70話
宿にはブラックス家の執事が来たら、「ちょっと社員旅行に行ってくる」と伝えるように言って、俺たちは身を隠しながら宿を出た。
足早に町を出る理由を、俺は知らないが、とにかくアイルとベルサが「早くしろ」というので、俺たちは急いでいた。
町中では商人や屋台のおっさんが「おーい! また、踊りを見せてくれ!」「今度はうちで呑んでくれー!」とか声をかけてくる。
誰に向かって言っているのか知らないが、俺が手を振ると笑ってくれる。
「昨日、俺は何をしたんだ?」
「知らない方が幸せなこともある」
俺の質問にアイルはそっけなく答えた。
うちの社員はなぜか、顔を赤くしているけど、町の人が楽しそうならいいか。
森の中でも、行商人たちが俺に声をかけてくれ、果物を分けてもらったりした。
そういえば、フロウラの町を出る時、衛兵に「あれは宣伝のためだったのか? 流石だなぁ」などと背中を叩かれた。
俺は、なんのことだかよくわからないので、愛想笑いをしておいた。たいていのことは愛想笑いでなんとかなるものだ。
とにかく、フロウラの町で俺は有名になり、アイルたちはほとぼりが冷めるまで、町にいたくはないようだった。いったい俺は何をしたのか。
行商人や旅の冒険者などを追い抜き、昼前には草原までたどり着いていた。
新人たちもちゃんとついてきていた。
「はぁはぁ」
「はぁはぁ、社員旅行ってキツイですね」
ムッキムキのセスが俺に言った。
俺はほとんど汗をかいていないが、新人たちは水を飲みながら、肩で息をしていた。
「ベルサ、少しペース落とすか? 新人たちが辛そうだよ」
「ん? うん、まぁ、そうだね。ここまで来れば、そんなに目立たないから、午後はゆっくり行こうか」
ベルサがシートを広げ、アイルはサクッと森で狩ってきたフォラビットの肉を焼き始めた。
肉汁が滴り落ちる音がパチッと弾ける。肉の焼ける匂いを嗅ぎながら、空を見上げると鳥の魔物が優雅に飛んでいた。
俺の横ではメルモが、フォラビットの皮を鞣しているし、セスは固いパンを切り分けていた。
「のんびりしているなぁ……」
「社員旅行だからね。のんびりしていたほうがいいだろ」
俺が描いた加熱の魔法陣の上にポットを乗せながら、ベルサが答えた。
せっかくアイルが焚き火をしているので、空を飛ぶ鳥の魔物も焼いてもらおう。
俺は小石を拾って、鳥の魔物に向かって投げた。レーザービームのように飛んでいった小石は、正確に鳥の羽を撃ち抜き、彼方へと飛んでいった。
鳥の魔物は螺旋を描きながら墜落。俺が取りに行くと、意外に大きな鳥だった。
「これも焼いてくれ」
「そういうことは、やる前に言ってくれよ」
アイルは文句を言いながらも、メルモに羽を毟るよう指示を出していた。
「社長がFランクって納得いかないよな」
「うん。FってファイナルのFなんじゃない? もうこれ以上は上げられませんっていう」
「じゃ、Sの上?」
「そう」
メルモとセスが小声で話しているのが耳に入ってきた。
「バカなこと言ってないで、焼けたから食べろよ。冷めたら美味しくないぞ」
アイルが新人たちにフォラビットの肉を渡しながら言う。
結局、獲った俺が羽を毟り、最後に食事にありついた。
羽を毟ると、アイルがキレイに解体してくれた。丸焼きにはせず、手羽や胸肉など分けて焼いた。
食べきれない分はアイテム袋に貯蔵する。柔らかい食感で噛めば噛むほど、肉本来の旨味が口の中いっぱいに広がる。それなのに、後味はあっさりして、どんなに食べても胃もたれしなさそうだった。脂身が美味いのだろう。
「ふぅーうまかった。新鮮な鳥肉はうまいということがわかったな。ところで、あの鳥の魔物はなんという魔物なんだ?」
「デザートイーグルだ」
「そうか、随分物騒な名前だな」
「本来は捕獲も困難な魔物だけど、ナオキだからな」
この世界に来た当初は怖くて森にも入らなかったというのに、今では気軽に魔物を狩っている。人間変われば変わるものだ。
食後はしっかりと昼寝。シエスタというスペイン生まれの習慣は、この異世界でも有効だ。社員からの文句もない。
起きたら、とっとと出発する。
「今日の内に山を越えたいんだ」
「「え!?」」
アイルの言葉に新人たちは顔が引きつっている。
「砂漠に入ったら、こまめに水を飲めよ」
「さっきベルサさんが、ゆっくり行こうって言ってましたよね?」
「うん。でも、ゆっくり行っても急いで行っても目的地は変わらないよ。今日泊まる場所は、セスの実家のある村だよ」
「えっ!!!」
セスが今日一で驚いた。
「あのー、僕、村を出てから、そんなに経ってないんで、ちょっと気まずいんですけど」
「大丈夫だよ! 就職したんだから」
「そうそう。それにスキルもレベルも上がったんだしさ。あ、なんだったら、新人2人は先にボーナスをやろうか?」
メルモは「是非そうしましょう!」と喜んでいるが、セスは俺に助けを求めているのか目が合った。
「まぁ、いいんじゃないか? 旅行に関しても給料に関しても俺はよくわかってないから」
セスはがっくりと項垂れていた。道中なので仕方ない。なるべくセスの格好悪い姿は見せないようにしよう。
砂漠で新人たちが大きく離されてしまい、山麓で俺とアイルとベルサは待つことになった。
巨大な魔物の骨の影で待っていると、意識を朦朧とさせながら重い足取りで歩いてきた。
すでに日は傾き始めている。夜に魔物の群れの真ん中で眠る方が面倒だ。
少し休んでから、再び出発しようとする俺たちに新人たちが泣きながら「もう無理です」と懇願してきた。仕方がないので、俺がセスを背負い、アイルがメルモを背負うことにした。
「旅行のスケジュールは絶対」
ベルサの一言で決まった。
山には抜け道があり、セスが教えてくれた。
「僕はフロウラまで2週間はかかりましたが、1日で踏破できるんですね」
なんでそんなに時間がかかったのか聞くと、山の抜け道で強盗にあったり、砂漠で馬車が動かなくなったり、森で魔物に襲われたりと、大冒険だったようだ。
「初めて村を出て、世の中の厳しさを知りました。何でもやらないと、何にもなれないんだと気づいたんです」
「それで、船荒らししてたんだっけ?」
「いや、もうその話は勘弁して下さい」
恥ずかしそうにセスは答えた。
抜け道を通るときには、すっかり空は暗くなっていて星が瞬いていた。背中の荷物もすっかり眠っている。
岩と岩の隙間や谷の底を通る抜け道には危険も多い。
「魔物の気配がするな」
アイルが言ったとおり、抜け道の周囲には結構な数の魔物がいる。久しぶりに混乱の鈴を取り出して、鳴らしながら歩いた。
混乱の鈴はレッドドラゴンの洞窟の時に活躍して以来ではないだろうか。鈴に混乱の魔法陣を彫り、魔力を流しながら鳴らすことによって魔物を混乱させる鈴だ。
普段はフィーホースなどが側にいるため使わないが、こんな時間に抜け道を進む行商人や定期便はいないだろうという判断で使ってみる。
「ギャー!」
「ズゾラッ!」
「ブギャー!」
「プッシャー!」
「シャーコラー!」
抜け道に魔物たちの多彩な断末魔の悲鳴が聞こえる。魔物たちが同士討ちをしているのだ。
「こうして聞くと、魔物たちは個性的だな」
「うん、鳴き声がこんなにも違うんだ」
「こちらに魔物が来ないか?」
何体か魔物が現れたが、アイルが瞬殺していた。うちの剣豪相手に姿を見せてはいけない。
「んー張り合いがないな。またキマイラみたいなのが出ないかなぁ、今度は1人で相手してやるのに」
アイルは相変わらず、強い相手を求めているようだ。
社員旅行というのは、その人の本質に触れられるいい機会なのかもしれないな。
「そういや、アイルは俺の強さについて、何かわかったか?」
「ん? ああ、初めはそう言ってついてきたんだったなぁ。ナオキの強さね。レベルとかスキルとか、そういうのは本質じゃない、というのはなんとなくわかる」
「え? じゃあ、なんなの?」
「わからん。本人はどう思ってるんだ?」
確かに、レベルやスキルは上がって、ある程度強くなった気もする。大きな魔物と対峙しても、そんな恐怖は感じなかった。ただ、それが強さかと言われると、何か違うような気もする。
いま、急にレベル1に戻されてスキルをすべて失ったとしても、レベルを上げる方法もスキルを上げる方法も幾つか思いつく。また初めからやり直せばいいだけのことだ。
だから、強いのかと言われると、それもまた、違うんじゃないか、という気がする。
「わからないな。俺も」
「強い奴ってのは自分の生きたいように生きている奴のことだ」
急にベルサが口を開き、本質をついてきた。
「わがままを通すってことか?」
「そう。そういった意味では私たちはすでに強い」
それぞれ、好き勝手なことをしている。
頼まれごとも多いが、割りと本人たちが楽しくやっている。
「ま、酒には負けるけどな」
「「それは、ナオキだけだ」」
俺はセスの寝息を聞きながら、アイルの背中のメルモを見た。
こいつらにも好きなことをさせてやりたいな、と思った。
会社ってのは、それぞれが好きなことをやって、協力できることは協力し合う集団でいいんだな。責任は社長の俺がとればいいんだし。
ふんわりそんなことを思う。日本でもピラミッド型の組織は古くなり、アメーバ型の組織が成果を上げ、価値観を共有するコミュニティが各所にできていた。ファミリーなどとは言わないが、コムロカンパニーも形態を変えながら続いていくといい。
「社員旅行ってのはいいもんだな」
「何をいまさら!」
「いいに決まってるだろ! ぶっ飛ばすぞ!」
旅行をほめただけでぶっ飛ばされるのかよ!
うちの会社はこんな風にしてバランスが取れているようだ。
「お! 抜けた!」
抜け道の先は崖になっていた。
眼下には対岸の見えない湖が広がっていた。
湖の畔にポツポツと明かりが見える。
あれがセスの村か。
月は中天。真夜中である。