19 巨人と凪ぎと分厚い本
もう帰らないと、と出ていく荒島を見送った後、俺はベッドに倒れこんだ。
「あー、疲れた」
荒島との話は緊張と緩和の繰り返しで、疲れてしまった。あいつより年上だというのに。情けない。
最初に荒島と会ったのは部活だった。入部したての頃から、他の奴らよりずっとやる気があって、鍛えがい、教えがいがある奴だった。懇意にしていたから、あいつからはバスケ部の中で一番懐かれていた自信もあったし、事実、あいつの俺に対する挨拶は他の奴らに対してよりハキハキしていた。
バスケをするのが楽しいと言わんばかりのキラキラした瞳は、俺も好きだった。
そんな、親分子分な関係に、イレギュラーが入り込んだ。マネージャーの榎本だ。
まだ中学校から上がったばっかだというのに、榎本は既に大人の魅力というか、色っぽかった。そんな榎本の何かに|中≪あ≫てられていたのか。気づけば俺は、彼女を目で追っていた。
だが、目で追えば、そこに必ず荒島が入り込んできた。いや、榎本のほうから荒島に迫っていたんだ。榎本が荒島に好意を寄せているのは明白だった。
いつしか俺は、荒島が邪魔だと感じていた。あれほど可愛がっていたにも関わらず。ただ一人の女が原因で。
それでも、邪魔でも、荒島はいいやつだから嫌いにはならなかった。相変わらずあいつは俺を慕ってくれてたし、バスケにひたむきだった。榎本もそんな荒島だからいいんだろうと、自分を納得させてたんだ。
なのに、裏切られた。
あいつが暴力事件を起こした。相手はよりにもよって、榎本で。
榎本から、荒島から受けた暴力の痕という画像が送られてきたとき、俺は我を忘れていた。落ち着いて考えりゃ、荒島がそんなことをするわけが無いと分かったのに。好きな女に頼られて、舞い上がっていたのか。
俺はへらへらしていた荒島に暴力をふるい、暴言を浴びせた。悪いことをしたから叱ったのではなくて、好きな女を傷つけられた怒りから殴った。
お前のような奴はいらないと、突き放した。
『次、バスケ部を引っ張っていくのはお前だな』と、いつか言っていたのに。
裏切ったのは、俺だった。
殴ったことを謝ったのも、頑なに謝らない荒島と同じにはなりたくないという、不純なものからだ。同じも何もないのにな。
荒島を追放して間もないころ、俺は榎本と付き合うことになった。榎本のほうから、「守ってください」と。俺は舞い上がった。だってよ、ヒーローみてぇじゃねぇか。敵を倒して、お姫様を手に入れて。浅はかだった。
だが、そんな俺でも褒めるべきはある。部員に、「荒島に構うな。暴力をふるうな」といったことだ。荒島はもうバスケ部員じゃなかったからな。まぁ、聞いちゃいなかったが。それでも一応、荒島に暴力をふるったことが分かった部員には罰として、1週間、ボールを触らせなかった。警察よりはましだろう?
夏休みが明けて約3週間後。確か、中間テストが終わった頃か。俺は事件のことを警察に通報することにした。いつまで経っても荒島が榎本に謝らないことに痺れを切らしたからだ。
榎本が「騒ぎを大きくしたくない」と止めてきたが、自分を殴った相手に情けをかけるなんて、なんて優しい人なんだ、と勘違いした俺は、殊更、罪を償わせようと躍起になった。どうしても止めてほしいと榎本が言っていたのは、耳に入らなかった。俺は人の話を聞かない奴だった。
そうして警察を呼んで、荒島を榎本に謝らせようとした。だが、結果は皮肉だった。
警官から言われたのは、「榎本が病院に行った形跡が無い」だった。榎本は何でもないように「自分や家族で治療しました」と言ったが、俺が「あんな大けがを?」と零したことで、事態は急変した。携帯電話に残しておいた証拠写真を警官に取られ、それは直ぐにボディペイントだと見抜かれた。すなわちそれは、最初から、榎本のほうが嘘をついていたという証拠だ。……少なくとも、俺の中では。多分、もっと理由はある気がする。ほら、荒島のダチが集めてたっていう証拠とか。
榎本は「ペイントなんかじゃありません!」と主張したが、他のマネージャーが「榎本さんのお姉さんってそういう、ボディペイントのお仕事してるんだよね」と発言したことにより、ついに榎本の信用はなくなった。誰も、榎本の主張なんで信じなくなった。
警官が訊ねた。「なぜ人を陥れるようなマネをした」。名誉棄損の罪だぞと付け加えながら。
名誉毀損は3年以下の懲役、または50万円以下の罰金を科されるような、重い罪だ。公然と人の名誉を傷つけるような行為を罰する刑法で、確かに榎本は学校、SNS問わず、いろいろと言いふらしていた。充分該当する。
榎本は笑った。被害者の顔を取り繕うのは止めたらしい。榎本は声を荒げた。
「荒島が自分をフッたから。許せなかった。自分と同じくらい、それ以上に苦しんでほしかった」
頭おかしい。
俺なんて、何度フラれてきたか。そのたびに呪っていたら疲れるだろ。そもそも呪わねぇし。自分の努力が足りなかったか、相手にすでに想い人がいただけの話なのに。
美しいと思っていた彼女のことが、醜く思えてきた。榎本はその後も荒島を罵倒する。聞いているだけの自分でさえ大変不愉快で、向けられている本人の荒島はどんな顔をしているのだろうかと、荒島のほうを見た。
荒島は凪いでいた。いや、名前とかけた訳じゃない。本当にそう思ったんだ。表情も、雰囲気も凪いでいた。目の前で騒ぎ、荒れている榎本がいるのに、まるで聞こえていないみたいで。瞳まで凪いでいた。思えばこの時にはもう、荒島の中で変化があり、本当に声が聞こえていなかったのだろう。それほど荒島は傷ついていたんだ。
俺は堪らなくなって、ついに土下座した。
「すまなかった」と一言だけ言って、後はひたすら無言で頭を下げた。言葉では伝わらないと思ったんだ。すると、俺に続くように他の部員やマネージャーも謝り始めた。榎本はたじろいでいたが、皆、「殴ってすまない」とか、「信じなくてごめんなさい」とか、自分のしたことの反省の言葉を口にしていた。
荒島は言った。
「もう帰っていいですか?」
警官に対してだった。
警官は戸惑いながらも「話を聞きたい」と言っていた。しかし荒島が「被害届なんかは出さない」と主張したため、それ以上口を出せないようだった。被害者が事件にしないと言っている以上、仕方ないのだ。
俺達と榎本は厳重注意を受けるに留まり、そのあとは解散となった。
その後、榎本は逃げるように退部した。
いつの間にか寝ていたらしい。体を起こし、時計を見れば、針は7時を示していた。
腹減ったな。夕飯あるかな。
俺はベットから出て、リビングに向かった。
「うーん。やっぱりあの時に訴えとけばよかった」
尾崎と一緒に買った本を、メモと照らし合わせながら見ていく。だけど如何せん、やっている量は多いけど、種類は少ない。結構悪意こもってるんだけどなぁ。法治国家もデメリットあるよねー。
「あの時に行っとけば、名誉棄損も付けれたのに、器物損壊罪しかないっぽい。侮辱は、意味ないし。……お? 動物愛護法? ……へぇ!」
3+2=5! 50+200=250! また良いの見つけちゃったなぁ。
「やっぱりこの本は良いなぁ。分厚くて重い分、僕を守ってくれる!」
六法全書って素晴らしい! もっと、あいつを裁く法律はないかなぁ?




