旅路とは必ずしも良い事ばかりではないのである
冬の街道を連なる車列が緩やかに進む。
春の訪れはまだ遠く、北方の雪国の如く一面を純白の積雪が……とは西方の地では流石に大袈裟な表現ではありますが、それでも夜間に降った残雨の影響で凍結した路面に車輪を取られ遅々として進まぬ荷馬車の列と、車窓から覗く緑無き物悲しい田園の風景は十分に私の気分を憂鬱とさせてくれる。
この時代の馬車に過度な防寒対策を望むのは我儘とは思いながらも、密閉性に問題がある馬車の車内は凍った石畳から漂う冷気と吹き抜ける冷風で保冷効果を倍増させた冷凍倉の如く様相を呈しておりまして、それが実際にどれくらいの寒さであるのかと申しますと、厚着に厚着を重ね、最早身体の線どころか別の生物の如き身姿となっております私が、うっかり瞼を閉じるとそのまま黄泉に誘われるのではと錯覚を覚える程のモノでございます。
舐めていた……はい、完全に舐めておりました。
冬場の街道とは……実に恐るべきモノでございます。
新年を迎え、春を訪れを願う大祭を目前に控えた最も寒さの厳しい冬越えのこの季節……初めて経験する肌に突き刺さる自然の驚異を前にして、私の如く虚弱で軟弱な家っ子が、人並みに外に出ようなどと思った己の無謀さと浅はかさに早くも後悔しきりです。
「大丈夫ですかクリスさん、もし寒さが厳しいのでしたら無理をせず」
と、私よりも遥かに薄着なクラリスさんが白色の修道着の裾を広がる素振りを見せて、とてもとても暖かそうなその胸元へと私を誘う。
なんと言う……事でしょう。
しかし、此処は冷静にクラリスさんの意図について考えて見るべきでしょう。
身体を寄せ合い暖を取る……互いの体温で寒さを緩和させると言う行為は考えても見れば恒温動物として何ら恥じる必要も無い自然なモノ。其処に邪な願望などあろう筈が……ふへへっ、と摂理のままに暖かな天上の園へ抱かれ様と無意識に動き出す身体と欲求を……私は辛うじて理性を働かせ我慢する。
この状況での甘えは男の沽券に関わるゆえに。
馬車の内には私とクラリスさんの二人だけ……裏を返せばこの車列の中で屋根付きの馬車で移動しているのは私たちだけなのです。
往来の途絶えた街道を見れば知れる通りに、同行者である冒険者たちは寒風に晒されながら他の荷馬車の荷台に積み荷と共に乗っている。尤も彼らは普段から鍛練を重ね、旅慣れてもいるので私の感覚をそのまま当て嵌めるのも失礼な話ではあるのだが、その内に女性の姿も在るともなれば此処で一人で浮かれる気分にもならぬと言うのも繊細で微妙な男心と言うものである。
「いえ、私は平気です。クラリスさんこそ」
と、丁寧にその好意を辞退しつつ様子を窺うが、クラリスさんの麗しき唇からは白い吐息が漏れてはいるが、私より遥かに軽装である筈の彼女の方が平然としている姿に掛ける言葉を詰まらせる。
「私たち修道女は季節を問わず沐浴を日課と定められている為に寒さには耐性があるのです。それに祭事などで他の神殿を訪ねる事もありますので多少なりと旅路には慣れてもいるので、どうか気になさらず御自身の身だけを案じて下さい」
私の心情を察したのだろう、クラリスさんは優しく微笑む。
つまりはこの旅団の内で足手纏いは私だけ……と言う避け得ぬ現実と、クラリスさんの気遣いが痛いので、既に半ば心が折れかけ工房に帰りたい、と言う欲求を必死に押し隠して冷や汗少々、それでも大丈夫、と虚勢を張って見せる。
本当は泣きたいくらい辛いです……はい。
ですが、何が一番悪いのか、と考えても見れば、それは問うまでもなく理不尽に寒い季節でしょう。大体にして他の季節であれば一日で到達出来る行程を幾つか宿場を経由して三日も費やさねばならぬと言うのが大概にも程がある。
大陸の西方に位置するこの地であるのなら、ぎりぎり夜間の野宿も可能ではあるらしいのだが、余分に掛かる日数や経費の問題よりもやはり深刻なのは馬車での移動を阻害するこの凍結してしまう路面にあるだろう。
未開の大地と言う訳でなく、王都近郊ですらこの有り様では、土地柄に依っては下手をすれば年間の内、三分の一はまともな交易が出来ない地方すら存在する筈だ。それは実に嘆かわしい話である。
物流が巡らねば経済は回らない……であれば試験的に王国内の街道の整備も視野に入れるべきか、と考えて見る。王国に掛け合い助成金を出させれば……それがもし可能だとしても何処までの技術を使って整備するべきか、と過度にならぬ線引きを思案している内に知らず熟考していたのだろう、
「時に主は人を試されます……この試練の季節もまた」
「試練ねえ」
没頭していたゆえに思わず相手を弁えず、被せてしまった失言に慌てて口を押さえて謝罪する。自分の思いがどうあろうとも、敬虔なる神の信徒に対して礼儀に欠ける発言であったからだ。
そんな私にクラリスさんは、気になさらないで下さい、と穏やかな眼差しで微笑んでくれた。
油断が招いた失態ではあるが、それが過剰反応かと問われれば敢えて否と答えよう。何故なら錬金術師と神の存在は相容れぬ……と言うよりも錬金術師の歴史とは神に挑み抗い続けた反逆者たちの物語であるからだ。
錬成の魔法の先に在る人造生体、自立魔導人形。これらの秘術は人の手に依る新たなる種の創造と世界の再構築に至る真理と呼ぶべき根源に触れるモノ。ゆえにそれを求める我々錬金術師とは侵すべからざる神の特権を剥奪し簒奪せんと欲する大罪の徒であるからだ。
「クリスさん、信仰とは救いではありますが信じぬ事は恥ずべき行いではありません。等しく人の子は主の愛し子であり、主はそんなありのままの貴女を愛し見守って下さっているのですから」
「ありがとうございます、クラリスさん」
寛容なクラリスさんの善意に甘え、今度はちゃんと嘘を付く。
神が全知全能であるのなら人の世に争いや貧富の差など生まれない……そして都合の良い解釈の下に富める者より貧しき者がよりその存在を拠り所とせねばならぬ現実が何よりも私を苛立たせる。だがしかし同時に感謝もしている。神が何も与えてくれぬから抱く欲望のその先に人は進歩し続ける事が出来るのだから。
ゆえに訂正するべきであろうか、本当に神に感謝『だけ』はしているのだ、と。
中編で納めるつもりだったのですが恐らく長編となりそうなので、章の題名は頃合いを見て変更しようと思います。
今回の話は本来の趣味全開なダークな暗いお話になる予定……なのですが長編だとアレなので其処は考えつつ……投稿していこうと思います。




