92話
馬車はガルシアさんの家の前で止まった。中には人が二人乗っているのが、探知スキルで見える。
御者をやっていた黒い服を着た眼光の鋭い老人は、自分の服に就いた砂を払ってから御者台から下りて、馬車のドアを開けた。品がある。
降りてきたのは、いかにも爽やかそうな青年で白くて所々に金色の刺繍が入った制服を着ていた。
眉は太く金色の長い髪を後ろで束ね、白い歯を見せて笑う、なんとかヒルズ青春なんとかに出てきそうなタイプだ。
そんな彼を俺たちは農園の跡地で遠目から見ていた。ベルサは吐きそうなジェスチャーをしている。
「実家が領主をやっていた頃、ああいうタイプと何度もお見合いして、生理的に受け付けなくなってしまった。中身のないお坊ちゃんの純真ほど、くだらないからな」
「弱そうだな。鍛えてないのだろう。もしかしたら一度も魔物と戦ったことがないんじゃないか。興味を持てないなぁ」
アイルの評価も辛らつだ。
「頭かち割りやすそうですよね」
「都会の人って感じだぁ」
一方、メルモとシンシアは興味があるようだ。
俺はというと、「まずいよなぁ……」という感想を持った。
「何がですか?」
隣で俺のボヤキを聞いたセスが聞いてくる。
「あの彼が見たままの青年だったら、道作りは荒れると思うんだよ」
「荒れますか?」
「荒れるねぇ……」
ガルシアさんが家から出てきて、青年と握手をしている。馬車の中の人物は動かず、御者の老人も馬車の側を離れない。ということは、あの青年は使いっ走りのようなものか。
一言二言話し、ガルシアさんが俺たちに気がついたようにこちらに手を振ってきた。
軽い朝の挨拶だろう。
ちなみに、俺の「やることリスト」には、『中央政府の役人が来たところで、特にやることはなく、よっぽど酷い条件をガルシアさんが飲まされそうになった場合のみ、マーガレットさんに連絡するくらい』と書いてある。その後に蛇足として、『もしも……』と書いているが、できればそうであってほしくないことが書かれている。
俺としては、むしろ用があるのはヒルレイクの王都からやってくる調査員の方だ。何としてでも運河作りを止めなくてはいけない。などと考えていると、何故か青年はこちらに向かって歩いてくる。
いったいなんの用だろう。
「ナオキという人がいらっしゃると聞いてきたんですが、どなたですか?」
青年が朝にピッタリという笑顔で聞いてきた。大方、マーガレットさんが中央政府に俺のことを教えたのだろうが、徹夜で眠い俺はそんなテンションについてはいけない。
俺はセスの背中をそっと押して前に出す。
「え? ちょっ……」
「あなたがナオキさんですか!?」
青年がセスに聞く。
「ちが……」
「有料の馬車の道は素晴らしいアイディアだ! 僕はあなたを尊敬します! まさかこんなお若い方だとは思いもよりませんでした! 必ず道路公団を成功させましょう! いいえ、きっと成功するはずです! 正直、方法を聞いた時、考えた人は天才だと思いました!」
青年はセスと握手をして、ブンブン上下に振っている。
こいつはダメだ。何がダメって語尾に「!」がついてやがる。何より、人の話を聞いていない上に、成功するイメージしか考えていないようだ。
「やることリスト」の蛇足には『もしも、中央政府の役人が、想像力のないアホか、性格の良い人を信じ切っている幸せな奴だったら、ほんのちょっとだけ助言をしないといけないかもー! そんな奴来たらやばーい!』と書いてある。
「いや、だから、僕はナオキさんじゃありません!」
セスがようやく青年の手を離して言った。
「え? じゃあ、誰が?」
青年の言葉に、全員の視線を俺の方を向く。
俺は神妙な顔をした。
「ナオキか。あいつのことは俺が一番よく知っている。来てくれてありがとなぁ。実は……、この前、不慮の事故でな……、荒れ地で……」
と、ここで言葉を詰まらせてみた。荒れ地で野糞しちゃっただけなんだけど。
「そ、そんな……。はふっ……、うっ……」
青年は眉毛を八の字にし、目に涙を浮かべ、唇を噛んだ。俺のわざとらしい演技で、だ。
「それで、ちょっとお金がなくて……」
「いくらですか? いくらあれば、とりあえず、僕の財布を渡しておきますから、どうか、お葬式くらいは!」
何をどう盛り上がれば、そんなんなっちゃうのかはわからないが、青年の中で、すっかり俺は死んでしまったようだ。
「ありがと。これは俺が死んだ時に使わせてもらうよ。まいったなぁ。予想以上のが来ちゃったなぁ」
俺は財布を受け取りながら、バラす。
「え? じゃあ……、あなたがナオキさんですか?」
「うん、そうだよ。悪いんだけど、馬車の中にいる人にさ。ナオキって人に財布ごと取り上げられちゃいましたって言ってきてくれないか?」
さすがに、こんな役人ばかりではないだろう。
「いや、あの、僕の財布を……」
「言ってきてくれたら、財布を返すよ」
「わかりました!」
そう言うと、馬車まで走っていった。なんというピュアな青年だ。
青年が馬車のドアを開けて中にいる人に説明している間に、俺は青年の財布の中身をポケットに入れて、財布を空にする。彼には、お使い番になってもらってゆっくり返していこう。
「ダッハハハ! ご苦労さん、もういいよ」
馬車の中から笑い声がした。
中から出てきたのはガッチリとした体型の老人だった。足が悪いらしく杖をついている。
そんな人を歩かせるわけには行かないので、近づいていくと老人の顔の右半分が異様に歪んでいるのがわかった。どうやら古い火傷の痕のようで、皮膚が引きつっている。
「こんちは」
俺が挨拶をすると、笑いながら杖を渡してきた。
「杖をやるから、あの若者の財布と中身を返してやってくれるか?」
杖は丈夫な材質らしく、かなり使い込まれている。
さすがに、青年の上司にここまで言わせたら、洒落にならないので、財布にポケットの中のお金を入れて、老人に渡した。
「坊主、取り返してやったぞ。大事に持ってろ。適当に村の教会にでも遊びに行ってていいぞ」
老人はそう言うと、青年に向かって財布を放り投げた。
青年は財布を受け取ると、シンシアに教会の場所を聞いて、走っていった。
「あの坊主は宣教師になりたいらしくてな。ワシがこんな顔しとるもんだから、スポークスマンとして使ってるだけなんだ。気を悪くしないでくれや」
老人は笑顔で言う。顔半分は筋肉が動かないらしくて、半分の笑顔だ。
「土の勇者、どこでもいい。座って話せる場所はあるか? 有料の道について話しあおう」
「ああ、こちらです」
ガルシアさんは驚いていたが、倉庫の方に案内した。
「あ、杖を」
俺が老人に杖を返そうとしたが、手で制された。
「ああ、いらねぇよ」
老人はスタスタとガルシアさんの後を追った。
くそっ、やられた。食えねぇ爺さんだ!
足が悪いふりをしただけで、俺を呼び、青年の財布まで取り返しやがった。
まぁ、当たり前か。百戦錬磨の役人と、一業者の違いを見せつけられた気分だ。
「発案者のぉ……、ナオキって言ったか? 早く来い! 後ろのお嬢さん方も来るか? 話は長くなるがなぁ」
爺さんの言葉に、俺についてきていたアイルたちはお互いを見て、ベルサが俺を見た。
「ナオキ、風車とポンプの設計図出して」
「な、なんで?」
「ガルシアさんの奥さんと一緒に、私たちで作っておくから。手分けしたほうがいいでしょ? 種の団子も蒔いたし、やることないんだ」
「いや、でも、昨日から徹夜じゃないか。少し休んだらどうだ?」
「大丈夫だよ。ナオキも起きてるんだし」
風車とポンプ作りは俺が一番やりたい作業なんだけど……。
「新人、社長のお株を奪うチャンスはめったにない! 気合入れて作るぞー!」
アイルがセスとメルモに発破をかけている。
「「おおっけぇ!!」」
「何故だ? 何故、そんなにお前たちは元気なんだ。ちくしょー」
俺はしぶしぶアイテム袋の中から、風車とポンプの設計図を取り出して、ベルサに渡した。
「私、お母さんを呼んでくる!」
そう言ってシンシアは家にアシュレイさんを呼びに行った。
俺は、馬車の御者をしていた眼光の鋭い老人に「行きましょう」と背中を押されながら、倉庫へと連行された。