84話
少年は渡り廊下から、外に出ようとしていた。
「おーい! ちょっと手伝ってくれぇ!」
俺は、少年の背中に向かって声をかける。
「え!?」
少年は目を見開き、俺の方を振り向き、農園の方から上っている煙を指差した。
「大丈夫! 勇者様がなんとかしてくれるよ! それより、住民たちの命も大事だ。きっと勇者様なら、村の人達を助けろっておっしゃるだろ?」
少年はうつむいて、手で服の裾をギュッと掴んだ。
「ロメオ牧師が何か掴んでいたらしいんだ。一緒にグール病に関する資料を探してくれないか? まだ、皆が安全だとは限らないからな」
俺は少年の手を取り、そのまま渡り廊下を通って、別館の方へと向かう。
少年は戸惑いながらも、俺についてきた。
危ない。少年がガルシアさんのところに行って、魔力でも回復されたら堪ったもんじゃない。
慌ただしく動くシスター達を他所に、ロメオ牧師の部屋へと向かう。
部屋のドアには鍵がかかっておらず、すんなりと入ることが出来た。以前お邪魔した時と変わらず、お世辞にもキレイとは言い難い部屋だった。机やベッドの上にはメモ代わりの質の悪い紙が積み重なり、魔石が床に散らばっていた。
「文字は読めるかい?」
俺が少年に聞くとコクリと頷いた。
「ここ最近に書かれたメモを探してくれ。どうやら死ぬ前にグール病の原因を発見していたらしいんだ」
俺の言葉に少年は息を呑み、散らばるメモを見回した。
俺は机を中心に漁り、少年はベッドや床に落ちているメモを必死に探した。
俺が探しているのはメモではなくノートだ。机のメモを漁るうちに、紐で縛ってあるノートが出てきた。紐を解きパラパラとめくっていくと、目当ての文章が出てきた。
「『シスタークラレンスの頭痛は治まったようだが、病気は治ったのだろうか』あった! これだ!」
俺はノートを音読。少年は顔中に汗をにじませて、俺を見上げた。
「『昼、ナオキという人物がシンシアの手紙を持って来訪。自分の仮説を語るうちに、解剖の必要性を感じてしまった。人に会ったためか頭痛が消える。……シスタークラレンスのグール化。非常に残念だ。そして、ついに禁忌を犯してしまった。ナオキ氏はすでに真相を知っているようだ。いったい彼は何者なのか?』ただの駆除業者なんだけどな」
俺は少年に笑ってみせた。少年は苦笑いで服の裾を手が白くなるほど強く握っている。感情を出すのが下手なのか。人間ならこうするだろ、という偽物のリアクションに見える。
「それよりもロメオ牧師は自分がグール病に罹っていることを知っていたのかな? 『ナオキ氏はすでに対応策としてマスクを広めようとしていた。仮説通りなら有効だ。さらに薬まで開発するという。薬を作るまで村を任された。村の人達に説明しないと。ガルシアさんに言って、すぐに魔石の粉の使用を止めないと。時間がないが、あまり眠くない』」
この時に、吸魔剤を使っていたら、救えたかもしれない。悔やまれる。
「『ガルシアさんに説明しに行くも、魔石の粉の使用を止めてはくれないようだ。魔法陣を描いて、風による被害を止めないといけないのだという。グール病の原因だ、と言っても取り合ってくれなかった。子どもたちの頭痛も治ったなどと言っていた。ナオキ氏の部下という人たちが協力してくれるも、なかなか村人が治療を受け入れてくれない。……資料を整理していくうちにあることに気づく。グール病に罹った人は、グール化する前に魔力切れによる頭痛を発症するが、グール化する直前の数日は頭痛が治り、記憶も鮮明になり、食事を取らない安定期に入るようだ……。僕は……昨日から眠ってもいないし、何も食べていない……子どもたちは?……』ここで、ノートは途切れている。君は見ていたのだろう? 子どもたちは食事をしていたかい?」
少年は虚空を見つめたまま、首を横に振った。
窓の外を見ると、南の空が赤く燃えていた。
いつの間にか、外から勇者と竜たちの戦闘の音が消えている。
『ナオキ! 勇者の治療は完了した!』
アイルの声が胸ポケットの通信袋から聞こえた。
「了解。竜たちに引き続き頼むと言ってくれ」
『OK!』
通信袋から魔力を切る。
「竜たち!? お前! 何者だ!?」
少年が叫ぶ。ついに装うのをやめたか。
「その質問はそっくりそのまま、お返しするよ。お前はアイルとベルサの治療を受けてないだろ? 頭痛がないようだね。安定期に入っているなら急がなくちゃ、今すぐ治療をしよう」
そう言って、俺はベルサから受け取った吸魔剤を取り出し、少年に近づけた。
「やめろ!」
少年が吸魔剤を払いのけ、中身が飛び散る。
赤い吸魔剤が数滴、少年の腕にかかった。
ジュワッ。
少年の腕から白い煙が立ち上り、肌が溶け、その下から透明な膜が現れた。
「おかしいね。この吸魔剤は魔力を奪うだけだ。肌が溶けるような効果はない。身体が魔力で出来ているようなモノでないかぎりね。そうだろ? 土の精霊?」
少年こと土の精霊は、後ろに飛びのき、ドアごと部屋の外に飛び出した。
廊下に出た土の精霊は白い煙を撒き散らしながら、渡り廊下へ向かって走りだす。
「え!? なんで!? なんで逃げるんだ? 意味ないだろ!?」
一瞬、戸惑いながらも俺は土の精霊を全速力で追いかけた。
逃げたところで、罪がなくなるわけではないし、神に見つかるんじゃないのか?
「逃げても無駄だ!」
逃げるだけ無駄だと思う反面、ただ、あの神だからなぁ、という思いは拭えない。
「止まれ! 止まらんと……」
ん~撃つものはないけど!
なんだ、俺はいつから警官に!? くそっ! 精霊はアホみたいに速い!
俺はレッドドラゴンの背に乗った時に使った、突風が出る木の板を取り出し魔力を込める。
「うぉらぁ!」
身体が吹き飛ばされ、渡り廊下から外に出た土の精霊に、なんとか追いつく。
そこは墓地だ。
「見ろ! いったい何人が農園の犠牲になった!?」
俺は墓地に向かって手を広げ、土の精霊に聞こえるように言う。
「お前に何がわかる!?」
俺の言葉にようやく立ち止まった土の精霊が振り向いた。
顔は年老いた小人族のように丸くシワだらけで、少年だった面影はない。
「わからねぇな! 湖から水を奪い、村人をグールに変えてるのに、平気で綿畑を作る輩のことなんかわからねぇよ! 加護を与えた奴だけが幸せなら、それでいいか? 加護を与えた勇者の子どもたちがグールになっても知らないってのか?」
土の精霊は、怒りの形相でこちらを見ると、白い煙を吐きながら飛び上がった。
煙は農園の上空へと伸びていく。
「くそっ! なんだっつーんだよ!」
俺は別館の屋根に飛び上がり、煙が行く方へと跳んだ。
農園では今も二頭の竜たちが綿畑の端の方を焼いている。
焼かれた農園の真ん中にある丘の上ではガルシアさんが寝かされ、アイルがこちらを向いて、手を振っていた。
白い煙は天高く飛んでいる。
「アイルー!! 逃ーげろーーー!!!!」
俺は通信袋に魔力を込めて、叫ぶ。
白い煙が丘の上へと墜落していった。
アイルは目を見開き、丘を転がるように逃げ出した。
俺は通信袋に込めている魔力をさらに上げ、違う相手を呼び出す。
土の精霊はガルシアさんの側に立ち、優しく頭をなでていた。
「はぁはぁ、勇者は死んでねぇだろ? 満足か?」
最後にガルシアさんに会いたかっただけか? そうだと良いんだけど。
「努力は必ず報われねばならん」
精霊が口を開く。
なんだ? そのアイドルみたいな論法は?
ああ、そうか。精霊にとって勇者はアイドルか。
「知らねぇよ。報われない努力なんかいくらでもあるだろ?」
「ガルシアがこの20年努力してきた姿を我は見てきた」
「見てもらいたくてやってるわけじゃないことだってあるだろ?」
害虫駆除も清掃も、別に誰かに褒められたくてやってるわけではない。マイナスをゼロに戻しているだけだ。生み出すようなものもない。
努力してるなんか思ったこともない。仕事だからだ。
「5年前ようやく努力が実を結んだんだ。お前にそれを奪う権利があるというのか?」
「だから、努力の方向が間違ってたんだろ? その方向を正してやるのが精霊の役割なんじゃないのかよ。このままアデル湖の水位が下がっていったら、どうなる?このまま農園を続けていたら、ノームフィールドの村人はどうなる? 努力を認めろというのなら、このロメオ牧師の努力も認めてくれよ」
そう言って持ってきてしまったロメオ牧師のノートを見せる。
「そんな者の努力など、ガルシアに比べれば」
「努力に大きいとか、小さいとかあるのか?」
「何を言っても無駄らしいな。仕方がない」
土の精霊はそう言うと地面に身を沈めていった。
丘全体が揺れ始めた。
「なんだ? おいおいおい!」
ガルシアの服を掴んで、丘の麓まで転がり落ちた。
「ぐぅううあああああ!!!!」
見上げれば、巨大な人型のゴーレムが大きな口を開けて威嚇していた。
「反則だろ、そりゃあ!」
竜たちがゴーレムの頭の周りを飛び回っているが、やけに小さく見える。
俺は防御結界の魔法陣を張った。
振り下ろされるゴーレムの拳はいとも容易く、俺の魔法陣を破壊する。意識を失ったガルシアさんを俺は防風林の森へとぶん投げた。
ぶん投げた先にはアイルが待ち構えている。
ズゴンッ!
アイルが受け取ったのを見た瞬間、俺の上に大きな土の拳が振り下ろされた。腕でガードはしたものの、両腕ともポッキリ折れた。
次に空を見上げた時、なんで死んでいないかわからないくらいだ。きっと、レベルとツナギの耐性のおかげだろう。足は太ももまで、地面に埋まっている。あまりに非現実的すぎて、笑ってしまう。アドレナリンのせいか痛みがまだ来ない。
ただ、もう一度食らったら、確実に死ぬ。
思いっきり空気を肺に入れる。
「土の精霊よ! お前は周辺地域の環境を破壊し、村人を魔物化させたことを無視し、それよりも勇者の努力を優先させるんだな!?」
「善き人間の努力こそ認められなければならん! それが世界の法則よ!!」
土の精霊は大きな口を開け言い放った。
飛び回る竜たちを払いのけ、拳を振りかぶる。
「神よ。聞こえた?」
胸ポケットに入っている通信袋に言った。
『ああ、コムロ氏。バッチリ自供したな。大丈夫だ、そんな世界の法則は、ない! 土の精霊はクビだ!』
突如、巨大なゴーレムが力を失い、崩壊するようにボロボロと地面に土を落としていく。
「貴様ぁ! 神の小間使いかぁ! 己ぇ神めぇ!! 許さん! 許さんぞぉおおおおお!!」
落ちていった土が逆再生するようにゴーレムへと返っていき、黒く変色した。
「貴様を殺し、村を破壊すれば、また元通りだぁ! 何度でも農園を復活させればいい! 今度は我も協力する! さぁ、死の恐怖に震えろぉ! 神の小間使いよぉおおお!!」
巨大なゴーレムの顔が俺の鼻先まで近づく。
真っ黒なゴーレムの両腕が広げられる。そのまま手を打たれでもしたら、俺は両側からペチャンコに潰されてしまう。
両腕は折れて使えない。
防御結界も張れない。
足は埋まって抜けない。
「神様、ちょっと俺ピンチなんだけど」
『あら? もう、悪魔化しちゃった? ちょっと早かったな!』
「いや、早かったな、じゃなくて!」
「死ぃねぇ!」
黒い巨大な手の平が、左右両側から迫ってくる。
「待って待って待って! ウソでしょウソでしょ! ああああああっ! ………あ?」
来ると思っていた衝撃がない。
ボフッ。
代わりに、正面から突風がやってきた。
片目を開けて見ると、邪神が黒いゴーレムの頭を地面に叩きつけていた。
「ニャハハハハハー! 呼ばれて飛び出て邪神登場!」
「邪神?」
俺は折れた腕を下げ、両足を地面に埋もれさせたまま、邪神に話しかけた。
「コムロ氏、何だその格好は? 相変わらずアバンギャルドすぎるなぁ。時代はコムロ氏についていけてないぞ!」
「とにかく助かった。ありがとうございます。邪神様」
「いやぁ、これが新しい悪魔かぁ……。デカいな。まぁいいか。こいつ前は何をやってたんだ?」
話も聞かずに邪神は来たのか。
「土の精霊だった奴です」
「そうかぁ。なら、世界樹でも育てさせるかな。よし、そうしよう! ところで、コムロ氏、この通信袋とかいう魔道具、超便利なんだけど! マジで空間の精霊とかザマァ! これなら南半球でも連絡取り合える」
邪神は俺に近づきながら、通信袋を見せた。
俺が作ったやつではなく、神のお手製らしい。
「それは神の作った通信袋みたいですね」
「え? なに? コムロ氏の作った魔道具じゃないの?」
「なんだったら、俺が作りましょうか? ただ、今俺、両腕折れちゃってて、何も出来ないんですが……」
「え? コムロ氏、両腕折れてるの!? ギャハハハハ! なにそれー! ちょーウケる! どうやってケツ拭くんだよ! どういうギャグなんだよ! アホだ、アホすぎる~~~」
邪神は何が面白いのか、のたうち回って笑い始めた。
「ちなみに、両足も地面に埋まってて動けないんですが……」
「ヒ~ヒヒヒ~!! やめろ~これ以上やめてくれ~~~、笑い殺す気か~~~!!!」
邪神はゴロゴロと転がり始めた。
「うぐ、ぐぐぐ」
地面に叩きつけられたゴーレムが意識を取り戻したように頭を持ち上げた。
「貴様、何者だ。神ばかりでなく、邪神とも………まさか魔王か?」
「俺は、勇者でもなく魔王でもない。ましてや、善人でもなければ、悪人でもない。駆除会社の業者だ。依頼はこなす。アフターサービスは充実している。勇者じゃなくなったガルシアさんのことは心配するな。すでに仕事も取ってきてある」
「何だと!?」
『社長、こちら教会! とりあえず、ここにいる人たちの治療は済みました!』
通信袋からセスの声がする。
「了解。そしたら、水路の上流に行って水を塞き止めてくれ。湖に水が流れるように。メルモ! 井戸掘りのための人員を確保してくれ! 土魔法が使える人がいい。勇者の子どもたちにも聞いてみてくれ」
『『OKっす!』』
「いったい、お前は、いや、お前らはなんだというのだ!? 業者って何だ? 駆除会社?」
ゴーレムの大きな口から低音の声が悔しそうに響く。
「会社ってのは集団だ。人の群れだ。群れの怖さを痛いほど知っているのは俺たち駆除業者だ。業者を、舐めるなよ! お前が破壊したものなんか、すぐに元に戻してやるよ!」
人の命以外はな!
「くっくっく、恐ろしい奴らがいたもんだ」
「あー笑った! あぶねー笑死するところだったー! じゃあ、コムロ氏、またな。次のギャグも期待してる。よっ!」
そう言うと邪神は、黒いゴーレムをヒョイっと持ち上げ南の空に向かって、ぶん投げた。
ゴーレムは信じられないスピードで南の空にすっ飛んでいった。
「なんか困ったことが出てきたら、連絡するわ」
「え? そっちが連絡するんですか?」
「うん、もうぬるぬる相撲は勘弁だからな。じゃ」
邪神は、「やぁ!」という掛け声とともに、ゴーレムと同じくらいのスピードで南の空へと飛んでいってしまった。
「はぁ、終わったぁ」
俺は魔力を操作して、通信袋に魔力を込めた。
「アイル、すまん。ちょっと助けて」
『お、おう。わかった。大丈夫か?』
「大丈夫か、どうかは俺の肛門に聞いてくれ。ちょっとこのままじゃ、ケツも拭けない」
『わ、わかった』
「急いでね。急いで」
『う、うん』
「ヤバイ! どうしよう! 今さらになって、いろんなところがすげー痛い! どうしよう漏れる!」
俺だって結構頑張って土の精霊を退治したのに、両腕が折れて地面に埋まり、その上漏らす寸前だ。これじゃああまりに情けない。
まぁ、でもいいか。仕事はしたから。
「空が青いなぁ!」