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王都の錬金術師  作者:
第二章 北の遺跡と呪われた古城
127/136

第二幕

 異変は顕著に現れる。


 芋虫状の悪魔の姿は黒き影のままその形状こそ変わらねど、急速に肥大を重ね膨張し膨れ上がっていく。それはまるで大量に空気を挿入された袋がはち切れんばかりに膨らむ様に。


 そんな光景を前にして、私は御城主様が己が身を呈して目的を全うされた事を知る。


 ある種この現象は当然で、限界値を越えた膨大な魔力を一度に吸収すれば構成限界を凌駕するだろう事は予想の範疇を越えず有り得た可能性。こうして御領主様が最後に残された埋伏の毒は功を為し悪魔は己の所業の果てに自壊する。


 膨張を止められず、制御出来ずに荒れ狂う悪魔の触手が無秩序に聖堂の壁に激突し、破砕音と共に聖堂全体を揺るがしている。その変化に兵士たちの精神は限界を越えたのだろう、手にした武器すら投げ捨てて一目に出口に至る階段へと駆け出していた。


 一人のそうした行動は直ぐに伝播し恐慌へと至る。恐怖のままに叫び出し、統制を完全に失った兵士たちが我先に、と出口へと殺到していく姿に……私は、ほっ、と胸を撫で下ろす。


 これで良い、と。


 悪魔が自壊しても内に溜め込んだ魔力が自然に消滅する事は考え難い。であれば訪れる結末は明白で、悪魔と言う外殻が砕けた瞬間の圧力で圧縮されていた膨大な魔力は弾け飛び魔力爆発を引き起こすだろう。その規模と被害の程は取り込んだ魔力量を知る私には容易に想像が付き、それゆえにどの様な形であれどこの場から全ての人間が退避してくれる結果に安堵を抱かずにはいられない。


 軈て人の気配は遠ざかり……束の間、去りし時間の先に聖堂に残る人の気配は二つだけ。


 床に身を横たえる私と商人風の男性。彼だけは最後まで逃げ出す事なくこの場に留まっていた。何か思うところがあるのだろうが、手遅れになる前に出来れば立ち去って欲しい。そう願えども私の声は彼には届かない。


「お役目御苦労様でした、助祭様」


 悪魔を意に介す事もなく、商人風の男性は私の傍らに屈み込むと優しく私の頬に触れる。声の調子も声音も平坦で感情に揺るぎがないゆえに其処に邪な気配は微塵も感じず、しかし同様に乱れなく投げ掛けられた労いの言葉に漠然とした違和感を覚えてしまう。


 戸惑いながらも見据える視線の先、何を『される』か分からぬままに、男性の手は私の頬から撫でる様に首筋へと流れ……触れる。


 瞬間、生じる複数の気配と共に風のうねりが迫り来る。


 視界を過る赤い短髪。流れる動作で鞘走らせた刀身が松明の炎に照らされ白刃となって男性の首を撥ねる……刹那に軌道の線上から身を反らし躱す男性の動きもまた迅速で無駄がない。


「真打ち登場……ってね」


「アベル様……お戯れを」


 一瞬の交錯……向かい合う両者。


 それが寸止めの殺陣の如きモノであったのか、或いは殺意の上で成り立つモノであったのか、武芸に心得のない私には彼らが見せた刹那の遣り取りの真意は分からない。


 けれどそんな疑念は、続いて駆け寄って来る別の誰かの姿を目にした私の思考から消えていた……悪魔の存在も、不審な男性の行動も、そして不意に現れた赤毛の青年の姿すら隅へと追い遣り全てを霞ませる。


 その身を案じる余り、この場に来て欲しくなかった少女ヒト。それでも無事を確認できた……それが堪らなく嬉しくて、幸せで……溢れる暖かな想いが、相反する未練が私の覚悟を鈍らせる。


 使命すらも揺るがせる……彼女は私の運命。


「クラリスさんっ!!」


 膝を突き私の手を取る黒髪の少女の姿は、初めて出逢ったあの日のままに眩しい程に美しく……焦がれる程に私の魂を惹き付けて止まない。


「遅れてごめん……」


 私の見立てが甘かった、目算を誤った、浅はかに過ぎた、と自責の念を綴る少女の後悔に私の胸は押し潰される様な悲哀で満ちる。


 そうではないのだ、と。


 謝るべきは私の方なのだ、と伝えたかった。


 白雪の様な少女の頬に奔る赤い筋。滲む血の跡に背筋が凍える程にぞっ、とする。だから何より私の力で癒したかった……それが叶わぬ現実が苦しかった。


 私は馬鹿だ……。


 彼女の好意を利用して、彼女の優しさに付け込んで、神殿の大義の下に主の御名を免罪符に騙す様な真似をして、それでも許されると、許されたいと願っていた私への……これは罰なのだろう。私の弱さと愚かさが彼女の身も心も傷つけて、今もこうして私が憧れた、私の大切な笑顔を曇らせてしまっている。


 だから……何度だって伝えたい。謝るべきは私の方なのだと。


 握られた手の温もりを感じる術もなく、想いを伝える術もなく、私の意識は混濁していく。恐らく私の体はもう限界なのだろう。


 統合されていく意識と体……床の冷たさに瞼を開き見上げる虚ろな眼差しの先、彼女の顔が其処に在る。その壊れてしまいそうな悲しげな表情に、ああ、そうか、と最後かも知れぬ終末の刻……私は想う。


 ちゃんと真実を話さなかったのは嫌われたくなかったからなのだ。初めて出来た私の大切な友人に、絆を利用する人間なのだと幻滅されたくなかった……正しく在りたいと演じていただけの私の醜い本性を彼女にだけは知られたくなかっただけなのだ、と。


「クラリスさんっ!!」


 覗く彼女の表情は、初めて垣間見るその表情に、それが自負でなく驕りでもなく、私の為だけのモノだと知るゆえに、抱く罪悪感と同じだけの満たされた喜びを感じてしまう。


 意識を保てず瞼が閉じる。閉じた作用で涙が溢れ、一筋伝わる涙の粒が流れて彼女の手に落ちる。


 ありがとう……クリスさん。


 最後に残る想いは感謝だけ……ただそれだけだった。



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