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002. 超越者


 天界から奪いし<嵐の兜>はどこだ?

 千の戦をくぐり抜け、万の刃を折ってせしめた<黒薔薇の鎧>は何処へ消えた。

 知恵の神の腹を裂き、慈愛の女神を黙らせた我が剣、<星の虹彩(スターリンカー)>はどこにある!?

 

 左手で頬を撫でると鏡に映ったこやつ(・・・)も同じ仕草をする。

 

 まぶたを閉じれば余に倣い、口を開けばまた同じ。

 一流の道化でなければ、なるほど、確かにこれは今の余の姿らしい。

 

 エーレンバールが赤い瞳を見開いて、裸身のままの己の体をぺたぺたとまさぐる。

 その白い背筋を何者かが指先で何度か突いた。エーレンバールがほんの少し飛び上がり、殺意をふんだんに含んだ視線をギロリと向ける。

 

「無礼者……っ! 殺されたいのか? 余を誰だと思っている!?」

「頭のおかしい田舎娘か、あるいは野生児だ。あんた、こんなとこで何してんだ?」


 見れば騎士連中が好奇の目をこちらへ向けている。


 下衆な視線だ。

 我が身……女の身体のつまさきから金の頭髪の先までを舐め回し、あるいは値踏みするように注ぐ視線は、まさに劣情に駆られた猿のそれだ。


 そういえば、とエーレンバールは思い出す。

 かつて家臣のひとりが、『人間とは性欲に支配された生き物だ』と言っていた。

 ホルモンなる物質が脳の内側でかけ廻り、思考が一時的に極端に変わる場合が多々であると。

 その情欲たるは凄まじく、同族のみならず時には獣さえも対象にするらしい。

 

 こういった獣性を持つ、どころか剥き出しにした大勢の男たちが目の前に居る現状。裸身の女である自分が力尽くで組み伏され、慰み者になる展開は容易に想像出来た。

 

 エーレンバールは内心で笑う。

 もっとも、それは普通の女であったならばの話だが。

 

「いや、何……」

 

 好色な面をした男の言葉に答えつつ、静かに指先を折り曲げた。

 途端、ピリピリとした感触が骨を伝い、肌を覆う。


 慣れ親しんだ自身の魔力。

 力の頂点にして魔を総べる王、エーレンバールが誇る暴虐の力。


 姿形はともかく、内面はその全てがかつての自身のままだった。

 かつて有した力、あらゆる異能を十全に振るえる確信がある。


 エーレンバールの所有する能力のひとつ、詠唱破棄(・・・・)


 魔法の発動工程における詠唱――式の組み立ての一切を無視し、術者が発動を意識する、ただそれだけで魔法を成立させることの出来る、反則染みた能力。

 魔法という技術の道理を踏みにじる、究極に至った者だけに許された魔導の極地。


 エーレンバールの肢体に視線を注ぎ、あらぬ想像ににやけ笑いを浮かべる人間の男たちは、自分たちの生殺与奪の権利を握られていることに気付いてはいなかった。

 

「――……ただの散歩だ。お主らを誘うために参ったのではないことは確かだ」

「裸でうろつく女が誘っていない、だと? はっは、笑えるな。ありえねえ」


 なあ? と、隊長格の男が部下へと向き直り、笑えよ、と言わんばかりに首を傾ける。そうして生まれる嘲笑の声。侮蔑の声はあまさずエーレンバールへと注がれた。


 魔王の心にはさざ波さえも立たない。

 

 どうしてか? 彼にとって人間は羽虫と同等の存在だからに他ならない。

 異常増殖をしたかのように大地にひしめく小さな命。

 エーレンバールが破壊を念じる一瞬後には死に果てる矮小な生命。


 どうでも良い、と彼は思っていた。

 彼らがこちらに黄色い歯を見せ、ひどく下卑た調子で笑おうと何も感じなかった。

 

「ひとつ聞く。余はともかく、このような僻地に何故貴様らは居るのだ?」

「貴様ら、ときやがった! はっはは! いいぜ、眼福の礼に教えてやるよ。……?」


 隊長、と細身の男がおずおずと口を挟む。

 口元を手で隠し、内容を伏せようとしている。

 

「我らの任は言外せぬように強く言われたはず。このような軽率なことをしては……」

「いいんだよ。黙らせちまえば喋ってねえのと同じさ」

「ですが……」

「もしくは話す気力も失せるぐらい、心底ウンザリしちまうぐらい愉しませりゃあいい。そうだろ?」


 食い下がる部下を手で制し、好色な面をした男が再び視線を向ける。

 この男の目にはもはや色欲しか映っていないらしい。エーレンバールに事情を語って聞かせようと思うその腹の内は、処刑を待つ者に冥土の土産として真実を語るのと同一のものだ。


 慰み者になるか、あるいは死ぬか。

 言外に選択を迫られたにも関わらず、顔色ひとつも変えない女――魔王エーレンバールの様子を目にして、男が口笛をひとつ吹く。

 軽薄な輩だ。反吐が出る。


「オレらは上の指示で調査に来た〝ランドール正教〟の騎士さ。見ろ、この旗を。どれだけの田舎暮らしだって見覚えはあるだろ?」

「ランドール正教……?」


 ひるがえる旗にはローレルの葉が太陽を覆う紋様が描かれていた。

 50年前、魔王城のふもとを覆い尽くした同盟軍が掲げていた物と同一のデザイン。

 敗北と裏切りを思い出し、エーレンバールが苦々しい味を覚える。


 大方のところ、魔王を討った縁起を担ぎ、戦後の平和を願って採用したのだろう。

 栄光の旗を彩る深い赤色。その意味するところは『敵対者の血で大地を染めよ』。

 残虐な真実を知るのは、この場ではエーレンバールただひとりだった。

 

 エーレンバールが値踏みする目を騎士へと向ける。

 素行不良に怠惰に汚職。不真面目が鎧を着たような人間連中。


 誇りや騎士の矜持など到底持ち合わせていないに違いない。

 いっそ盗賊とでも言った方がよっぽど似合う。

 

「その正教騎士が何の調査で?」

「魔力異常の調査だ。ここ数ヶ月前から、この辺りに魔力の異常集中が観測されててなあ。上の方は何やら慌てたらしく、『現物を見てこい』と命令されたオレたち下っ端が遠路はるばる、このド田舎くんだりまでやって来たってわけだ」


 が、実際には何にも居やしねえ。

 男が足元につばを吐きつつ、至極つまらなそうに言う。


「とんでもねえ魔族の生き残りでも居るかと思いきや、綺麗な泉で裸の女が泳いでいやがる他には何も無い。異常と言えば、ま、お前は異常だが……。目には嬉しいがね」

「ほう……。説明ご苦労。時に貴様、魔族は――人魔戦争の結末はどうなった?」

「はあ?」


 にやけ面の男が首をかしげ、またも部下を振り返る。

 

「おいお前、戦争のこと覚えてるか?」

「いえ。私はまだ生まれておりませんので」

「奇遇だな。オレもだ。――おい、嬢ちゃん。いくら田舎暮らしだからって常識知らずにも程があるってもんだろうが。人魔戦争は連合軍の勝利で終わり。以降の魔族は一部を除いて奴隷扱い。それが今の世界(ルヴェリア)だろ」

「……そうか。我が同胞らは奴隷に堕ちたか……」


 胸に打ち寄せる棘のような感情は何だろうか。


 釈然とせぬこの感覚。

 やるせなさだけがこの心にある。

 

 と、先ほどの細身の男が再び隊長格の男に顏を寄せ、耳打ちをする。

 相も変わらず口元を手で隠し、聞かれまいとしているのだろうが、エーレンバールの耳はあらゆる音を拾う以上無駄なことだった。


「隊長。この女、どうにもおかしくはありませんか? 水の中から唐突に現れたと思えば、自らをあの魔王……エーレ……」


 男が言い淀み、心底から苦い顏をして言葉を切る。

 

「すみません、恐ろしくて名を口にすることが……ともかく奴の名を騙り、言動までもがひどく不審です。警戒するべきかと」

「ふむ……? 確かにな。まともじゃなさそうだ。おい、女! こっちへ来い。なに、悪いようにはしねえよ。ただ少し話をし」



 男の言葉は不自然に途切れ、続きが聞こえることはもはや永遠に無い。


 

 上空から飛来した黒い塊が騎士を押し潰したのだ。


 死に際して、悲鳴の類は一切ない。

 ただひしゃげた音だけが少しだけ響き、それで彼はどうしようもなく終わった。

 

 塊が身じろぎし、軋みをあげると二本の脚ですっくと立ち上がる。


 身の丈5メートルはあろうかという巨体、灰色の石像染みた肌、肩から背中にかけてズラリと並ぶ無数の腕。

 無数の敵を葬ったこの勇姿を見間違えようがなかった。

 魔界の大氏族のひとつ、百腕族が王の前に――エーレンバールの前にに現れたのだ。

 

「な、んだと……!? 魔族だと!? この辺りの強力な個体は掃討されたはずだろうが!?」

「そのはずです! ですが、ですがこれは!?」


 飄々とした顏は風にさらわれ、焦燥の面持ちで騎士らが剣を抜く。


 腰が引けた腑抜けた構え。

 武勇で知られる百腕の前には五秒と保つまいな、と。エーレンバールが鼻で笑う。


「5階位級の反応――君主(ロード)相当の魔力です!」

「バカな!? 一個師団であっても足りぬ相手ではないか! 撤退だ! てった――」


 叫びが途中でかき消える。

 岩にも似た拳が振るわれ、ただの一撃で人間どもが骸と変わる。

 

 脅威の飛来より十秒。何もかもが静かになった。

 ――これよりは魔の時間。

 生を震わせる死の逢瀬。

 

 口の端が愉悦に歪み、犬歯を覗かせて少女が――エーレンバールが(わら)う。

 

「その雄々しき姿。貴様、百腕族の盟主(ロード)、ヘカトンケイル卿だな? 我が眼は貴様の武勇をよく記憶しているとも。最後に(まみ)えたのは<鳳凰卿殺しの戦>だったか」

「――……」

「実に久しい。蘇りを果たした余を迎えに参じたのだろう? 素晴らしき忠誠だ。貴様の敬う王が直々に褒めて遣わそうではないか」


 招くように右手を伸ばす。

 女の裸身というのがひどく不格好だが、身体よりにじむ魔力はエーレンバールそのものに変わりはない。


 即ち、魔の王。

 君主の中の君主(ロード・オブ・ロード)

 あらゆる魔族が膝を折り、頭を垂れる主の威容。

 

「さあ、近くに寄るがいい!」

 

 たん、と軽やかな音が耳を打った。


 人間の腕が宙をくるくると風車のように回転し、切断面から漏れ出す血が女の身を彩る。

 

 続けざまに噴き出す血液。

 とめどもない赤を浴びながらに、エーレンバールは巨人を冷たい眼差しで見上げた。

 

 驚きはしない。

 怒りや恐怖などといった感情も皆無。

 ただ『残念だ』という静かな落胆だけがあった。

 

「……ヘカトンケイル卿。三十秒やる。貴様の弁明を聞こう」

「このオレ様がお前を迎えに来た、だと? 笑止! オレは蛹より身を晒した蝶のごとくに脆弱な貴様の隙を狙い、殺しに来たまでのことよ!」

「――刺客というわけか」


 エーレンバールの右腕が不気味にうごめき、濡れた大蛇がのたうつように不快な音をあげ、生来の腕が切断面よりずるりと伸びる。


 続けざまに五指の先に光が灯った。

 あらゆる感覚に違和感はない。この身は万全だ。

 

「然り! 我らが愚かなる盟主! 灰燼の申し子、滅びの王、エーレンバールよ! 貴様の見る覇道の先に未来はない。貴様が力を振るい、再び世を乱す前に! 我が拳に潰され果てるが良い!」


 巨人がググッと身をよじる。


 圧倒的な破壊の気配。

 そして一瞬の後に繰り出される百の拳。


 拳のひとつひとつが竜を屠り、

 大地を穿ち、万軍を滅ぼす拳王の威容。

 

 だが少女には――魔王エーレンバールには通じない。

 目に見えぬ壁が彼女の前には存在し、必殺の拳が抜けることはない。

 

 百腕の勇士は無駄を悟った。

 だがそれでも食い下がる。


 ここでこの魔王を止めねばならん。

 我が拳が全て砕けようとも、必ず殺さねばならん。

 

「ヌ、ゥゥゥオオオアアアァァアッッ!」

 

 血潮の音が木霊する。

 雷の音にも似た拳の乱舞が繰り出されるがエーレンバールに届くことは決して無い。

 

 血の残る指先で唇をなぞり、紅眼の妖しき女が言う。


「お前の飼い主は誰だ? 老獪なる森の賢人、トゥーラントッド卿か、あるいは教会の大司教ゲハルか? まあ良い。――三十秒だ」


 指先をつい、と百腕の巨人へと向ける。

 口振りは冷ややかに、視線もまた氷のように。

 そこにはかつての家臣への温情はひとかけらもない。

 

「かつての余は寛大なれど、それが故に死を味わうハメになった。以後は油断はせぬ。さらばだ、魔界の勇者よ。死ね」

 

 光が指先へと瞬時に収束した。

 力の輪が大気を灼き、地を分解し、光条が場を満たす。


「魔王……ッ! エーレンバアアアアアルッ!」


 人界を脅かした魔の英雄、ヘカトンケイルが怨嗟を吼える。

 呪わしき王を、破滅のみを見据える廃王を呪う声。

 だがエーレンバールの心には届かない。


 巨人は咆哮を発する口を、いや、肉体全てを失い、瞬時に蒸発した。

 竜王の息吹よりも熱く、大神の雷よりも眩しき光が空を貫く。


 エーレンバールの指先より放たれた熱線は星の海にさえ届き、世界の方々より観測される巨大な魔力が大地を鳴動させた。

 

 それはあらゆる言葉、あらゆる態度よりも遥かに優れた宣言の形。


 この世で最大の力の主が!

 天地人を蹂躙する常闇の王がこの世へ戻ってきたのだと!

 

 蒸発した泉の縁に立ち、最恐最悪の魔王が高らかに嗤う。

 

「――魔王エーレンバールはここに再臨せり! 逆臣へ誅罰を下し、英雄どもの息の音を次こそは止め、今度こそ! 世界を紅蓮に染め変えてやろうではないか! フッハァーッ! ハァッハッハッハハハァ!」


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