第七幕
まるで借りて来た猫の様に、と言う比喩表現があります様に、今の私の状況を説明させて頂ければ、まるっとそれに当て嵌まると言って良い、何とも情けない状況下に置かれている……と表現するのが適当でしょうか。
先程までこの場に居た金髪坊やには屋敷にお帰り頂いたので、今この部屋には私と狐目の二人きりである。
金髪坊やは私も屋敷に連れて行くと散々に言い張って譲らなかったのだが、其処は狐目が上手く話を誤魔化して明日の朝、改めて迎えを寄越すと言う事で何とか話を纏めたようです。
私は晴れて明日から子爵家の客人として遇される模様です。
「いやあ、流石マルコさん、これからの事を考えれば今日の内に話し合って置きたかった事があったから助かったよ、ほらっ、今まで見たいに簡単には会えなくなるしね? 怪しまれるし?」
「でっ?」
「はい?」
「でっ?」
目の前で腕を組んで仁王立ちしている狐目は、右手の人差し指で椅子では無く床を何度も指差して何かを主張している。
あれ……何か怒ってらっしゃるご様子。
仕方ないので私は椅子から立ち上がると、床へとちょこんと正座した。
「競売の件なんですけどね……その手記ってヤツを坊やと競るのは敵役兼ミリーナ役のお嬢って事ですよね?」
「まあ……そうなるかな」
「でっ、その坊やと競る為の資金は誰が用意するんですか?」
「わ……私の手持ちで……けど、あれかな、うん、少しだけ足りないかも……なん……て?」
「如何程ですか?」
「少し……かな?」
「幾らですか?」
「ほんの十億ディールくらい……」
狐目は右手で額を押さえている。
何事も知らぬが華と言う訓戒が有る様に、その心境を推し量るのは止めて置いた方が良さそうである。
怖いので……。
「大体……お嬢の策ってのは笊なんですよ笊、所々の設定だけ凝っていてそれを繋げる線の部分がだるだるです、全くなってません、あの坊やがお嬢に気があるからこそ何とか誤魔化せた程度の、言って見れば綱渡りの曲芸を見せられている様で危なっかしくて見てられませんでしたよ、ええっ、俺が坊やの立場だったらお嬢の話を信じなかったでしょうね」
まったく酷い言われ様である。
若干傷ついたので、此処は強く言い返してやる事にする。
「お……お金の件なんだけ……なんですけど、ほらっ? 仮に私が競り落としてしまってもその代金を受け取るのも私じゃないですか? その場合の手数料は私が負担するのでほら安全、マルコさんに損はさせませんし、ましてゴルドフさんの顔を潰す様な真似なんてしませんて」
「お嬢……自分で言ってて気づきませんか、それ詐欺の手口で使われる常套手段ですよ……」
狐目の私を見る視線が冷たさを増して……痛いです。
「まあ良いでしょう、どうせ頭は断らないでしょうから……で、此方があの落書きに十億ディール出すのは良いとして、どうやってあの坊やにそんな大金を用意させるつもりです? 幾ら子爵家の後継ぎの坊やとは言え、それだけの大金を扱えるとは思えませんよ」
人が丹精籠めて書き上げた夢日記を落書き呼ばわりとは心外極まりない、と言いたいが話の腰を折るのもあれなので止めておく。
こ……怖いからじゃないですよ……ええ、本当に。
「だから具体的な額は金髪坊やには伝えなかったでしょ? 今の段階で億単位なんて言ったら流石に腰が引けちゃうかも知れないし、逆に金額が具体的過ぎて怪しまれても損だしね」
「では方法はあると?」
「例えばだけど、バルロッティ家の御屋敷は王都でも有数の高級住宅地だよね、其処の土地の評価額ってどの位でしょう?」
「恐らくですが少なく見積もっても数十億ってとこでしょうかね」
「なら庭付きの豪邸込みならそれ以上だよね、ならそれを担保にすれば十億程度は借りれるんでは?」
「簡単に言いますけど……所有者は間違いなく父親のドワイト・バルロッティですよ、どうやって父親の資産を息子に食い潰させるつもりです?」
「あくまでも方法の一つとして言っているだけだよ、別の手段の方が楽そうならそれでも良いし、子爵家の嫡子なら信用貸しって言う裏技も使えるかも知れないしね……ふひっ」
「お嬢……そのげひ……品性の感じら……品の無い嗤い方は注意しないと、折角顔だけは整っているんですし勿体無いですよ」
何度か言い直している割には中々に辛辣な言い様である。
「と……兎に角、もう少しあの金髪坊やの信用を勝ち取らないと、具体的な金額や工面の算段は出来ないからね、その辺りは慎重に事を進めるつもりだよ」
「そうして下さい、ウチが言えた筋の話ではありませんが、お嬢の行為はどう控えめに言っても犯罪行為ですからね、後に告発でもされれば間違い無くお嬢は吊られた縄の輪に首を突っ込む事になります……その辺は本当に上手く立ち回ってくださいよ」
「重々、その辺は理解しているつもりだよ」
今回、私が貴族を相手取りこの様な手段を用いたのは、裏を返せば相手が貴族だったから、とも言える。
貴族と言う生き物は格下の相手との間に何か問題を抱えた場合の多くで、権威や威光と言う見えない力を利用する形で解決を図ろうとする傾向にある。
極力自らの手を汚す事なく事を治めようとするその遣り方は、誇りを貴ぶがゆえに恥を嫌い、体面を重んじるがゆえに体裁を整えようとするその特有の在り方は、最早古来からの慣習とすら言えるものなのかも知れない。
然るに私が相手をしている貴族と言う輩は、例え詐欺に合い騙されたからと言っても安易に法を頼りに公の場で訴える様な真似はしない人種なのだ。
しかしそれは表立ってしないと言う事であって、泣き寝入りすると言う意味では決してない。
熊さんや狐目が貴族相手に事を構えるのに慎重なのは、性質上確実に行われるであろう報復行為が極めて面倒この上ないと言う一点に尽きるからだろう。
貴族との関係は利用したり騙したりする事の難しさより、その後により労力を必要とされる事への被る不利益が勝る事にある……総合的に考えれば熊さんが前に指摘した様に、本来であればなるべく関わり合わない方が無難な存在である事は間違いない。
だが敢えて私は心配無用と応じたい。
私も馬鹿ではない、その辺りの事情はちゃんと考慮に入れている。
十億と言う金額は確かに大金である。
しかし西の大国として知られるイリシア王国の子爵家にとって、それが大金かと問われれば有する資産を踏まえても其処は異論が生じると言うものだろう。
私もバルロッティ家に後々まで執着される程、深刻な事態に陥るまで追い詰めるつもりは毛頭ないし、同時進行で解決を目論むクラリスさんの一件は、結果的に神殿とバルロッティ家の癒着を立証する、言い換えれば王国と神殿が抱える問題の一端を露見させる事態へと発展する筈だ。
元々バルロッティ家は小さな不正を多く抱える問題のある家柄である……この騒動を契機に色々と騒ぎ立てる連中は多いだろう、と私は目論んでいるのだ。
私の小さな詐欺事件など有耶無耶になる程度には大事になって頂きたい。
そう……なりますよね? いやっ、なって下さいお願いします。
少なくとも私の存在が薄まる程の騒ぎにならないと……困ります。
なんだろう冷たい汗が……。
あれっ、私、大丈夫……ですよね?