『遥か彼方の声を聞きながら……、2年目』57話「コムロと邪神」
邪神がセーラさんの身体を乗っ取り、好き勝手に暴れている。
精霊は力そのもの。神と邪神は、崇拝と拒絶から生まれ出た者と教えられてきた。
そして戦う対象ではないとも。
「力でどうにかできるなら、すでにアイルさんがやっているさ」
親父が呼んだセスさんが言っていた。
実際、アイルさんは笑いながら、大きな光の剣を振り回している。光の精霊が放った魔法よりも威力があるような気がした。あれで準備運動だとか。
「ここから先はコムロカンパニーの領域よ。私たちは下がって見守りましょう」
ウタさんが俺を呼び、俺は言われるがまま親父たちから距離を取った。勇者一行のドヴァンさんやグーシュさんも遠くから心配そうにセーラさんを見ていた。
『ほんじゃ、まぁ、やりますか』
唐突にラジオから親父の声が聞こえてきた。ポケットにマイクと一緒に通信袋が入っている。親父はなぜか俺に声を聞かせようとしたのか。邪神への対応を見せるために?
いや、そんな気が利く親ではない。偶然だとしたら、神の遊び心か。
わからない。わからない時はそのままにしておこう。アンテナの風船が落石にも当たらずにゆらゆらと揺れている。
俺たちが離れてからすぐに、大きな綿毛が無数に空へと飛んでいった。ベルサさんが落石を受け止めようとしているらしい。コムロカンパニーは火山にも対応していたのか。
『おーい! セーラぁ! ああ、今は邪神か。まぁ、どっちでもいいか。おめぇ、なぁにやってんだぁ?』
腑抜けた親父の声が聞こえてくる。怯えることもなく敵意もなく、友人に話しかけるような腹にも力が入っていない声音だった。
『んん!? コムロじゃないか? 駅伝を破壊しているところなんだが、いなくなっちまったぞ? 終わりか?』
『なんだ? 遊び足りないのか?』
『もっと面白い方がいいだろう? 制限をかけてないか? ルールなんてなくていいんだからな!? もっと膨らんだり、ぬるぬるした方がいいと思うんだ』
『バカだなぁ。ルールがあった方が面白いだろ? だいたい、駅伝を壊したところで、邪神が面白くなるような展開は望めないぞ。邪神の仕業だってわかってるんだからな』
『なにぃ!? コムロよ。もっとわけのわからんことをしてくれ。つまらんぞ』
『ラジオが面白いだろ?』
『あれは、いいぞ。教会のことをクソミソにこき下ろして、神なんていないだろって言ってたやつ出てきた時は腹抱えて笑ったよ。あれをもっとやれよ。あと国同士でもちゃんと対決しないとダメだ。もっと絶望と虚栄心と愛憎が入り混じる戦いを見せてくれよ。エルフのあの爺どもはなんだ? 元気がないったらないぞ。疲れて正気に戻ってんじゃねぇ!』
『土の悪魔にでも言ってやれよ』
『あいつ新しい技術にちょっとついて行けてないからよ。この嬢ちゃんにちょっと教えさせてくれないか』
『わかった。わかったから、ちょっとこの噴火止めてくれないか?』
『止め方は知らんのだ。剣のあいつに切ってもらえ。はぁ~あ……』
『もう行くのか?』
『バレちまったからな。次はもっと面白く召喚しろ』
『召喚しなくたって来るくせに』
『コムロ、バラすな。ラジオの向こうで誰が召喚したのか疑惑を持った方が面白いだろう?』
『ラジオ? ああ! やべぇ。まぁ、いいか。皆、邪神や神にあっても戦おうとするなよ』
ようやく親父が気づいて俺の方を振り返った。
その瞬間、セーラさんが親父に飛び掛かっていた。
『親父!』
親父は見もせずに、何の躊躇もなくセーラさんの肩を掴んで、勢いを殺していた。
『おい、セーラよ。迷いすぎちゃいねぇか?』
『あれ? 私、今何をしました?』
『俺の首を捻転させようとしたかな』
『わっ、なんてことを……。急に黒い靄がかかったように、視界が見えなくなって……』
『邪神に足元をすくわれたんだ』
『うそぉ。迷ってましたかね? 私?』
『迷ってたから狙われたんだろ』
『何をすれば……。強くもなれないし、内戦が起こっても救えないし、勇者、勇者と言われてやってきたけど、全然上手くいかないですよ。はぁ、辞めていいですかね?』
『おい。俺の元奴隷なのに、まだわからないのか?』
『え? なんです?』
『辞めたい時が辞め時だ。誰かに言われて辞める前に、自分で決めろ。それを世界中の人が認めるだけだ。簡単だろ?』
『わかりました。好きに生きます! 今年一年、世界の謎を探します。あれ? これって放送されてる?』
『ああ、ラジオで放送されてるよ』
『あ、じゃあ……。すみませんでした! 駅伝審査員セーラ、邪神に身体を乗っ取られ、火山を噴火させてしまいました! 責任を取りまして、勇者引退したいと思います! つきまして、今年一年、世界中の謎を探し、来年『人類勇者選抜大会』を行います! あの、今は駅伝の方をどうにか再開させたいと思うんですけど、これ、誰か止められませんかぁ!?』
ズパンッ!
噴煙が斬れた。
冬だというのにビキニアーマーを着たアイルさんがくるりと回って、自分の箒に着地しているのが見えた。
切り口に当たった煙は、不思議なことに逆流を始め火口へ向かって滝のように落ちていく。
「噴火が、逆流してます……。目を疑うような光景ですが、事実のみを、お届けしています」
俺は思わずポケットからマイクを取り出して実況していた。
ただ、火口から流れ出たマグマが東の海へと流れていった。
西の湖の方にも落石が未だ続いているようだが、住民の避難は終わっていて、駅伝の選手たちも避難済み。
分厚い雲の切れ間から西日が射しこんでいる。
「えーっと、駅伝審査員の方々は状況確認をお願いいたします。雷雨や雹にご注意ください。邪神が去ったとはいえ、まだまだ天候は荒れそうです。選手の皆さまは、申し訳ありませんが避難先にて住民の皆様と共に今しばらくお待ちください。ジル、こちらからは以上です」
俺の言葉で、ラジオは学校からの放送へと切り替わった。
ゆっくり地上に降りていって、一息ついた。
「おつかれ。相変わらず、ナオキが一番イカれてる」
アイルさんが飛んできて、開口一番、そう言った。
「いやいや、噴火を切っちゃう方がおかしいですよ」
「邪神の前で、震えもせず、魔力も使わず、なにも戦略もなく、いられるか? 異常だ。セーラも、魔力切れも起こさず、よくあれだけ喋れたよ。レベルかスキルを失っている。邪神が全部持って行ったからな」
「そうなんですか!?」
親父が気を失っているセーラさんを担いで、ドヴァンさんたちのもとへ降りていくのが見えた。
勇者一行は随分気落ちしているようだが、親父は笑っている。
「大丈夫。俺も一回レベルがなくなったから。また、レベルは上げればいい。悪いけど、セーラの支えになってやってくれ」
「わかりました」
ドヴァンさんは泣きそうな顔でセーラさんを抱えていた。
「勇者の正念場か。いい時期だからね。仕方がない」
いつの間にかベルサさんが後ろに立っていた。
出来れば駅伝の選手たちを見に行ってほしいんだけど……。言っても聞いてはくれなそうだ。
「コウジ、お前の親父に何とか言ってやれ。ラジオで邪神の声を広めたかと思ったら、対処法まで喋ってさ。なにも悪びれてない。頭おかしいんじゃないか」
「え? どういうことですか?」
「ラジオを聞いている全人類に邪神が呪いをかけている最中にあっさりバラして解呪していたんだ。しかもなんの魔法も使わずにな。やっぱり奇人だ」
俺は遠くからしか見てなかったが、実は近くではいろいろと起こっていたらしい。大人の世界はさっぱりわからん。
「だいたい、あんなはっきり邪神の声なんか聞こえないんだ。いつもだったらな」
アイルさんも今回の邪神の登場には驚いているらしい。
「気を付けろとは言われていたから覚悟はしてたんだけどな。まぁ、でも、ちゃんと現れるもんだね」
「約束は守る方だって本人たちは言うけど、教典を読むと全く守らないから嘘だった方がよかったよ」
アイルさんもベルサさんも、喋りながら穴を掘り始めた。
「何をやってるんですか?」
「は? ああ、風呂を作ってるんだ。どうせ災害の後は必要になるからね。心配しなくても避難先は大丈夫だよ」
「竜たちが手はずを整えていたから、花を持たせてあげて。最近、いまいち威厳がないから」
そんな会話の最中も徐々に穴が広がっていく。
「おつかれ。セスとメルモから連絡があって、全員無事だってよ。この分じゃ、夜明けとともに駅伝の再スタートでいいんじゃないか?」
親父が普通に歩いてきて、報告してくれた。
「いいの?」
「駅伝管理委員長だろ?」
俺が決めていいのか。
「じゃあ、明日の夜明けとともに、その場から再スタートで」
「ラジオが聞こえる範囲って狭く出来ないのか?」
「ああ、広げるのは難しいけど狭くするのはできるよ」
「じゃあ、選手たちに通達を出してやればいいんじゃないか」
「ああ、わかった」
俺は仕舞いかけていた送信機のスイッチを入れて、選手たちに夜明けとともにその場から再スタートという旨を発表。通常放送でも、番組が切り替わるタイミングでリスナーたちにも言った。
審査員たちは普通にアイルさんたちが作った露店風呂に入り、付近で焚火をしていると、セスさんやウタさんたちが集まってきた。
勇者一行も、シェイドラさん以外はセーラさんに付かず、しっかりと審査をしてくれるらしい。しかも、世界樹の管理人たちは完全に失格となり、運営側に回ってくれている。
選手たちの様子を見に行った審査員たちは、ちゃんと「グレートプレーンズの選手の動きがよかった」とか、「住民の避難が速かったのは、火の国の選手たちが道を魔道具で作ったからだ」などと情報を共有してくれている。
「正直、かなり横並びなんじゃないか」
「ポイントが違うからなぁ」
「順位が高い連中はそれだけ避難も速いよ」
「結局、傭兵の魔体術は汎用性が高い」
「魔族領の魔道具師で、一人おかしいのがいるね」
「あれは天才だ」
「死者の国にもいるだろ?」
「シャングリラの小人にも、人心掌握がとんでもない選手がいるよ。知らないスキルだな」
世界各地の才能が発見されている最中のようだ。
「やってよかった?」
ウタさんがステーキ丼みたいなものを持ってきてくれた。
「ん? うん。っていうか、自分で夕飯を用意しなくていいんですか?」
「ベルサさんがいいって言ってるからね」
「じゃあ……」
俺はステーキ丼にがっついた。めちゃくちゃ美味い。ニンニクの香りが強く、ワイバーンの肉が柔らかく肉汁が溢れ出す。米の炊き加減が、ちょうどいい。たぶん、世界樹のドワーフが炊いてくれたんだろう。結局おかわりまでしてしまった。
落ち着いたら、言わないといけないことが出てきた。
「一応、駅伝の管理委員長として言っておきますけど、まったく邪神が出るとかまったく意味は分かってませんから! あの、各々でポイントとかの方はお願いしますね。スケジュールもぐちゃぐちゃなんで、遅れている選手を見かけたら、竜の駅まで案内お願いします。選手ともどもケガのないように! 誰であれ、隙を見せずに往路だけでなく復路もよろしくお願いします!」
とっとと寝て、夜明け前には出発しないといけない。
「すまん! こちらのミスだ。限界まで頑張り過ぎて、ここのところ燃え尽きていたんだ。セーラに関しては勇者一行メンバー全員でサポートしていくので心配せず、駅伝に集中してほしい。この度は誠に申し訳ありませんでした」
ドヴァンさん自ら立ち上がって、全員に頭を下げていた。
「おう。どうせゆっくりにしか回復しないから、のんびり北極大陸で療養するといい。ついでに土の悪魔も連れていってやれ。あいつ友達少ないから」
「それを言うなら、光の精霊もいないよ」
親父とアイルさんが場を和ませていた。
「それじゃあ、夜明け前には起こすからね」
ベルサさんが冷え切った風呂の水をぶっかけて起こすというと、全員が寝静まった。
仮眠程度にしかならなかったが、冬空を見上げながら寝袋に潜り込んだ。綿毛は飛んでいるし、雹も降り、雷も鳴り、火山灰が降っているのに、周辺一帯だけは何の影響もない。
親父の空間魔法だろうか、などと考えていたら寝てしまった。
ビシャ!
「ひっ! 起きます!」
本当にベルサさんが柄杓を持って、水をかけながら審査員たちを起こしていた。
一瞬しか眠れなかったと思ったが、身体はかなり軽い。
世界樹の管理人たちが弁当を作ってくれていた。
「ほら管理委員長。行っといで!」
おそらくいつも食べていた肉野菜炒めサンドだろう。これが美味い。
俺は弁当を懐に入れて温め、寝袋をびしょ濡れの親父に預けて、空へと飛んだ。
「おい! コウジの親父が起きねぇぞ!」
「知りません。勝手に起きます!」
親父はコムロカンパニーの人たちにいろんなところを引っ張られていたが、鼾をかいていた。どういう神経なのかは未だにわからない。放っておくに限る。
俺は風船を膨らませながら、西へと向かった。半噴火している火山を迂回しながら、飛んでいくと西側は氷の塊がそこら中に落ちていて、雹の被害が大きかったようだ。樹木も折れている。
湖の上を飛びながら、避難先へと向かう。
避難先ではすでに選手たちが起きだして、準備を始めていた。
「おはようございまーす。お疲れ様でーす」
「おはよう!」
ウインクは腕を組んで俺を睨みつけていた。
「どうした?」
「私は置いて行かれて、ご飯も住民の皆さんから恵んでもらったの。ラジオ局長として、一緒にお礼を!」
「ああ、本当だね」
俺はウインクと一緒に、避難していた住民の皆さんにご挨拶。夜明け前だというのに、ちゃんと皆起きているところがすごい。
「なんだか、避難していたら、筋肉がムキムキの兄ちゃんがやってきて、ワイバーンの肉をこんなに……!」
セスさんが家ぐらいのワイバーンを持ってきて捌いてくれたらしい。村娘たちが、見惚れて意識を失って大変だったとか。
「村の被害については、支援が来ますので知らせてください」
「いやぁ、あの兄ちゃんが来ると嫁ぎ先が怒っちまうから、しばらくはどうにか自分たちでやるよ。こんな大きな魔石もあるし」
解体したばかりのワイバーンから魔石も貰ったようだ。
西の避難所もドーム型の空間魔法で被害がなかった。
真ん中に小さな蓄魔器のような物が置かれている。
「これ、たぶんコムロカンパニーの技だ。おはよう」
グイルが声をかけてきた。
「おはよう。どんな? こんな小さい蓄魔器に誰が魔法陣を描けるんだ? いや、そもそもこれだけ小さいのに、どうして効果範囲が広いんだ?」
「それがわかれば、俺たちも有名になってる」
「確かに。準備はいいのか?」
「いつでも……と言いたいところだけど、全員疲労困憊だ。でも、俺もヒライもゴールを目指すぜ」
グイルは駅伝で、かなりヒライと仲良くなれたみたいだ。
「そんなことより死者の国の選手たちを見に行ってくれ」
「なにか問題が?」
「わからん」
言われたからではないが、避難所に着いた瞬間から、死者の国の選手たちに違和感を感じていた。
「おはよう。大丈夫か。ミスト」
「おはよう。んーっとちょっと邪神の声が私たちには刺激が強すぎた。しかもちゃんと喋れていたでしょ? よくあんな恐ろしいものとコウジのお父さんは喋れるね」
「そんなすごいことかな?」
「我々も人間ではないものの声を聞いてきたつもりだが、おそらく生涯忘れぬだろう」
「ナオキ殿でなければ、今、我々がこうして息をしていることは叶わなかっただろうな」
死者の国の選手たちは、未だに引きずっているようだ。
「ミストには悪いが、しばらく走るのは無理だ」
「いや、大丈夫です。自分たちのペースで行きましょう。世界樹の管理人たちも棄権しましたし、竜の駅での交代までもうすぐですから」
どうやら次の竜の駅で3名交代するらしい。
北極大陸の選手たちはのん気に朝食のパンを食べながら、準備をしていた。端から神々など信じてはいない。
傭兵の国の選手たちは、何人か呪いが活性化して邪神が喋る度に激痛が走っていたという。
「血管がぶちぎれるかと思ったぜ」
「血が逆流する感覚は思い出したくもない。この大会、割に合わねぇよ。学生が考えたのん気な大会だと思ってたんだがな……」
「見ろよ。俺なんか、まだ震えが止まらねぇ」
「だからって一人置いて行けないんだろ? よくできてるよ」
なぜだか駅伝のルールを褒められた。
俺はウインクと共に、実況の準備をしていたら、避難民から差し入れがあった。
「空は寒いでしょ。これ、食べて」
ホカホカの饅頭だった。
「ラジオ聞いて応援しているから」
避難までさせているというのに、悪い気がした。その顔を見て、おじさんたちは手を振っていた。
「本当に心配しなくていいからな。家が壊れた方が、補助金がたくさん出るんだから」
「そうそう。行商に行くときの土産話もできた。新年早々、ひきがいいや!」
そうは言っているが、家がなくなれば誰だって不安だろう。
終わったら、必ず火山一帯の復興を出来るだけ手伝おうと決意した。
「頂きます! うん、美味しい!」
ウインクは、無邪気に食べていた。俺たちが暗い顔をしても始まらない。
今は元気になった声を届け、駅伝の実況をするのみだ。
「ありがとうございます!」
俺は冬の早朝の空気を目いっぱい吸い込んだ。
どれだけ期待しても、今日、往路優勝が決まる。
「いってきます!」
俺はウインクを乗せて、一気に空高く飛んで、通信袋を握った。
「ジル! 頼む!」
『了解!』
カチリ。
ラジオがロケに切り替わった。
「おぉはようございまぁーす! 東の空が白み始めたアリスフェイ王国。邪神、雷、噴火に雹もなんのその! やっていきましょう! 駅伝往路最終日ぃいい! 優勝はどこの国だぁ!」
東の空が明るくなって、駅伝往路最終日が始まった。