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006. 魔王の魔法


 リンドブルームの屋敷へと戻った翌日、エーレンバールは自身の名を改めた。

 人類が主権を握る現代において、破滅の魔王である『エーレンバール』を表だって名乗れば行動に支障が出ると判断し、現在の肉体の名――エリス・リンドブルームを今生の名と定めることとした。

 

 魔王の名を捨てたわけではない。捨てられようはずもない。

 あらゆる命を奮い立たせる禁じられた名。

 それは然るべき時にのみ名乗るのだ。

 

 例えばそれは英雄の生き残りと裏切り者に対して。

 死の遣いとして奴らの前に立つその瞬間、エリス・リンドブルームは消え、君主を総べる君主(ロード・オブ・ロード)、エーレンバールは高らかに名乗りをあげる。

 

 想像するだけでも心が躍る。

 エーレンバールを……いや、エリスをあざ笑い、死を与えた連中に今度はこちらが死を与えてよこすのだ。これに笑わず何に笑うというのか。

 



「フハッ、フハハ、アッハハハ。まことに愉快だ。ああ、待ち遠しくて仕方がないわ」


 窓辺の席に座り、頬杖をつきながらにエリスが肩を揺らせて笑う。

 一笑のたびに艶のある金髪がさらりと揺れ、場の空気を――授業の空気を停止させた。

 

「あ、あのお……エリス様。私の授業、ちゃんと聞いてます?」


 小柄な女が困りに困った顏でエリスを向き、名状しがたき苦笑いを口に浮かべる。

 墨色をした丈の長いローブに、木材を加工して作り上げたマジックスタッフ。

 栗色の髪を揺らし、片手に教鞭を握る女は魔法使いだった。

 

 名をクルル・ウィンターラン。

 国立の魔法学院をほどほどの成績で二年前に卒業し、ほどほどの就職を決め、しかし諸事情あって辞職した女。

 どこか静かで、貧民差別の少ない地方で暮らそうと思った彼女はたまたま『魔法を教えられる家庭教師を募集』の口を見つけ、すぐさまに応募し、このリンドブルームの屋敷へやってきた経緯の持ち主。

 

 毎週七日間のうちの四日は魔法の講義があり、クルルはリンドブルーム家の三人の跡継ぎを相手に魔法の教鞭を執っていた。

 

 魔法。

 それは人生を変えられる切っ掛けにして資格。

 

<人魔戦争>の最中、人類は魔族がもつ異能力に苦しめられていた。

 魔族は自在に炎を操り、氷を撃ち、雷撃を放つ。人類は彼らの異能が喉から手が出るほどに欲していた。

 

 戦後、人類は魔族を用いた実験の末に、自分たちも超常の力――〝魔法〟を獲得した。以来50年のあいだに人類ならびに世界は飛躍的な進歩を遂げ、今や魔法を扱える者と扱えない者とでは巨大な格差が生まれるまでになっていた。

 

『魔法を修めた者は人生の成功者となる』。

 戦争終結の英雄にして魔導元帥アルガストの言葉のひとつに以上のものがある。

 人々は魔法を学び、適性を示さない者は落ちこぼれの烙印を押される。

 

 魔法の源流であり、文明の礎の魔族が社会の上層に顏を出すことは決して無い。

 いかに優れた魔法を扱うことができようとも、数多くの魔法を修めていようとも魔族に人権は存在しない。

 

 それが今の世界。今の時代の顏だった。

 

「聞いている。そのままつまらぬ講義を続けろ、クルル・ウィンターラン」


 頬杖をついたままでエリスが言う。その顔は窓の外に広がる外を向いたままでいて、紅い瞳は人が暮らす街並みに注がれている。

 

「そ、そうですか。では続けさせていただきます。……」


 エリス嬢の様子が明らかに違うことにクルルは気付いていた。

 彼女の知るエリス(・・・)は、感情に乏しく、自己主張をせず、無機質な少女だった。魔法の才に秀でもせず、あらゆる学問に向かない人物。

 ただの一教師に過ぎないクルルは決して口にはしなかったが、親兄弟はエリスをいわゆる『出来損ない』と見ていたことに違いない。

 

 黒板に魔法式を描き、リンドブルームの長男へと質問を投げかけながらにエリスを盗み見る。

 今の彼女はどうしたことか? 一人称は『私』から『余』へと変わり、胸に浮かんだ言葉を傲岸不遜な口振りで言い放ち、他者へ面と向かって意見を述べる人物に変わっているではないか。

 

 エリスが行方不明になった話はクルルも知っている。

 裏に隠された暗い話――彼女が自殺をしに山へと入ったことも承知だった。

 

「魔法とは魔力を体内で錬成し、指先や杖をもって指向性を与え、詠唱をもって発動し、現実を変容させる異能力のことで……」


 生徒の声が遠い。

 そうだ。今のエリスはまるで一度死に、魂の抜けた肉体を別の誰かが利用をしているようではないか。

 いわゆる魂の入れ替え。議論の余地も無い外法の技だ。

 仮にそうだとして。彼女の……エリス・リンドブルームの肉体に入った人物は一体何者なのだろう?

 

「――生。先生。クルル先生っ!」

「は、はいっ! すみません! なんですか!?」

「授業に集中をしてください。教書はこれで終わりです。次は何をするのですか?」


 リンドブルーム家の第二子。長女アリアナが吊り上った鋭い視線をクルルへと向けていた。魔法の才覚は人並み。学院に入学したとして、自分と同じようにほどほどの成績で出るだろうと思われる。

 彼女のような人間は魔法学院の中に無数にいたことをクルルは思い出す。

 

 公平な教育を生徒全員に与えること。

 そんな建前は嘘っぱちだ。学院の内部は、家名と財力が何より物を言う。貧民の出は辛酸を舐め、教師に目を向けられないままに4年を過ごし、学院を出るのがほとんどだ。

 

 イヤな過去を頭を振って消し去り、クルルは水晶玉を取り出すと教卓の上に設置した。

 

「次は魔法を実際に使ってみましょう。これは魔法練習用の<耐魔結晶>です。本日皆様にお教えした第一階位の炎魔法を実際にこの水晶球へと放ってみましょう。大丈夫、絶対に壊れませんから。体に魔力を通す感覚をようく覚えることが目的です」

「はい!」


 兄と姉の返事は良い。最後のひとり、エリスはといえば、

 

「……」


 やはりそっぽを向いたまま。しかし無視は出来ぬと、クルルは彼女の名を呼んだ。

 

「エリス様。エリス様もおやりになりませんか? 楽しいですよ……魔法」

「いい。貴様らでやっておれ」


 つれない返事。


「放っとけばいいんですよ」


 と、そう言うのは姉のアリアナだった。

 

「この子は自分に魔法の才能が無いのを分かっていて放棄しているんですから。可哀想なエリス。魔法を使えない人間がどんな人生を歩むのか分かっているのかしら? 負け犬、人生の敗者、落ちこぼれ! 自ら転落したいのならば、ええ、そうさせようじゃありませんか! 国立学院をお出になったクルル先生もそう思うでしょう?」


 話を向けられてもな、とクルルは思う。

 自分も魔法の才覚があった方ではない。学院では楽しい思い出なんてものはほとんど無いし、中退しようと何度も思った。

 そうしなかったのは故郷の父母と兄妹が人生を犠牲にしてまで、自分を学院に通わせ続けたからだ。

 クルルは社会的弱者の苦悩を知っている。だから、この地方名家における弱者であるエリスを悪く言おうとは思わなかった。

 

 それに……彼女はただの住み込みの家庭教師に過ぎないのだし。

 

「ええと……私からは特にありません……」


 当たり障りのないコメント。

 しかしアリアナという女はその程度の言葉でも、万の味方を得たように猛々しく吼える。要するに彼女はエリスを攻撃したいだけなのだ。

 何を言おうとうつむき、反論をしないサンドバッグのような静かな妹。


 先日の反抗的な態度には面食らったが、それがかえってアリアナの攻撃性を助長していた。

 

「負け犬のエリス! もうどうしようもないわね。この愚妹は本当に救いがたい。先生、知っていますか? エリスは我が家でも鼻つまみ者にされている魔族の使用人と同じ部屋で夜を明かしたのですよ? 別れ際にはまるで親しい友人のように笑顔で握手を交わす始末! これが異端でなくて何なのでしょう!?」


 身振り手振りを交えてアリアナが声高に言う。

 まるで将の首を獲った兵卒のような振る舞いだ。

 

「あなたはもう終わりよ、エリス。私が教会に通報をすれば破滅する。いい? これからは私の言葉に従いなさい。服従するのよ。あなたが従順な奴隷で居るのなら、私は決して通報しない。ねえ、異端者が教会でどんな罰を受け、どんな末路を迎えるか知っていて? 本当に無残なものよ。愛しい家族がそうならないことを祈るわ。フフ」


 悪辣な女だ。学院のクラスに二人か三人は必ず居た性悪の女を思い出す。

 努力もせず、ただ家名だけで力関係の上に立つ女。彼女は卒業後にどうなっただろうか。自分とは違い、良い家の出だからきっと人脈を生かし、良い職場で良い椅子に座っているのかも知れない。

 

 学院でも悪い意味で十分にやっていけそうな素質を披露してみせたアリアナは腕組みをし、しこたま罵倒をされても返事ひとつしないエリスを目掛けて、あからさまな侮蔑の笑みを吐き、それからやっと授業に身を戻した。

 

 長男は我関せず。彼の思うところはすべて多弁なアリアナが語ってくれたからだろう。

 

「ええと……授業を再開してよろしいでしょうか?」

「ええ! 先生、是非お願いしますわ!」


 アリアナから女狐の表情が消え失せ、少女の顏がぱあっと花咲く。この変わり身の早さ、社交界でも上手くやるのではないだろうか。

 

 そうしてアリアナがかつて教わった通りに魔法を発動しようとした時、

 

 不壊と箔を押された水晶球が破裂した。教卓が唐突に出現した炎の柱に飲まれ、瞬時に影だけを残して燃え尽きる。

 

 あり得ない現象に全員の身が強張った。

 魔法の発動の兆候は皆無。必ず必要とされる詠唱の文言は聞こえなかった……いや、そもそも<耐魔結晶>が壊れるような魔法の使い手は自分を含めてこの場には居ない、とクルルが身を震わせる。

 

 そんな人物はどこにも居ない。

 怪しい人間など、どこにも――、

 

「……魔法を使える。ただそれだけ。ただその一点が優れているというだけで貴様は他者を下に見れるのか、アリアナ? たった一つの技能で命に差がつくと貴様は……貴様ら人間はそう言うのか?」


 エリスだった。

 彼女は椅子より立ち上がり、硬直したままの姉へとゆっくりと――威圧させるように歩み寄る。

 

「あ、んた……姉に向かってまたそんな口を……! 言葉に気を付けなさい、エリスッッ!!」

「口を正すのは貴様の側だ。答えろ、魔法を扱えるのが特権を受けるに値する権利だと言うのならば、魔族は何だ? 魔法という技術の根源は彼らであろうが。今日の文明の礎となった彼らの立場はどうなのだ。答えろ、アリアナ・リンドブルーム」


 金髪の下に輝く紅い瞳に様々な感情が燃えていた。

 明確な敵意。憎しみ、怒りの熱がエリスの内で沸き立っている。

 

 常人ならば口ごもり、後ずさりするだろう気迫を前にしてアリアナは数秒黙り込み、しかし果然と立ち向かう。

 

「はっ! 魔族ぅ? 敗戦種族に権利なんてあるわけないでしょうが! 連中は死ぬまで奴隷で! 抵抗すれば皆殺しに遭う! 下等種族なのよ! 魔法を使えようが頭が優れようが、魔族ってだけで何もかもダメ! あんたの気に入りの女もそうよ!」

「……貴様……。そうか。これが今の人間(・・・・)か。理解したよ。慈悲をかける必要など無いのだな」


 エリスが少しだけまぶたを閉じ、次に目を開いた時には怒りの類は綺麗に消え去っていた。

 この場にもはや関心は無い。そう言うようにエリスは教室を立ち去って行く。

 戦場を知る者ならば、その背中に攻撃を加えれば必ず自身は死ぬという悪寒を覚えただろう。

 だがアリアナはそれを知らない。平和な時代に生まれた若き乙女は魔王エーレンバールを知らないのだ。

 

「通報してやる……。教会にあんたが異端だって教えてやる、終わりよエリス。あんたも! けがらわしい使用人の魔族も――、」


 途端、光が瞬いた。

 エリスが振り向きざまにアリアナへと指先を向け、か細い光の筋が放たれたのだ。

 猛々しき令嬢の頬に赤い筋が浮かび、続けて血液が流れだす。その量は止め処ない。

 

 アリアナが甲高い声で泣き叫び、押し黙っていた長男がその肩を抱く。

 

「エリス! お前、一体何をしでかしてくれるんだ! 僕だけはお前を守ろうと思っていたのに、お前、こんなことをしては……!」

「ありがとう、兄上。貴様の愛とは無関心を貫くことなのだな。そういう形があると知れて良かったよ」

「エェリスゥゥウウ……ッッ!」

「教会でも英雄でも聖王でも何であろうと好きに呼ぶがいい。もはや人の世に関心は持たぬ。それと教師の女、名は知らぬが貴様は他者に魔法を教える前により深い修練に励むべきだ。児戯を教えられて喜ぶ者は居ないぞ」


 突然に振られたものだからクルルが口ごもる。

 え、え、としどろもどろな言葉を吐き、ようやく意味を持って言えたのは「今のどうやったんですか!?」というてんで場違いな一言だった。

 

「貴様と同じ第一階位の炎だ。ただ術者が違うだけで魔法はその(かお)をいくらでも変える。覚えておけ」

「は、はい! ありがとうございます!?」

「フハッ。……ではな」


 言ってエリスが教室を立ち去る。

 後に残されたアリアナは傷を押さえ、指先から血を溢れさせながらに怨嗟をうめいた。

 

「あの女……ッ! 絶対に後悔させてやる……!」


 その顔は鬼のそれによく似通っていて、戦時の人類が魔王へと向ける憎しみの色とそっくりのものだった。

 

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