75話
「グールだぁ!」
俺は声のする方を見ると、獣のように両手足で動く人型の魔物がいた。
あれが、グールか。
白いローブを着たグールは、地上から教会の屋根へと常人離れした跳躍で着地。グールが俺の視線に気づいたのか、こちらを振り返った。
白い髪を振り乱し、口からは人の足のようなものがぶら下がっている。その顔に俺は見覚えがある。
「シスタークラレンス!?」
ぎぇあっ!
奇声を発したグールは、地上を駆けてくる村人を威嚇し、川上の方へと跳んだ。
「セス! そっちに向かった!」
『見えてます!』
教会からは悲鳴が上がっている。被害者か?
「ベルサ! 教会!」
食堂から駆け寄ってくるベルサに、教会を指差す。
「はいよ! ナオキ、回復薬!」
すぐにアイテム袋に手を突っ込んで、回復薬の瓶を2つベルサに放り投げ、走りだす。
ベルサも回復薬の瓶を空中で掴むと、橋に向かって走りだした。
俺は川に向かって走り、川岸から向こう岸へと跳ぶ。
屋根の上にはグールと化したシスタークラレンスが、獣のような声を発しながら、老人とは思えぬスピードで跳躍し、屋根伝いに川上の方へと移動している。
村人たちもグールを追っているが、スピードについていけず、立ち止まったりしている。
「まったく、元気良過ぎる老婆だ」
川下の方から、ものすごいスピードで駆けてくる人間が探知スキルで見えた。たぶん、勇者のガルシアだろう。ただ、俺とセスで挟み撃ちにする方が早い。
セスはすでに、川上の家の屋根に上っている。
「よっ!」
俺も跳んで屋根に手をかけ、そのまま力まかせに身体を屋根の上へと持ち上げた。
顔を上げるとグールがセスに飛びかかるところだった。
セスは危なげなく、グールの手をナイフで受け止め、弾き飛ばした。
俺はグールに向かって跳躍しながら拳を握る。
「よそ者は引っ込んでろ!!」
俺の拳は怒声によって止められた。
その隙に、グールは屋根を転がって、地上へと落下。四肢で着地したグールに、ガルシアのサーベルがとんでもないスピードで突き刺さる。土の勇者らしくない細いサーベル。パリンッという固いものが砕けた音が鳴り、背中から真っ赤な血しぶきが舞う。背中からサーベルの先端が突き出ていた。
グールのあっけない最期とは裏腹にガルシアは眉間に皺を寄せ、血がサーベルの柄に垂れてくるまで止まっていた。グールになっては殺すしかない。勇者としての責任と後悔が肩に乗っかっているようだった。
俺とセスはグールとガルシアを見下ろし、ガルシアは屋根の上の俺たちを見上げた。
ガルシアは麦わら帽子もかぶらず、バーコードハゲを晒している。俺を止めたあの怒声はガルシアのものだろう。
「ガルシア!」
「勇者殿!」
「あーくそっ! シスタークラレンスかよ!」
村人たちが集まってきた。
「すまない。ナオキくん。ただ、これはうちの村の問題だから」
ガルシアの目には意志が感じられた。もし、俺がシスタークラレンスのグールを殺していたら、俺は教会の人間に恨まれていたのかもしれない。近しい人が始末をつけたほうがいいこともある。
それに、殴って討伐するなんて、駆除業者らしくない。ふさわしい人間がやったほうがいい。
「いえ、すみません。出すぎた真似をしました」
地上に降り頭を下げ、グールから離れた。ここで、俺たちにできることはない。
俺たちが通り過ぎる時も、村人たちがシスタークラレンスの関係者を呼んでいる時も、ガルシアはじっとサーベルについた血を見つめていた。せっかく村に移住してきた者を自らの手で殺さなくてはいけないなんてやりきれないだろう。
かける言葉が見つからない。
俺は黙ってセスを連れて教会へと向かった。
「被害者は?」
教会の墓地にいたベルサがいた。墓地にはベルサ以外誰もいない。探知スキルで見ると教会の中には人が多く、忙しそうに動いている。
「被害者はとっくに死んでる。死人が被害者だよ。けが人には回復薬を渡しておいた」
ベルサの目の前には、荒らされた墓地と片足を失った死体があった。
「見てみろ、ナオキ。胸の魔石が割られている。セス坊、ちょっとナイフ貸して」
死体の胸には大きな傷痕があり、拳大の魔石がキレイに左右に割られているのが見えた。ガルシアが先ほどグールを突き刺した時に割ったのも胸の魔石だろう。
セスがベルサにナイフを渡すと、ベルサは胸にナイフを入れ、肉をめくるように中を覗いた。死体はカサカサに乾いていたが中身はグロい。セスは「うっ」と声に出していた。
ベルサがもう片方の手で魔石灯をかざすと、肉の中に反射して煌めくものが見えた。
「魔石だ。吸い込んだ魔石が肺に溜まってる」
「グールになった原因はこれか?」
「まぁ、そう考えるのが普通だね」
「でも、どうしてです?」
セスも気になっている。
俺とベルサには心当たりがあった。農園の土には小さな魔石が含まれていて、防風林代わりの森はあるが、農園は丘になっていた。風が吹けば舞い上がって吸い込む。
森の近くは風が吹かないかもしれないが、俺は風に揺れる綿花の中で子どもたちが草むしりをしているところを見た。農園付近の住人が何の対策もしていないなら、グールになる病は全村人が発症してもおかしくない。
「早急に手を打つ必要があるな」
「おい! 何してんだ? あんたら!」
ロメオ牧師が渡り廊下から、出てきた。
「すみません。この方を早くお墓に戻してあげたいのですが、祈りの仕方もわからず、呆然としていたところです」
ベルサが、自分たちに魔石灯の灯を当てながら、淀みなくウソを吐く。流石だ。
「ああ、先ほどの。あの回復薬は助かりました。ナオキさんのお仲間でしたか」
「ええ、同僚です」
「そうでしたか。ここは我々に任せてください」
「すみません、よそ者ゆえ、力及ばず」
「いえいえ、回復薬は非常に助かりました」
「何か他に協力できることがあれば、おっしゃってください。宿にいますから」
「ありがとう」
俺たちは、宿に帰ろうとした。
振り返るとロメオ牧師は片足を失った死体を、じっと見ていた。
俺たちが去った後なら、解剖ができるかもしれないな。
教会のほうが騒がしい。きっと、シスタークラレンスの死体が運び込まれたくらいか。
墓地になど、誰も来ないだろう。
俺は、アイテム袋から余っていた10枚ほどのマスクを全て取り出し、ロメオ牧師の方に戻った。
「ロメオ牧師。これを」
俺はマスクを差し出した。
「これは?」
「これは、耳に紐をかけて口を覆うマスクです。ほら。あなたの仮説が正しければ、必要になるかもしれません」
一つ自分でつけて見せて説明した。
「ナオキさんは知っているんですか?」
ロメオ牧師は驚いたような顔をしている。
「いえ、なんとなくです。そして、なんとなく、風の強い日は外に出ないほうがいいように思います。では」
「ちょ……」
俺は、ロメオ牧師の言葉を聞かずに、ベルサたちの後を追いかけた。
「何渡したんだ?」
隣りに並んだ俺にベルサが聞いた。
「気休めだよ、気休め」
俺は信仰心よりも人の好奇心にかけてみたくなった。
宿に帰ると、誰もいなかった。
宿番すらいない。皆、教会に集まっているのだろう。
小さな村だから、皆、顔なじみなのかもしれない。
行商人たちは野次馬かな?
とりえず、食堂の手がついていない料理をいただき、部屋に運ぶ。
「腹が減ってちゃ、頭が回んないからね」
ベルサの言葉にセスは顔をしかめていた。
さっきまで死体を見てたのに、よく飯が食えるよ、という顔だった。
「ベルサが正しい。これから何が起こるかわからないんだ。飯は食える時に食っておいた方がいい」
「……はい!」
俺がセスに言うと、ベルサは「え? なに? 文句あんの?」という表情で見てきた。
3人車座になって晩飯を食べる。
「で、どうする?」
「農園は潰すしかないな」
ベルサの問いに俺が端的に答える。
「グール病については?」
情報をまとめて対策を考えたほうがいいな。
「あれは要するに肺に魔石の砂が溜まって固まるってことだろ。発症すると、魔力切れを起こすのはなんでだ?」
「魔石の砂同士がくっつく時に魔力を使ってるんじゃないか、と思う。どんどん集まって固まっていって、最終的には拳大になり、魔物化する」
ベルサが説明する。
俺が、昼にシスタークラレンスに会った時には、なんともなかったのは、くっつく魔石の砂が肺になかったからか。外に出た時に魔石の砂を吸い込んで、大きくなっていた魔石が魔物化するサイズになったとすれば、筋は通る。
「随分タイミングがいいけど、それビンゴっぽいな。対策としては現状でマスクするくらいかぁ」
「吸魔草を使って治療できないかな?」
ベルサの言葉に、俺はローカストホッパーが吸魔草を吸い込み、死んでいく様子を思い出していた。
確か、体内の魔石が割れて、口からエクトプラズムみたいに魔素の煙を吐き出していた。
それなら、体内の魔石を排除できるかもしれない。
「ただ、それ肺に穴が開くかもしれないんじゃないか?」
「そうだなぁ」
ベルサと俺が悩みながら、口に料理を運んでいると、
「肺に穴が開いたら、回復薬を吸わせればいいんじゃ……」
セスがナイスなアイディアを言う。
「それだ。それで、いこう。多少血を吐くくらいはしょうがないだろ」
グール病の対策はある程度決まった。
「あれ? でも、そうすると、魔力を回復させちゃいけないんじゃないか?」
魔力切れを起こしている間は肺の中の魔石がくっつかないけど、魔力が回復したら……。
ヤバい! フロウラの奴隷商にいたシンシアがグールになる可能性が出てきた。
「なんか不味いことでもしたのか?」
「ああ、フロウラの町に、グール病を発症した奴隷がいたんだ。その娘に俺、魔力回復シロップ上げちゃったんだ」
ロメオ牧師にも渡したけど、あのグールの死体を解剖していれば使うようなことはしないだろう。
ベルサとセスは「何やってんだよ、バカだなぁ」と鼻で笑っている。
「で、どのくらい吸魔草の吸魔剤は余ってるんだ?」
晩飯も食い終わり、皿を返しに行こうと立ち上がった時、ベルサが俺に聞いてきた。
あれ? ローカストホッパー駆除の時にほとんど使っちゃったんじゃなかったか?
アイテム袋を探したが、燻煙式用の一缶しか残ってなかった。
これで村人集めて、一気にやっちゃうか、とも思ったが、全員口から血を吹き出して死んでいくところを想像してしまった。ダメだ。
「ヤバい。足りない。どうしよう!?」
頭を抱える俺にベルサは呆れていた。
「また、砂漠で採ってこないといけないのか? 吸魔草、鉄砲水で結構流れちゃって見つけるの大変だよ!」
ああ……、今回もまた、走り回らなくちゃならなそうだ。