57話
「生きてるのか?」
「いや、もう瀕死だな」
ローカストホッパーは、ベルサの手の中でピクピク状態だった。
リッサの魔物手帳にはローカストホッパーは砂漠に住むバッタの魔物で、時々大量発生し、周辺地域に甚大な被害をもたらす、と書いてある。
駆除業者としては、無視できない魔物だ。
蝗害は前の世界でも天災の一つとされていたし、実際に自分が生きていた頃でもアフリカから中東インドと国を越えて起こっていた。
駆除業者なら、いつ依頼が来てもいいように駆除方法を確立しておきたい。
「じゃ」
俺はベルサのリュックから回復薬を取り出して、かけようとしたら
「ちょ、ちょっと待て。少しでいい。こんな小さな魔物に、瓶一本使うんじゃない!」
ベルサは慌てて俺から、回復薬を奪った。何をそんな血相を変えているのかわからない。
「でも、どうせ、ローカストホッパーを入れる容器がないんだから、一本空けちゃっていいんじゃない?」
そんな俺の提案を無視して、ベルサはほんの少しだけローカストホッパーに回復薬をかけていた。それだけでも、細胞が再生するのかみるみる元気になっていく。
「この上級回復薬を無駄にされると、私の中の何かが崩れる」
何かってなんだ? 価値観か?
上級だろうがなんだろうが、回復薬は材料があればいくらでも作れるんだが、一般的には技術に差があるか。一本で市場価値は金貨1枚以上はするらしいから、虫一匹に使う量じゃない。
だったら、倒れたフィーホースに使おう。馬一頭と考えれば、回復薬も惜しくはない。ただ、ちょっと量が多いかな。
回復薬をフィーホースに振りかけようとしたら、探知スキルに人の気配を感じた。
振り返ると、100メートルほど先に中肉中背のターバンを巻いた男が、フラフラと歩いていた。弱っていそうなので、あの男に回復薬を使えばいい。
「すいませーん! 大丈夫ですか?」
「待て、ゾンビかもしれないぞ」
男に近づこうとした俺を、ベルサが止めた。
黙って見ていると、男はふらふらしながら突然倒れた。警戒しながら近寄ってみると「水、水……」と口にしていたので、水袋を渡した。
よほど喉が渇いていたのか男は喉を鳴らしながら水を飲んでいた。
周囲を探知スキルで見ると、少し離れたところに、人が集まっている。
肉眼で見れば、草原に幌馬車の荷台だけが停まっていた。
定期便の馬車か?
だとしたら、中の人間たちはなぜ荷台に留まっている?
「奴隷商か?」
可能性を考えていたら、応えに辿り着いた。
「んぐ、はぁはぁ、そうです! 突然フィーホースが暴れだして、急いで追ってきたんですが……。はぁはぁ」
「ああ。そのフィーホースなら、あそこで気絶している。あんた、特に怪我はなさそうだな」
「え? ええ、まあ」
じゃあ、回復薬を使えないなぁ。
ベルサが追いかけてきていて、ようやくたどり着いた。
「お前が、あのフィーホースの持ち主か?」
「はい、そうです」
「我々はあのフィーホースに襲われた。この国の法律ではどうなっているか知らないのだが、人に使役されている魔物が他人を襲った場合、持ち主が被害者側に慰謝料を払うか、もしくは被害者側がその魔物の生殺与奪の権利ないし所有権を持つということで間違いないか?」
男の顔は徐々に青ざめていった。
命からがら生き延びて、水を飲む男に追撃するベルサを見て、ちょっと頼もしく思った。仕事をするなら、情は捨てる。できるようで、なかなかできない。生存権は確保してあげたんだから、当然の権利とでも言うようだ。
「ま、間違いありません」
ベルサが難しい交渉をし始めたので、俺は馬車の荷台の方に向かった。
荷台には状態異常になっている者がいた。
幌を開けると、中にいたのはヒューマン族や獣人、ホビットなどの亜人など、種族は様々だが、全員女の奴隷だった。首にはしっかり首輪がつけられている。
幌を開けたのが、奴隷商ではなく俺だったので、奴隷たちは荷台の奥に身を寄せ合って怯えている。その中のヒューマン族の女が、咳をして苦しそうにしていた。呼吸器系か。
「やあ、こんちは。苦しそうだね。治療ができるかもしれないんだけど、どうかな?」
回復薬を見せ、自分で少し飲んでみせた。奴隷たちはお互いを見合って、どうすればいいのか、迷っている。
「なぁに、今、うちの人間が君たちを連れてきた奴隷商と交渉している最中だから、治療費とかは気にしないでいい。それに、その病気が全員に伝染りでもしたら、損するのは奴隷商の方だしね」
警戒心を解くために笑って見せた。
咳をして、唇を震わせている女奴隷が頷いた。
荷台の中に入り、女奴隷を抱える。
「どうせ、治らない。私はいずれグールになるんだ」
俺の耳元で女奴隷が悲観したように言った。
グールってなんだっけ? ゾンビみたいなものか?
死体を食う魔物だったっけ?
「何があったか知らないけど、人生はそんな不幸なことばかりじゃないさ」
俺は女奴隷を外に連れ出し、地面に加熱の魔法陣を描く。
魔法陣の上に、回復薬の瓶を置いて沸騰させ、蒸発した煙を女奴隷に吸わせる。
虚ろだった目は開かれ、顔も先程より生気が戻ったが、唇は青いままだった。
「どうだい?」
「だいぶ楽になったけど、頭痛が……」
女奴隷は頭を押さえた。
回復薬では治らない病気か。
状態異常も治っていない。
毒か呪いか。
いずれにせよ、回復薬しか持ってきてないので、今は治せない。
「ずっとこんな調子か?」
他の奴隷に聞くと、頷いていた。
共に馬車に乗っていた奴隷たちは病気になっていないところをみると感染るようなものではないらしい。
「おーい! ナオキ! その荷台をこっちに持ってきてくれー!」
ベルサの交渉がうまく行ったのか、こちらに手を振ってきた。
「わかったー!」
空になった瓶を振って冷まし、魔法陣を消す。
冷めた瓶にローカストホッパーを入れて、瓶を腰に下げる。
女奴隷を荷台に運んで、奴隷たちに「掴まっててくれ」と一声かけて、荷台を押した。
動き出した荷台に女奴隷たちは目を見開いて驚いている。
力持ちであることをアピールするとモテるだろうか。
「交渉はうまくいった?」
奴隷商は、荷台を押してきた俺を見て口を開けたまま固まっている。
「ああ、定期的な収入を確保した」
どういうことか聞くと、フィーホースは我々の会社の所有物になったようで、月に銀貨5枚でターバンを巻いた奴隷商に貸し出すことになったそうだ。
さらに、奴隷が必要になったら、格安で売ってくれるらしい。
なんという交渉術だ。いい会計を仲間にできた。
そういうスキルを持っていたのだろうか。
「商人ギルドに登録している会社だったことが良かったみたいだ」
ベルサは小声で俺に教えてくれた。
気絶しているフィーホースは、俺が掴んだ前足が折れている。
折れた骨を元に戻し、リュックの中の回復薬をかけると「ブルルルルッ」と首を振って起き上がった。
「よぅし。立てるみたいだな」
ベルサは、フィーホースに回復薬を使用することは止めなかった。
「うちの、だから」
ただ、腰に下げたローカストホッパーが入った瓶を見て、「どうしたのか」と問いただしてきた。
「病気の奴隷に使ったんだ」
ベルサは奴隷商に「金貨1枚でいい」と笑っていた。きっとベルサは鬼の末裔だ。
奴隷商は、言葉に詰まりながらも了承していた。回復薬代も後日払ってくれるそうだ。
フィーホースを荷台と繋ぎ、出発する。
奴隷商の行き先はフロウラだという。
「俺たちも今から帰るところなんだ」
「護衛とか付けなくて大丈夫なのか?」
「砂漠まではいたんですがね。鉄砲水で、はぐれてしまったんです」
御者台に上がりながら奴隷商が答えた。
鉄砲水か。
砂漠の死因で一番多いのは溺死だと、どこかで聞いたことがある。
砂漠で雨が降ると、水は吸収されず、一箇所に集まり鉄砲水になるらしい。
最近、砂漠で雨が降ったのだろう。
「じゃあ、俺たちが護衛をしてやろう」
「ありがとうございます!」
フィーホースのスピードが遅いので、風魔法の魔法陣を脚に描いてやる。
それでも、全然スピードが出ない。結局、俺が荷台を牽いて、フィーホースは後ろを走ることになった。
荷台からは、奴隷商や女奴隷たちの絶叫のような悲鳴が聞こえてきたが、聞こえなかったことにした。
森を走っている途中で、車輪の軸からヤバそうな音が聞こえてきたので、その辺の木を切り倒し、魔法陣で強化し、軸を交換した。
工作スキルと魔道具制作スキルがカンストしているおかげで、30分ほどで作業は終わる。
「ナイフ一本でそんなことをすると、ヤバい奴らだと思われるだろ」
ベルサに注意された。
「気にするなよ。どうせ、もう思われてるよ」
荷台の中では、奴隷商も女奴隷たちも床にへばりついて、神に祈りを捧げている。祈りが聞き届けられるといい。
日が沈む前に、フロウラの街に着いた。
「3日はかかる距離のはずなんですが……」
脚がガクガクと震えている奴隷商と商人ギルドに行って、フィーホースの賃貸契約を行った。
今のところ、特に会社の本部や支部があるわけではないので、商人ギルドを通して払ってもらう。
商人ギルドは銀行のようなこともしてくれるので、非常に便利だ。
奴隷商の脚があまりにもガクガク震えているので、職員さんには脅しているのではないかと疑われたが、ベルサが丁寧に説明すると納得していた。
また、月に銀貨5枚は破格だ、と言われた。
あの奴隷商が賃貸契約を解除しても、すぐに貸し出し先は見つかるらしい。奴隷商の店と、俺たちの宿を教え合い、別れた。
宿に帰ると、顔色の悪いメルモが寝ていた。風邪でも引いたのか。
「あ、社長。あのツナギとかいう服を着てみたら、魔力切れを起こしたんです」
メルモは頭を押さえながら、か細い声で喋った。魔糸を使っていたせいで、魔力の伝導率がよく、着ているだけで魔力を消費するらしい。
「おかげで、魔道具制作スキルというのが手に入ったのですが、私はあの服は着られません」
「そうか。ベルサはどうだ?」
同じツナギを着ているベルサに聞いた。
「私はあまり魔力が減った感じはしないな」
「ただいま」
「ただいま帰りました!」
ちょうど、アイルとセスが帰ってきた。2人とも、新しいツナギを着ている。
「おかえり」
2人にも、ツナギの着心地や、魔力切れが起きたか聞いてみる。
「私はなんとも」
「魔力切れ? それどころじゃねぇっす」
2人ともなんともなさそうだ。
「メルモの魔力量が少ないだけかもしれないな。明日から、アイルとセスと一緒に森で狩りをしてくれ。最低でもツナギを着て、なんともないくらいになってもらわないと」
「じゃ、じゃあ、私も魔物を狩るんですか?」
「大丈夫だよ。アイルもいるんだし」
「わ、わかりました! アイルさん、一番魔物の血が飛び散る武器ってなんですかね?」
「そうだなぁ。メイスとかがいいんじゃないか?」
メルモのやる気スイッチが入ったように見えた。
社員全員で食堂に向かう。
机の上には、メルモに頼んでいた肩掛けカバンがあった。
魔力切れを起こしていたのに仕事はしっかりしていたようだ。悪いことをしたな。
しかし、魔力切れを起こすと、顔色が悪くなって頭痛がするのか。
だとしたら、あの女奴隷は……。
「ナオキ! 早く来いよ!」
「社長! 肉! 肉料理が食べたいです!」
「ああ、今行く」
疲れているアイルとセスに急かされながら、俺は部屋の鍵を閉めた。