1 巨人と恋と40cm
夜の公園のバスケットコートに、巨人が現れた。巨人は右手に持っているボールに左手を添え、静かに3Pシュートを決めた。かと思えば、ゴールポストまでドリブルで迫り、必要以上に高く飛んで、力強くダンクシュートを決めた。ボールの跳ねる音と巨人の足音と呼吸音だけが、人気のない公園で唯一聞こえてくる音だった。
やがて巨人はベンチへドカッと座った。上気した顔からは汗が出ている。
タオルで汗を拭う巨人の後ろから、私は話し掛けた。
「久しぶり、巨人」
ボディシートを背後から差し出されて驚いていたが、巨人は私の顔を見て笑う。
「メグちゃん、久しぶり」
巨人は私からもらったボディシートで首周りを拭いた。涼しい風が吹いているから、きっと気持ちいいだろう。
巨人の名前は荒島 凪人。私、伊野波 恵の幼馴染であり、中学校までクラスもほぼ同じだった私の腐れ縁だ。高校からは凪人が2駅離れた高校へ進学した為、家が真向かいでも顔を合わせることは少なくなっていた。
「夏休み以来だね。一ヶ月ぶり?」
「もうそんなに経つ? 時の流れは早いねぇ」
「学校にいる時間は長く感じるのにね」
凪人はペットボトルの水を呷る。それから、暗くなった空を仰ぎ見た。
「バスケしてる時間とか、メグちゃんと話してる時間は短く感じるけどね」
「楽しいってことでしょ? 知ってる」
少しぶっきらぼうに私が返事とボールを返せば、凪人は顔を優しく綻ばせた。私はその微笑みに癒された。
凪人は地元の子達からよく「いやしの巨人」と呼ばれている。
小学生の頃から周りの男子より飛び抜けて背が高く、中学校卒業の頃には190cmに達していた。今は2mに迫る勢いと以前本人から聞いた。
人を圧倒する身長を持つ彼のことを知る人は、皆口々に言う。
「凪人の周りには、花が咲いている」と。
スマホで時間を確認する。
「7時半じゃん。いつからここでバスケしてたの?」
「うーん、6時半から、かな」
「よく1時間も1人でバスケできるね」
「好きだからね」
凪人は安心しきったようにボールを抱きしめた。その姿は、大好きなおもちゃを抱いて眠る犬のようで、可愛らしい。
「いやされるわー」
「え、まだ僕のこと、癒しとか言ってるの?」
「凪人は、いつまでも、みんなの癒しだよ」
「なんだよそれー!」
怒る凪人を笑ったあと、「帰るよ」と声をかけて公園の出入り口へ向かう。凪人は慌てて支度を済ませ、「待って」とこちらへ駆け寄ってきた。うん。大型犬だ。
距離にしてたった300mの帰り道を、ゆったりとした足取りで帰る。
「さっきの話の続きだけどさ」
凪人がリュックサックを背負いなおす。確かに見た目は逞しくなり、癒しの要素は消えているかもしれない。が。私たちは彼の行動や発言、笑顔に癒されているのだ。40cm弱くらいある身長差は関係ない。私はチビじゃない。
「うん?」
「メグちゃんにとって僕は癒しで巨人かもしれないけどさ、僕にとってメグちゃんは、止まり木で、癒しで、ヒーローなんだよ」
「ご、ごちゃごちゃしてるなー」
「だって話してて楽しくて、可愛いのに格好良くて、空手部で強いんだよ! メグちゃんはすごい子なんだよ」
凪人が笑顔で迫ってくる。思わず顔を背けてしまった。
「本当、なんなの急に。恥ずかしいじゃん」
「いつも褒めてもらってるから、愛を込めて倍返しだ!」
「良いの悪いの、どっちなのさ」
二人で笑う。それは照れ隠しでもあるし、愉快だからでもある。
「そこまでいわれちゃーね。困ったことがあったら、止まり木で癒しで、ヒーローな私に相談しな!」
「うん!」
「じゃあ早速」
「えっ?」
笑顔から一転、凪人がぎょっとして私を見下ろすが、私はお構いなしに口を開く。
「凪人、あんたなんか悩んでるでしょ」
「な、なんで知ってるの!?」
「あ」と、慌てて口を押さえる凪人。彼は本当に正直者だ。
「さあ吐け! 吐くんだ! 私に相談するんだ! さあ、さあ!」
「相談ってそんな急かされるものじゃないだろ!?」
わーっと逃げ出す凪人。なによ、中学校までずっと私になんでも話していたくせに。
笑う私を置いて走っていた凪人が、外灯の光の下で足を止めた。
「どうしたの?」
歩いて近づく私の呼び掛けで凪人が振り向いた。その顔には決意の色を浮かべている。
「本当にどうしたの? 心変わりした? 相談する?」
「いや、……言うタイミングは今しか無いかもしれないって思って」
そう言って首の後ろを掻き、それからまっすぐな瞳で私を見る。
「ははっ、なになに?」
「メグちゃん。好きです」
私の足が固まる。突然のことに思考回路が止まる。見上げれば、彼も顔を赤くしていた。
「多分、小学生の頃から。高校でメグちゃんと離れて、それでようやく好きだって気づいた。毎日、バスケとメグちゃんのことばっかり考えてた。いくら馬鹿でも、気づいた」
顔に熱が集まるのが分かる。私を見る瞳は真剣だった。
「凪人……」
「メグちゃん、好きです。付き合ってください」
心臓が早鐘を打つ。顔どころか全身が熱くて、涙が出そうになる。助けて欲しくて、差し出された手を取る。その手は冷たかった。
「はい」
そう呟くと、握った手を強く引かれ、凪人の腕のなかに閉じ込められた。しかしすぐにその腕の力が弱められ、代わりに、「よかったぁ」と安堵の声がため息と共に降ってきた。
「フラれちゃったらどうしようって、すっごい怖かった。でも、言ってよかった」
「あはは、心臓バクバクしてる」
「言うなよー」
抱き合いながら笑う。もし自分だけだったらどうしようと考えたこともあった。長年秘めていた想いを、凪人からだったけど、やっと伝えられて安心した。受け入れられて嬉しかった。暖かかった。
自転車の音が近づいてきた。
「そ、そろそろ帰ろうか」
「そ、そうだね」
急に現実に戻って気恥ずかしくなる。慌てて横並びに戻り、家の方向へ歩く。その横を自転車は軽快に駆けていった。
「メグちゃん」
「何?」
「手、つなごっか」
「うん」
身長差が40cmもあるから、手をつなぐのもどこか不自然で。だけどそれが私たちらしい。
だんだん短くなる帰り道が愛おしい。