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009. 正教騎士と魔王の網


 ジール聖王国の西方領土、<ウェストランド>の港に二人の正教騎士が降り立った。

 一人は整った顔立ちの爽やかな青年。金髪の下で緑色の瞳が輝き、立派な体格と相まって王子のような雰囲気を纏っていた。

 港に吹く海風に群青の外套をたなびかせ、彼は同行者――心底から慕う師を振り向いた。

 

「師匠。<ウェストランド>というのは美しい土地ですね。聖王都とは違う空気を僕は感じます」

「あまりはしゃぐな、ライオット。正教騎士たる者、いついかなる時も悠然と構えているものだ」


 ライオットと呼ばれた青年――ライオット・グランダルが子供のような笑顔を浮かべ、声をあげて笑った。

 

「そう言う師匠も風を楽しんでいるではないですか。はは! 悠然と構えているのではなかったのですか?」

「老人は良いのさ。たまの遠出ぐらい愉しませてくれ」


 船を降り、西大陸のあたたかな陽射しを楽しむ二人の騎士へと駆け寄る姿があった。

 若い男だ。彼の胸にはランドール正教を象徴を描いたバッジがあり、教会の連絡係だということが分かった。

 男は息を切らしていたが、ライオットと老人の前に立つとビシッと背筋を伸ばし、

 

「ライオット様! グラビス様! ご到着をお待ちしておりました!」

「君が迎えかい? わざわざありがとう。西大陸は初めてでね。案内をしてくれるとありがたい」

「ライオット、待て。……若き騎士よ、お前は書簡を預かっていると聞いたが?」

「はっ。これに御座います」


 差し出す男の手は震えていた。

 恐れではなく、憧れからの緊張に震えていたのだ。

 

 何故ならば目の前に立つ大柄な老人。

 長大な弓を背負い、四本の短剣を腰に差した狩人然とした出で立ち。

 彼こそは大戦で魔王を討った英雄――〝湖の狩人〟グラビス本人に他ならないのだから。

 

 グラビスは書簡を開くと黄土色の瞳ですぐさまに内容を検めた。

 数秒で読み終え、興味深げに視線を向けるライオットの胸に押し付ける。

 

「わっ。師匠、これには何とあったのですか?」

「強大な魔族が潜んでいる、との報だ」

「魔族が……? もしや〝君主(ロード)〟級の!?」


 興奮に目を輝かせ、師匠に次いで書簡へと目を向けたライオットだが、彼が期待したような内容は書かれてはいなかった。どころか自分のような上等騎士が出向くような話ですらない。こんなものは別部署の下っ端がやるような仕事だ。

 

「『身内の様子が甚だ奇妙でいて、悪魔憑きとも思える次第。ランドール正教による鑑定を願う』……。師匠、これがどう〝|君主<ロード>〟級の魔族と結びつくのですか?」

「先日の『光の柱事件』を覚えているだろう? その手紙の差出人は事件の直近の街から届いている。……光が放たれた瞬間、聖王都の魔力計測器は光の柱の質量を測り切れず、許容限界を超えて破裂した。一つも残さず、全て(・・)がだ。あれを放てるような人間は存在しない」

「アルガスト様でもですか?」


 戦友の名前にグラビスの厳めしい顏がほころぶ。

 若き頃は皆目麗しい才人だった男が、白いひげを蓄えた老人になっているのは今思い出しても笑える絵だった。

 

「ハッハハ、そうだな。アルの奴でも不可能だ。あの賢者殿が扱えるのはおよそ第五階位の魔法まで。それ以上となると……」

「師匠?」

「……いや、あり得ん話だな。ともかく強力な魔族が潜んでいることは疑いない。我々はこの依頼者の地――<ミニアの街>へと向かう。これを仕留めれば……フッ、功績でお前もようやく特等騎士に名を連ねることになるかも知れんな」


 敬愛する師の言葉と、自分が憧れてやまない正教騎士の頂点の席に立つ姿を想像し、ライオットの顏が喜びに輝いた。

 彼は握り拳を天高く突き上げ、意気揚々と言う。

 

「では早速参りましょう、師匠! 僕と師匠の二人に勝てない相手など居るわけがありません。それが例え魔王であっても!」


 若者はいつだって理想を吼える、とグラビスは思う。

 ライオット・グランダル。次代を担う若き正教騎士の代表格。

 彼は確かに手練れだが、現実を――かつての〝人魔大戦〟を知らない。あの凄惨な時代を知るならば決して魔王に打ち勝てるなどとは言わないだろう。

 

 グラビスは肩を竦め、若者の無知なる勇猛を笑った。


「やれやれ。そこの騎士よ、この辺りに馬屋は?」

「正門前に既に馬を用意してあります」

「それは重畳」


 粛清の剣の紋様の描かれた群青のマントを揺らし、二人の騎士が港を去っていく。

 残された若い騎士は感激に打ち震え、大戦の英雄とその継承者の背中をじっと見送っていた。

 

「〝湖の狩人〟グラビス様とライオット殿下……。まさかあのお二人が来られようとは……。幾人もの君主(ロード)を狩った魔族狩りの名手。彼らならば本当に魔王とて討ってしまえそうだ」


 若き騎士は微笑む。いずれ魔族はその全てが滅び去るに違いない。

 自分たちランドール正教の光の騎士が在る限り、世界には平穏が約束されているのだから。

 

………………

…………

……


 馬にまたがり、<ウェストランド>の荒々しい自然を旅して三日と少々。

 満天の星空を頭上に見上げ、絨毯のように咲き誇る花畑を過ぎ、知性を失った魔物を手隙に倒し、ライオットとグラビスの二人は手紙の差出人――オッシマン・リンドブルームの住まう<ミニアの街>へと辿り着いた。

 

 グラビスがすんすん、と鼻をひくつかせる。

 何も感じるところはない。――平穏だ。魔族の気配は薄い。

 

「ライオット。お前は何か感じるか?」

「……いえ。微弱な魔の気配は感じますが、これらは奴隷のものですね。野放しになっている魔族は生気の充足もあり、もっと強烈な気配を放っているものです」

「正解だ。既にここには居ないか、気配を断つ術を持っているかのどちらかだろう」

「どうしますか?」

「依頼人のもとへと向かう。行くぞ、ライオット」


 憧れ、羨望、畏怖。

 住民から様々な感情を含む視線を向けられつつ、二人は街の名士、リンドブルーム家の屋敷を訪れた。

 

 聖王都の貴族が所有するような大邸宅には見劣るが、それでも片田舎と調和した美しい庭園にライオットは目線をやり、たまたま通りかかった使用人の女にウィンクをやった。

 貴公子的な魅力を自覚するライオットの遊びのひとつだ。彼はこうして一般の女の反応を楽しむ悪癖がある。

 

「……仕事の最中だぞ、ライオット。その癖は直せと言っただろう」

「すみません、つい」

「お前という奴は……」


 溜息をひとつ吐き、グラビスが扉を手の甲で打つ。

 すると針金細工のように細い執事が現われ、依頼を請けて参上した正教騎士だと告げると執事は血相を変えて扉を開き、当主オッシマンのもとへと二人を案内した。

 

 

 

「それで、お手紙にあった『悪魔憑きの娘』というのは?」

「は、はあ。それが……私の末の娘でして……。少しばかり行方を眩ましたと思えば、あの光の柱の日にケロリとした顏で帰ってきたのですが、それを境に人格が丸きり変わってしまったのです」


 額に浮く汗を拭きつつ、オッシマンが言う。

 まさか大戦の英雄が直々に現れるとは思わなかったものだから、彼は人生で一、二を争う緊張を獲得していた。自分は無礼を働いてやしないだろうか。

 グラビスをちらりと見上げるが、槍の穂先のように鋭い英雄の視線とぶつかり、オッシマンはますます縮こまった。

 

「人格が変わったとはどのように? 具体的にお願いします」

「物言いが苛烈になり、高笑いをあげ、暴力的に……。以前まではそんな娘ではなかったのです。我が娘……エリスというのですが、あれは日陰の石のように静かで大人しい性格だったのですが……」

「他には?」

「魔法の素養を……見せ始めた、と家庭教師から聞いています。以前までは第一階位の魔法さえも扱えなかったというのに、先日は突然に第三、あるいは第四相当の魔法を行使したと……」


 第四階位の魔法!

 表情こそ変えなかったが、グラビスは内心で大きな衝撃を受けていた。

 

 第四階位――戦略級の魔法が含まれる、文句無しの高階位だ。

 人間であれば聖王都の<書庫>に務めるような賢人や、第一線で戦う一握りの大魔法使いが該当する。

 それが魔族ともなれば……まず間違いなく、多くの魔族を率いる君主(ロード)の一体だろう。

 

 大物だな、と老いたるグラビスの胸の内でかつての狩人の血がざわついた。

 

「早速案内を願いたい」

「はい、ただいま。今使用人を呼びますので」


 オッシマンが脂汗の浮いた手でベルを鳴らす。

 しばらくして控えめなノックが扉を叩いた。「入れ」、と当主が返事を返すとおずおずとした調子で使用人が現われた。

 屋敷の入口でグラビスらを出迎えた、針金のように細い男だ。

 

「正教騎士のお二方をエリスの部屋まで案内しなさい。失礼のないようにな」

「かしこまりました。では、私の後へ……」


 二人の姿が消え、オッシマンはようやく一息を吐いた。

 これほどの緊張はそう経験したくないものだな、とぼやき、

 

「……そういえばあの使用人はあまり見かけたことがなかったな。はて、あのような男は雇っていたか? ううむ、数が多いのも困ったものだな……」


………………

…………

……


 使用人の男が立ち止まり、脇に退くと恭しく頭を下げた。

 質素な扉だ。ドアノブには一枚の板が下がっており、『入室時にはノックをすること』と下手な字で書かれている。

 

「ここがエリス様の居室にございます。今頃は中でお休みになられているものかと」

「ご苦労だった。……ライオット、気を張っておけ。いつ戦闘に突入してもおかしくはない」

「はい! 僕と師匠ならばどんな相手にだって勝てましょう」


 やれやれ、と肩を竦め、グラビスがドアノブに指をかけ、静かに回した。

 息を細め、足音を殺し、扉に身を寄せながらに一歩を踏み入る。

 

……結界の類は感じられない。

 部屋の内側にも違和感は皆無。

 ありふれた戸棚。整えられた寝台。

 問題の女――エリスの姿は無い。

 

「……居ませんね」

「気を抜くな。……少し待て」


 グラビスが深く息を吸い、知覚を研ぎ澄ませた。

 若き日の彼が森の奥底で目覚め、以来研ぎ澄まし続けてきた狩人としての超知覚。

 超常を感じ取り、魔力の糸を結び、相手を常に知覚し続ける異能力。

 

 不意に。

 二人の目の前に一枚の紙が舞い降りた。

 それは音も無く机の上に落ち、自然、グラビスとライオットの視線が紙へと向く。

 

 そこにはただ一言、こう記されていた。

 

『もう後戻りは出来ない』、と。


 途端、圧倒的な邪気が部屋に噴き出した。

 突然? いいや、違う。|これはここにあったのだ《・・・・・・・・・・・》!

 

「ライオット! 逃げろッッ! これは普通ではないっ!」

「師匠! ですがっっ!」


 窓枠の外に広がる真昼の世界がぐにゃりと歪み、何も描かれていない暗黒が映しだされた。

 ライオットがあらん限りの力でドアノブをねじるがビクともしない。扉を叩くがくぐもった音が響くだけだった。

 

 魔族狩りに長けた二人の正教騎士はかつてない戦慄を肌身に感じていた。

 いいや……正確にはライオットだけが。

 

 大戦の英雄にして生きる伝説。

 魔王へと挑んだ〝湖の狩人〟は、遠い過去に味わった恐怖を思い出した。

 

「こ、れは……この魔力の……波動、悪辣さは……ッ!」

「これはこれはこれはこれは! フッハッ! ハッハハハハ!」


 高笑いが響き渡る。天井からぼたり、ぼたり、と黒い滴が落ち、みるみるうちに人の姿を象っていく。

 漆黒のストッキング。黒と赤の入り混じるフレアスカート、闇色のドレスシャツ。

 その女が――エリス・リンドブルームが――いや! 魔王エーレンバールが深紅のマントをはためかせ、今この時に名乗りをあげる!

 

「久しいな! 〝湖の狩人〟グラビスッ! 姿形は変じたが、余の超越した魔力に覚えがないとは言わせんぞ? 我が名はエーレンバール! 君主を総べる大君主(ロード・オブ・ロード)、魔王エーレンバールなり! 復讐の時は来たれり……早速で済まんがな、貴様らには死んでもらう」


 紅蓮の瞳で獲物を見据え、悪逆非道に愉悦を覚えた魔王の唇がニヤリと歪んだ。

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