富野作品の悪役「クラックス・ドゥガチ(機動戦士クロスボーン・ガンダム)」
高橋留美子原作の短編アニメだったか、椎名高志のマンガだったか。
「みんな貧乏が悪いんや」
という台詞を見聞きした覚えがある(歌の歌詞が元ネタらしい)。
ここでいう所の「貧乏」とは少し違うかもしれないが、今回のキャラ「クラックス・ドゥガチ」は貧しさで歪んだ。
ガンダムシリーズにおける宇宙世紀の世界観では、木星で採取したヘリウム3を使ってMSを動かす。大型の輸送船が木星と地球を行き来してヘリウム3を運搬してガンダムシリーズの華であるMS同士の戦闘を支えているのだ。
若い頃のドゥガチは木星を人の住める場所にする事に全てをかけてきた。「クロスボーン・ガンダム」の時点ですら水も空気も、人が生きるために最小限必要なものさえ人の手で作らなければ無い過酷な場所。そんなところで若い頃から暮らし、七十年近くかけて国と呼べる程にまで発展させた。
「きさま! きさまごときに何がわかるっ! わしは……わしはたったひとりで 木星圏を大きくしてきたのだぞ! たった……ひとりでだ! 何もない世界を! 吸う空気でさえ作り出さねばならぬ世界を! 70ゆうよ年をかけて、人の住処に変えてきたのだぞ!」
「それを……地球連邦は、地球の周りでぬくぬくとしていた連中は何をしてくれたっ! 水を切りつめ、食い物を切りつめ、欲しいときには何もよこさなかったくせにっ! ようやく、どうにか木星圏が自立できるようになって、「国」と言えるほどの力を持てるようになると、奴らはわしに政略結婚を申し出おった!」
リアルにいたら世界中で伝記が出版されるレベルの偉人であり、本人もその偉業を誇っている。同時に、一年戦争、グリプス戦役、ネオジオン戦争などで慌しかったとはいえ、何もしてくれなかった地球連邦には恨みを募らせ、政略結婚を申し出られたことによってプライドを踏みにじられた。
本人曰く、更に悪かったのが嫁が良妻だったこと、人間が出来ていた事だ。
「あるいはあやつが卑しい女であれば、あやつだけ憎んでおればそれですんだのかもしれん。だが、あれは優しい女だったのだ。」
「優しさを! 豊かな土地で育った者にしかない自然な心の余裕を見せつけられるたびに、わしがどれだけわし自身をみじめに思ったか! それはわしの造ってきた世界を! わしのすべてを否定されるに等しかったのだ きさまにわかるか?」
「だから……わしは滅ぼすのだよ。わしを否定しようとするすべてを! そして……、世界のすべてを木星と同じにしてやるのだよ」
「クロスボーン・ガンダム」では、ドゥガチによって支配された「木星帝国」が地球圏へ戦争を仕掛ける。その動機は、上記のように「木星は貧しいので、欲しい物はあるところからとってくるしかない」というものや、「必要なものは自給できるんだから、地球のような環境は無いほうが支配がしやすい」、「木星の人間はもはや地球のそれとは別の生き物であり、生存競争は不可避だから」と、何種類か語られる。
しかし、そんな物は後付けのもっともらしい理屈に過ぎないと上記の台詞のあと、彼は赤裸々な本音を語る。
「真の人類の未来? 地球不要論? そんなものは言葉の飾りだ! わしが真に願ってやまぬものは唯ひとつ! 紅蓮の炎に焼かれて消える、地球そのものだーっ」
前回のカロッゾとは違い、娘に対して本音を語ることは無い(ドゥガチにもテテニスという娘がいる)。これらの台詞は主人公とのラストバトルでの物だ。
それまでとことん冷徹に、血も涙もないかのように描かれてきたキャラなだけに、この告白?の生々しさは強烈だった。
ガンダムのゲーム、原作再現を行うGジェネシリーズでドゥガチの台詞は音声として再現されているのだが、「水を切りつめ~」や「わしがどれだけわし自身を~」の辺りは地球を吹き飛ばそうとしている狂人の言葉とはいえ、胸を打つ強い気持ちが篭っている。それ程に強い怨念はドゥガチ自身が死んだ後も祟り、地球を二度も破滅の危機に陥れることになる(続編での話)。
カロッゾ、次回の一人と比べて、ドゥガチの場合上記のように強い感情が家族には向いていない。それを抱くきっかけこそ地球から嫁いできた妻だったが、彼女や娘に対してはあまり執着が無いのだ。
妻にこの気持ちを向けてもみじめさが増すだけだと思っていたのか、娘や妻に対する情がそれを許さなかったのか。どんな理由かは定かでは無いが、そんな少し残った人間らしさが彼の魅力でもある。