2 巨人と友達とバスケットボール
昨日はいい日だったなー。メグちゃんと付き合うことになったし、手、繋げたし。癒されるって、こういうことなのかな。元気もらえた! 今日も頑張ろう!
淀んだ空気の教室に入る。まだ7時にもならない朝。僕の学校での一日は、机に書かれた誹謗中傷の文字を消すことから始まる。
夏休み明けから始まったそれは、一ヶ月半も飽きもせずに続けられている。心当たりのない理由で与えられる暴力に、最初は傷ついた。向けられる視線に。浴びせられる嘲笑、暴言に。時折感じる殺気に。全てに怯えた。唯一心を許せるのは、自分の身の潔白を信じ、証明してくれた二人の友人。けれど彼らは別のクラスだ。自分の教室の中に安息はない。
油性ペンで書かれた悪口を、それ用の薬剤できれいに落とし、後片付けを済ませた頃、クラスメイトの一人が入ってきた。昔の僕はそれだけで身を固くしていた。
「 」
「 」
だけど、今は怯える必要がない。安心も出来ないけれど、荷物は守ればいい。
「 」
僕の頭は、僕を守るためにおかしくなった。そうでなければ、僕はこれを、どう思えばいいの?
「 」
嫌いな人の頭がバスケットボールに見えるなんて、僕はなんて幸せ者だろう。
SHRから四時限目まで、僕は移動教室以外、机から動かない。過激な人たちは、僕が少しでも席から離れると、すぐに教科書やノートを破ってくるから。
でも、昼休みだけはなんとか動ける。他の教室の友達が来てくれるからだ。
「凪人! 弁当食おーぜ」
「西田、尾崎。ごめん、先にトイレに行ってくる」
「あぁ。気をつけろよ」
「ありがと」
先に食べてていいから、と机を見張っててくれる二人に声をかけて、僕はバスケットボールの頭をした人たちの間をぬって、トイレに行く。あぁ、足も腰もバキバキだ。
「ただいま」
「おけーり」
「荒島、お前が欲しがってた本、見つけたぞ」
「マジで? じゃあ今日、一緒に帰ろう!」
「そのつもりだ」
「俺も部活がなきゃなー」
西田と尾崎は高校で出会った。西田の方から、僕が身長が大きいのに威圧的ではなく、かえって柔らかい物腰だから面白いと話しかけてくれたんだ。その関係で尾崎とも友達になった。
「西田はもうすぐ試合なんだろ? 頑張れよー?」
「お、おう……。負けねえよ」
部活の話をすると、決まって西田は目をそらす。僕はもう気にしてないのに。
弁当を食べていると、2人の顔が険しくなった、気付けば、浮かんだバスケットボールが僕らの周りに居た。尾崎が舌打ちをしたから、きっと僕への悪口を言われたんだろう。箸を置く。
「僕、あそこには戻らないから。仲直りしても、絶対に。だから、気にしなくていいよ」
二人が嬉しそうな顔をした。尾崎が「そうだよな」と言ったけど、滅多に笑わない尾崎が笑うから、不思議に思った。
六時限目の化学から、誰よりも早く教室へ戻ると、机の上に手紙が置かれていた。女の子らしい淡いピンク色の便箋の差出人を見ると、バスケ部のマネージャーの子の名前が書かれていた。内容は要約すればこうだ。
『あの時のこと、ちゃんと謝りたいの。今日の放課後、視聴覚室に来てね❤』
「同じ手に引っかかると思うなよ」
顔文字やハートがふんだんに使われた、いじめの原因、主犯からので紙をたたみ、鞄の中に入れる。学校のゴミ箱に捨てようものなら、見つかってすぐに悪い噂が広まる。本当なら行かないとまた「謝ろうとしたが、手酷く断られた」と誇張されて言われるだろうけど、無視だ。
最近、掃除を邪魔されなくなった。少し前までは、モップを絞った後の汚水を床にこぼされたり、集めたごみをぶっかけられたりしていたけれど、それがめっきりなくなった。代わりに、頭がボールになったクラスメイト達がまとわりついてくるけど、相手にしなければどっか行った。
帰りのSHRが終わり、放課後がやってくる。教室から慌ただしく生徒が出て行った。
僕の学校は部活動が盛んだ。約八割の生徒が運動系、文化系のどちらかの部活で活動している。僕は八割から残り二割の方に落ちた。入っていたのはバスケ部だ。
僕はバスケがしたくて、バスケ部の強いこの高校に入った。だから練習がキツくても楽しかった。身長だけじゃ戦えないと気づけた。強い選手と対戦して刺激をすごく受けた。バスケをするのが楽しくて仕方がなかった。多分、毎日笑ってた。
そんな幸せは、夏休みが終わりに近づいた頃に壊された。
珍しく部活が17時と早めに上がった日だった。マネージャーの一人から、小さなメモを受け取った。内容は着替えたら体育館裏に来てくれというもので、相手は榎本 彩夏だった。男子部員からは可愛いと人気だが、ほかの女子マネージャーからは「ぶりっ子」と陰口を叩かれていた子だ。
呼び出された場所で彼女から告白された。好きだと。そりゃ嬉しかったけど、けれど、僕では彼女の想いに報いることは出来ないから、丁寧に断ったんだ。
女が告白して、男がフッた。それだけ。事件性なんてどこにも無かった。
その次の日、いつものように体力作りのために体育館の中を走っていると、三年の先輩に呼び出された。聞けば、榎本が来ていないとのこと。もしかして昨日のことで傷心したのかもしれないと思い、それを伝えると、「ふざけるな」と別の先輩に腹を殴られた。榎本が受けた苦痛はこんなもんじゃないと、体がくの字に曲がった僕の顔をまた殴り、堪えきれず床に倒れると今度は蹴りが、また腹に入ってきた。何の話はわからないと主張すると、僕が榎本を傷つけた証拠は出ていると、床を這いずって逃げる僕に、先輩が自身の携帯の画面を見せつけた。そこには、腕や足を負傷した榎本の画像が映っていた。
何を言っても誰も信じてくれなかった。本当に何もしていないし、誰も見ていないくせに。見せてきた証拠だって不自然だし足りないのに。陰口を叩いていたほかのマネージャーも有利な方の味方をした。一人のマネージャーの電話越しの証言で、僕は部活を辞めさせられた。入部期間はたったの四ヶ月。余りにも理不尽だ。
二度と、戻るものか。