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王都の錬金術師  作者:
序章 新たなる始まり
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第三幕

 「導師クラリス、宜しいでしょうか」

 

 「分かりました、今、参ります」


 呼び掛けに応え、私は席を立つ。


 此処は神殿の敷地内ながらも大聖堂からは離れた場所に建つ新設された治療院。


 大聖堂にも匹敵する程の広さを誇る院内には、しかし大聖堂に祭礼や洗礼を受ける為に訪れる信徒の方々とはまるで趣きの異なる人々が救いと治療を求め集まって来ている。


 控室を後にして進む通路の先、私の視界に受付が設けられている大広間の光景が映り込み……私は目を背ける様に別れる通路へと進路を変えて二階へと続く階段を上って行く。


 本当に救いを求めている彼らに背を向けて。


 私の名前はクラリス・ティリエール。


 今、私は助祭としてでは無く治癒魔導師としてこの治療院に配属されている。


 治療院の二階は賓客専用の一般には解放されていない区画である為に、二階の各部屋は診療部屋と言うよりは寧ろ貴賓室と呼ぶべき豪奢な作りをしている。


 一階の診療部屋が簡素な寝台が一つ置かれているだけの狭い空間である事を考えれば、高級な調度品のみならず、一階の診療部屋の数倍の広さを持つ二階は、一階とは同じ施設内とは思えぬ、まさに天と地ほどの格差が存在している。


 私が扉を開き、足を踏み入れた先もそんな二階の別空間の一つであった。


 「いやぁ、態々指名までしてすまないねティリエール助祭殿、それともそろそろクラリスと呼んでも構わないかな?」


 「どちらでもお好きにお呼び下さい、子爵様」


 私を見て好色そうに表情を崩す子爵の姿に努めて冷静な対応を心掛ける。


 「息子がまた剣術の練習中に怪我を負ってしまってね、治療を頼むよ」


 息子と呼ばれた青年が子爵に促された豪華な寝台に腰掛けている……父親に良く似た顔立ちに、父親と同じ表情を浮かべて。


 差し出された右腕には医師による治療の痕跡が見られ、包帯を解いた後に覗く刀傷らしき傷口は決して深いモノでは無い。


 「一応お抱えの医者には見せたのだがね、万が一にも跡取り息子の腕に醜い傷などが残っても困るのでな、ちゃんと傷口を消してくれたまえよ」


 「承知致しました」


 私は青年の前で膝をつき、目線を合わせる形で彼の右腕に自らの手を添え、瞳を閉じて意識を集中させていると、直ぐに何かが髪に触れる違和感を感じとる。


 それが青年の左手の感触だと気づいた瞬間、湧き上がる嫌悪感から思わず悲鳴が漏れそうになるが何とか唇を結んでその異物感に耐える。


 治癒魔導師である私の治癒魔法を受ける為に彼……いえ、子爵である彼の父親は高額の寄進を神殿に納めている……それが寄進料を一律で十万ディールと定めている治癒魔法士たちとは比べられない程の額である事は言うまでも無い。


 私には選択肢も選択権すらないのだ。


 私に出来る事は速やかに治癒を終わらせる事だけ。


 やがて淡い光のに包まれた彼の傷口が急速に塞がり……そして完全に消失する。


 「完全に回復したとは思いますが、何か違和感などは御座いますか」


 「いや、大丈夫、問題ないよクラリス」


 彼は嗤う。


 私の髪を撫でる手をそのままに。


 もう限界だ……。


 「では、失礼します」


 と、何とかそれだけを口にして、立ち上がり背を向け歩き出した私の腰の辺りに彼の強い視線を感じ取り……等々我慢できず身震いしてしまう。


 生理的嫌悪感……それはどうしても拭い難い、とても抑え難い感情であった。


 「怯えるクラリスも可愛いモノだ……ねえ父上」


 「そうだな、若く美しい神殿の助祭と言うのも、我々貴族の『遊び』相手には相応しかろう」


 「御戯れを……」


 室内に控えている子爵に同行して来た騎士たちも、侍女の女性も、申し合わせた様に俯いて私から視線を逸らせている。


 それはこの先、此処で何が有ろうとも、後に私が何を抗議しようとも、決して彼らは此処での出来事や会話について何も証言してはくれないだろう事を物語っていた。


 「次も君を指名させて貰うよクラリス」


 「そうだな、それに我々貴族が態々神殿に赴かねば為らないのも考えて見れば可笑しな話ではある……今度からは直接、私の邸宅に来るようにしなさい」


 この場で狼藉を働かれるのでは……と動揺していた私は事の成り行きに思わず安堵してしまうが、彼らの言葉の意味を直ぐに悟ると青褪めてしまう。


 「それは……神殿の決まりに反しますので……」


 震える声で何とかそれだけを口にする。


 「そうか、では特例で頼んでおく事にしよう、知り合いの司祭は多いのでね、それにクラリス……君がどうしても断ると言うのなら枢機卿に口利きを頼んでも良いのだぞ」


 恐怖が全てを覆い尽し、私は駆け出していた。

 

 待っているよ。


 背後から悪魔の囁きが聞こえ、同時に私は部屋から飛び出すと階段を駆け下りる。


 これは私への罰なのだろう。


 救うべき……救えるべき人々を救わない罪深き私への。


 階段を下りた先、通路の先に広がる大広間の光景は、まさに地獄そのモノであった。


 血臭と汗が混じった酷い臭い。


 苦悶の呻きと漏れる悲鳴。


 腕を失っている者……視力を失っている女性、外傷が……傷口が深く満足に動けず仲間たちに支えられている重傷者たちの姿。


 治療部屋に入りきらず、順番を待ちながら苦痛に、苦しみに耐えている冒険者たちの手には血に汚れた銀貨が握り締められている。


 彼らの間を……私はゆっくりと歩きながら正面の出口に向かう。


 私の治癒魔法なら救える命が在る。


 救えずともせめて痛みを和らげ、安息の内に最後を迎えさせてあげる事が出来る。


 しかし……私にはそれが許されてはいない。


 治癒魔導師である私には……最低限の寄進額しか払えない彼らへの治癒が認められていないからだ。


 これは……私の罪だ。


 臆病で弱い私に与えられた罰なのだ。



                 ★★★



 どれくらい歩いていたのだろう。


 どれくらいの時、動けずに居たのだろう。


 大聖堂へと続く参道の外れに在る大樹の下で、私は佇み続けていた。


 「もう……戻らないと」


 このまま職務放棄を続ける訳には行かない。


 それが分かっていても意思に反して身体が思う様に動かない。


 「あの~済みません、ちょっと道に迷っちゃいまして」


 不意に少女の声が背中から肩越しに聞こえて来る。


 私に呼び掛けているようだ。


 「神殿の物販所を探してて、こっちの方だと聞いたんですけど、なんか見つからなくって」


 「ああ……それなら」


 私は懸命に笑顔を作る……無垢な少女に見せてはいけない表情をしているだろうから。


 向き直った私の視界に映るのは十五、六歳の珍しい黒髪の少女の姿。


 木々の間から差し込む木漏れ日に照らされて艶やかな長い黒髪が、映えるその美しい容姿を目にした瞬間、私の世界は鼓動を止める。


 「ああっ……精霊様……」

 

 主の教えに語られる守護精霊の存在を体現したかの様な美しい少女の現出に、私の心の箍が外れる音が響いて消える。


 そんな奇跡など無いのは知っている。


 この少女が人の子である事は言われずとも気づいている。


 この出逢いがただの偶然で、それが私の弱さゆえの逃げだと分かっていても、それでも今此処に救いが在る様で、許しが此処に在る様で、私は跪き少女の手を取って涙する。


 「おわっ!! 何です……何ですか、私はただ聖水を買いに……てっ、これ新手の美人局ですか、騙されませんよ!!」


 少女は困惑しながらも頻りと周囲を窺っている。


 それでも私はその手を放さずにただ祈りを捧げていた。




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