救いを求めるものの『祈り』(平山夢明『無垢の祈り』、亀井亨『無垢の祈り Innocent prayer』)
今回は小説と、それを原作にした映画。
平山夢明という作家を知る人は少なくないだろう。『DINER』『東京伝説』等、いくつかの著作が映像化、漫画化している。どんな作品を書くかと言われれば、私は「えげつない」作品を書く人だと思う。
私は『「超」怖い話』シリーズや『東京伝説』シリーズで初めて作品に触れ、その「えげつなさ」に惹かれた。
私が昔よく読んでいたアンソロジー『異形コレクション』でも、「卵男」「Ωの聖餐」といった作品が発表されている。文章や表現が有機的というか、生物の体液のような粘り気がある。どこか安心するような身近さ、俗な雰囲気も特徴か。
『無垢の祈り』は比較的初期に発表された作品で、義父から虐待を受ける「ふみ」という少女を描いた短編小説。この作品が亀井亨監督により映像化されたものが『無垢の祈り Innocent prayer』。
あらすじはどちらも同じ。
義父からは性的なものを含む虐待を受け、母は新興宗教にはまり、学校ではいじめを受ける少女「ふみ」。彼女は近隣で起こった連続殺人事件の現場を巡り、犯人にメッセージを残し始める。
「こんにちわ」
「きょうもきました」
「あいたい」
彼女を取り巻く状況とこのメッセージの内容から、彼女が何を求めているかは推測できるだろう。母とは違った対象に、母と同じようなことをしているのだ。
祈り、そして救いを求める。
殺人の現場巡りは、巡礼の旅のようなもの。
あらすじはどちらも同じ。媒体の違いによる描き方の差異が、二つの作品の印象を大きく異なるものとしている。
小説である『無垢の祈り』は、「ふみ」から視点が離れていかない。徹底的に彼女に寄り添う。
学校でのイジメを導入に、義父の暴力で出来た傷痕に触れ、帰宅したら新興宗教にはまった母とのやりとり。それらを通じて、彼女の置かれた状況が示される。
全てが彼女を追い詰めていく。彼女の視点と重なる読者は、彼女の感じる息苦しさを共有することになるだろう。
映画は、少し彼女から視点が遠い。少し客観的に彼女を見ることになる。
カメラで撮影する映像媒体であるからか、提示される作中の情報が詳細かつ具体的だ。
例えば、「傷痕を撫でてそれがどのようにできたかを回想する」という形だった小説での虐待描写は、実際の虐待シーンに置き換わった。そのため、原作では出番の少ない義父がそこそこの頻度で画面に出てくる。
小説を「胸部の圧迫や首を絞められる」行為に例えるなら、映画は「生ぬるく重い肉塊で殴られる」となる。
映画は表現がストレートであるため痛み、ストレスが強いものの、「役者に演技させて撮影するもの」であるために生じる制限が、その痛みを鋭いものにはさせない。
小説では、義父による性的虐待は最後のシーンまで無い。だが、映画では直接的な性的虐待が間接的なやり方で描かれる。
そのやり方は、ふみと同じサイズの人形が彼女の代わりに虐待を受けるというもの。彼女自身はその光景を客観的に眺めている。
「刺す」のではなく「殴る」。表現の柔らかさが、彼女の感じる痛みを体の芯まで伝えてくる。
もう一つの大きな違いは、殺人犯の扱い。
小説における殺人犯は、どこか人間離れした存在のように描かれている。
ふみが最初に目にした被害者の遺体は、廃業した銭湯の煙突に引っ掛かった人の耳だった。人間離れした力で、被害者を壁に叩きつけたり投げ飛ばしたと思しき痕跡が残されていた。その場面の後、犯人が人食い鮫に例えられるシーンがあるが、所業は熊のそれに近い。
直接登場することもほぼ無く、ふみの視点で見た殺人犯はどこか神秘的だ。
一方映画での殺人犯は、「普通」とは言えないものの一人の人間として描かれている。
映画における彼の通称は「骨無しチキン」。被害者の遺体から骨を抜き取っていくからだ。劇中のあるシーンで、その過程が示された。
「なぜそんなことをするのか分からない」という意味では異常であるが、「どうやってそれをしたのかが分からない」ということは無い。
ふみから視点が離れた映画では、彼も異常ではあるが一人の人間に見える。
その違いが、そんな殺人犯に救いを乞うふみを増々不憫な存在に見せてしまう。小説には有った一握りの救いが、映画には無い。どこまでも暗澹としている。
ただ、だからこそ私は映画の方が好きだ。最後の最後、絞り出すように吐き出される願い。それには無二の価値があると思う。
小説は「独白するユニバーサル横メルカトル」収録。入手も図書館で読むことも難しくは無いはず。上述の「卵男」「Ωの聖餐」もこの短編集収録。
映画はソフトの販売やレンタルはされていない。有料配信のみ。ふみを演じる子役に監督が配慮した結果らしい。
個人的には小説を読んでから映画という順番をおすすめしたい。小説版はきつい部分が間接的な描写で多少なりとも救いはある。もし小説だけでも辛いようだったら、映画は見ない方が良いかもしれない。




