第二幕
私と熊さんことゴルドフ・ルゲランとの出逢いは、王都へと遣って来てまだ間も無い私が宿屋を点々と渡り歩く根無し草の様な生活をしていた頃にまで遡る。
もう二年以上も前のちょっとした昔話である。
熊さんとの間に生じた経緯は、今の私の在り方を培う上での重要な教訓となった苦い体験と思い出であり、恥を忍んで語るとすれば、黒歴史と言うべき失敗談と言える。
力の定義とは、と誰かに問えば、それぞれの立場や主観によって異なる回答が得られるモノだろう。
権威、金、話術、人脈、知識、暴力。
何に重きを置くかは、何を信じるかは、人により千差万別、一概に言えるものでは無い。
類に漏れず私にとって力とは魔法である。
だがそれは錬金術師として魔法を本分とする術者としての私であって、例え新米の素人であったとしても商人を志している今の私が信ずる力では無い。
ゆえに幾らそれが不本意な理由であろうとも、どれ程に相手に非がある場合においても、難局を打開する、打破する手段や方法を安易に魔法に頼る事で直接的に、或いは物理的に解決する事は、何よりも私の敗北を意味する事に他ならない。
簡単な話、幼子に言い負かされたからと言って、大の大人が拳を振り上げ殴りつけて黙らせれば勝ちかと言えば、それに納得出来る者は居ないだろう。
当の本人にしたところで後に残るのは後悔と忸怩たる思いだけである。
今、目の前に座る厳つい顔をした大男の姿を見る度に私はそれを思い出す。
私にとってゴルドフ・ルゲランとは失敗が齎した結果であり、猛省すべき生きた教訓と呼ぶべき存在なのである。
「嬢ちゃん……この前、貴族には関わるなと言ったばかりじゃねえか」
「違うんだゴルドフさん、立ち退きの件は頭が痛い問題だけど、今回のは明らかな別件で巻き込まれたと言うか、巻き込んだと言うか……兎に角、不可抗力と言って良い事情が有るんだよ」
「不可抗力……ですか、では聞きますがね、どんな巻き込まれ方をしたらお嬢の素性や背後関係を調べて、可能なら攫ってこいなんて依頼がウチに舞い込んで来るんですかね?」
「てへっ」
と、可愛らしく愛想笑いをしてやるが、熊さんも狐目もまったく口角が緩む様子が見られない。
それどころか普段なら単身で会いに来る熊さんや狐目が、今回はがたいの良いお友達を何人か連れ立って遣って来ている為に、店の外で大人しく……もとい、油断なく周囲を警戒している彼らの御蔭で何やら物々しい雰囲気が夜の帳亭を中心として漂っている。
まったく以て営業妨害も甚だしい、大変遺憾な状況である。
「嬢ちゃんもウチが王都でもかなりデカい組織だってのは分かってくれてると思ってたんだがな……何か揉め事があったらまずはウチの人間に相談してくれと前々から言ってた筈だよな? 嬢ちゃんが独断で動けば今回の様に俺の与り知らないところで、ウチと嬢ちゃんが揉める事態にだって成り兼ねないんだぜ」
「王都で手広くやってるウチは、縄張りによってそれぞれ責任者が違うんですよ、当然お嬢の事を知らない連中も多いし、手下の連中の中には過激な真似をする跳ねっ返りも少なくない……頭は自分の目の届かないところで間違いが起きないか、それを心配しているんですよ」
狐目が熊さんの胸の内を補足する様に言葉を重ねて来るが、言いたい事は理解出来る。
しかし、クラリスさんの件に関する揉め事で私に文句を言われても、此方としてもすんなり、御免なさい、とは言い難く、納得しづらい話なのである。
何故かと問われれば、相手の出方を窺っている為に今の私は極めて受動的な立場に立たされているからに他ならない。
あの馬鹿貴族たちがクラリスさんの細やかな抵抗の理由の原因として、遠からず私の存在に行き着くだろう事は想像に難しく無い。
読み切れなかったのは、私の素性やその背後関係を調べる手段として権威を笠に公の機関を頼るのか、それとも後々の処理も考えて非合法な裏の組織に任せるのか、だったのだが、両者にはそれぞれに利点と欠点が存在するだけに、まずは様子見をしていた訳なのだが。
「一応マルコさんには貴族絡みで揉めそうだと伝えていた筈だけどね」
「ええ……確かに聞きましたよ、でもまさか昨日の今日でこんな騒ぎになるとは思いもしなかったので、対応が間に合いませんでしたよ」
恨みがましい眼差しを向けて来る狐目に私はそそっ、と視線を逸らす。
相手も中々に行動が素早い。
しかしこれは必ずしも悪い話では無い。
熊さん一家以外の別の組織に依頼されていれば、何段階か面倒な作業を強いられていたところであったが、それを省略出来るのは寧ろ好都合と言える。
これに関しては完全な運任せだったが、可憐な美少女の願いを神様が叶えると言う展開は物語に良く見られる言わばお約束と言うべきもの。
感謝はしつつも、当然の結果と受け入れるべきだろう。
迷惑を掛けてしまった狐目には今度食事を奢らせてあげるのも良いかも知れない、きっと感動に咽び泣き私に感謝するに違いない。
「お嬢……なんか凄い悪い顔してますよ」
と、自己陶酔に浸っていた私に狐目が嫌そうに声を掛けて来る。
不信感を隠そうともしない狐目の表情が余りにも露骨なので……けしからん、と憤慨したいところだが、其処は私も大人の女性……心のメモ帳に狐目に対する悪態をそっ、と記しておく事で自制する。
「こほんっ、それで態々こうして会いに来たって事はその依頼を受けちゃったって事で良いのかな?」
「ですねえ……」
「嬢ちゃんに確認してからと思ってな、だが直ぐに破棄させるから問題はねえぜ」
「あっ、いや……それは困ると言うか、受けて欲しいんだけど」
「あっ?」
「だから依頼をそのまま受けて欲しいんですけれど」
「本気か嬢ちゃん?」
私は満面の笑みで熊さんに頷く。
「その上でゴルドフさんに依頼を頼みたい話があるんだけど……どうかな?」
「お嬢……そいつは幾ら何でも……」
「黙ってろ!!」
熊さんが狐目を一喝する。
どうやら聞いてくれる気は有るらしい。
「報酬は後払い……その代わり利益は折半で、それなりの額はちゃんと保証するよ」
「幾らお嬢の頼みでも貴族が相手ではウチに不利益が多過ぎます、まして話の内容以前に報酬が後払いなんてのは、そもそもお話にもなりませんよ」
相手が私で無かったら鼻で笑って蹴り出している、と告げる狐目に今度は熊さんも口を挟まなかった。
「もし協力してくれるなら、今回の件は私への貸しで良いよ……私、クリス・マクスウェルが感謝する……それでどうかな?」
「俺への貸しでいいんだな?」
「その理解で構わない」
「お嬢、そんな条件では……」
「マルコ、お前が嬢ちゃんに協力しろ……で? 俺たちに何をして欲しい?」
「頭……」
私と熊さんの一連の遣り取りに狐目は納得していない様子ではあったが、それを責める事は出来ないだろう。
私と熊さんの関係性や縁は余人には与り知れぬ、それだけ特殊なモノであるからだ。
「決まりだね、ゴルドフさんにお願いしたいのは相手に流す私の素性の事なんだけど、出来れば市井に堕ちた元貴族の令嬢ってのが背後関係を踏まえて理想的なんだけど、どうかな?」
「どうなんだマルコ?」
「何処まで遡るかによりますけど……騎士爵辺りなら落ちぶれて廃れた家名は少なくは無いと思います」
「自称するだけだから疑われても構わないよ、ただ後で調べられて完全に詐称しているとばれない、明確な確証や証拠が出て来ない、疑念に留めておける家名が良いんだけど?」
「娘が居てもおかしくないとすれば、此処十数年に限られますかね……可能だとは思いますけど調べて見ますよ」
「有難う、マルコさん」
「それだけでいいのか、嬢ちゃん?」
「うん、後は段取りを決めてちゃんと攫ってくれれば、後は私が上手くやるから」
脚本はちゃんと出来ている。
役者は揃い、残るは演出家の準備が整うのを待つだけです。
さあ、舞台の幕を開けましょう。




