第一幕
屋敷の二階の窓辺から望む緑園は緑の芝生が広がりを見せ、緑葉の木々に実る葉や、野に咲く花々が競い合い鮮やかに咲き誇る。
それはまるで絵画の様な光景で……誘われ伸ばした私の手は冷たい硝子の窓に阻まれて……それに触れる事は許されない。
私は籠の中の鳥。
外の世界を夢見る小鳥。
誰も居ない広い室内で、孤独な世界でただ一人私は想う。
この屋敷の資産価値は一体お幾らなのでしょうか、と。
どれだけの悪事を働けばこんな豪邸に住めるのか、と。
と、言う訳で暇である。
ええ……はっきり言ってやる事がない。
金髪坊やが屋敷に居る時は同伴と言う形で外にも出れるが、あの坊やが外出しているこんな日は私は一人屋敷で御留守番と言う訳で、単独での外出は堅く禁じられている。
さりとて扉に施錠はされてはおらず、その気になれば部屋からは出られはするが、楽しい散策を、と部屋を出た瞬間に高確率で遭遇する侍女のお姉さんたちにやんわりと部屋まで連行さるので屋敷の探索もままならぬ始末。
挙句、屋敷の入口には臨時に詰め所が設けられて数人の騎士たちが交代で見回りを行っている御様子。
これは紛うことなき軟禁と言う奴ですね……はい。
しかし、接する侍女のお姉さんたちや、時折見掛ける騎士の方々の様子からも警戒の対象は内では無く外に向けられているのは明らかで……彼らの目的は私の拘禁では無く寧ろ保護……では何からと言えば。
外部の人間から、と言う事になる。
そしてあの金髪坊やが憂慮している大半の要因が父親であるドワイト・バルロッティにあるのは、私を出来るだけ父親の目から遠ざけようとしている坊やの行動を見れば自ずと察せるものがある。
私としては父親の方には神殿の協力者について聞き出したい事があるのだが……今は金髪坊やの機嫌を損ねる行動は控えた方が得策……男とは単純でちょろい生き物だが完全に信用させるには今少し時間を掛けるべきだろう。
慢心はしません勝つまでは。
自信家の男ほど自分だけは騙され無いと高を括っているものだが、往々にしてそう言う男ほど、ころっと騙されるものなのだ。
私はそれを実体験として知っている……女が如何に強かで恐ろしい悪魔の様な生き物なのかを。
求めた時に望む姿で望む仕草で甘い言葉を囁き掛ける女の魔性に堕ちぬ男など居ない。
断言しよう……居る筈が無い。
あれ……なんだろう、涙が出て来た。
★★★
カチャリ、カチャり、と広い広間に食器が重なり合う音だけが断続的に響いている。
其処には給仕の姿は無く二人だけで過ごす晩餐は、ともすれば寂しさすら抱かせる程に、私と金髪坊やの間に流れる時間はとても静かなものだった。
こうして金髪坊やと夕食を供にするのは、私が屋敷を訪れてからの日課の一つとなっている。
『エリオ様が毎日決まった時間に屋敷に戻られる事などこれまで一度もなかったのに』
と、盗み聞きした侍女たちの会話から貴重な情報は仕入れている。
この口数の少ない金髪坊やが私に一定以上の信頼と好感を抱いているのは、私に与えられた待遇や環境、そして侍女たちの言葉から考察するにまず疑う余地はない筈。
しかし、である。
まだ私への明確な好意を現す言葉を金髪坊やから引き出せていない。
言葉にされないと確証を持てない……この辺りが模倣するだけの偽物である私の限界と言うべきだろうか。
『私の事……お嫌いでしょうか?』
いやいや、そんな露骨な誘い文句は不味いだろう。
『エリオ様……お慕いしております』
いやいやいやいや、男相手にそんな気持ちの悪い事が言えるか。
「時にミリーナ」
「へっ?」
「手が止まっているが何か悩み事でもあるのか?」
「い……いえ、ただ少し考え事を」
どう言えばお前を堕とせるかだよ、とは当たり前だが言える筈もないので此処は曖昧な笑みを返しておく事にする。
「お前の事だ……中々言い出せぬのだろうが心配するな」
「えっ?」
「競売の件なのだろう? お前はあの餓鬼どもに手記の噂を広めさせるつもりなのは分かっている……だがそのお前が何時まで経っても金の話をしないのは、俺に妙な気を遣っているとしか思えんからな」
まさか金髪坊やの方から話を振ってくれるとは……しかも盛大に勘違いしてくれている模様である。
だがこれは好機、此処は話の流れに乗って置くべきか。
「聡明なエリオ様には隠し事など出来ませんね」
「資金面が不安であるなら案ずる事はない、確かに俺にはまだバルロッティ家の資産を自由に運用する権限を持ち合わせてはいないが、この別宅に有る品々は別だ……飾ってある絵画や装飾品を手放せば十数億程度は俺にも自由に扱える、だからお前は何も心配するな」
子爵家恐るべし。
何という出鱈目な金銭感覚……いや、金の生る木であろうか。
「ふひっ……ごほっごほん」
「大丈夫かミリーナ!!」
「はい……ただの発作なので……直ぐに治まりますから……」
これからはこの屋敷の物に迂闊に触れるのはやめておこう……どんな品々が飾ってあるか知れたモノではない……。
「それで……なのだがな、金は有る、噂を広げる手段もな、それにお前の仇も直ぐに王都から離れる事もなかろう……だから……その……」
「エリオ様?」
「復讐は誓って果させてやる……だからまずは焦らず病気の療養を優先させるべきではないのか」
「それは……」
「男の医者に診せるのが嫌なら優秀な女医を王国中から探し出してやる、薬術師ギルドならお前の病に効く薬も有るかも知れぬし、なければ今から作らせれば良い、だからお前は勝手に……俺の許可なく勝手に死ぬな」
これは……不味い、何やら別方向に話が進んでいる気がする。
「それに今後の事を思えばもう少し餓鬼どもの数を増やしておくのも悪くはないだろう、何処かに施設でも借りて俺が援助してやっても良い……お前は先を視通せる優秀な女だからな、だからこれからも……ず、ずっと俺の傍に居ろ」
「エリオ様……私の病は既に薬では……」
「如何様にも手はあろう、そうだ!! 俺には神殿に有力な伝手がある、最高の治癒魔導師をお前に紹介してやろう、あの男の治癒魔法なら或いはお前の病すらも癒せるかも知れない」
「ふひっ……ごほっごほっごほっ……その御方の名前をどうか教えては頂けませんでしょうか……私もエリオ様の為にもう少し生きていたく存じます」
懇願する私の様子に金髪坊やは思案げな様子で考えている。
まだ冷静な部分が残っていると言う事だろう……だが此処は焦らず瞳を見つめているだけでいい……男とはそういう生き物なのだから。
「司祭長アルキス・グレゴリオ、あの者こそ真なる神の代行者だ」
僅かな沈黙が過ぎ、金髪坊やの口からその名が告げられる
み~~っけた。
残念な事に神様とやらはどうやら私の味方らしい。