第六幕
「冒険者ギルド?」
「はい、私たちはある街で遺跡に硝石の採集に遣って来ていた冒険者一行から新たな妙薬の噂を耳にしました」
「それが回復薬と言う訳だな?」
「彼らは現物を持っていませんでしたのでこの目で確認出来た訳ではないのですが……伝え聞いた効能からもまず間違いはないだろうと」
「それで王都に?」
「藁にも縋る……と申します様に只の噂と軽んじれる程に私には時間が残されていませんでした……しかし神はおられ私に悲願を果す最後の機会を与えてくださったのです……何故ならギルド内ではその噂で持ち切りでした、そして最近冒険者ギルドと独占契約を交わした者が自らをクリス・マクスウェルと名乗っていると言う事も」
偽名を名乗るにしても彼の大錬金術師の名を僭称するとは随分と増長したものだ、と呆れもしたが、なるほど、ミリーナの話ではその弟子とやらは元々が大層な自信家ではあったらしい、であればあれ程の秘薬の精製法を手にしてより高まる虚栄心を満たす為、と考えれば愚かだが無くはないと言ったところであろうか。
「しかしミリーナよ、焦る気持ちは分かるが仮にその妙薬が回復薬であったとしても、そのクリス・マクスウェルなる者が求める仇であるとは断定出来ないのではないのか?」
「何故でしょうか? 新たにギルドと独占契約を交わした人物があの高潔で素晴らしく偉大で叡智溢れる……こほん、大錬金術師様の名を騙っている事と、回復薬が無関係であると言われるのですか」
「そうではない……そうではないが良く考えても見よ、冒険者ギルドと独占契約を交わしている者は他にも多く居るのだ、そしてその者らは守秘義務によってギルドに護られている存在でもある、誰が何をギルドに卸しているかは本人が公言でもしない限り売買に関する情報は秘匿されているのだ……勿論その者の所在についても同様の扱いになっている……クリスなる者が最も疑わしい事は確かな事実ではあるが、安易な理由から決め打ちして行動を起こせば足元を掬われ兼ねない事を忘れてはいけない」
執念で凝り固まった想いは時に聡明な者の瞳をも曇らせる。
それを人は妄執と呼ぶのであろうが……ミリーナがそれに取り憑かれるのなら、俺が賢明な判断を下せる為の導となってやらねばならない。
彼女のため……違う!! 俺の利益の為にだ。
「マルコ、その辺りの裏は取れるか?」
「難しいでしょうね、冒険者ギルドにはウチも色々と世話になっていますし、部門が違うので直接会った事は無いですが今の組合長は若いながらも相当な切れ者との噂ですしね、俺の独断で深く潜らせて万が一にも事が露見した時には此方の身がやばい、ウチは冒険者ギルドと揉める気は無いですしそんな危うい橋は渡れませんよ」
「優秀な組織だと聞いていたが、どうやら噂程ではないらしいな」
「それをおっしゃるなら坊ちゃんが子爵家の御威光で何とか為されでは?」
独占売買の権利は王国が認めている冒険者ギルドが有する特権の一つ。
俺が子爵家の意向として公にそれに介入しようとすれば、下手をすれば事は王国対冒険者ギルドと言う図式にまで発展しかねない。
一子爵家の、それも爵位すら継いでいない只の嫡子でしかないこの俺にそんな真似が出来ない事を知っていてこの男は挑発しているのだ。
それが分かるからこそより腹立たしい。
ミリーナの前で俺に恥を掻かせるとは……飼い主の機嫌を不用意に損ねる事の愚かしさを、この男には分からせておかねばなるまい。
覚えておけよ、と俺は警告の意味合いを籠めてマルコを睨みつけてやる。
「エリオ様、クリスなる者が私の怨敵であるかの確たる証明は必要ないのです、重要なのはギルドの独占売買の対象に回復薬がなっている事……独占契約を交わしている者の中にあの者が居るのなら手段はあるのです、その為に私は助祭様を頼ったのですから」
「どうして此処でティリエール助祭の名が出て来るのだ?」
ミリーナはテーブルに置かれていた書物を手に取ると、訝しむ俺に差し出した。
それを手にして開いてみるが、見慣れぬ文字で綴られた書物を俺はまったく読み解く事が出来なかった。
「これは私が母に託されていた特効薬に関する手記です」
「まさか……」
「特効薬の試作結果が記されたこの手記は未完のもの……しかしその過程で生み出された回復薬についてはどうでしょうか?」
「この手記には回復薬の精製段階が綴られていると言うのか?」
「分かりません……母は用心の為かこの手記を魔法言語で記していました……それも異境の言語体系を使って……魔法士ですらない私では内容を読み解く術はありません……ですがエリオ様が思われた様にその可能性は高いと考えています」
「ミリーナはそれをティリエール助祭に託そうと考えていたのか?」
「はい……私の身に何かあった時、欲深な者の手にこの手記が渡るのだけは避けたかった……遠からず私の寿命は尽きるでしょう、ですから責めて善意在る方の下に託しておきたかったのです」
あの女は、クラリス・ティリエール助祭は、高潔さの象徴として語られる程に市井でも広く名が知られている。
精神的に追い詰められていただろうミリーナが、その彼女の威光に救いを求めたとしても有り得ぬ話ではない……しかし結果としてミリーナはクラリスでは無く俺を選んだのだ。俺に全てを捧げると縋ったのだ。
欲深な者、と言ったミリーナの言い回しに何故か皮肉げな響きが籠められていた気がしたのだが、恐らくは気のせいだろう。
この女はもう俺のモノ……俺の所有物なのだから。
「助祭様に相談する前にこの様な事になってしまい……全ては事情も良く知らない私が要らぬ世話を焼いてしまったのが原因……助祭様にはどうお詫びすれば良いのか……」
「元々がティリエール助祭と父上の間の痴情のもつれが大きな要因なのだ、だからミリーナが気に病む必要など無いのだよ、二人の事は言わば自業自得と言うものなのだから」
「しかし……」
「彼女の事は俺に任せてミリーナはもうティリエール助祭に関わってはいけないよ、良いね?」
「はい……」
俺は話していて気づく。
あれ程執着していたあの女に既に興味を失っている事に。
まあ、アレは親父殿にくれてやるとしよう、俺は別の……玩具を、と思いミリーナを見つめる。
それに気づき微笑み返して来る彼女の可憐な笑顔に、先程浮かんだ玩具と言う表現に対する酷い違和感と拒否感に襲われ……俺は考えるのを止めた。
「お嬢さん、悪いですが話が見えませんね、その手記を誰かに預ける事とお嬢さんの仇を見つける事とがどう繋がるんですか?」
と、横からマルコが口を挟んで来る。
空気の読めない奴だ……この場の主導権は俺のものだと言うのに。
「この手記の重要性を知る者がこの場以外にもう一人居ると言う事です、これが世に公表されては困る人間が、と言い直すべきでしょうか」
「なるほど、その人物がお嬢さんの仇と言う訳ですか」
「はい、ですので私はこの手記を競売にかけようと思うのです」
「ふむっ、ミリーナは手記を囮としてその仇を誘き出そうと言うのか?」
「出品者に私の名が記され、ファーブルの手記と題せば、あの者にだけは分かる筈、気づく筈です、そうなれば必ず競売に参加してきます……私はあの者の全てを奪ってしまいたいのです、命だけでは無く裏切りで得たであろう全ての財を」
「敢えて競り落とさせると言うのか? しかしその場合、高値にまで吊り上げる為の競合相手が必要となるだろうな」
ミリーナが……いや、マルコすらもが俺の次の言葉を待っている、求めているのが伝わって来る。
それも当然だろう……俺にしかその役割は担えない事は言うまでも無い事であったのだから。
悪い手、ではないかも知れぬ、何より俺にリスクが無い。
どれ程の高値にまで値が吊り上がろうが、その仇とやらが競り落とすならば思惑通り、読み違えて俺が競り落としたとしてもその金がミリーナに渡るだけの話。
彼女の金と言う事は言い換えれば俺の金と同義であるのだから其処に問題は生じない。
手数料分は損をする事になるだろうが、読み違えた俺自身への罰則と考えれば勉強料として支払いを惜しむ程の額では無い。
何方にしてもこれは中々に面白い見世物になるだろう。
「良いだろう、その役割は俺が担ってやろう」
「ふひっ」
「ん? どうしたミリーナ?」
「い……いえ、ごほっこほっ……直ぐ治まりますので……」
咳き込むミリーナの背を俺は撫でてやる。
妙な奇声が聞こえた気がしたが気のせいだろう。
心配ありません、と俺の腕にそっと手を添えて囁くこの嫋やかな花に限って、そんな下卑た声を発する姿など想像すら出来ぬのだから。




