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第8話 十二月の自問自答


「もう三年になるんだよな」


 十二月に入った、最初の日曜日。ベッドに大の字になった陽太はぼんやりと天井を見つめた。


 三年前のクリスマスイブの出来事は昔見た映画のワンシーンのようにはっきりと目に焼き付いている。

突然風のように現れ風のように去って行った、一人の女の子――夏目奈々子に陽太は驚きと悔しさと高揚感を同時に抱いた。そして、その日のうちに、進学を予定していた私立中学に断りの連絡を入れてもらうよう、進路指導の先生に電話を掛けた。

晴天の霹靂へきれきのような話に中学の担当者から何度も説得された。しかし、陽太の考えは変わらなかった。負けたまま終わりたくなかったこともあるが、それ以上に「いっしょに走りたい」という気持ちを抑えることができなかった。冬休みの間ずっと、奈々子のことが頭から離れなかった。


 紆余曲折はあったものの、陽太の思いは奈々子に伝わる。地元の公立中学に進学した二人は陸上部に入部し、それぞれの目標を胸に走り始める。


「最初はどうなるかと思ったけどな」


 当時のことを思い出していたら、思わず苦笑いが浮かんだ。

確かに言葉を交わすのもひと苦労だった。その無機質な言葉はコミュニケーションを図るのに適切とは言えなかった。当然のごとく奈々子は孤立する。ただ、彼女自身がそんな状況を望んでいるようにも見えた。


 しかし、陽太は諦めなかった。初めて会ったときに垣間見た、神々《こうごう》しささえ感じられる、あの笑顔が忘れられなかったから。あれが奈々子の素顔であって、いつもあんな風に笑っていて欲しいと思ったから。

 奈々子が背負う、悲しい過去を知ったことで、その思いは一層強いものとなった。そして、彼女の夢を、全身全霊をかけて応援することを心に誓った。


 中学に入っても奈々子の態度は相変わらずだった。無表情で愛想の欠片かけらもなく、自分からクラスメイトに話し掛けることはほとんどなかった。ただ、陽太だけは例外で、放課後はいつもいっしょだった。

 二人の間に特別な感情があったわけではない。奈々子にとって陽太はただの「相談相手」。陽太にとって奈々子は「被応援者」。それ以上でもそれ以下でもない。


「あいつ、変わったよな」


 そんな二人だったが、時間が経つにつれ少しずつ互いの距離が縮まっていった。いつからかはわからないが、「夏目」が「奈々子」に、「吉野くん」が「陽太」に、それぞれ変わっていた。


★★


 奈々子とスタバに行って進路の話をしたとき、陽太は戸惑いを隠せなかった。ずっといっしょに過ごしてきたことで、奈々子のことはわかっているつもりだったが、あのときの彼女は陽太が知っている彼女ではなかったから。

 全身がバネのような、細身の身体で男子顔負けの走りをする奈々子は、陽太のライバルであり目標だった。しかし、ホイップクリームがついた唇を舌で舐めながら陽太のことをジッと見つめる彼女はライバルでも目標でもなかった――そこにいたのは、一人の十五歳の女の子だった。


 陽太は横になったまま「うーん」と手足を伸ばすと、息を吐きながら身体の力を抜く。そして、自分が何をすべきかを考えた。

 二人の進路が見えて気持ちに余裕ができたことで、これまで見えなかったものが見えたのかもしれない。それは、高校へ行って再び陸上漬けになれば消えてしまう、一時的な感情なのかもしれない。

麻疹はしかにかかった子供は、一週間もすれば、高熱が出たのが嘘のようにケロッとしている。それと同じなのかもしれない。

ただ、心に余裕が生まれたとき、自然に溢れ出た思いは自分の本心だと考えることもできる。それを無理やり抑え込むことは自分自身を偽ることになるのではないか。


 様々な思考が陽太の頭の中を駆け巡る。答えが出ないまま時間だけが過ぎていく。目をつむると奈々子の顔が浮かんだ。


「いくら考えたって答えなんか出ねぇよな」


 陽太は思い立ったように上半身を起こして枕元の携帯を手に取る。


「もしもし。奈々子? 今いいか?」


「うん。大丈夫。休みの日に陽太が電話してくるなんて珍しいね」


「ちょっと話があってな。大したことじゃねぇけど」


「なに? 良い話?」


 奈々子の声がいつもと違う気がした。顔のあたりが熱い。胸の鼓動が身体中に響き渡っている。携帯を顔から離して陽太は大きく深呼吸をする。


「今月の二十四日……何か予定があるか?」


「二十四日? クリスマスイブね。毎年おばあちゃんとクリスマスしてる」


「そ、そうか! 予定があるならいいんだ! じゃ、じゃあな!」


「――あっ、待って」


 電話を切ろうとする陽太に奈々子が間髪を容れずに言った。


「いつも予定がないからおばあちゃんとクリスマスをしてるの。もし何かあれば優先する」


「そうか……じゃあ……その……クリスマス、やらねぇか?」


「えっ?」


 尻すぼみになっていく、陽太の言葉に、奈々子は驚いたような声をあげる。


「ふ、深い意味はねぇんだ! お互い高校も決まったしお前は世界陸上せりくの強化選手にも選ばれたし、そのお祝いみたいなものだ! 大したことはできねぇけど何か上手い物でも食いに行こうかと思って……無理にとは言わねぇから! 予定がなければってことで!」


 動揺を隠しきれない陽太。自然と声が大きくなる。


「いいよ」


「そうだよな! お前にも予定があるだろうから急に言われても困るよな……! えっ? 『いいよ』って……いいのか?」


 陽太は思わず聞き返す。自分の耳が信じられなかった。


「うん。待ち合わせの場所と時間が決まったら教えて」


「わかった。必ず連絡する」


「じゃあね」


「おう。じゃあな」


 電話を切ると陽太は大きく息を吐く。そして、そのまま背中からベッドに倒れ込んだ。


「『いいよ』って言ったよな? 確かにそう言ったよな?」


 自分に対して同じ質問を繰り返す陽太。緊張が解けたのか顔には安堵の表情が浮かんでいる。右手のこぶしを握り締めて小さくガッツポーズをとる。


 この一本の電話がどんな結末に結びつくのかはわからない。もしかしたら悪い方向へ向かうかもしれない。ただ、陽太の中には漠然とした期待感があった。自分の気持ちに正直になることで、二人の関係がこれまでとは違った、新しい展開を迎えるような気がした。


★★★


「奈々子、どうかした? 電話?」


 電話の前にぼんやりとたたずむ奈々子に祖母の直子が話し掛ける。


「うん。陽太から」


「そう。何かあった?」


 いつもの柔和な表情を浮かべる直子の顔を、奈々子は少し緊張した面持ちで見つめる。


「二十四日にクリスマスしないかって……おばあちゃん、わたしたちのクリスマスは二十五日でいい?」


「もちろんだよ。良かったじゃないか。二十五日に奈々子たちのイブの話を聞かせてちょうだい」


「わかった。おばあちゃん、ありがとう」


 奈々子はホッとした表情を浮かべて小さく笑った。

 そのとき、直子は思った――その笑顔はいつもの作り笑いではなく、奈々子の本当の気持ちの表れだと。以前「陽太になら奈々子が心を開くかもしれない」と感じたのは間違いではなかったと。


「おばあちゃん、お願いがあるんだけど」


「なんだい?」


 感慨深げな様子を見せる直子に、奈々子は躊躇ためらいがちに言った。


「おばあちゃんが得意なアップルマフィンの作り方、教えて欲しいの。陽太にプレゼントしたいから」



 つづく


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