61話
白い波が古い桟橋の杭に砕け、水しぶきが舞っている。
水平線の上を真っ黒の雨雲が覆っていた。
先程まで、晴れていたはずなのに。
「まず……な。急が……ば」
北東へ向かって吹く風が、リドルの声の邪魔をした。
海岸から荒れる海の様子を見て、俺とリドルは一旦、役所に帰ることにした。
まだ雨は降っていないが、いつ降ってきてもおかしくはない。
「おーい! 砂漠で南西に雲見える?」
俺は通信袋で連絡を取った。
『はいはい? 南西? いや、晴れてるよ』
ベルサの声が聞こえる。
「そうか、町の方では雨が降りそうだよ」
『そうか。こっちに来ないことを祈るよ。それだけ?』
「それだけ。まだ、もうちょっとこっちで打ち合わせしないといけないから」
『はいはい、じゃ、おつかれ~』
「はい~」
役所に帰ると、リドルはジェリたちに、精鋭を集めるように指示を出していた。
俺は、待たせていた船大工にポンプの仕組みを教える。
一つ手本で作ってみせると、船大工たちは軽く作ってしまった。
「これでいいんすか?」
中に水を入れて、試してみるとちゃんと霧状の水が噴射した。
「不思議な道具ですね」
「何に使うんですか?」
「水鉄砲かなにかですか?」
船大工たちから質問される。
「大きい魔物には使えないけど、小さな魔物にはこういうほうが効くんだ」
「そうなんですか?踏み潰したほうが早い気がするけど……」
船大工たちにはポンプの良さがわからないようだった。
造船所の雨戸に板を打つため、急いでいるらしく船大工たちはリドルからお金をもらってさっさと帰っていった。
ローカストホッパーの実験チームの方を覗いてみると、花屋たちから「芳しくない」と言われた。多少嫌がる匂いがある程度だという。
どんな花か聞くと、見せてくれた。
コスモスのように真ん中が黄色く、白く細い花片が周りを囲んでいる。葉も特徴的だ。
「とりあえず、この花を集めてください」
花屋としてはあんまり人気がない花で、いくらでも持って行ってくれという。
ただ、人気がないだけに、そんなに量はなかった。
森に群生地があるというので、地図に描き込んでもらった。
リドルがお金を渡していたので、花屋たちは素直に教えてくれた。
鍋でお湯を沸かし、花を入れていく。独特の匂いが地下室に充満したが仕方がない。
ローカストホッパーの動きが激しくなり、徐々に動きが鈍くなっていった。
鍋のお湯が深緑色になり、ものすごく渋い臭いがする。
冷ましてからポンプに入れ、ローカストホッパーにかけてみたが、動きが極端に鈍くなるものの、死にはしなかった。
それでも、効果はあるので、この花を使おう。
あまりの臭いに様子を見に来た職員のお姉さんが地下室に下りてきた。お姉さんの顔には疲労の色が見えた。
「すみません」と謝って、風魔法の魔法陣を入り口に描き、臭いを部屋の奥に追いやった。
「あーもう、イエローフラッグの毒使っちゃえばいいんだ……」
イエローフラッグの毒は即死系の毒でポンプに入れて使えば、使用者も死ぬタイプの毒だ。
花屋に教えてもらった群生地に行くため、役所を出ようと扉を開けたところで、口走ってしまっていた。
暗く強い風が吹く町を見て、急激に疲労が押し寄せてきたのだ。
目をつぶると後ろから職員たちの会話が聞こえてきた。
「今からフィーホースの手配か……」
「荷台どうするんだ? 幌付きか?」
「雨降るなら幌付きじゃないとダメだろ?」
「ないだろ、こんな夜中に」
「探すんだよ!」
「はぁ……そうだな」
「送っていった花屋さんにどこに逃げればいいって聞かれたよ」
「町まで来たら逃げ場なんてないだろ……」
職員たちも、イレギュラーな仕事に、疲労を隠せない様子だ。
「ど、どうした?」
目を開けると外套を着たリドルが心配そうに、俺の顔を見ていた。
「あ、すみません、ちょっと……」
「いや、砂漠に行って帰ってきたんだ。そりゃ、疲れもするさ」
「いやいや……まだ、大した仕事は……あ! 今日、飯食い損ねてる!! リドルさん、飯用意してもらえますか? 俺、1人で行ってきますから!」
俺はリドルの手から、魔石灯のランプを受け取りながら、視線をリドルの後ろにいる職員たちに向けた。
リドルも振り返り、役所の職員たちを見た。
「飯な! それも大事だな! よし、全員分の飯を用意する! ナオキ殿は1人で大丈夫か?」
「ええ、俺は探知スキルがあるので大丈夫です!夜の森は危険ですからね!」
「わ、わかった! 頼む!」
長丁場なので、休憩は必要だ。
年長者のリドルには職員たちのペースをコントロールしてもらったほうがいいだろう。
俺は肩を回し、屈伸。アキレス腱などを伸ばし、軽く頬を叩いて気合を入れ直し森へと向かう。
風が強い夜なので人目はなく、最短距離で行く。つまり、建物の屋根から屋根に跳んでいく。
森に入れば、邪魔な魔物は裏拳で弾いていく。疲れているので、いちいち相手にしていられない。
花の群生地を見つけると、手当たり次第にアイテム袋に入れていく。
すべて採らず、次のために3割ほどは残しておくことにした。7割でも相当な量になる。
アイテム袋にすべて入れると怪しまれるので、自分で一抱え持った。
役所に帰り、急いで地下室に行きアイテム袋の中の花をすべて出した。
幸い、地下室には誰もいなかった。
皆、一階で、サンドイッチやホットドッグなどを食べている。
「ナオキ殿! ほう! そんなに採れましたか! 相変わらず仕事が速いですなぁ。ナオキ殿の分の晩飯も用意してありますぞ!」
階段から、ひょっこり顔を出したリドルが声をかけてくれた。
「今行きます! 腹ペコですよ」
俺は腹を擦りながら、階段を上った。
職員たちは楽しそうにサンドイッチやホットドッグを頬張っている。
人間、やっぱり飯食わないと元気でないよな。
サンドイッチは魚を辛くしたアンチョビっぽいのが入っていて、食が進んだ。
「こんなに食べて大丈夫ですかね?」
隣の職員たちに聞いてみた。
「大丈夫ですよ! 駆除会社のあなたのおかげなんですから。危うく、晩飯も食べられないかと思いましたけど、よく気づいてくれました!」
「なかなか、ブラックス家の人に言える人っていなくて……」
「うちの職長は飯だけは美味しいんです!」
「活躍できて、嬉しそうですよ。ほら」
職員たちはエプロン姿の職長と呼ばれる、バーコードハゲのおじさんを指差した。確かに笑いながら、身体が揺れている。
「ああ見えて、元人気店の店長ですからね」
「へー、私知らなかった。どこでやってたの?」
「知らない?港の方のガチョリブレって店」
「え!?あそこ、職長がやってた店だったの!?」
晩飯は和気藹々としていて、一時ローカストホッパーのことを忘れさせてくれた。
その雰囲気もジェリが僧侶たちと一緒に役所に入ってくると、急に職員たちの会話が止まった。
ジェリが入り口で大声を上げ、リドルになにか言っている。
「なにか揉めてるのかな?」
隣にいる職員に小声で聞いた。
「回復役を教会の僧侶たちに頼んだらしいんですけど、冒険者たちが協力してくれないらしいです」
そういや、教会と冒険者ギルドって仲悪かったな。
「仲が悪いから協力しないってこと?」
「いや、そこまではわからないですけど……」
俺は口の中にホットドッグを詰め込み、入口の方に行った。
「そんな物言いで人がついてくるか! バカモン! 良いか! お前のプライドだろうが、ブラックス家のプライドだろうが関係ない! 今、皆で協力しようって時に、協力者を連れてこられないのは、お前の能力がないからだ! 怒る前に反省しろ!」
リドルがこめかみに青筋を立てて、弟を怒鳴っている。
「もういいっ! ワシが直接冒険者ギルドに行く」
「でも、あいつら、腰抜けで……無理だぜ……」
眉毛をハの字にしたジェリが言う。
「俺が言ってきますよ。押してダメなら引いてみなってね。上から言ってもダメなら、下から言ってきます。俺、一応Fランクの冒険者なんですよ。地下室の花、鍋で煮ておいてもらえますか?」
「ナオキ殿……しかし!」
「すいませーん! 飯食べ終わって、手の空いた人は地下で花煮るの手伝ってくださーい!」
俺が職員たちに声をかける。
「あいよー!」
「わかったー!」
「いま行くー!」
すぐに職員たちが反応してくれて、俺はアイテム袋の中からマスクを取り出した
「結構、臭いキツいんでこれ付けたほうがいいかもしれません。すみません、これだけしかなくて」
「ああ、いいよいいよ。これくらいなら、作れるヤツいるから」
俺からマスクを受け取った職員が返す。
「ありがとうございます。ちょっと俺出るんで」
「おう、煮るだけだな?」
「ええ、水多めでも大丈夫です。深緑色になったら一旦火を止めてください。壁際に風魔法の魔法陣があるので、魔力が余ってる人がいたら、使ってください」
「おいおい、あんた魔法陣描けるのか?」
あ、しまった。
「簡単なやつだけです。昔学校で」
「なるほど」
適当な言い訳だったが職員は納得して、他の職員を連れて地下室に向かった。
「お、社長!」
ジェリが連れてきた僧侶の1人が俺に声をかけてきた。
「あ、こんにちは」
教会の僧侶たちの中に、マスマスカルを駆除した時の僧侶がいた。
「ブラックスさん、この社長の会社が関わってるなら、回復薬の心配はありませんよ!」
「はは……、材料がないと……」
マジかよ。回復薬も作るのか。仕事増えるなぁ。
「大丈夫! 材料だけはたくさん持ってきましたから!」
僧侶たちが肩掛けカバンの中から、薬草を取り出して見せた。
「わかりました……後でね。じゃ、いってきます」
「ナオキ殿、いったい君は……!」
驚いているリドルを残して、役所を飛び出した。