『遥か彼方の声を聞きながら……3年目』6話「可能性の話」
可能性はいつだって変わる。マフシュに呼ばれたのは、攻撃魔法の授業中だった。
「あれ? どうしたんです?」
「コウジ、どうせやることないでしょ?」
「今、詠唱を学んでいるんですよ」
俺は詠唱による攻撃魔法の効果を分析しているところだった。完全にソフィー先生は俺を別の学生といっしょに教育するという方針を諦めたらしい。
「先生、ちょっとコウジを借りていいですか?」
「構いませんよ」
ソフィー先生はそう言って、防御魔法を多重展開しながら学生の攻撃魔法を受けきっていた。
「じゃ、来い」
「はい」
なぜかマフシュの言葉には逆らえない。
俺は教科書をまとめて、マフシュについていった。
「なにかあったんですか?」
「血止めの薬を作っていて、回復薬と組み合わせたりしていたんだけど、全然うまくいかなくてさ。再生能力を今の薬草からいかに活性化させるかってところに注力していたら、上級の回復薬ができたんだけど、どういうことなのかって今実験しているところなんだ」
「なるほど、難しいことをやってるんですね。俺が必要なんですか?」
「回復薬は作れるだろ?」
「ええ。スキル補正がないんで、それほど強力な回復薬は作れませんよ」
マフシュは俺を見て、「相変わらず、変なやつだな」と言っていた。
「強力な回復薬と普通の回復薬の差はわかるか?」
「純度ですか?」
「そうだ。それの鑑定くらいはできるだろ?」
「ああ、塗り薬なら……。いや、飲み薬は色を付けて誤魔化そうとする奴がいるから」
「この学校にはいないよ。とりあえず、植物園でできた回復薬を見てくれ」
植物園には、薬学の授業を取っている学生たちがいて、大きな机の上に置かれた瓶を見つめていた。
「これですか?」
「ああ、高純度のができたと思ったんだけど、どうも違うというか。皆、薬学系のスキルは取っていて、回復術のスキルを持つものもいるんだけど、これを作ったときはスキルを使ってなかったんだ……」
「マフシュさんが作ったんですか?」
「ああ、野外研修のために、ある程度作っておこうと思ってね。朝方、半分眠りながら作っていたら、なんかできてしまってね。皆を呼んだんだけど、ちょっと理解できないから、コウジを呼んだというわけさ」
「なるほど……。俺がわかると思わないでください」
俺はそう言いつつも、瓶の中身を見た。おそらく高純度の回復薬で、火加減とタイミングが良かったのだろう。
「火加減が良かったということですか?」
「違う」
「タイミングが……」
「全然。でも、この純度なのよ。液状化した時点で、濾しただけ」
マフシュは布に入った繊維を見せてきた。
「それだけ?」
「それだけ。古代人はとんでもない薬草を開発しているわ。長年、薬師はどうやって雑味をとるか、を考えていたけど、ほとんど煮て身を崩す方向で考えていた。だから、薬草自体も柔らかくなっていたのよね。ところが、植物園が壊れて、原種に近い薬草をダンジョンで育ててみたのよ」
「原種は葉が固かった?」
「そう。しかも、この残りカスでも、切り傷、擦り傷には効果がある。我々、薬師は長い間思い違いをしていたのかもしれない」
「で、こっちの純度の高い方が問題だと?」
「ん~……、そうね。回復術師たちの回復魔法を上回る速度で、再生してしまうかもしれない」
「ああ? 量は?」
「小瓶ほどで」
ようやくマフシュが俺を植物園に連れてきた理由がわかった。回復薬作りは素人だけど、回復薬の純度がわかる人間がよかったのだろう。
「先輩、完全にやらかしたんじゃないですか?」
こんな簡単に純度の高い回復薬を作る方法が広まると、回復術師たちの仕事、つまり冒険者で言えばプリーストたちの仕事がなくなる。
「いやぁ、とりあえずちょっとコウジも同じ手順で作ってみて。スキルによる補正もないんだろ?」
「ないです。でも、何度も作ったことはありますよ。世界樹のバイトで必要だったので」
とりあえず、ダンジョン産の薬草を鍋で煮詰めて、身が崩れ始めたところで冷ましながら布で濾していく。
「多少、力はいりますね」
「そうだけど、漉し器があれば……」
「まぁ、そうですね」
絞って雑味がなくなった白濁色の汁を、さらに鍋に入れて熱して、透明になるのを見守る。ここで、普通はかき混ぜるのだが、それも要らないらしい。
十分に鍋の底が見えてきたら、鍋から上げて器に移していく。器は氷魔法で冷したものだ。
透明な純度の高い回復薬が出来上がった。
「できましたね……」
世界樹のメリッサ隊長が、時々「ものすごくいい回復薬ができた!」と言っていた回復薬と、ほぼ同じものに見える。
「学生の冒険者に聞くと、あんまり固い薬草は買い取ってもらえないらしいのよ。柔らかい薬草のほうが高く買い取ってもらえるって」
「手順を変えれば、逆だったと……」
「ん~……。公表したほうがいいかな?」
「たぶん。あと、試してみないことには」
「そうよね。野外研修の間に試せるといいんだけど」
「そうですね……。マフシュ先輩、去年は俺達が蓄魔器を作って、魔道具を普及させて、今年は先輩が回復薬作りの概念を変えるって、この学校、危険視されませんか?」
「それもあるね……。とりあえず、北極大陸の研究者に連絡を取ってもらってもいい?」
「わかりました。すぐに連絡しておきます」
すぐにセイウチさんとドワーフのフェリルさんに連絡を取って、回復薬作りについて確認を取ってもらう。一週間ほどでだいたいわかるらしい。
「マフシュ、私たちがやってきたことって意味ある?」
回復術師の僧侶が、マフシュに聞いていた。
「んー……」
「それは確実にあります」
俺が代わりに答えた。
「ここまで純度が高い回復薬だと、再生が早すぎて筋肉と骨が癒着するようなことがあるんですよ。でも、ちゃんと人体について知っている人がいると、筋肉の動き方もわかるし、部分的な回復やリハビリができるんですよね。これ、筋肉と骨ならいいんですけど、神経にも影響しますから、痛みが何年も取れないなんてこともあります。回復術師の仕事がなくなるようなことはありません」
「そう……、ならいいんだけど……」
自分で説明したが、正直、混乱はすると思う。即効性のある回復薬があれば、回復術師の需要は減る。人体についての知識があれば、回復術師じゃなくてもいい。むしろ、そこでどうやって仕事に結びつけるかに、回復術師たちの未来がかかっている。
「とりあえず、回復薬を作りながら、北極大陸の返事を待つわ。野外研修には持って行く」
「わかりました」
俺は植物園を出て、頭の中を整理したくて空を見上げた。
なんだ、この学校は? 振り向けば天才がいて、これまでの常識を覆していくのか。
だいたい人類の勇者を輩出しているのだから、十分だろう。
しかも、なんか首がへし折れている鳥まで飛んでいるよ。あれ? こっちに向かってくるな。
「ミストか」
死んだ鳥が俺の手のひらの中に収まり、くちばしを開いた。中にはメモ書きが入っていて、『ドーゴエの工房』とだけ書かれていた。
無視をすれば、大量の死んだ鳥が俺のもとに集まってきてしまうかもしれない。
厄介な友達を持ったものだ。
そのまま、煙が立ち上るドーゴエの工房へと向かった。
「ミスト、いますか?」
「あ、コウジ、よかった。ちょっと私だけでは判断がつかないから、ドーゴエ先輩の話を聞いて」
「ええ? また、俺は説明するのか?」
ドーゴエは面倒くさそうに、炉の火を消していた。
できたばかりの工房ではゴーレムたちが、革を鞣したり、鉄の胸当てを作ったり、動いていた。工房の外にもゴーレムがいて、作業をしているようだ。
「悪いけど、昼飯を食べながらでいいか?」
そう言いながら、ドーゴエはスープに付けたパンを食べている。
「ええ、別に構いませんが、どうしたんです?」
「このゴーレムたちは、俺の生まれ故郷で作られたんだ。しかも、たぶん、それぞれが職人たちの霊魂が入っていてな。俺が使役している形になっているが、むしろ幼かった俺を育ててくれたようなゴーレムたちだ」
「そうなの?」
俺はミストに確認を取った。
「それは、たぶん間違いない。声を聞く限りね」
「でも、俺には声が聞こえないからな。できれば声帯の機能を取り付けて、言葉を持たせてやりたい。いや、もう、持っているのかな。そこら辺を死霊術師のミストに聞いていたんだ」
「ここにいるゴーレムたちは違う声を持っているし、ドーゴエ先輩に対する気持ちも違うと思うし、言葉を扱えるようになったら、より連携は取りやすくなるでしょ? でも、そうなると……」
「魔物じゃなくて魔族になるってことか! 自立して、ドーゴエさんから離れる事もできると……。生まれ直すみたいなものか? え? いいの!?」
「それなのよ! 倫理的にいいの?」
「いいだろ? 別に。俺とこいつらとの関係は変わらないよ」
「本当ですか?」
「何年、一緒にいると思っているんだ?」
「使役スキルが隷属スキルに変わるかもしれませんよ」
「ああ、そうか……。いや、変わらんだろ?」
ちょっとあやしいか。
「言葉って、魔法でも詠唱はありますが、死霊術でも結構重要で、体に霊魂を結びつけることになるんですよね。そこで自分が思っている体との違いで、分裂するようなことがあるかもしれないんです」
「でも、うちのゴーレムたちは10年以上同じ身体だぜ。慣れないってことはないと思うぞ」
「言葉を持つってことは、自分で思考できるようになるってことだから、今までドーゴエさんに委ねていた判断を自分で下すようになるから、個性が増すし、悩みも出てくるんじゃないですかね?」
「現世での生活を止めると言い出すゴーレムも出てくるかもしれませんよ。そもそも現時点で、ドーゴエさんの成長を見守るためにゴーレムになっているという方もいらっしゃいますから、卒業したらもう……」
「いや、え? ちょっと待ってくれよ。そんなこともあるのかよ……」
ドーゴエはパンを口に詰め込んでスープで流し込んでいた。
「俺は卒業したらこいつらとゴーレムの傭兵団を作ろうとしているんだ。コムロカンパニーが故郷を復興させてくれたから、そこを拠点にすればいいって思っていたんだけど、俺が卒業すると、昇天しちゃう奴がいるのか?」
「可能性としてあるという話です。そもそもどうして現世に繋ぎ止められているかわからないじゃないですか。それを今、言語化してしまっていいんですか?」
「揺らいでいないとゴーレムのままでいられないという事か?」
「いや、ゴーレムとして自立すると、揺らいでいたいろんな思いが言語化して、ドーゴエさんから離れるかもしれませんよ、という話です」
ミストがそう言うと、ドーゴエは少し考えて頷いていた。
「それは別に構わない。自分たちの人生を全うしようとしているということだよな? 俺から離れて魔族の国に行くのも手伝いたいくらいだ。そうじゃなくて、俺から離れると個性も失われるようなら、ちょっとな……。でも、少なくともミストならできなくはないのか?」
「ゴーレムと霊魂の結びつきを強化するのは問題ありませんよ。現時点でも結びついていますから」
「ちゃんと魔族に生まれ直すようなこともできるということだろ?」
「一度では無理かもしれませんけどね。もちろん、自己同一性が保てなくて、霊魂が壊れる可能性もあります。人間としての記憶が強いとそうなると言われているんですけど、自分もやったことがないから……。でも、コウジの両親は?」
「え? 俺の両親!? ああ! 聞いてみようか?」
親父はホムンクルスという魔物の身体でできているはずだ。俺って半分魔物なのかな。
親父に連絡を取ってみたら、『お前ら、相変わらずおもしろいことをやっているな』と言われた。
『神々と敵対することになるかもしれないから、いろいろと対策は打っておけよ』
「そうなの!?」
『そうだ。命を扱うということはそういうことさ。でも、すでに魔族ではあるんだよな? だったら、死霊術を使わなくても、そのまま声帯の機能を取り付けて、試してみたほうがいいと思うぞ。きっとドーゴエくんもゴーレムたちも納得できる形になるんじゃないか。俺達は完全に病気だったからどうしようもなかったけど、可能性のあることは片っ端からやっていったほうがいい』
「ああ、そうかもね」
親父の言っていることを伝えると、ドーゴエもミストも納得していた。
「やっぱり本当に生まれ直している人の話って、説得力が違うな。可能性が全部潰れてから死霊術師を呼ぶべきだった」
「確かに。神々に敵対するって言われるまで、気づかなかったわ」
ミストも死霊術師として、ちょっと別の視点を与えられたと言っていた。
「ドーゴエさんだけの将来でもないから、あんまり籠もって話さないで、外で個別に話してみても変わるかもしれませんよ」
「それはそうだな。野外研修で話し合ってみる。悪いな。助かった」
いつも皮肉屋の先輩は、このときばかりは素直だった。
可能性は人類としての可能性もあれば、個人的な可能性もある。
「どこまで広げるかで違ってくるのかな?」
深夜、ラジオでグイルに聞いてみた。何を話してもいい雑談ラジオだ。
「本人たちも広げているわけではないかもしれないぞ。俺だって、駅伝に出るなんて思っても見なかったし。そもそも駅伝だって突然決まっただろ?」
「そうだな。可能性は急に方向転換するものなのか」
「でも、コウジはその中でもかなり可能性を実現する能力が高いだろ?」
「いや、実現しそうだから可能性っていうんだろ? 実現しないのはただの妄想だ」
「その妄想が、急に現実と繋がると可能性っていうんじゃないか」
「ああ、そうかもな。じゃあ、妄想を鍛えておけばいいってこと?」
「いや、そんなわけ……、なくもないか。コウジの言っていることはほとんど夢物語に聞こえる時があるけど、去年北極大陸に行ったときに、本当だったのかって思ったもんな。だからダンジョンに躊躇なく入れたんだと思う。そう考えると、現実を受け入れるのには妄想は必要かもしれない。コウジは人類の勇者になったりする妄想はしているか?」
「いや、したことはあるけど、必ず途中で止めてる。実現可能かどうかじゃなくて、あんな大変な役回りはしたくないと思って。セーラさんは本当にすごいよ。俺はああいうのは無理だ」
「そうなのか? 傍から見ていると結構、良いところまで行けそうだと思うけど」
「冒険者ってすげぇんだぜ。人生かけてやっているんだから。俺なんかじゃ無理だろ」
「駅伝まで開催しておいて」
「あれは借りを返してもらったり、いろいろあってできたことだ。そもそも蓄魔器を開発してなかったら、妄想もしていなかったことだ」
「現実は突然、妄想を突きつけるってことか?」
「そうだろうな。だから、グイルが唐突に魔法使いになったりしたら面白いだろ?」
「いや、ならないだろう」
「わからないぞ。それは冗談にしても、何になったら面白いかくらいは考えていたほうが、そっちに傾いていくんじゃないかな。自分の持っているものの組み合わせ次第で、意外な可能性のルートが見つかるかもしれないから。駅伝は薄氷の上を歩くような感覚で手繰り寄せたんだから」
「妄想を逆算して可能性をひとつずつ達成していけば、夢が叶うってわけだな」
「そういうことだ。だから、友達の変な妄想でも付き合ってみると面白いぞ。きっと」
「それはそう。駅伝とかわけわからなかったからな」
ツッコミ役のいないバカ話は続き、夜が更けていく。
翌朝、竜のリュージとともに南部へワイバーンを狩りに行き、空を飛んでいると、遠くの空に竜の乗合馬車が見えた。どうやら世界の経済界から要人が来ているらしい。
「そろそろ経済会議が始まるんだな」
「こっちは野外研修だろ? 準備はしているのか?」
リュージは手にワイバーンを二体抱えて飛んでいる。
「それほどしていない。野宿は得意だし」
「世界樹と違って物資がないかもしれないぞ」
「でも、大丈夫だろう。森があればなんとかなるさ。山だってあるんだし」
「参加したがっている大人たちはどうするんだ?」
「知らん。野外研修だから、面倒は見ないよ。皆、それぞれお金から離れて自分たちで問題を解決していこうっていうことだからね」
「強い者が栄えるということか?」
「そこはわからないよ。信用と強さが比例するのかどうか……。弱いけど死なないことのほうが信用されるかもしれないだろ?」
「コウジは相変わらず、変なことを言うね」
「可能性だよ。可能性。余人を持って代えがたいって言われるって、どういう人なんだろうとかさ。人間の生活を知るにはいい企画だと思うぜ」
「確かに。エリザベスさんに弁当を作ってもらおう」
「怠けるなよ。弁当くらい自分で作れ」
「むぅ……。教えてもらうか」
竜は意外と慎重だ。
空は風が強く、竜とともに乗合馬車を運んでいく。




