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王都の錬金術師  作者:
第三章 新規事業と悩める人々
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第二幕

 商工組合の本館は王国でも一等地として知られる中央街に存在する。


 郊外に商会を構えるエルマン商会に属する私の様な人間は商用でも余り訪れる機会は少ないが、組合員は無償で施設の利用が認められている為に信用が必要な商談の席や交渉の場に組合の応接室を利用する商人は多い。


 王都の一等地……しかも豪奢な外観を有する商工組合の一室と言う環境は、組合に属する商人であると言う看板は、相手の安心と信用を得るに十分な要素であり供出金を出して余りある利点の一つとなっている。そして今回我が主ダグス・エルマンが独自の伝手を頼らず商工組合を通じて西方協会に繋ぎを付けたのには相応の理由があった。


 一つには敢えて正規の手順を踏むことでマクスウェル商会の横槍を防ぐ為であるのと同時に、裏で妙な画策をしていると誤解され後に不要な怒りを買わぬ為でもある。一見小心にも思えるかも知れないがエルマン商会とマクスウェル商会は対等な、とは口が裂けても言えぬ巨象と蟻の関係にある。気に入らぬ、とただそれだけの理由で潰され兼ねない程に資本力に差があるのだから主人が殊更に慎重になるのは当然と言えるのだ。


 商工組合~会議室~


 肩を並べて座る主人と私の眼前には机を挟んで一人の若者の姿がある。歳の頃はまだ十代であろうか、成人に達している様には見えるがまだ成長過程を面差しに残すそんな若者であった。私より更に五、六歳は年下である事は風貌を見てもほぼ間違いはないだろう。


「初めまして、ぼ……おほんっ、私は西方協会の実務担当……の補佐を務めていますシリル・カーティスと申します。以後お見知りおきを」


「これは失礼をしましたな、儂はダグス・エルマン。織物を主とする商いを専業としている者。隣の男はオットーと申しまして儂の商会の番頭を務めております」


 主人に紹介され私はオットー・ロドリゴです、と若者に軽く会釈する。頭を下げながら、らしくない我が主の失敗に見えぬ表情を僅かに曇らせる。


 本来、呼び出した側が先に名乗るのが礼儀であり、それを疎かにしてしまったのは明らかな主人の失態であった。しかし経験豊かな我が主が一時それを忘れ無作法を露呈してしまった理由には身贔屓ながら心情的に理解出来る部分があったのだ。


 それ程に眼前の身なりの良い青年は余りにも若過ぎた。


 西方協会は慈善団体ゆえに厳密には其処で働く者に給金は発生しないと訊く。つまりは無償の奉仕が前提として在る以上、一般の人間が職員である方が希であると考えて良いだろう。冒険者ギルドなどが提携して引退者などを奉仕活動に参加させる事で給付金を支払っていると言う話は有名ではあるが、それは善意とは全く異なる別の次元で……例えば西方協会に集まる寄付金『以外』の不透明な金の流れを含め、極めて打算的な両者の取り決めがあるのだろうと私などは考えている。


 簡単に言えば基本的に西方協会で職員として働く者の大半は金銭的に余裕のある人間たちであると言う事だ。その内でもこの若さで補佐を自称する辺り、将来の宮仕えに備えて世間的に箔を付けたい何処かの貴族の縁者か富裕層ゆえの偽善的な道楽か……若者の素性など、どちらにしても大きく予想を外してはいないだろう。


 ゆえに主の心情は痛い程に理解が出来る。


 商工組合を通じて紹介を頼んだのはあくまで西方協会の有力者であり小間使いの若者ではないからだ。確かに交渉の席で年齢の高低は問題ではない。だが立場や身分と言う肩書きは大いに重要な要素なのだ。紹介された相手がまだ未熟な若者ともなれば、経験豊かな商人としての自負ゆえに他者から軽んじられた、と主人が内心で動揺を隠せぬとしても不思議な話ではない。


「若輩の身ゆえ誤解を与えてしまったとしたらお詫びしなければなりませんが、私は補佐として『小口』の案件に対して相応の権限を与えられておりますのでどうぞ御安心下さい」


 挨拶を済ませ続く若者の言葉に主人の眉がぴくり、と動く。


 変化は一瞬で一見して主人の表情に変わった様子は見られないが今の若者の発言に内心で怒りを覚えているのだろう事は付き合いの長さゆえに私にはそうと知れた。


 若者の言動や態度は教養も感じられ人当たりも柔らかく察しも良い。私なりの印象としては決して悪いものではなかったが、こうした場での経験が圧倒的に足りていない……不足している。この僅かな時間、短い一連の流れだけで私はそれを確信していた。


 年配の……それも商人を相手にして話を訊く前段階で『小口』などと発言する言葉の重みと意味を全く理解出来ていない。含みなく軽んじる意図を、悪意を、感じさせぬだけに、無神経な若者の発言で主が受けた不快感と傷ついた自尊心は依り深く大きなものとなっているだろう。


 これでは相談どころか、恐らく主は本題に触れることなく席を立つかもしれない、と私は内心で憂慮し……瞬間、続きの間の扉が、ばたん、と開かれる。


 応接室には控えの間が隣接し若者の背の先にそれに続く扉が存在している事は認識していたが、私も主すらもまさか其処に人が居るなどと、密義や密談の類いではないとは言えどこの若者がこの場に第三者を招いているとは想像もしていなかったゆえに驚きの余り一瞬思考が停止してしまう。


「紹介されるまで控えているつもりでしたが『身内』の無礼、どうかお許し下さい商人殿」


 透き通る様な少女の声。


 扉を開け姿を見せたのは長身の赤毛の青年……続いて現れた声の主に私は目を奪われてしまう。


 西方では珍しい長い黒髪に黒い瞳。そして何より特筆すべきは左右対称、寸分の誤差なく狂いなく調和のとれた整った容貌。それが人間味と現実感を希薄とさせ……まるで名画の内の画像の如く余りにも美しい少女の見姿に……。


「経験を積ませる為と窓口役を任せて見れば……ご不快な思いをさせ本当に申し訳御座いませんでした」


 組合を通じて話を承ったのは私なのです、と少女は私と主に頭を下げる。


 突然の事態の変化に返す言葉を失っている主の姿を尻目に少女の視線は対応していた若者に向けられる。それは明らかに叱責を帯びた厳しい眼差しであった。


「こっ……此方のお嬢様は我が協会に多額の寄付と資金援助をして下さる資産家の御令嬢でありまして……御自身も協会の理事ちょ……おほん、上級職員を務めておられるのです」


 自分が何を違えたのか、失敗したのか理解出来ていないのだろう、明らかに動揺した様子の若者は、しかし察しの良さは大したもので、少女の説明しろ、と言う無言の圧力を前に瞬時に思考を巡らせて事の経緯を我々に説明する。


 束の間、若者の弁明とも弁解ともつかぬ経緯のあらましが語られ、


「訊けば貧民街で新たに商いを始める為の御相談とか……実に興味深いお話です。私としましても昨今幅を利かせているマクスウェル商会の専横には思うところがありまして……個人的にも是非協力させて頂きたい、と」


 少女は若者の言葉を継ぐように最後にそう付け加える。


 先程まで対応していた若者と大差ない年齢の少女の登場と言葉に主の表情には戸惑いの色はあれど……繰り返しにはなるが肩書きと身分は重要で、それが十二分に満たされている相手であれば商談において年齢などは誤差の内。


「私の名はクリスティーナ。どうかクリスとお呼び下さい」


 ゆえに願ってもない少女の提案に主の返事は既に決まっている、と窺う面差しからもその覚悟の程が垣間見えた。


 西方協会の全面的な協力を得られればマクスウェル商会に対抗する事も不可能な事ではない。それは貧民街と言う地域での限定的な話ではあるが、それでも我々の今後を左右する確かな一歩ではあった。


 良い取引を、と主に手を差し伸べる美しい少女の姿に、私はそんな希望を抱いていた。




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