『遥か彼方の声を聞きながら……、2年目』13話「彼女の嘘」
俺たちはラジオショップで店番をしながら、靴を磨いていた。アグニスタ家の革靴を返す前に、修繕して磨いておく。
レビィの作ったマカロンや煎餅などのスイーツが好評で、ラジオショップでも袋詰めにして売り始めた。厨房の料理人たちに食事会の時の給料も支払わないといけないため、なんでも売っていく。
「冒険者で稼ぐんじゃなかったのか?」
「冒険者カードを偽造したんだけど、すぐにバレたんだよ。アグリッパさんがギルド職員さんに交渉してくれているみたいだから、それまでは仕方ない」
「誰か来た」
ミストが店の外を見た。
誰かがドアに手をかけて躊躇しているらしい。
「いらっしゃいませ」
ドアを開けてみると、花屋の娘が立っていた。食事会にも出ていたからか、背筋が伸びている気がするが俯いている。
「あ、あの……」
「どうした? なんかあった?」
「ジルが……、エルフの友達が……」
その時、ウインクとマフシュ、レビィが授業が終わってやってきた。
「とりあえず入って話を聞くから」
俺は花屋の娘を店の中に入れて、二階の応接間に連れて行った。
「で、なにかあった?」
もしかしたら、貴族連合の学生に告白でもされたのかもしれない。
「それがその……」
「あ、お茶ね」
ミストがお茶を持ってきてくれた。
「ありがとうございます。あの……」
「もしかして俺に言いたくなかったら、ミストにでもウインクでも話して……」
「ラジオ局の皆さんに……」
「大丈夫、聞こえてるよ」
階段の下からグイルが声をあげた。応接間とはいえ、階段にいると会話も筒抜けだ。
「食事会、すごく楽しくて、一緒に参加したジルも……、エルフの留学生も楽しんでたみたいなんですけど……。あの時のドレスで、ジルが仕事をしていて……」
「んん……?」
ドレス姿でできる仕事は限られている。ダンサーか、それとも娼館か……。
「ああ……」
グイルはもうわかってしまったらしい。ミストは俺に出すお茶を自分で飲んでいた。聞くには覚悟がいる話というのがある。
「どんな仕事でも貴賤はないさ。彼女の意思なら尊重するよ」
我が家ではそう育ってきた。どんな仕事でもお金を稼いでいるなら尊重されるべきだ。人を騙したり脅して金を取っているわけではないのなら、自立した職業として認められる。
「それが……、そのぅ……」
言い難そうだ。窓の外を見ているウインクが震えている。
「エルフの掟ね。はぁ~」
持ってきた商品を出していたマフシュがつぶやいた。エルフの薬師は大きく溜息を吐いた。
「古い掟に縛られている里がこんなに多いとは思わなかったけれど、エルフたちは焦っている。『月下霊蘭』が咲く前にパートナーを見つけられないと人を襲いかねないから、どんな手を使ってでも相手を見つけるという掟が各里にはあるのよ。薬学を知っていれば、そんなことにならないことは理解できるのにね。エルフの発情期は確かに短い。でも、『月下霊蘭』の香水もあるから、現代ではいつでも発情は可能だわ」
「でも薬学の知識もないエルフにとっては、60年に一度のチャンスってわけでしょ?」
レビィが聞いていた。
「そうだけどさ……」
「食事会が、発情する前にパートナーを見つける『最後のチャンス』と言ってました」
花屋の娘は今にも泣き出しそうになりながら話した。
「でも、パートナーは見つからなかったんです。ドレスを持って娼館街へ向かうジルを私は止められなかった。学があってもエルフの一家が、この王都で暮らしていくにはお金がかかるんです。食堂で配られている夜食を持ち帰るほどには、生活が苦しいとわかっているから……」
花屋の娘は立ち上がってウインクの前で土下座した。大粒の涙が床を濡らす。
「ウインクさん、すみません! せっかくあんなに素敵にしてもらったのに、きれいなドレスを頂いたのに私には、いや、ジルには、どうすることもできなかった!」
窓の外を見て震えていたウインクは俯いて振り返り、顔をあげた。涙があふれているが、まるで気にしていないように笑っている。
「あなたたちが泣く必要はないわ。だって、何一つ悪いことなんてしていないじゃない? そうでしょ? あなたも私に謝ることなんて一つもないの。むしろパートナーを見つけてあげられなかった私たちの落ち度。ごめんね」
ウインクは花屋の娘を抱きかかえて立ち上がらせた。
「どんな仕事をしようと、私はあなたたちを信じているし、ずっと友達でいてあげて」
「……はい」
ウインクは花屋の娘を見送った。
「気をつけてね。いつも通りに接してあげてね」
「わかりました」
花屋の娘が去り、店のドアが閉まった瞬間、ウインクは頭を抱えてうずくまった。
「よくやった。最後までウインクは彼女たちをプロデュースしたわ。胸を張っていい。後悔なんてする必要ないわ」
ミストがウインクの頭を撫でていた。
「グイル、そのジルってエルフの娘はわかるか?」
「もちろんだ。似顔絵を描いているからな。うちで雇うか?」
「ああ。何か手立てを思いつくまでは……」
小声で話し合い、俺たちは娼館街へと向かうことにした。
「ミスト、悪いけど俺たちちょっと遊びに行ってくる」
「あら、そう。こっちはちゃんと仕事をしてるから、楽しんできてね」
絶対にミスるなよ、というプレッシャーがあった。
ミッションは単純だ。娼館街でジルの意思を確認し、仕事がなくて娼館街で働いているならラジオショップで働いてもらうこと。
グイルはなぜか娼館街まで迷うことなく歩いて行った。
「裏道の方が通りやすいからな」
意味は分からないが持つべきものは友だ。
娼館街は魔石灯の街灯が煌めき、雰囲気もまるで違う。そこら中から香水の匂いがするし、午前中でも酔いつぶれている大人たちがそこかしこにいた。
「あら、かわいいお兄ちゃんたち、遊んでいく?」
街灯で客引きをしているお姐さんに声をかけられた。
「ええ。最近入ったドレスを着たエルフっていませんか?」
「ああ、エルフかい。最近はエルフばっかり。専門の店までできているんだよ。そんなに胸が小さいのがいいかい?」
「胸より愛嬌でしょ。でも、初心者はそこら辺がわかってないんで、試しに行ってみようと」
グイルが俺を見ながら言っていた。
「んだ、そうかい。エルフの店なら向こうだよ」
「どうも~」
グイルは慣れているのかな。
「グイルは娼館に行ったことがあるのか?」
「ないよ。でも、店をやっていると配達を届けに行ったりするからさ。コウジは?」
「俺も母さんのお茶屋を手伝っていた時に、遊んでもらったなぁ」
「え!? 遊んで?」
「子どもの頃にね。優しい人が多いんだよなぁ。回復薬とか作りに行ったりしてた」
「ああ、子どもの頃か。へぇ~、娼館が何をする場所かは知ってるよな?」
「知ってるけど、難しいことはわからなかったなぁ」
客の取り合いや水揚げと言って結婚していく娼婦たちを思い出した。
暴力を受けて嫌な思いをする話も聞いたし、職業差別を受けてる現場も見たことがある。奴隷として働いている者、仕事として誇りを持って働いている者、病気を患って療養する者、家族のためと金を稼いでいる者、子どもの俺には皆、大人でいろんな事情で働いていることを知った。
エルフの娼館に入ると、すぐにお香の匂いがした。幻覚効果のあるお香だ。俺は鼻をつまみ、入ったばかりの娘を番頭に紹介してもらう。
「このお香、王都で違法じゃない?」
「そうなのか? たぶん、違うと思うがなぁ。ハハハハ。嗅がなかったことにしてくれ。入ったばかりの娘だな」
番頭はお香を片付けていた。
程なくドレスを着たジルが出てきた。
「あ……」
「外に連れて行ってもいいか?」
エルフのジルはすぐに俺たちに気づいたが、無視して番頭と交渉を始める。
「もちろんだ。一晩でいいなら銀貨8枚だけど……?」
「わかった。二晩頼む」
「二晩も!? そりゃ大変だ。かわいい新人だからそんなに粗末に扱わんでくださいよ」
「わかった。一度、返してもいい。その代わり、明日の予約も取っておいてくれ」
「わかりました。他のエルフもおりますんで、見ていってくださいね」
「今度ね」
俺たちは金を支払い、ジルを二晩、買った。俺もグイルも文無しだ。ドレス姿で街中を歩くのは恥ずかしいだろうから着替えをさせて、出てきてもらった。
「あの……」
「何も言いたくなければ、言わなくていい。立派な仕事だし、エルフの事情も知っている。ただ、もし自分の意思じゃなくて、エルフの掟に従っていたり、家族の生活を支えないといけないのであれば、ついてきてくれないか」
「わかりました」
ジルは俺の手を握った。
俺たちは娼館街を出て、そのままラジオショップへ向かう。娼館街を出たら学生たちが歩いているようにしか見えないだろう。
ラジオショップの前でジルの手を離した。
「二日間、ここで働いてもらう。嫌なことを言われるかもしれないし、自分ではどうすることもできないかもしれない。でも、このラジオショップでは嘘をつかなくていい」
「え? ああ、はい」
ジルは娼館で働くことをとっくに覚悟はしていたのかもしれない。
「余計なお世話かもしれないけど、君の友達が、どうしていいかわからないまま君を送ったみたいだから」
「そうですか……。遠くから来た私をそんな風に思ってくれるなんて……」
「不安なら、不安だと言っていいから。少なくとも俺たちの前では」
「わかりました」
俺たちはジルと一緒にラジオショップに入った。ここまでは花屋の娘から託された依頼だ。
「いらっしゃい」
ミストとレビィが店番をしていた。
「ちょうど客が切れたところ、二階でウインクとマフシュが待っているわ」
「わかった。ジル、二階にエプロンがあるからエプロンを取ってきて、先輩たちにいろいろ言われるかもしれないけど気にしないように」
「はい……」
ジルは大きく息を吸って階段を上っていった。
「じゃ、茶を淹れようかね」
レビィがポットでお湯を沸かし始めた。
「これからどうするの?」
「俺たちは文無しだ。猶予は二日間だけだぜ?」
ミストとグイルが聞いてきた。
「ジルの気持ち次第さ」
「報酬もないんでしょ?」
レビィが俺に聞いてきた。
「ええ。でも、俺はこれを学びに人間の学校に来たんです」
「そう……」
二階からウインクの声が聞こえてきた。
「ごめんね! 食事会でパートナーを見つけてあげられなくて」
「いえ、そんな。あれだけ素敵にしてもらってモテないのは私の責任です。気にしないでください」
「あなたはエルフの掟があるから娼館で働いているの? 悪いけど、もう古いしきたりや掟に従わなくていいのよ。薬学を学べば『月下霊蘭』の開花に合わせる必要なんてないことがわかるわ」
マフシュが直球で聞いていた。
「いえ、知ってますよ。掟に従う必要もないことも。でも、開花期間中はどういう気分や状態になるかわかりませんし、気つけ薬だって家族の分まで買っておかないといけませんから。今の私には他に大金を稼ぐ手立てを知りませんし、冒険者になれるほど強くもありません。ましてや人に頼るほどの人間関係もアリスポートでは築けなかっただけです」
ジルの声がはっきり聞こえた。どこか諦めていて、腹を括っている。自分が同じ立場だったら、どうしていただろうか。お金以外のものであれば用意はできるが、生活費と考えると難しい。新商品でも開発しない限り、一日で稼げる金額にはラジオショップでも限りがある。
少なくとも、娼館で妙な客や暴力を振るう客が付いたときに逃げ込める場所があればいいのではないか。勝手な妄想が膨らんでいく。
ジルは紺色のエプロンをしながら階段を下りてきた。
俺たちは商品を棚に並べ、レビィがお茶を出していた。
「飲みながら店番をしてくれるだけでいいから」
「わかりました。ここで働くだけでいいんですか?」
ジルが俺を見た。
「ああ、そこに座って茶菓子でも食べていてくれ」
「きれいな耳ね」
ミストがジルに声をかけた。エルフの別名は長耳族だ。
「欲しければあげますよ。これがなければ発情期にもならないし、借金をしてまでアリスポートまで来ませんでしたから」
ジルは突き放すように言った。噛みつかないとやってられないくらい不安なのだろう。ミストも別に怒りはしない。
「本当にここで店番してるだけで銀貨8枚も払ったんですか?」
「そうだよ。繁忙期には銀貨5枚の仕事だ」
「でも、今は全然お客がいないじゃないですか……?」
「そうだね」
「だったら、なんで……?」
どうして自分を買ったのか、俺たちの行動を理解できないのだろう。
「その価値があるからだろ。少なくとも俺にとってはその価値がある」
「私のどこに銀貨8枚以上の価値があるんです? あなた方が損をしているだけじゃないですか?」
「そんなはずはないんだよなぁ。ジルは娼婦の仕事が好きでやっているわけじゃないんだろ?」
「当り前じゃないですか! どこの世界に好きでもない男に抱かれたい女がいますか?」
この時点で、ジルの本音が聞けた。やりたくもない仕事をしている。性行為自体が好きという女性も見たが、そういう人とは違うようだ。
「自分が発情期にどうなるか不安だろ?」
「そりゃそうですよ。なったことないんですから」
「家族の生活がかかっているんだろ?」
「そうです」
「だから、娼婦という職業を選んだ」
「何かいけませんか? 女が異国で大金を稼ぐには娼婦が一番です。娼館街にいるエルフのほとんどが同じだと思いますよ」
「そうかもしれない。でも、ジルはウインクに立ち方や歩き方を習って、人を魅了するスキルを手に入れたんじゃないか?」
「いや、それはそうですけど、直接お金に繋がらないのでは……?」
「そうなんだよなぁ。だからちょっとの間、時間をくれ」
「二日で、私の状況を変えられるって言うんですか?」
「わからん。でも、やってみるだけやるよ」
「どうしてそんなに私に期待してるんです?」
「ウインクが教えた食事会の参加者で、花屋の娘の友達だからだ。一晩銀貨8枚以上の価値はあると思うんだけどなぁ」
「価値なんて相対的なものでしょう? そんなに珍しい女じゃありませんよ。私は、どこにでもいるありきたりなエルフの娘です」
この時「そんな事はない」と押し切れるほど、俺はジルを信用していなかった。いや、誰もが皆持っているものを信用しきれなかったのかもしれない。たった一人の人間の力を。
「ウインク、靴を返しに行こうぜ」
二階に声をかける。
「わかった」
ウインクが箱に入った磨いた靴を持って階段を下りてきた。
「店番頼むよ」
アグニスタ家に行くのは、俺とウインクだけ。グイルとミストはそのままラジオショップで店番をしている。仕事終わりの客たちが来るかもしれない。
「どうやってお金稼ぐの? 服売ろうか? 仕立屋もやろうか?」
ウインクは俺たちが娼館街に行っている間に考えてくれていたらしい。
「ラジオショップ二店舗目を作っても、そもそもエルフの意識が変わらないとどうにもならないだろう? エルフは皆成人しているし……。なにか引っかかるんだよなぁ」
アグニスタ家の扉を叩くと、すぐに筋骨隆々の中年男性が出てきてくれた。
「ラジオ局でございます。靴を返しにまいりました。ありがとうございました」
「どうぞ、入って」
中に入り、応接間に通された。
「食事会は上手くいったようだな。ラジオで様子を聞いた」
「ありがとうございます。これもアグニスタ家の靴のお陰です」
「それは大奥様に言ってあげてくれ。食事会の最中に賊も入ったと聞いたが……」
「ええ。エルフの山賊が学校の敷地にトンネルを作っていました。軍がよく使っている森まで続いていたようです」
「大旦那様もカンカンに怒っていた。しかも学生たちが捕まえたようだな」
「特待十生たちがすぐに動いたので知らない学生たちも多いと思います」
「自慢はしないのか? ラジオの局長も動いたのだろう?」
「大したことはしてませんから」
コンコン。
大奥様がお茶と共にやってきた。
「わざわざ靴を返しに来てくれたようですね。ありがとう」
「いえ、当然です。汚れ、傷がないか確認をお願いいたします。少々、匂いが付いてしまったかもしれませんが、新しい虫除けの防虫剤を入れておきました。嫌いでなければお使いください」
「こちらこそ、眠っていた靴に食事会の空気を吸わせられたからよかったわ。使われないと買った意味がないものね」
「よかったです。本当にこの度は貸していただきまして、ありがとうございました」
俺もウインクも頭を下げてお礼を言った。
「いいのよ。それよりも食事会は大成功だったみたいね。ラジオで聞いたわ」
「お陰様で、ありがとうございました」
「また、なにかやるなら声をかけてね。学生さんたちにカップルはできたのかしら」
「友だちにはなれたようですが……」
「そんなに慌てなくても恋は突然やってくるものだわ」
今まさにエルフに恋をしてほしかった俺たちは少しだけ言葉に詰まった。
「……そうですね。それが一番です」
「どうか……、したの?」
「いえ、こちらの話です」
そう言ったものの、隣で聞いていたウインクは責任を感じているようだ。
「申し訳ございません!」
ウインクは立ち上がって深々と頭を下げて謝っていた。
「なに? なにがあったの?」
「食事会は失敗しました。せっかく素敵な靴を貸していただいたというのに、我々の力が足りずエルフたちに恋人を見つけてあげられませんでした」
「でも、楽しそうな音楽や話し声がラジオから聞こえてきましたよ」
「それだけではダメだったようです。今年は『月下霊蘭』の開花の年ですから」
「そうね。エルフの皆さんが世界中で恋人探しをしているわね。だからと言ってラジオ局が責任を取る必要はないのではなくて?」
「そうなんですけど、あの食事会が最後のチャンスだと思っていたエルフもいたようで……」
「そんなことないわ。学校に通っていればいつだってチャンスがあるじゃない?」
「はい、その通りです」
これ以上、話すとアグニスタ家に迷惑をかけてしまう。
俺はウインクの手を握り、再び頭を下げた。
「この度は誠にありがとうございました!」
ウインクの手を引いて、応接間を出ようとした。
「お待ちなさい!」
大奥様の声が屋敷中に響いた。
俺たちは止まるしかなかった。
「アグリッパから聞きました。いえ、問い詰めたんです。貴族を中心に、エルフによるデート代行という不埒な商売が学内で流行りそうになっていた。アグニスタがそれをラジオ局に報せ、食事会を開催したそうですね?」
「その通りです」
「食事会が終わったあと、何があったんですか?」
「参加したエルフの女子学生が娼館で働いております。彼女には家族もいますし、割のいい仕事をしないと王都では暮らしていけません。どこかに働き口はありませんか?」
「働き口ならどこにでもあるじゃない? ラジオ局ならスポンサーを探して広告を流して広告費を賄えばいい? そうでしょ?」
「そうですね」
「物分かりのいい子のフリはおやめなさい。それであなた方は納得していない。違う?」
本音を正直に話さないと帰してくれないようだ。
「おかしいんです!」
ウインクの声が響いた。
「そう、おかしいのよ。どこがおかしいの?」
「私があったことのある娼婦の人たちは確かにいろんな事情がある人たちばかりでした。だけど、娼館で働く学生のジルはエルフの掟や、発情期への不安。家族の生活費。そして食事会での失敗。自分で自分を追い込んでいっているような、そんな気がして……」
「一番の問題はなんだと思う?」
エルフの掟は無視していい。発情期の不安は『月下霊蘭』が咲く前に不安になってもしょうがない。家族の生活費?
「親は仕事をしてないんですかね?」
俺は思わず口に出していた。
「それも問題ね。親が仕事できない事情があるのかもしれないわ。でもエルフなら、王都にもたくさんいるし、伝手だって作ろうと思えば作れるはずよ。わざわざ娼館で働かなくてもいいし、なんだったらあなた方ラジオ局が彼女を支援すれば済む話じゃない? アグリッパだって自分で奨学金制度を作ってたわ」
「そうですね。でも、それじゃあ、何も変わらないような気がしていて、私が教えたことは何だったのか……」
「彼女に裏切られた気がする?」
「そうです。そんな権利は私にはないのに……」
俺たちにジルの人生にとやかく言う権利はない。そんなことはわかっているのに……。何かがずっと引っかかっている。
「本人に聞いてみた?」
「ええ、今、俺とグイルが二晩買い取って、ラジオショップで働いてもらってます。本人が本当に好きで娼館で働きたいなら、それを止めるつもりはなかったんですけど『好きでもない男に抱かれたくはない』って言われて」
「それは、たぶん『好きな男』がいるんでしょうね。食事会にいた誰かを。だから食事会を機に自分の問題をすべて背負って追い込んでいるのかもしれないわ」
「ジルは誰かに恋をしていたんですか?」
ウインクが驚いて、大奥様を見た。
「可能性の話よ。人を好きになるというのは、相手に嫌われるかもしれないという恐怖と表裏一体でね。恋が破れた時は自暴自棄にもなるのよ」
そこまで聞いて、俺は気が付いた。
「恋してるじゃないですか……」
「え? なに?」
ウインクが俺の顔を見た。
「いや、だからさ、別に発情期じゃなくてもエルフは恋をしているじゃないか。だから恋愛して結婚して子が生まれるんだろ? 60年に一度じゃないですよ。60年前から、今年までの間に恋愛してエルフの子は生まれて来てますよね?」
「そうね」
「だから家族がいるわけで、そもそも発情期を経験してないから不安になっているわけだし……。あれ? 何が問題なんだっけ?」
「ラジオの局長さんは面白いわね。暇しないでしょ?」
大奥様がウインクに聞いていた。
「そうですね」
さっきまで泣きそうになっていたウインクも笑っていた。
「あ、思い出した。ジルの奴、恋に破れたかなんだか知らないけど、自分はありきたりなエルフだとか、自分には価値がないとか言っているんですよ。そんなわけないじゃないですか!?」
「そんなわけないわね」
大奥様話は肩を震わせて笑い始めた。正直に本音を語っているというのに、何かおかしいのかな。
「失恋したからって、自暴自棄になって娼館で働いてどうでもいい脂の塊みたいなおじさんと結婚したら、それこそバカみたいじゃないですか? ダメだよ、そんなの。本人が許しても周りが許しませんよ!」
「でも、どうしたらいいのよ。私だって、ジルに自分の魅力を最大限出すように努力したし、彼女もそれに応えていたわ」
ウインクが笑いをかみ殺して言ってきた。
「なんでそれで自分の価値に気づかないんだよ。おかしいよ!」
「その通りね。これはもうエルフの価値観の問題だわ。同胞による同調圧力もあるでしょう。他人の価値観を変えるのはものすごく難しいわ。どんなに年をとっても難しいのよ」
「俺たちにはどうすることもできないんですか?」
「エルフ全体のことだからね。でも、どうにかするというか……、まぁ、そうね。ちょっと待っていてくれる?」
「え、あ、はい」
大奥様は立ち上がって、部屋を出ていった。「通信袋と魔石の用意を……」という声だけ聞こえた。誰かを呼ぶのだろうか。エルフ全体の価値観を変えるような人なんているのか。
「……ちょっと待って。わかった。今換わるから」
そう言いながら、大奥様が魔石の入った通信袋を持って応接間に戻ってきた。
「うちの娘……、アイルが、ラジオの局長に話があるって」
「俺に?」
通信袋を受け取った。
「なんですか?」
『コウジか?』
「そうです」
『今から一週間後にアリスポートでパレードがあるとラジオの放送で言っておいてくれ』
「パレードぉ!?」
なぜか隣で聞いていたウインクが叫んだ。
「わかりました」
『一週間後だからな、間違えるなよ。それだけだ』
そう言ってアイルさんは通信袋を切った。
「パレードだ! ……パレードが来るよ!」
ウインクは飛び跳ねて喜んでいた。
「一週間後にパレードが来るわ!」
大奥様も応接間のドアを開けて屋敷中のメイドに言った。「きゃあ!」という叫び声が至る所から聞こえてくる。
「え? パレードってなに? どこか行進するの?」
俺の話は誰も聞いちゃいなかった。




