『遥か彼方の声を聞きながら……3年目』1話「それぞれの価値観」
街の通りには春の風が吹いていた。アリスフェイ王国の王都・アリスポートは、例年よりも賑わっていた。
新年から国別対抗の駅伝があり、終わってから数日しか経っていないこともあるが、駅伝で実力を見せた選手たちが、総合学院の学生だったこともあり、入学試験を受けに来る人々で宿は満室だという。
そんな中、うちの家族はラジオショップの二階で雑魚寝をしていた。母さんは駅伝が終わった直後から、親父は昨晩、傭兵の国から魚の干物をお土産にやってきた。
「おはよう。いいのか? 大事なラジオショップだろ?」
親父は裏の井戸で顔を洗ってから、聞いてきた。
「二階と三階は物置だから、ゲストルーム代わりに使ってもいいんだ。ちょうど蓄魔器も全部送ったから、空っぽだし、ラジオ局の皆も許可してくれたからね」
グイルは駅伝に出場した疲労で寝込んでいたが、実家から祖父母が来て眠っているグイルに向かって回復薬をぶっかけ、そのまま担いで持っていかれてしまった。里帰りも大変そうだ。
ミストは、駅伝が終わってすぐに死者の国へと里帰りをしていたが、北極大陸の基地で足を切ったアグリッパの治療を手伝っているらしい。ポチことオルトロスの飼い犬が、主人から離れないから苦労していると手紙に書いてあった。
ウインクは駅伝で酷使した喉を癒やすために、メルモさんから治療を受けているという。喋ってはいけないと言われているのに、深夜に通信袋で連絡が来る。
「それにしても賑わっているわね」
母さんは、以前世話をしたジルから今朝貰った花を、窓辺の花瓶に生けて、ジルが流しているラジオを聞いていた。外はまだ朝の混雑が終わっていない。
朝食は親父の鞄から出てきたアンチョビサンドイッチだ。べらぼうに美味い。
「コウジ、そろそろ方向性は決まったか?」
「なんの? 人生?」
「人生」
唐突に親父が聞いてきた。
「方向性って言われてもな。なんか、こんな感じでだらだらやっていけないかと考えているけど、ダメかな」
「もうちょっとなんかやった方がいいわ。母さんが驚いていること言っていい?」
「いいよ」
「あの……、なんか体育祭で優勝したとか、ラジオが好きだからラジオ局を作るってことまでは、私も予想できていたわけ。そうなってくれたらいいな、くらいの希望ね。でも、蓄魔器を作って、駅伝を主催した上に、邪神まで呼び出すのは、もう母さんの予想を超えているのね」
「まぁ、でも、それは流れ的にそうなっただけだよ。それにコムロカンパニーが協力してくれたから出来たことだし、今後、そんな事は起きないはずだよ」
「でも、蛙の子は蛙ってことが、全世界に知れ渡ったわけでしょ?」
親が奇人であれば、子も奇人だということか。
「そう? まぁ、でも俺が駅伝の選手なわけじゃないからバレてないんじゃない?」
「いや、流石にバレてるな。というか、総合学院ではそれなりに優秀なんだろ?」
「勉強はそんなにできないよ。グイルってルームメイトの方が頭はいいし、身体がちょっと動くラジオ局長ぐらいじゃないかな」
「そんなはずはないわ。マルケスさんとソニアさんが、コウジを他の学生と比較してはいけないって言ってたわよ」
「ええ? それはダンジョン学の助手をしているからじゃない? 別に俺はラジオぐらいしかやってないよ」
「ああ、やっぱり本人はそうとしか思わないんだよな。俺も魔物の駆除しかしてないって思っていた時期があるけど、自分の本意ではないことでめちゃくちゃ頼られているんだぞ」
「そうなの?」
あまり思いつかないが、ラックス先輩の修行には付き合ったし、ウインクがやった食事会は手伝った。案外そういうことが重要だってことなのか。
「知らず知らずのうちに誰かのためになるようなことをしていない?」
「しているつもりはないけどね。でも、まぁ面白そうだったら手伝うんじゃないかな」
「断る勇気も大事だ。大変な目に遭うから……」
親父はお茶を飲みながら、遠くを見ていた。
「大変ついでに聞いておくけど、ナオキさん、なんかダンジョンの村を作るってどういうこと?」
母さんが親父を詰めながら聞いていた。
「いや、だから一番効率よく邪神の魔石を消費しようと思ってね。あ、アイルは駆け込み寺の近くに作っているはずだよ」
「そうなの? 国から補助金出してもらってる?」
「出してくれるところと、出してくれないところがあるさ。いろいろ制度があるから。でも基本的にはうちの業務ってことになってる」
「わかった。パレードの皆には連絡しておく」
「頼むよ」
「ラジオショップの二階でそんな世界規模のことを言うなよ」
俺は両親に茶を入れながら言った。
「おい、コウジ。今年はアリスポートで世界経済会議もあるし、人類勇者選抜大会もあるんだから、世界規模のことが起こるぞ」
「だいたい、去年はエルフの動乱があって参加している上に、国際駅伝まで開催したんだから、すでにコウジは世界規模なのよ」
「そうだ。蓄魔器を開発した歴史上の人物でもある」
「いやぁ……。ちなみに、それってなんか意味あるのかな?」
世界的奇人である親父に聞いてみた。
「注目はされる。手のひら返しはされまくる」
「辛いな。それは……」
「だから、もうコウジは自分のやりたいことをやったほうがいいぞ。他人は自分の人生を歩んでいるわけでもないから適当なことばかり言うと思っていたほうがいい」
「そうだね」
自分としても、なにか普通の人生というレールからは外れてしまっているような気がしていた。だとしたら、もう少し自分の興味の赴くままに進んでみようと思う。
カラン。
ラジオショップに誰か来たらしい。
「いらっしゃい」
俺は二階から下りていった。
「あけましておめでとう」
ゲンズブールさん夫婦が揃ってやってきた。
「おめでとうございます。どうしました?」
「ああ、休んでいるところ申し訳ないんだけど、蓄魔器の工場の件での話し合いだ。もう出荷したんだろ?」
「そうですね。販売権と一緒に持っていってもらいました」
おそらく、今後俺たちが蓄魔器を作ることはなくなった。駅伝が終わり、俺たちラジオ局は部門を分割。蓄魔器製造企業として起業し、製造から流通まで、魔族領の工場に買収されることも発表してある。
魔族領が駅伝で優勝してくれたこともあり、それほど批判は起こらなかった。
買収額は、人生10回生きても問題なく暮らせる額らしい。見たこともないので、現実感はない。
さらに蓄魔器の販売額の8パーセントがラジオ局に入ってくることになっている。
買収で得られた資金の多くは、総合学院に寄付という形になり、マフシュとレビィには人生1回分の資金を小切手で渡し、鍛冶師連合にもまとめて払ってある。マジコにも渡そうとしたら、要らないと拒否された。
魔族領に買収されたのに自分が貰うと反感を買いそうだと言っていたが、そもそも優勝賞金が大統領からも出ているので、お金には困っていないようだ。
それでも、余った金貨400枚ほど。それがラジオ局の運営資金となるが、ほぼ人件費として、4人で月々分けていくことになる。
「おう。ゲンズブールくんか」
「いらっしゃい。あけましておめでとう」
親父と母さんが下りてきて、挨拶をしていた。ゲンズブールさん夫婦は緊張しているようだが、お茶を淹れてどうにか和ませておいた。
「この契約書が、そんなにお金を生むとは……」
ただの紙切れなのにと思うが、そもそもアイディア料や蓄魔器を世界に認知させたこと使い勝手の良さなども含まれていると考えると、かなり安いのだという。
「わかっているとは思うけど、これは別にコウジたちが卒業しても、変わらずに続いていく契約だからな」
「はい」
売上の8パーセントを4人で分けることになる。いくらになるのかすらわからないが、ゲンズブールさんと親父の言うことを総合すると、俺たちは生涯働かなくていいらしい。
「ちょっとどういうことなのか実感は湧きませんが、特に社会に媚びることなく生きていっていいということですかね?」
「そういうことだ」
「でも、あんまり嫌いじゃないですけどね。何も狩っていないのに料理が出てくるところとか、風呂があるとか」
「コウジの幸せはハードルが低いからな。まぁ、ラジオを通して広げていってくれ。まぁ、はっきり言うとここからだぜ。自分の人生は」
ゲンズブールさんに言われ、納得してしまった。おそらくゲンズブールさんは、人生でもかなり早い段階で、稼ぐコツを見つけてしまったのだろう。そういう人にとっては、都会で生きていくのがつまらなかったのではないか。多くの人がお金を儲けようとしている中、なぜ稼がないのかわからないでいたのかもしれない。
お金は使い方に、パーソナリティが出てしまう。
これから俺は、どうやってお金を使っていくのか。なにに価値を置いて生きているのか、試されているような気がした。
「じゃ、また世界経済会議で来るから、顔を見せるよ」
「わかりました。また」
ゲンズブールさん夫婦は契約書を持って、帰っていった。
「若いのにしっかりしているわ」
母さんは褒めていた。
「ああいう天才がいるから面白いよな」
「親父と母さんはなににお金を使っているの? あんまり使っているのを見たことがないけど」
「店で使ってるじゃない。お茶屋は経理が大変なのよ。従業員に給料払わないといけないし、お茶だってタダってわけにもいかないでしょ?」
「確かに、親父は?」
「俺も、仕事道具かな。軍手や袋はどうしたって消耗するからね」
「でも、そんなに使ってないでしょ? そもそもナオキさんはそんなに貰ってないのよ」
「え? なんで?」
「いや、貰ってないことはないよ。必要なときは現地で集めることが多いかな」
「家は?」
「あれは自分で建てた」
「魔道具は自分で作ってる?」
「そうだな」
「武器や防具にお金使ったことある?」
「それは……、ないかもしれない。船は買ったことがあるような気がするけど、あれは会社の経費だったかな」
「お金、使ってないんじゃない? 財布袋の中身は?」
親父の財布袋を逆さにすると銅貨が3枚入っているだけだった。
「大人なのに大丈夫か?」
「屋台の串焼きが食べられるね。あとは魔石とか換金すれば、風呂には入れるし、なんとかなるもんなんだよ。コウジだって、総合学院に入るまでそんなになかったろ?」
「うん。バイト代とか、すごい貯まっていた」
「もうちょっとお金について考えて生きてくれる? 二人とも」
「「はい」」
もしかしたら住んでいる場所によってお金の比重は変わってくるのではないか。世界樹にいすぎてお金を使う機会もなかったが、都会に来るとお金を目にする機会が多い。それだけ生活に密着しているということだ。
駆け込み寺を作ったり、パレードを開催する母さんにとって、俺たち親子は金銭感覚はだいぶ狂っているように見えるだろう。
「俺も前はそんなことはなかったんだよ。ちゃんと報酬は受け取らないといけないって思っていたし、実際うちの社員たちは皆、優秀だろ? どこかのタイミングで多いとか少ないとかじゃなくなったんだよな。必要な時に必要な分だけあればいいと思うようになった。そこまで思えるようになるまでは、お金はあるに越したことはないからちゃんと貰っておけ」
「わかった。ラジオの機材はほしいからな」
「その機材に価値があるからだろ?」
「そう。俺にとっては、価値がある。価値かぁ……」
春休みの間に随分な難題を出された気がした。
両親は入学式の前日までいた。
「ゆっくり出来たならいいけど」
「ん? うん。アリスポートが美味い物だらけになっていないか?」
「そうかもしれない」
「お土産たくさん買って帰るわ」
竜の駅まで送っていって、夏休みに会う約束をした。
「結論は急ぐ必要はないからな」
「学生なんだから、大いに楽しみなさい」
「わかってる」
俺は竜の先輩に両親を頼むと声をかけて、ラジオショップに戻った。
夕飯の串焼きとサンドイッチを広場の屋台で買い込み、ラジオショップの前に行くと、荷物を背負ったグイルが立って、ラジオショップを見上げていた。
なにか思い悩んでいるのか。全然、入ろうとしない。
「どうした? 入らないのか?」
「お、コウジ! 家族水入らずじゃなかったのか?」
「今、送っていったところ。学校始まるまで、ラジオショップを使っていいよな?」
「もちろんだ。入っていいか?」
「ラジオ局員だろ? いいに決まってるんじゃないか」
「そうか」
なんだか余所余所しい。
とりあえず、中に入ってお茶を飲む。ずっとお茶を飲んでいるような気がする。
「ケガは治ったか?」
「んー、ケガは大丈夫だ。それより……、駅伝の報奨金を持って帰ったら大変なことになってさ」
駅伝の選手になったことで国から多少の報奨金が出たらしい。
「少なかったか?」
「いや、物も売ってないのに、こんなに出るってことは冒険者になったほうがいいんじゃないかって親父が言うんだよ。そんなわけはないってさんざん説明したんだけどさ。とにかく村の皆も駅伝は聞いていたから、俺の活躍も聞いていたらしいんだ。で、どうも家の家族は駅伝選手の店として商売をしていたらしく……」
「実際、そうなんだからいいんじゃないか」
「いいんだけどさ。蓄魔器の会社を売った話とか、蓄魔器が売れたらどれくらい俺に入ってくるか、とか家族に言えなかったんだよな。駅伝の選手になったぐらいで、あれだけ大騒ぎになったことを考えると、びっくりしすぎて死んじゃうんじゃないかと思ったんだよね」
「でも、いつか言わないといけないんじゃないか?」
「そうなんだけど……、俺を迎えに来たジジイとババアはウインク見て、腰抜かしたみたいで、とんでもない美人のルームメイトがいるって言いふらしたりしていてさ。困ってるんだよ」
「そんな驚くようなことか? GG商会って言ったら、勇者一行のグーシュさんの実家でもあるわけだろ?」
「あそこの本家とは、分家も分家だから実は遠い親戚だったんだ。名前だけ借りてるような状態でさ。いやぁ、どうしたらいいかな?」
「死なないように正直に伝えるしか……。ラジオでやるか。直接、両親にこれくらい貰えるんで、俺、もう大丈夫です、みたいな」
「いや、別に縁を切りたいわけじゃないんだよ」
「ああ、そうか。でも、商人としては独立できるだろ? そもそも北極大陸とのルートも確保してるんだからさ」
「それはそうか……。あれは、でもほとんど利益は取れてないというか……。ミストの実家から金は取れないだろ?」
「でも、商売だから、生きていく分は貰ったほうがいいんじゃないか」
「それは貰っているよ。それで学費も払えているし。それとは別にラジオ局員としての副収入が増えているじゃないか」
「確かに。この前、ゲンズブールさんが来て、契約書を結んだんだ。魔族領に工場ができているって言うし、蓄魔器の販売権も売ったし、結構な額が入ってきているよ」
「そうだよなぁ。どうしよ?」
グイルは今日一おかしな顔で困っていた。
「まるまるラジオの企画にしてもいいけどな。でも、正直なところどうなんだ? 前に北極大陸の基地に行った時に、セイウチさんからグイルは『金より稼ぐ方法の方が興味ある顔をしている』って言われてなかった?」
「ああ! あったな! そうかも! どうやってお金の流れができるのかってことのほうが興味あるなぁ……。だから、今の実家のお金の流れが気持ち悪く感じているのかもしれない」
「自分の実績を勝手に使われたような感覚?」
「いや、別になにを使ってもいいんだけど……、俺自身が別に総合学院では大したことをやっていないだろ? ラジオ局員だってぐらいじゃないか?」
「でも、駅伝でアグリッパさんをぶん殴ってたぞ」
「あれは、ぶん殴るだろ? 足を切ってんじゃねぇよって……。え?」
「間違ってないんだけど、アグリッパさんを殴れる人はそんなにいないんじゃない?」
「そうかな……。あの時は殴り返されてもいいなって思ってたけどね」
カラン。
「「いらっしゃい。あ……」」
「ただいま」
入口にミストが大荷物を抱えて立っていた。
「「おかえり」」
「コウジ、両親はもういないの?」
「いないよ。さっき帰った」
「じゃあ、学校が始まるまで泊めてね」
「もちろん、いいけど家出してきたの?」
「近いね。駅伝の選手たちが、私がどれくらい総合学院ですごい位置にいるのかみたいな話をし始めちゃってさ。すごくないって言っているのに、蓄魔器の開発でどれくらい貰えるのかとか根掘り葉掘り聞いてきて、別にどうせバレるから全部話したのよ。霊だってみてるしね。そしたら、結構なことになっちゃって……。国から勲章を与えるっていうから逃げてきちゃったのよ。名誉を重んじるお国柄ではあるんだけど、ラジオのバカ話は聞いているわけじゃない? 実家なのに居心地が悪いのよね」
「グイルはお金で、ミストは名誉か……」
「なに? グイルも悩んでいるの?」
「国からの報奨金見せたら、実家が大騒ぎになっちゃってさぁ……」
「大人って、なんであんなにお金とか名誉で慌てちゃうの? あんな基準だったら、コウジなんて毎日偉業達成しているって説明したら、黙ってたよ」
カラン。
「おいーっす!」
ウインクが普通にラジオショップに入ってきた。
「ウインクはなんか言われた? 裁縫島で」
「え? なにが? 別に。駅伝の実況頑張ってたねって。だいたいメルモさんが審査員をやってたし」
「いや、蓄魔器の会社を売ったり、割合については話さなかった?」
「ああ、話さなかった。メルモさんに言わなくていいって言われてる。独立資金で貯めておけって。だいたい金貨とかを持って帰っているわけではないから、稼いだつもりもないけど」
「ウインクは独立するのか?」
「どうしようかとは思ってる。服屋、靴屋、リネン……、ラジオショップ2号店、なにをやってもいいけど定まらないんだよね。船を買うかな?」
「いいんじゃない?」
「止めてよ。ええ? とりあえず学生をやれているうちは迷わせてよ」
「「あ、その通り!」」
グイルとミストが同時に声を上げた。
「勝手に俺の将来に期待し過ぎなんだよな」
「そうそう。肩書が邪魔になるって、ベルサさんの言っていることがよくわかったわ」
「じゃあ、とりあえず、それ全部ラジオの企画にしちゃおうか」
そんな感じで、アリスポート総合学院ラジオ局の3年目が始まった。