第一幕
悪魔など非現実的で馬鹿馬鹿しい……とは思えども敢えて私はそれには言及しなかった。
それは別に場の空気を読んで、と言う訳ではなく、懐疑的であるならば議論の余地もあるが、頑なにソレを信じている者に対して何を語ったとて所詮は不毛な水掛け論にしかならぬし何より時間の無駄であるからだ。彼らの表情を窺うにこの場に居る者たちは皆一様に後者の側の人間である事は疑い様もない訳であるので、であれば無用な問答は避けるべきであろうと判断したに過ぎない。
「そうですか……事情は最低限ですが理解しました。現状ではこの砦に長居をする事が得策ではない事もです」
ですので、と私は懐から複写の受領証を取り出すと長机に差し出す様に置く。
「御城主様……いえ、緊急の事態であるのですから無理は言いません。この場の責任者様で構いませんので直筆の署名を頂けますでしょうか」
積み荷の受け渡しが完了すれば私の役目は終わる。冷たい言い方ではあるがこの件に私が関わる理由も必要性もない訳で仕事が済めば早々とお暇させて頂くだけなのである。
「では署名はわたしくが」
と、意外な程にすんなりとエルベントさんは置かれた受領証に目を通し私の見ている前で手ずから署名して見せる。
「ですがクリス様……先程申した様に既にこの砦は隔離されていまして」
「それは任意の下に行われている処置であると解釈しているのですが間違っていますか?」
エルベントさんから返された署名済みの受領証を受け取り、返す言葉で訊ねる私に異論の声は起こらない。
「軍属である皆様方であれば色々な責務につれ従わねば為らぬ規則もありましょうが、民間の者である我々が危険を賭してまでそれに付き合わねば為らぬ道理はないと思われるのですが、それとも退去を求める民間人を留める正当な理由や明確な罰則でもあるのでしょうか?」
砦の兵士たちを不憫と思わぬ訳ではないが、然りとて縁も所縁もなくただ仕事で訪れただけの我々がそれに縛られる謂れはない。非情だと思われるかも知れないが対処に当たるべきは国から対価を得ている兵士の、それが果たすべき責務であり義務であるからだ。
「それに疑問はまだ残ります。エルベントさんが砦から動けぬ事情はお察ししますが、では何故商工組合は全ての事情を承知の上で我々マクスウェル商会に詳細を伝える事もなく話を持ち込んだのでしょうか。本来は事情に精通しているクラウベルン商会が引き続き請け負うのが道理でありましょう?」
大商会であるクラウベルン商会の規模からしても今回の一件が手に余るとは考え難い上に、軍務省からして見ても不要に機密を漏洩するだけの差配には違和感しか覚えない。何よりもこうなる事が分かっていて私を意図的に巻き込んだ、と穿った見方すら一定の信憑性すら有する訳で。
どちらにせよ軍務省と商工組合が結託して何かを企んでいる事は明白で、その思惑に乗せられてやる必要性を感じぬゆえに、此処ははっきりと信用出来ぬと言ってやる。
「クリス様、わたくしは事の詳細を商会と組合に伝え対応を願った側の人間に過ぎませんので、不信を顕にされたとて、それに答える術はありません。寧ろマクスウェル商会様は新たに御用商人となられ商工組合を運営する立場側の方々とお見受けしていたのですが、それはわたくしの誤った見識であったのでしょうか」
組合の中枢に属する貴女方が知らぬ思惑を王都から離れ隔離されていた自分が知る筈がないと暗に皮肉るエルベントさんの言は正論で、もしもこれが演技であるのなら中々に図太い御人である事だけは間違いない。
まあ別に此処で議論を交わしたい訳ではないので正直に言えば真偽の程はどうでも良い。何をどう言われようとも判断は変わらぬ訳で、用事が済んだのだから私としては後はさっさと立ち去るだけである。
「どうあれ、納品が済めば帰らせて頂きますが、異論は承知で御聞かせ願いたい。私共を力ずくで留め置く意思が砦側にあるかあらぬかを」
私の発言にざわり、とこれまで黙って成り行きを静観していた士官たちの気配が剣呑なモノへと変わる。
「無礼が過ぎよう小娘っ!!」
どんっ、と長机を激しく叩き一人の武官が席を立ち、その怒気に震える大気の変容に表情一つ変えずに隣に座る赤毛の右手が腰の柄へと動くのを私は周囲に悟られぬ様に自然な形で制止する。
「言葉が過ぎました……撤回して謝罪致します」
周囲からの反発が強まるのを感じた私は引き際を誤らぬ様に早々と席を立ち頭を垂れて謝意を示す。
全く以て反省も悪いとすらも思っていないが、頭を下げるのはただなのでそれでこの場が治まるのであれば私の懐が痛む訳ではなし、それで傷つく程の矜持もないので抵抗も否もない。それどころか私の最後の発言に反応して激昂する辺り、留める様な行為は恥、と認識している様なのでそれを知れただけでも十分な収穫であると言えよう。
「皆様落ち着きましょう。クリス様も謝罪しておられる訳ですから」
代表する形でエルベントさんは皆を宥め、乱れた空気が収まるにつれ声を荒らげた武官も此方を睨む様に一瞥するが軈ては黙って席に着く。
どうやら謝罪を受け入れてくれた様ではあるが、それはそれでまた新たな疑念も湧くと言うもので、商人であるエルベントさんのこの発言力と影響力が個人としての人柄と人格の賜物であるのか、後ろ楯であるクラウベルンと言う名の巨大な背景ゆえなのか……それとも異なる何か別の理由があるのか、まだまだ私が知り得ぬ事情がありそうではある。
「皆様が少し感情的になられているのには理由がありまして……それは一重にクリス・マクスウェル様、高名な錬金術師として王都でも名高い貴女様の知恵をお借りできるとの期待の裏返しである事だけはご承知願いたいのです」
錬金術師ねえ……。
私がソレを公言しているのは確かな話ではあるが、回復薬のお陰もあってか優秀な薬術師としての評判は上がれども額面通りに私が錬金術師などと本気で信じている人間が王都にどれだけ居るかのかと問われて見れば甚だ疑問である訳で、お世辞にしてもそんな意味深で大仰な言い回しをされてはやはり全てが私がこの地に訪れるのを前提として物事が動いていると勘ぐったとしても強ち被害妄想とも言えぬ気がしてくる。
それに、と私は向かい合うエルベントさんの肩越しから窓の外を覗き見る。視線の先、並ぶ兵舎の屋根に止まる無数の鴉たちが此方に瞳を向けていた。
全く以て不躾で気分が悪い……私は覗き見るのは好きではあるが、『視られる』のは何とも不快で腹立たしく大嫌いなのである。
「此処までの話の内で何か気づかれた点などはありませんか? 魔法士としてのクリス様の所見を是非賜りたいのでありますが」
「申し訳ありませんが特に何も……聞いた話程度では現象の原理すらこの場では思いも付きませんし、本当に祟りの類いであるのならそれは神殿の領分で私たち魔法士の分野ではありませんから」
と、此処は無難に答えておくことにする。
「なるほど……それはご尤もな話ですね」
特に疑問を持たれた様子は見られないが、エルベントさんの声音には落胆の響きが籠り、周囲からは時折嘆息が漏れる。これら光景を見るに私に対して何らかの期待を寄せていたと言うのは虚言ではなく事実であったのかも知れないとも思える。
「では此より城内にてお待ちの城主様に謁見して頂いても宜しいでしょうか、クリス様の意向は承知しましたが、儀礼的な意味合いを含めてやはり御挨拶には伺って貰わねばなりませんので」
「それは勿論」
仕事であり商売である以上、通すべき筋に否はない。
それにクラリスさんたちとも合流せねばならぬし何より儀式魔法の魔方陣があるとすれば最有力はやはり丘の上の古城であろう。
極端な話、悪魔とやらの所業は偽装した人間の犯行であろうとも、魔方陣さえ壊してしまえば現象とやらは止まる筈。ならば深く関わるつもりはないがそれとなく見つける事が出来たなら人知れず破壊してやるのも悪くはない。
それは嫌がらせとしては中々に愉快であるし正直その程度には腹も立てている。
性格が悪い?
いえいえ、至って平常運転で御座います。




