76話
夜、寝る前に外を見ると、教会では明かりが灯され、人が出入りしているようだった。
ベルサもセスもすでに寝ている。
『ナオキ、起きているか?』
アイルの声が通信袋から聞こえた。
「ああ、起きてるよ。そっちはどうだ?」
『状況はわかったけど、うまくリドル氏に伝えられたか、わからない。ナオキが直接話したほうがいいと思うぞ』
「そうだな」
アイルには詳しいことは説明していないのだから当たり前だ。
リドルにも説明する必要があるし、神にも報告しなくてはいけない。状況をちゃんと説明しないとただの他人の仕事を潰すだけになってしまう。
リドルには事後、つまり農園を潰した後の商売についても話しておく必要がある。それに伴って国王に謁見し、隣国、つまり勇者の農園がある土地の王に話を通さなくてはいけない可能性も出てくるだろう。
どちらにせよ、複数の戦略の案が必要だ。
すでにいくつか案はあるのだが、今後、ガルシアがどうするかによっても、話は変わってくる。たとえ、理解されなくても、やらなくてはいけないことだってある。
神に話を通しておいて、いつでも土の精霊のクビを切れる状態にしておく。こればっかりは精霊の上司としてやってもらわなければ困る。
そして、グール病の対策と治療がされてない今、できる限り急がなくてはならない。
『すまんな。私がやれることには限界があるようだ。改めて、自分の未熟さがわかったよ』
「いや、そんなことないよ。アイルがいるおかげで、だいぶ助かっている。社員、皆のおかげだよ。アイルが育てた新人たちだって仕事してる」
『そう言ってくれると、救われた気がするよ。明日、セスの実家で』
「うん、じゃ、明日」
アイルもナーバスになる時があるらしい。それだけ仕事に真剣ということだ。
翌朝、宿の食堂にいた行商人たちに、マスクの作り方を教えた。
なんでそんなことを教えるのか、聞かれたので、ロメオ牧師がきっと答えてくれる、と言うと、素直に聞いてくれた。
営業スマイルのベルサとセスの愛想が良かったおかげかもしれない。
「おいおい! 牧師さん大丈夫か?」
振り返ると、宿の従業員が入り口でロメオ牧師を支えていた。
「ああ、すみません。ちょっと寝不足で、ふらついただけです。……ああ、よかった」
ロメオ牧師は顔を上げ、こちらを向いた。
表情は暗く、目の下には隈ができていた。
「ナオキさん……、あの……」
「仮説は証明できましたか?」
「ええ、でも……、まさか原因が……」
同じ仮説に辿り着いたか。現実を見れば、どうしても農園に辿り着く。
「我々はやれるだけのことをやるしかありません。まずは村の人を救うべきかと。ちょうど、商人の方々にマスクの作り方を説明していたところです。予防策としてですが、ないよりはいいでしょ?」
ロメオ牧師は食堂にいる行商人たちの手元を見る。
作りかけだが、質の良いマスクがあった。
「すみません、皆さん! そのマスクをできるだけ村人に配ってください。材料代などは教会が持ちますから! お願いします」
ロメオ牧師は、行商人たちに頭を下げた。
「そ、そりゃ構わないが……、いったい、何があったんだ?」
「それは……ちょっとまだ言えません」
それをいつどのタイミングで村人たちに言うのかが重要だ。混乱させてはいけない。
村人全員で、勇者の家に乗り込んで行ったら、子どもたちがどうなってしまうのか。
勇者に理解させてからでないと、混乱しそうだ。少なくとも、俺は失敗した。
「タイミングはロメオ牧師に任せます。村の人がガルシアさんに言った方がいいでしょうし。あ、それから、これ渡しておきます」
俺は燻煙式の吸魔剤をロメオ牧師に渡し、使い方を教えた。
「ここから出た煙は魔力を吸う効果があります。効果としては、煙を吸い込んだ小さな魔物の魔石を破壊できますし、そこそこの冒険者が魔力切れを起こすほどです。使わないで済めばそれに越したことはありません。どうしても使う際は屋内で使ってください。煙が逃げないので。それから、回復薬もできるだけ渡しておきます。血を吐くような患者がいたら、瓶ごと温めて、蒸気を患者に吸わせてください」
「あの……ナオキさん。どうして……?」
「これも仕事です」
アイテム袋から回復薬を取り出して、テーブルに並べていく。行商人たちはその回復薬の量に驚いているようだ。人命がかかっているので気にしていられない。
「俺たちは、これから吸魔剤の材料を採りに行ってきます。それまではロメオ牧師。あなたが、頼りです。村人をグールになんかさせたくないのは、俺たちも同じですから」
「わかりました! ありがとうございます」
「少しは寝てくださいね。2、3日で戻ると思います。少なくとも吸魔剤を持って、うちの社員が村に来ると思います。出来れば、その頃には治療を開始できる体制を整えていていただきたい」
「そうですね。その頃までには村人には説明しておきます。ガルシアさんにも」
ロメオ牧師は俺の目を見て頷いた。
きっと彼ならやってくれるだろう。
カラーン。
教会の鐘が鳴った。
シスタークラレンスの葬式が始まるそうだ。教会の人と知り合いの村人だけが出るのだとか。
近親者が近くにいないのなら、早く埋めてあげた方がいい。グールになってしまった姿を晒し続けるのもかわいそうだ。
「僕は葬儀に出なくてはいけないので、行きます。皆さんは、このマスクと、マスクの作り方を広めてください」
ロメオ牧師は行商人たちに任せていた。
行商人たちは「わかった」「葬儀が終わったら、これ(マスク)の理由教えてくれよ」などと言っている。
ロメオ牧師の日頃の行いが良いのだろう。行商人たちも理由がわからなくとも、マスクがグール病の予防にはなるらしいことは理解してくれた。
「じゃ、一旦、俺たちはセスの実家に戻ろう。裏トリと事後処理についても考えないといけないから」
「「OK!」」
俺たちはノームフィールドの村を出た。
セスに「社長! 速いっす!」など言われながら、走った。
森の道を抜け、荒れ地に出ると極端に道が悪くなり、走りづらくなった。
時々、ベルサやセスが荒れ地の魔物に捕まったが、大抵、混乱の鈴で混乱させスルー。対処の速さで救える命があるのなら、無駄な戦いに時間を割いてはいられない。
湖に着いたのは、昼ごろだ。
セスが船を隠している場所に案内してくれたが、船が消えていた。
「なんでないんだよ! もうっ!」
腹が減ってイライラしているベルサを落ち着かせ、一先ず飯にする。
来た時に砂漠で獲ったデザートイーグルの肉がアイテム袋に入っていたので、それを焼くことに。
薪を集めに行ったセスが「船見つけました」と言って、戻ってきた。
「どこにあった?」
「ニュート族の村に」
セスが指差す方に小さな漁村があった。
めんどう。腹は立つが、今はまず飯だ。気持ちを落ち着かせた方がいい。ピリピリしていても時間は同じだけ進む。
「飯食べたら、その村潰しに行こう」
ベルサはなんでもないように言う。それをやっては会社の評判は悪くなる。やってしまいそうになるけど。
「あれ? 薪は?」
「あ、すみません」
「あ、いいよ。俺が魔法陣描くから」
再び薪を集めに行こうとしたセスを止める。いつもの加熱の魔法陣を描き、鉄板を乗せ、肉を焼く。ベルサは自分の荷物から、パンを取り出し、切り分けていた。
肉の焼けるいい匂いがしてきた。大きく息を吸ったからか、ようやく一息付けたような気がした。
肉の焼けた部分をセスに借りたナイフで小削ぎ切り、パンの上に乗せていく。
「あ、しまった。ポット持ってくれば良かったな」
お茶ぐらい欲しかったが、アイテム袋にポットが入ってなかった。
「確か、空瓶あったな」
ベルサが回復薬の空瓶を取り出し、洗って水を入れた。
「ありがと」
瓶を受け取って鉄板をどけて、水の入った瓶を魔法陣の上に置く。
今日のお茶は、ベルサがフロウラ近くの森で見つけたというハーブのお茶だ。
「社長たちっていつもこんな感じなんですか?」
セスが聞いてきた。
「え? こんな感じって?」
「いや、なんというか。ちゃんとした物が食べられると言うか…」
「アイルは違ったか?」
ベルサが聞く。
新人たちはアイルと森でレベル上げをしていたので、思ってたのと、ちょっと違うのかもしれない。
「ええ、生で食べられる物は食べられるようになっておけって言われて」
ハードなサバイバルだったようだ。
束の間、まったりとしたランチタイムを過ごした。
食後、眠い目をこすりながら、あくびを噛み殺し、湖の側にあるニュート族の村に向かう。
俺たちが村に近づいた時点で、ニュート族たちは警戒したようで、筋肉質な男たちが武器を手に持ち村の入口に立ちふさがった。
「お前たちは何者だ!」
「帰れ!」
「それ以上近づくな!」
俺たちは止まり、セスが一歩前に出た。
「すいませーん、船返してください」
「お前らの船など知らん!」
「ニュート族の船と猫族の船の見分けぐらい誰でもつきますよ!」
セスとニュート族の男が言い争いを始めた。
どちらもムッキムキだ。ニュート族は首周りなどにウロコがあるようだ。
「ゲッコー族に似てるんだな」
俺はセーラを思い出して、何気なく言った。
「ゲッコー族に会ったことがあるのか?」
ベルサがナオキでも知っていることがあるのかと聞いてきた。
「あれ? 言わなかった? 前にゲッコー族の生き残りを奴隷にしてたことがあるんだ」
「な、なんだとっ!」
ニュート族の男の1人が声を上げた。
「貴様! 今、ゲッコー族を奴隷にしていたと言わなかったか!?」
「え? うん、言ったよ。今はもう解放しちゃったけどね」
セスと言い争いをしていたニュート族の男も黙り、急にこちらに注目が集まった。
ニュート族の男の1人が村に駆け出していった。
「なに? なんかマズイ事でも言った?」
俺が戸惑っていると、駆け出していったニュート族が中年の女性を連れてきた。
その女性もニュート族っぽいが、爪が鋭くなかった。
「……あの! ゲッコー族を奴隷にしていたというのは!?」
「ああ、俺です。ゲッコー族の方ですか?」
正直、俺にはあまり見分けがつかない。
「そうです。その奴隷は女でしたか?名前は?その奴隷の名前を教えていただけませんか?」
「セーラと言います。今はアリスフェイという国の王都で魔法学院に通ってますよ」
「セーラ……! 生きて、いたんですね」
女性は膝を地面について、顔を手で覆って泣き始めた。
ニュート族の男たちも戸惑っていて、どうすれば良いのかわからないようだ。
「セーラの知り合いの方ですか?」
「ええ、母親です」
「ああっ! そうですか!」
「あの、娘は元気でしたか?」
「ええ、今でもたぶん、元気ですよ。話してみますか?」
「え!?」
俺は通信袋に魔力を流し、セーラを呼び出す。
「セーラ。聞こえる? セーラぁ!」
『ど、どうしたんですか? ナオキさん! こんな時に!』
「こんな時ってどんな時か、わからないけど。今、セーラのお母さんが目の前にいるんだけど、話す?」
『え!? ど、どこにいるんですか?』
「えっと、アデル湖ってルージニア連合国の湖の畔にある村だね。あ、この袋に話しかけてみてください」
俺は、驚きすぎて息をしていないセーラの母親に向かって、通信袋を差し出した。
大陸間をまたぐほどの距離があるため、結構な魔力を使うので、通信袋は俺が持ったままだ。
「……あの、セーラ? セリーヌです。あなたの母です」
セーラの母親の声は震えていた。
『お母さん!』
「セーラぁぁあああ!! 無事なのね? 無事だったのね?」
泣き崩れるようなセーラの母親に、ニュート族の村から、女性たちが集まってきた。
武器を持った男たちが、女性たちに説明をしている。
『無事よ。無事。元気にしてる。たぶん、今お母さんの目の前にいるナオキさんという人のおかげで、病気も治ったし、魔法学院にも通っているの』
「そうなんですか!?」
目を見開いて母親が俺を射抜くように見てきた。ちょっと怖い。セーラと同じで一つのことに集中すると周りが見えなくなる目だ。
とりあえず俺は頷いておいた。
「ありがとうございます! ありがとうございます!」
セーラの母親から、足に頭をこすりつけるようにお礼を言われた。
その後、セーラは奴隷になってたらい回しにあった話や、奴隷から解放された話をしていた。
『あ、それから、お母さん。私、ナオキさんの子ども生むつもりだから! 未来のお婿さんに優しくしておいてね』
セーラが爆弾を投下。決して受けるつもりはない。
「あ、そうなの!?」
いえ、そんなの仕込んだ覚えはありません。
「いえ、全く聞いておりません」
『2年後には、隣りにいますから!』
「あら、まぁまぁまぁ。わかりました! 母は娘の恋路を邪魔するつもりはありません!」
「あの、そろそろ、腕疲れてきたんで、いいっすか?」
『あのナオキさん! 私……』
「あ、セーラ。しばらく連絡しないから」
そう言って、通信袋を切った。
思わぬところで、思わぬ人に会った。
世界は広いが、世間は狭いものだな、と思った。
セーラの母親であるセリーヌは、ニュート族の村でシャーマン、つまり、僧侶と薬師と占い師のようなことをやっているらしく、発言力も強いようで、船はすぐに返してもらった。
ニュート族の村は爬虫類系の獣人なら歓迎してくれるのだとか。
飯を食べていけ、というのを「また、今度来ます」と断ると、受難避けの首飾りと、大きな葉に包まれた蒸した魚を持たされた。
とっとと船に乗り込み、対岸を目指す。
帆も張らず、魔法陣で進みだした船を見たニュート族の村の人達は、目を丸くして呆然としたように見送ってくれた。
「湖の周辺の人達は皆、似たリアクションをするのか?」
「社長はどこ行っても変ですから、誰でも同じリアクションなんじゃないですか」
セスは俺の質問を聞き流しながら舵を操作していた。
ベルサは「セス坊も言うようになった」と笑っている。
対岸に着いたのは、湖が茜色に輝く頃だった。