第六幕
石畳の道を走る馬車の車輪から時折伝わる振動が私の身体を僅かに揺らし……夕闇の中、車窓から差し込む夕日が私の黒髪を朱色に染めている。
手を翳して夕日を遮る私は、変り往く街並みを眺め見ながら想う。
あ~~っ、日差しが鬱陶しい、と。
うぎゃああああ、と長い髪を振り乱して身悶えして見る。
大丈夫、周りに人は居ませんから……ええっ、勿論ご機嫌は斜めです。
いやいや直角ですよ。
十分に葛藤する時間はあった為、クラリスさんの件については保留と言う形で一応の結論に達しました。
幸いにして、と言うべきか冒険者ギルドが神殿との交渉に入るのは事前交渉の時間を踏まえてもまさか明日、明後日という事は流石にないでしょう……なので私はとりあえず考えるのを止める事にした訳です……えっ、逃避じゃないですよ? せ……戦略的停滞です。
決断は司祭長とやらに会ってからでも遅くは無いですからね……。
では何故私が苛立っているのかと言えば、未だに何度思い返しても忌々しい優男の態度の影響が半分……現在進行形で腹が立つ残りの半分は、随分と時間が経っているにも関わらず、未だに行き先すら告げられず連れ回されているこの状況にです。
狐目に頼んで冒険者ギルドの動向を探って貰ったり、神殿を何時訪れるかなどなど……色々と段取り良く処理せねば為らない問題が山積していると言うのに、なにゆえ私が官職にも就かず遊び回っている金髪坊やの余興に付き合わされねばならぬのか。
心外です……ええ、お冠ですよ。
と、心情を吐露すればこうして絶賛大荒れ中ですが……冷静に考えて見るにつれ、置かれている状況の違和感にやっと此処で気づく。
どう考えても中心街を離れていく馬車の進路と言い、最初にあれだけ私に気を遣っていた騎士たちが、それなりの時間の経過を経ても尚、一向に目的地を告げない理由に。
あれあれ……少し嫌な予感がする。
私の態度や行動の何処かに金髪坊やの不信感を誘うモノがあったのか……或いは何か感づかれでもしたのか……兎に角、このま郊外にまで連れて行かれる様ならちょっと不味い状況かも知れない。
特段に何かを失敗した覚えはないが……考えても見ればあの手の人間の行動は普通の思考では読めない面もある……知らず逆鱗に触れていた、と言う可能性は完全には否定しきれない。
さて、どうしたものか。
と、私が本格的に思案を始めたのを察したかの様に、実に都合良く馬車が止まり……やや緊張した面持ちで車窓から外の様子を窺う私の視界には、まだ王都の中心街を外れてはいない周囲の街並みが、夕暮れ時の賑わいを見せる閑散とは程遠いその光景に私は正直安堵する。
やがて御者台から降りる騎士たちの気配が側面へと移動して馬車の扉が開かれた。
今更ながら降りぬと言う選択肢などないのだから、私は迷わず開かれた扉を前に、少々痛みすら感じつつあった重い腰を上げるのだった。
★★★
私の前に在る建物は立派な門構え持つ商家であろうか。
しかしよくよく見れば何処かの商会が所有しているにしては看板らしき物は見当たらず、私の身の丈の倍はある鉄門には埃が積り、少なからぬ時の経過の中で主不在であったのだろう様子を窺わせた。
「エリオ様が中でお待ちです」
と騎士の一人が鉄門では無く、隣に備え付けられていた小さな通用門を開くと私を門の中へと誘導して行く。
無言のままに連れられて進む敷地内には魔導灯が点在しているが、夕闇の中で明かりが灯っていないところを見ても硝石の交換が為されていないのは疑い様も無く……空き家……いや、此処が敷地を有する空き店舗なのは間違いないところだろう。
暫く中庭の如く広い敷地を歩く私の前に、予想を裏付ける様に倉庫が併設された立派な建物が映り込んで来る……倉庫には荷馬車単位での取引が可能な様に幾つかの仕切りも見られ、此処が商会の私有地である事を私は確信した。
「どうだミリーナ、流石のお前も驚いただろう?」
建物の入り口から近づいてくる人影の声は何処か得意げで……夕闇の中でもそれを誰が発したかの特定など私には簡単であった。
「エリオ様……此処は一体?」
「親父の知り合いが利権絡みで手に入れた土地が在るのを思い出してな、バルロッティ家が所有する別荘と交換してみたのさ」
「これ程の建物と土地を……ですか?」
「そいつは不動産の売買をしている下種な悪徳商人でな、此処は人死にが出た曰く付きの物件ゆえに縁起を担ぐ商人どもには買い手が付かぬらしくてな」
「ひっ、人死に……」
「その上、土地の相場も高いこの辺りは更地にして売り出そうにも金が掛かるからな、奴にしても売れぬ土地や不要な建物に維持費を掛けるよりは避暑地の別荘の方が魅力的だったのだろうよ」
あれ、さらっと流された。
「俺は祟りなどと言う迷信染みた話など信じぬ、例え此処が一家皆ご……まあ、そう言う訳で今は俺もモノだ」
おい……ちょっと待て、今確実に聞き捨てならない単語が飛び出し掛けただろう……。
「ミリーナ……お前は此処で薬術師たちを指導して回復薬の精製の準備を進めろ、販売の伝手は俺にはあるゆえ、焦らず時間を掛けて事に臨むと良い」
ちょっと幽霊とか怖すぎるんですけれども……さっきの話をもっと詳しく……とも言えない雰囲気なので、
「ありがとうございます……エリオ様」
などと言っては見るものの、実際は金髪坊やの語る話の半分も把握出来ぬまま、私はさり気なく周囲の様子を窺う。
薄暗い……ですね、ええっ。
その瞬間、バタバタバタッ、と薄暗い倉庫の方角から此方に駆け寄って来る複数の足音が聞こえ――――。
うひゃあああああああっ!!
と、私は迷う事なく戦略的撤退を開始する。
病弱設定をかなぐり捨てて、全速力で後方で控えている騎士たち下へと逃亡を図ろうとする私の腕を――――金髪坊やの力強い手が掴み。
「ちっ……餓鬼ども!! 待ってろと言っただろう!!」
「へっ?」
恐る恐る振り返る私の瞳には見知った子供たちの姿が映り込み、幽霊……ではない実体を持った子供たちは嬉しそうに私の足や腰へとじゃれつく様に抱き着いて来る。
「エ……エリオ様?」
「お前が教えていた貧民の餓鬼どもの中から、住む家も親も居ない憐れな連中を連れて来てやったのだ……暫くは病気の療養に専念する事になるのだから、これでお前も寂し……道具を育てると言う意味でもこいつらを此処で飼ってやれ」
「こっ、ここっ、此処に私が住むのですか!!」
「幾ら別宅とは言っても長期の滞在ともなれば親父殿の目もあるからな、お前とて屋敷には居辛いであろうし丁度良い機会だと思ってな」
「それは……確かにそうですが……」
正気の沙汰では無い、とは言えない。
だが一人で住む訳ではないのだし……何とかなるだろうか? なる……のか?
「餓鬼ども、さっさと掃除に戻れ!! 日が暮れる前には最低でも俺が中に入れる程度には埃を払っておけよ、でなければ今夜は外で寝かせるぞ!!」
私の腕を離さぬまま、金髪坊やは男の子の背を蹴る。
蹴られた子は少しよろけるが、地面に倒れる程の衝撃はなかったのだろう、器用に体勢を立て直していた。
は~~い!!
と、背中を摩る男の子を筆頭に元気な返事を返して子供たちが建物の入り口へと走り出す光景に私は驚きを覚える。
この子たちは大人との距離感や接し方を知っている聡い子供たちだ。
それは合わせ鏡の様に、暴力を振るう者には従順に、威圧する者には萎縮して、しかし計算高く冷やかに従う振りが出来る強かさと逞しさを持ち合わせている。
接し方一つで形を変えるあの子たちの……金髪坊やに笑顔を見せる子供たち姿を見れば、答えはもう其処に出ているのだ。
「等価交換だったな……ならば俺がお前の全てに足るモノを最初にくれてやる、だからお前は安心して俺に尽くせば良い」
私を見つめる金髪坊やの手は私の腕を掴んだままで……痛みを感じる程に強まる腕の感覚にこれは不味い、と身構えるが……。
「何か餓鬼どもの餌を買ってこさせよう、ついでにお前と俺の分もな」
不意に腕から伝わる圧力が消え、手を離して背を向ける金髪坊やの姿に、らしからぬその行動に戸惑いだけが先に立ち、私は掛ける言葉が出て来ない。
人の性根は変わらぬと冷めた眼差しを向ける者が居る。
一方で人間は変れる生き物だと熱く語る者も居る。
演劇の台本に綴られる物語には悪党が改心する、などと言う演目も少なくは無い。
そんな展開はお伽話などでは良くある話だ。
人が歩む道は一つでは無く、未来へと続く道は幾重にも開かれている。
だからそんな未来の一つには、金髪坊やがこの先少しはましな当主となってバルロッティ家を栄えさせていくと言う、家令の者たちが望む顛末も或いは用意されているのかも知れないと。
この時私はそんな未来への可能性をその背に感じていた。
ご都合主義の極みではあれど、それでも少しはましな結末が訪れるのではないのか、と。
そう……例え私が傍に居なくても。