知っての狼藉であろうな」
睨みつける俺にサイラスと名乗った男は意に介した様子も無く不遜に笑う。
尋問にも等しい問い掛けに男からの返答は無く。
だが小馬鹿にした様な男の表情を前に、観察している様な眼差しを前にして、許容を超えた怒りの余り俺は帯剣する剣の柄へと手を伸ばしていた。
状況はまさに一触即発。
既に供回りの騎士たちは男の周囲を取り囲み逃げ道を塞いでいる。
つまりこの男の命運は今は俺の手の内に在るのだ……そして俺は例え神殿の関係者であろうとも邪魔者の排除を躊躇う様な人間では無い。
男の返答次第ではこの場で始末する……俺を舐めているのなら、この男の命運は此処で尽きる事になるだろう。
「どうした犬っころ、畜生風情では口も利けぬか? それとも子爵家の屋敷に訳無く押し入っておいて只で済むと思える程に知能が低いのか?」
「随分な言われ様だが修道司祭が役目の為に訪れる理由など一つしかあるまいに、なあ、エリオ・バルロッティ殿」
「きっ……貴様……貴族である俺に対して……野良犬如きが知った様な口を叩くな!!」
「ふむっ、異なことを言う、異端審問こそが我ら修道司祭に与えられた職務、例え貴族であろうとも神の前では皆同じ子らに過ぎん、この国のおいても異端審問官である我々の特権は認められてるモノだと思うのだが?」
司祭である事と治癒魔導師が同義の存在である様に、異端審問官と修道司祭もまた等しい存在である.
信仰の下に導き癒す司祭たち。
教義の下に咎人を断罪する修道司祭たち。
同じ神殿の信徒でも異なる点は明確に存在する……治癒魔法を行使する司祭たちと比べ執行者である修道司祭たちは、異端審問官としての独自の権限と時に教義に背く者たちを粛清する為の特殊な戦闘技能を有するゆえに、表裏一体の存在として、畏怖の対象として、神殿の内部では神の尖兵として恐れられ、時に神殿の番犬と呼ばれ揶揄される存在であるのだ。
「安心すると良い、異端者であるのはエリオ殿の父親の方であるからな」
親父殿をこの男は異端者、と言った。
修道司祭が親父殿を異端者と言い切った時点で、俺は状況を理解する。
「……父上がクラリスに手を出したのか……」
「クラリスなどと……ティリエール助祭殿と呼んで頂きたいものだ、だがその通り、不敬にもドワイト・バルロッティは神殿と言う聖域で、侵すべからざる暴挙に及んだのだ、これは最早酌量の余地の無い神への冒涜である」
「まさか父上が……どうして……」
親父殿に限って、と言う疑念は尚残る……しかしありえぬ話と一笑に付せぬ程、最近の親父殿の様子が常軌を逸していたのもまた確か。
俺がミリーナに掛かり切りになっていたその裏で、親父殿がそこまで精神を病んでいたのだとしたら……俺は驚きと共に後悔にも似た念に襲われる。
「理解したな? ならば我に従えエリオ・バルロッティ」
不意に頭の上から、大上段に発せられた男の傲慢な物言いに、俺は反射的に抜刀していた。
「図に乗るなよ神殿の犬め!! 例え父上が起こした不祥事であろうとも、なにゆえ俺が貴様などの指示に従わねば為らぬと言うのだ」
絞り出す様な俺の怒気に……初めて男の表情が変わる。
「これはこれは……俺の呪言に逆らえるとは驚いた……王国への対策としてお前には適当に都合の良い証言をして貰う筈だったのだが……仕方があるまい此処は覚悟の自決と言う事で済ませるとしようか、しかしこれだから実験は止められぬ」
文字通りの困惑と驚愕……そして最後に男の見せた表情は。
狂喜であった。
「エリオ君、君の脳も大分弄ったつもりだったんだが、何故まだ正気を保っているのだね?」
「な……何をいって……る」
「ほらっ、君は俺を覚えていない、だが当然だ……そう記憶を弄ったのだから」
俺は一歩、男から後退る。
「君たち親子には指向性の欲望を植え付けておいたのだけどね、なのに君は何故まだ暴走していないのかな? 何故俺の制約に抵抗出来ているんだい……実に興味深いね……何が君の理性を保たせているのかがね?」
男が一歩……俺へと歩み寄る。
「殺せ!!」
ミリーナの面影が脳裏に浮かんだ瞬間、俺は咄嗟に叫んでいた。
理屈では無い……本能がそう告げていたのだ……この男は殺さねば為らない、と。
俺の命令に忠実に騎士たちは動いていた。
騎士たちは男を取り囲んだ態勢のまま迷わず抜刀すると、一足の間に男へと斬りかかって行く。
刹那――――生じた風が広間を吹き抜ける。
朱に染まる血風を巻き上げて。
男が腰から鞘走らせた剣閃が円の軌道を描き――――全ては瞬き程の一瞬で終わっていた。
ずるずる、と嫌な音を立てながら動きを止めた騎士たちは、胴体部から切断されて二つに分かたれ崩れて落ちる。
「素晴らしい切れ味だろ? これは遺物の一つ、蒼の刃『ブルーグリム』……切断の魔法が付加されているのだよ」
「遺物だと……国宝級の魔具をどうして……お……お前は一体……」
「驚愕すべきは其処ではないのだが……これは今の付加魔法の技術では到底到達が不可能な領域の代物なのだがね……やはり君の如く凡俗には魔導の深淵は理解が出来ないようだな……実に嘆かわしい事だ」
「御逃げ下さいエリオ様!!」
残る最後の騎士が……壮年の騎士が俺と男の間に立ち塞がり、その光景を前に俺は……駆け出していた。
「逃げるなら入口の扉では無く二階をお勧めしよう、結界魔法を解かぬ限り内には入れても外には出られぬからな」
狂気を秘めた男の楽し気な声に、俺は二階へと続く階段を目指し走っていた。
「良い判断だエリオ君」
これでもう少し愉しめるよ、と。
愉悦に満ちた男の声を背に俺は振り返る事すら出来ず走り続けていた。
★★★
二階の廊下の惨状を目にして、また一つ抱いていた疑問が氷解した。
何故、下の広間であれだけの騒ぎが起きているにも関わらず、誰一人として屋敷の使用人たちが姿を見せなかったのか……その疑問の答えが其処に広がっていたからだ。
使用人たちの無残な遺体を前に、それでも俺は迷う事無く親父の寝室の扉を押し開くと中へと飛び込んでいた。
生存への本能が恐怖を凌駕しているのか、不思議と死への恐れは思っていた程では無い。
脳裏に浮かぶのはただ一人の少女の姿。
俺が死んだらアイツを誰が支えてやれる……庇護してやれる。
俺は急いで部屋の隅に置かれた本棚へと歩み寄り、非常時の備えとして親父が用意していた隠し部屋へと身を隠そうとして……あの男の姿が蘇り足を止める。
あの男は俺の到着を待っていた……つまり目的である俺を殺すまでヤツが屋敷を離れる筈は無い。
ならば例え一時あの男をやり過ごせたとしても……それには何の意味もない。
その事に思い至ってしまったゆえに。
まして既に二階の何処かに居るとまで特定されている以上、幾らこの隠し部屋が巧妙な細工で隠されてはいても夜明けまで見つからないと言う確率は、それこそ奇跡に頼らざるを得ぬ程に低い。
ミリーナ……俺は。
「ぼ……っ……ちゃ……ま」
消え入りそうな掠れた女の声に……俺は振り返る。
死角になって気づかなかったが、窓辺の壁に侍女が一人背を預けて倒れていた。
「おいっ、生きている……のか!!」
侍女の下へと駆け寄って思わず抱き抱えていた俺は、その女がもう長くは無い事を悟る。
心の臓は外れている……いや、恐らくそれはわざとだろう……しかし肺を貫通してる刃の痕からは掠れた息遣いと共に止めどなく血が流れだし、俺にはもう手の施しようがなかった。
「よか……っ……た」
掛けてやる言葉が見当たらぬ俺に……侍女は満足そうに微笑んで……その笑顔にミリーナの面影を重ねた俺の覚悟は決まる。
あの男を出し抜いてやるたった一つの方法を実行する為の覚悟を。
俺が死ねばあの男の魔手はミリーナにも及ぶ危険がある……違う!! 絶対にアイツは辿り着くだろう。
疑念では無くそれは確信。
ミリーナには手は出させない、そんな真似は絶対に許さない。
このエリオ・バルロッティの命に賭けて。
「女……お前の命を二度救ってやる……だからお前は俺の願いを叶えてくれ」
侍女の女は俺を見つめている。
もう応える気力もないのだろう……しかしその瞳は真っ直ぐと俺を見据えていた。
「全ては等価交換……だから彼女に届けて欲しい、この想いと共に」
俺は胸元に手を差し入れ、取り出したソレの中身を侍女の胸の傷へと直接掛けてやる。
ミリーナから預かっていた最後の回復薬を。




