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008. 人類殺しの君臨者


 行軍歌のような猛々しい鼻歌を口ずさみながらにエリスは自室へと戻った。

 扉を閉じるとその足で衣装棚へと向かい、目についた好みの衣装を次から次に取り出しては床へと放る。

 

 掃除途中のシフォネは呆気にとられ、端正な顔に驚きを数秒浮かべ、足元に黒のドレスを放り投げられてようやく主人へと問いかけた。

 

「エリス様、どこかお出かけになられるのですか?」

「いいや」


 と、エリスが服を吟味しながらに言う。

 

「客人が来るのだ。特別な客人がな」

「……エリス様にお客人、ですか? 失礼ながら、エーレンバール陛下がその身に宿る前――つまり本来のエリス様のお話になるのですが、彼女に親しい友人は一人も居なかったと記憶しております」

「フハッ! それは違うぞ、シフォネ。魔王エーレンバールという存在がよくよく見知った客人が来るのだ」


 自分が主役に立つ祝い事を前にした子供のような無邪気な笑顔でエリスは笑う。その笑みにシフォネは答えを見いだせず、小首をかしげ、質問を続けることで真意を測る。

 

「それは一体どなたなのですか? 君主(ロード)の生き残りが人里にいらっしゃると?」

「正教騎士だ」

「え゛っ」


 シフォネの顏が停止した。頸椎の辺りがぎりぎりと嫌な音を立て、浮かび上がった暴力の記憶につばを飲む。

 

 魔族にとって正教騎士は最も接触を避けがたい対象だった。

 正教の目は異端を探し、正教の剣は魔族を殺す。

 戦後から50年。大勢の魔族が彼ら、ランドール正教騎士の手にかかり、命を落としてきた。

 

 正義を騙る人間の火に追われ、故郷を失った過去がシフォネの脳裏でよみがえる。従者の苦しげな心中を知ってか知らずか、エリスは何てことない声で言葉を続けた。

 

「アリアナに半ば無理矢理に強いられた当主殿が、実の娘エリス――つまり余に悪魔が憑いていやしないかと、教会へと悪魔祓いを依頼したのさ」

「なっななななぜですかあっ!?」

「おいおい、何て慌て顔をするか。せっかくの美貌が台無しではないか。フッハァーハハ! ハハッハハ!」

「笑っている場合ではありませんっ!」


 しかしエリスは片眉をあげてなお笑う。それほど恐れることもあるまいに、とでも言いたげな表情に態度。


 両手で拳を握り、動揺を抑えようとするシフォネはかつて騎士に追われる側であり、魔王であったエリスは騎士を狩る側だった。二人の意識の溝はあまりにも深い。

 エリス――魔王エーレンバールにとって、正義を振りかざす人間の騎士など羽虫とまるで大差ない、世にありふれた塵芥なのだ。

 

「片田舎の名家が差し出す依頼の手紙など普段であれば捨て置こうものだが、昨日の光の柱騒ぎの直後に、その近郊住民からの連絡だ。教会もこれを見過ごしはせんだろう。依頼人であるリンドブルーム家……つまり、この屋敷に踏み込んだ騎士らは、まず間違いなくエーレンバールである余の気配に気付くはずだ」

「そんな……私たちは騎士に剣を向けられ……」


 シフォネが恐怖の想像に喉を鳴らし、


「殺されてしまうのですか……?」

「いいや。フフ、余が狩られるなどと笑止。狩るのは常に余の側だ」


 八重歯をちらと覗かせた蠱惑的な笑みをエリスは浮かべる。

 姿見の鏡の前に立ち、黒のシャツと赤のスカートを合わせてみせた。魔王だった頃には女装の気など微塵も無かったが、こうして女の身を得てみればこれはこれで目に嬉しいものだった。

 自分の容姿の端麗さにエリスは溜息を吐いた。胸だけはまるで無かったが、一つの欠点が芸術を際立たせることを知る魔王はその点を気に入っていた。

 

「狩る側、とは……。まさか正教騎士と戦うおつもりですか?」

「その通りだ」

「無茶です! 彼らは魔族狩りに長けた精鋭ですよ!?」

「ならば余は人類殺し(・・・・)に長けた(・・・・)君臨者(・・・)だ。シフォネよ、貴様、蜘蛛が獲物を捕食する様を見たことは?」

「……あり、ますが、それが一体……?」

「余は打って出るわけではない。この屋敷の内に網を張り、正義の威光に盲目となった愚かな人の子を狩るだけのこと。案ずるな、シフォネ」


 その声は絶対の自信。人間風情がこの身に傷をつけられない、という自負がエリスにはあった。

 悪魔さえもが不安を抱くような悪辣な笑みを浮かべ、エリスが衣装合わせを再開する。


「さて。わざわざ地方くんだりまで赴く騎士を相手に、粗末な身なりでは失礼だな。王者らしく、君主らしい出で立ちにせねば……。シフォネ、どう思う?」


 白のドレスを身に当てながらにエリスが訊く。話を向けられた従者の頭の内には困惑しかなかった。この方は何を言っているのか。事態が分かっているのか。

 

 エリスの中には心配などは塩一粒ほどもなく、敵対者をどう迎え、どう葬ろうかという嗜虐の想像しかなかった。

 察したシフォネは一度だけ心配の顏を浮かべ、それを最後にエリスの衣装合わせに参加をすることにした。

 

「……王女であるならば、その威容を象徴するものとしてマントを纏うのはどうでしょうか。例えばこの未使用の赤いカーテンを……」

「良いアイデアだ。採用とする! 良いぞ、シフォネ! フッハハハッハハ!」


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