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王都の錬金術師  作者:
序章 新たなる始まり
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第五幕

 「父が治めていた土地は王国の版図でも外れに位置する本当に小さな村でした……ですが私は兄と姉にも恵まれて貧しいながらも不満など抱いた事すら無い程に幸せな日々を過ごしていました」


 「ふむ、で……事の発端は五年前と言う事になるのか?」


 「はい……私の村では毎年近隣を巻き込んで発生する疫病の根絶が急務であり……村を発展させる為に父が残りの人生を賭けて挑んでいた命題でもありました……しかしその年の疫病の猛威は例年に比せず凄まじいもので、父も……そして兄姉たちも病に侵されてしまい……」


 俯いて小さな手を握り締めるミリーナの姿は憐憫を誘う何とも痛ましいものではあったが、だからと言って地方の村々が抱えるこの手の問題は興味を誘う程に珍しい話では無く、俺としては掛けてやるべき言葉が上手く思いつかない。


 今や疫病の脅威とは過去のモノ。


 大陸の諸国でも一定の規模の街ならば下水の処理を行う浄化魔法の設備施設は複数常設されているし、硝石を活用する事で施された術式を維持し永続させる技術も既に確立され広く普及されている。


 薬術師ギルドでは多種に渡る特効薬が開発され、二段構えの対策が各国で取られているのだ。


 しかしそれはあくまでも街と呼ばれる程度の規模を有する経済圏での話。


 設備投資の為の金を、硝石を始めとした維持費用を捻出出来ぬ経済力の弱い貧しい地方の村々では、今だに不衛生な環境下から発生する疫病の猛威によって人知れず廃村となり消えて往く土地は多い。


 王国としても無駄に増え過ぎた騎士爵を間引く為に、そうした問題に悩まされる土地を領地として与えている事情もあるのだろう、実りも無く淘汰されていく村々には関心が薄く、援助を求められても騎士爵の責任の範疇として大半が相手にもされず、対策を取られる事も無く捨て置かれるのが現状だ。


 金を生み出せぬ者の末路、と普段の俺なら鼻で笑う場面なのだが……何故か今はそんな気分にはなれない。


 利用しようとしている娘の前なのだから当然だろうと納得して見るものの、それだけでは腑に落ちぬ妙な違和感の存在を感じ俺は知らず不快げに眉根を寄せる。


 まったく不可解な気分だ。


 「しかし……それでも私の村は、私の家族は救われる筈だったのです……母が研究を続けて来た安価な素材で精製される特効薬……それが完成間近だったのですから」


 ミリーナの黒髪と黒い瞳は異境の民の血を引く証であり、その母親は異国の魔術体系で構成された魔法を扱う呪術師であったと言う。


 確かに辺境に住む蛮族たちと交易を行う諸国は少ないが、辺境からの移民が大陸全土に流入している現在ではまったくない話と言う訳でも無い。


 確証がないゆえに信じ切る事は出来ないが、偽りと断言出来る程にはミリーナの話が荒唐無稽と言う訳でも無い。


 なんとも煮え切らぬ話だ、と言うのが此処までの俺の正直な感想だ。


 俺はミリーナの持ち物であった二つの小瓶と書物へと視線を送る。


 テーブルに置かれたそれらは説明に必要とミリーナに請われて俺がマルコに運ばせて来たものだ。


 「その話と並べられたこれらの品々が繋がると言うのだな?」


 「そうです……母は疫病の特効薬を精製する過程で異境の魔術を精錬魔法に組み入れました……此処に置かれた回復薬エクシルはその副産物として生まれた妙薬ポーションなのです」


 「それが母親の弟子に違法な手段で奪われたと?」


 「そうです!! この回復薬エクシルの効能は素晴らしいものです……しかし母が求めていたのは家族を……村の人々を救う特効薬でした、あの者は……欲に駆られて母と口論になり、母を殺めて研究の資料を全て奪って逃げだしたのです!!」


 「何故そうなる? ミリーナ、君の話が真実であればその回復薬エクシルとやらを売り出せば、既存の特効薬もいずれは浄化設備を村に建てる事すらも可能であった筈では無いか? どうしてそんな性急な事態に陥るのだ?」


 「時間が足りな過ぎたのです……回復薬エクシルの臨床実験には時間が掛かります……人体に与える副作用の有無などを検証する為には長い時間を必要とされたのです……病床に伏していた家族や、村の人々にはそれを待てる時間の猶予がありませんでした」


 「それも確かに分からぬ話では無いが、しかし……」


 「あの者は悪魔です!! どう取り繕うと欲望に溺れ母を殺した現実は変わらないわ!! 回復薬エクシルの精製法を独占する為に皆を裏切ったあの者を私は絶対に許さない!!」


 口元を手で押さえ、涙を流して俺に訴えかけるミリーナの悲壮な姿に、所詮は負け犬の遠吠えではないか、と嘲笑う事がどうしても出来なかった。


 彼女の白雪の如き頬を流れ落ちる涙の滴が美しい、と感じてしまった。


 理屈では無く護ってやるべきだと思ってしまった。


 どうしたと言うのだ俺は……この奇妙な感覚は何なのだ。


 女など見栄と快楽を満たす為の只の道具だと、玩具に過ぎぬと言うのに……俺は……。


 「エリオ様に私の覚悟と……証拠をお見せ致します」


 と、ミリーナは右手を開いたまま大きく振り上げると、勢いを殺す事なくテーブルの角へとその手を叩きつけた。


 ぼきり、と骨の砕ける嫌な音が刹那の間、静かな室内へと響き。


 「な……馬鹿者が!! 何をしている!!」


 次に俺の発した怒声だけが周囲に木霊した。


 玉の汗を額に滲ませたミリーナの翳した右手の中指と人差し指が有り得ぬ方向へと折り曲がり……砕けた骨の一部が関節部から肌を破って突き出している。


 下手をすれば回復が不可能な程の後遺症を残す可能性すらある程の重症なのは、誰の目にも明らかであった。


 「い……医術師を……いや、神殿に連れて行くぞ!!」


 「こんな夜中にですかい?」


 「関係あるものか!! 寝ているなら叩き起こせば良い!!」


 妙に冷静なマルコの言動に俺は怒りの余りその胸倉を掴み、


 「大丈夫です、エリオ様」


 と、微笑むミリーナの左の手にはテーブルに置かれた筈の小瓶の一つが握られていた。


 ミリーナは俺に折れた指先を向けたまま、器用に小瓶の蓋を片手で開き中身を一気に飲み干すと――――瞬時に変化は訪れた。


 余りにも劇的に。


 折れ曲がったミリーナの指が完全に元の状態へと復元されたが如く癒えていたのだ。


 「ありえない……これではまるで高位の治癒魔法と同じ……妙薬ボーション如きに魔法と同等の効果があると言うのか……」


 「これが回復薬エクシルの効能……いいえ、力です」


 この目で見た以上、信じざるを得ない……ミリーナの話には不審な点も多い、が……これ程の効能を見せつけられれば納得するしかない。


 例え全てを引き換えにしてでも独占したいと願ったその弟子の欲望を。


 「こふっ……ごほ、ごほ、ごほっ」


 と、突然咳き込み、背を向けて蹲ったミリーナの姿に、この妙薬ポーションが産み落とすであろう莫大な利益を思い浮かべていた俺は慌てて彼女に目を向ける。


 暫くの間、咳き込み続けていた彼女は、やがて立ち上がり振り返る。


 形の良い小さな口元を真っ赤な血の色に染めて。


 「ミリーナ……」


 「五年……五年です……復讐を胸に旅を続けていた私の、これも因果応報と呼ぶべきものなのでしょう……それでもやっと此処まで来ました……当初居た従者たちも一人離れては死に別れ、最後の従者ももう居ない……私に残されている時間は余りにも短く……」


 頼り無い足取りで、救いを求める眼差しを向けたまま、しな垂れ掛かるミリーナを拒む事が俺には出来なかった。


 「肉体的な接触がなければこの病は移りませんから……」


 消え入りそうなミリーナの声音には諦めと恥じらいが感じられ……思い出すのは幼き頃……亡き母の姿に抱いていた恋慕にも似た……遠い昔に持ち得ていた何かに手が届きそうで、俺は小さな彼女の背中に腕を回していた。


 可憐な少女をその身に抱いていると言うのに何故か不思議と欲望は感じなかった。


 「私はもうエリオ様の慈悲に縋るしか道は残されていません……ですから私の全てを貴方様に捧げます……名誉も回復薬エクシルも……それが齎すであろう財の全てを」


 「僕……俺に全てを譲り渡してまでお前は何を望むのだ?」


 「私に生きた証を……この世界に私が生きていた証を下さいませ」


 家名の再興と復讐を。


 俺の胸に頬を埋める彼女は、もう一度そう囁いていた。




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