『遥か彼方の声を聞きながら……、2年目』10話「大奥様の靴」
俺は傭兵の国で子守唄を録音してきて、竜の乗合馬車に乗って早朝に帰ってきた。自分で移動しない理由は、無料ということもあるが単純に眠る時間が馬車の中しかないからだ。
「おかん、なにしてんねん」
眠そうに校門を通り過ぎようとしたら、声が聞こえてきた。振り返ると、ヒライが母親から荷物を受け取っていた。
「おはよう」
「おはようございます! あ、あのコウジ・コムロさん。毎朝一緒に稽古をつけてくれているんだ」
「ヒライ・パッカードの母でございます」
顔がそっくりすぎて、母以外には考えられなかった。
「どうも、遠くからお疲れ様ですございます」
「コムロ先輩が俺に貴族連合で久しぶりの特待十生になれるって声をかけてくれたんだ」
「本当に!? すみません! うちのヒライが。貴族様の荷物持ちくらいにならなれるかもしれないと思って送りだしたものですから、貴族様たちの中でも評価していただいているみたいで」
「自分は貴族じゃないですが、ヒライくんはこのまま訓練を続けていれば、強くなれますよ。現時点で、貴族連合に所属している学生よりは強いので」
「そうなの!? ヒライ、あんたそんなこと一言も……」
「コムロ先輩、そんなに持ち上げないでください。田舎で噂になりますから」
「でも事実じゃないか。伸び悩むとすれば、同級生に竜がいることくらいです。それも対処の仕方さえ覚えてしまえばそれほど……」
「竜!? 同級生に竜がいるの!?」
「いるけど、ライバルにもなれてないよ。おかん、俺は王都に来てよくわかった。世の中にはとんでもない人たちがいるんだ。だからな、できるだけのことはやってみるけど、そんなに期待しないでくれ」
「ヒライがそう言ってますけど、実際のところ先輩から見てどうなんでしょう……?」
親御さんとしたら心配だろう。
「実力が測れているから、とんでもないってわかると思うんですよ。どれくらい実力があるのかもわかっていない学生がいる中で、それだけ周りが見えているということです。もし、ヒライくんが荷物持ちで終わると思っているなら期待してください。予想よりは強いです」
「本当ですか!? ありがとうございます! これ、田舎から持ってきた果物なんで、よかったら皆さんで食べてください」
ヒライの母が俺に木箱をくれた。
「ありがとうございます。食堂に持っていって、学生皆で食べます」
「おかん、勘弁してくれ」
ヒライはまいっていた。
「ほんじゃ、母ちゃん王都見物して帰るから」
「あんまり長くいると、おとんに怒られるぞ」
「いいこと聞いたから構やしないさ。そんじゃ、先輩、うちのヒライをよろしくお願いします」
「はい。お気をつけて」
ヒライの母親を見送り、俺は木箱を食堂へ持っていく。ヒライも木箱を持ってついてきた。
「コムロ先輩、勘弁してくださいよ」
「いい母親じゃないか。息子を心配してお土産を持ってきてくれたんだろ?」
「そうですけど、手紙書いたら来ると思わないじゃないですか。王都の見物に来たかっただけですよ。きっと」
「どんな手紙を書いたんだ?」
「面白い人たちがいるって……、俺が悪いんですかね?」
「だろうな」
食堂の料理長・エリザベスさんに、木箱に入ったクーべニア北東部の果物を渡した。
「あら、クーべニアの方じゃ、もうそんな時期かい。ありがたいね。お礼を言うから、住所を教えて」
「いえ、そんな別にいいですよ」
ヒライは断っていたが、料理人たちが集まってきた。
「この学校はアリスフェイ王国の貴族の方たちの支援を多く受けているんだよ。あんたたち貴族連合はもっと誇っていい。ここに住所を書いておいて。私から直接手紙を送るから」
「わかりました。一応、成人は済んでいるのですが……」
ヒライは自分の住所を教えていた。
「いつだって子の心配をするのが親さ。成人したからって心配なのは変わらない。安心させてやるのも親孝行ってもんだよ。そうだろ?」
急に俺に振られたが、親が心配しているかどうかはわからない。安心させているとは思えないけど。
「だとしたら、俺は結構な親不孝かもしれません。親孝行かぁ」
「孝行したいときに親はなしって言うから、コウジも今のうちにしておくんだよ」
「わかりました」
時々、ラジオを聞いてくれればいい。
そのまま俺たちは裏庭に行って、ラックスとリュージと共に朝練。睡眠時間が少ないからか、魔力の運用に精彩を欠きリュージに叱られた。
「コウジ、集中してないぞ!」
「すまん。なかなかベッドで寝てないもんだから」
「睡眠不足なのに、どうして私の攻撃が当たらないんだ?」
横からラックスが光魔法と魔体術で襲い掛かってきた。
「ラックスさんは攻撃の意思が強すぎるんです。目をつぶっていても避けられますよ」
「どうやってそれを隠すんだ?」
「遠くを見ながら、次に相手がいる位置に拳を置くだけです。あとは自分か相手の重みで吹っ飛びます」
ラックスがダンジョンの方まで吹っ飛んだ。
「最善手を打つのは簡単ですが、予想を裏切る速さにまでなってないんですよ」
「たぶん、ラックスさんは自分が考えている動きはできているのです」
俺とリュージがラックスに向かっていく。
「自分の考えを超える動きか……」
唐突にラックスの身体が沈み、全身の緊張が緩くなった。脱力か。
ビョウッ。
俺とリュージの間をラックスが風のように通り過ぎていった。
「お、できた」
「これか! あー、私、光魔法が得意だから光の速度で移動しないといけないと思ってた」
「それは無理だろう」
「でも、これは相当疲れた状態じゃないと、できないわ。これをいつでもできるような状態にするってこと?」
「そう。なるべく意識しないで歩くと、どこに向かっているのかわからないからいつの間にか近くにいて驚くでしょう」
ヒライの後ろに立ったり、リュージと背中合わせになってみたりした。
「別に速さじゃないのね」
「意識しない方が速くないですか?」
「これって、無意識の精度を上げていくってことなの?」
「そうかもしれないですね。それ、いい言語化ですね。今度から俺もそう言おう」
「全然、ついて行けないんですけど……」
ヒライが困惑している。
「大丈夫だ。基礎さえやっていれば、自然と身に付くさ」
たぶん、ラックスが無意識を使いこなせれば、ゴズには勝てるだろう。
朝の訓練が終わったら、風呂に行って授業の準備。ダンジョン学は助手なので、学生たちが使うバールやスコップなどの用意もする。
歴史学はレミさんが資料自体は用意してあるが、使うかどうかはその日次第だ。今は親父が、南半球と北半球を繋げる時に起こった混乱などを学んでいる。俺は初めてイカれ具合を知った。というか、トキオリ爺ちゃんとシャルロッテ婆ちゃんが1000年間戦っていたことを知らなかった。話を聞いても、未だにどういうことなのかわかっていない。今度会った時に、教えてもらおう。
攻撃魔法の授業は、ひたすらイメージの練習をしていた。ソフィー先生は魔道具師の娘だったらしく、親の事業を引き継ごうと必死で勉強したが、なかなか親が引退しないので図書館勤務をしていたらしい。そのうちに魔法の理論が面白くなってきて、魔法陣についての解析などをやっていたのだとか。
ソフィー先生の話を聞きながら、集中力を切らさずに火魔法を維持。両手で違う属性の魔法を使う訓練もし続けた。なぜか俺は一人違うことをやらされて魔力よりも精神力を使う授業になった。
魔道具の授業は、録音する魔道具をラジオ局員たちが作り続けているし俺は各地へ子守歌や音楽などを収集していた。魔道具の作り方はわかっていることがほとんどなので聞かずに工房の端の方でラジオの台本を書き続けていた。今のところアーリム先生はやることさえやれば特に怒ったりはしないとのこと。理解ある教師でよかった。
放課後になるとラジオ局に行き、番組の打ち合わせをしようとするが、どうにも食事会の準備が上手くいっていない。
「作ったドレスと、衣装屋の靴と合わないのよ。結局演劇とかの靴でしょ? 数も足りないし、一日レンタルでも高いのね。しかも古いからカビたりしていて、ちょっと……」
ウインクはずっと立ち方と歩き方を参加者に教え続けているし、話し方、話す話題について、食事のマナーなども教えていた。でも、どれだけやっても、一か所でも弱点があると、それで興味が削がれるという話も聞いていた。
靴なんかどうでもいいじゃないかという外野の意見もわかるが、やはりちゃんとした形で食事会をしたいのだろう。すでに調理場には要望も出して、代金も支払っている。
「ラジオで呼びかけてるけど、来ないしなぁ」
「いや、今日そう言えばアグリッパさんから受け取ったんだよね」
ミストが紙を取り出した。
「ものすごく嫌そうだったんだけど、行っていいのかわからない」
文面を読むと『ラジオで靴を募集されているのを聞きました。古いものでよければお貸しできるかと思います』とのこと。
「え!? アグリッパさんの実家ってこと?」
「アグニスタ家といや、王都で知らない者はいない名門軍人家系だぜ!」
「アイルさんの実家でもあるでしょ?」
「そうだな。俺が前に行った時は昼飯の鳩を取られたんだけど、大丈夫かな……」
「ハト!?」
「アグリッパさんも、結構前から受け取っていたみたいで、渡そうかどうかかなり迷っていたみたいだわ」
「でも、貸してくれるって言うんだから、見てみないことには」
「わかった。怒られたら、俺が責任を取る。行ってみよう」
俺たちは4人揃って、アグニスタ家へと向かった。
アグリッパの実家は王都の東にある大きな屋敷で、重厚な門構え。分厚い扉を叩いてみたが、しばらく反応はない。
「ダメかな?」
「いや、しばらく待った方がいい」
ギー……。
扉が少しだけ開いて、中年男性が顔だけ出してこちらを見た。
「何奴だ?」
「すみません。アグリッパさんからこの手紙を受け取った総合学院のラジオ局の者です」
「ラジオ局!?」
扉が大きく開いた。
「なぜすぐに来なかった?」
筋骨隆々の中年男性が、軍服に蝶ネクタイという不思議ないで立ちで立っていた。
「いえ、あの……、手紙を今日受け取った物ですから」
「今日!? ……アグリッパ様には随分前にお渡ししたはず。今日受け取ったと!?」
「はい。我々ラジオ局はずっと靴を探し続けています。もし、僅かな情報があれば、このように全員で馳せ参じますから」
「むっ、そなたら4人でラジオ放送をしているのか?」
「はい。もちろんリアクターやゲストなどの協力は得ておりますが、ラジオ局はこの4人で運営しております」
「俄かには信じられん。とにかく、大奥様に会って話を。ついてまいれ」
少しでも嘘を言ったら、首を刎ねられそうだった。この時点で、4人とも汗がぐっちょり。
「総合学院、ラジオ局4名がやってこられた。すぐに茶の用意を!」
どこからともなくメイドたちが現れて、廊下を走り回っていた。
「この時間だとまだテラスで読書中のはずだ。春とはいえ日が長くなったからな」
大奥様が優雅な生活を送っていることはわかった。ただ、名門軍人一家の大奥様というのは未だに想像できない。
巨大なホールを抜けた先にテラスはあった。
黄色いドレスを着た女性が眼鏡をかけて本を読んでいた。大奥様というから、ものすごいお婆さんを想像していたが、長身で白髪など一切なく背筋が伸びている。ミスト風に言えば骨格がいいのかもしれない。
「あら? 夕飯の時間にはまだ早いのでは? それともラジオ放送が始まったかしら?」
本に目を落としたまま大奥様が、筋骨隆々の男性に聞いていた。明るい声がテラスに響く。
「大奥様、総合学院ラジオ局の皆様がまいりました」
「え!? あら? すみません。気づかなかったわ。どうぞ、座って」
いつの間にか椅子が人数分用意されていた。
俺たちは言われるがまま白い椅子に座る。命令されているわけでもないのに、この人の言うことは聞いておいた方がいいような気分にさせられる。不思議だ。
「ラジオのファンです」
唐突に言われて、ドキッとしてしまった。
「ありがとうございます」
「あなたが司会のウインクさんね。あなたの声に日々勇気づけられております」
「いえ、右も左もわからぬままがむしゃらに話しているだけでございます」
「謙遜しなくても結構。声に力がある女性はそれだけで、仕事をしている女性たちの味方になりますよ」
「そうでしょうか。そう言われると嬉しいです。やっていてよかった」
「そちらがミストさんね? 音量の調節もそうですが、選曲が素晴らしいわ。うちのメイドたちはあなたのファンなの」
「私の……ですか!?」
「時々、ボソッとウインクさんの話に的確な合いの手を入れているでしょう? ラジオを聞いている者の中には知識のない者もいますから、ミストさんの博識あるコメントで想像力が膨らむんです」
「総合学院に通っていない人に伝わらないと思って言っているだけです」
「見えないリスナーをちゃんと想像できているということですよ」
「確かにそうかもしれません。ありがとうございます」
「そちらの男性がグイルさんね。あなたはどこに行っても通用する商人だと思います。メイドたちも何度もラジオショップに通っていますが、睡眠の質は向上して、調理器具も充実しています」
「そうでしょうか。お買い上げ誠にありがとうございます」
「実は、あなたがラジオ局のバランスを取っているのでしょう?」
「え? いや、そんなことないですよ」
「いいえ、ここまで個性の強いメンバーですもの。油断していたら、大衆性なんか吹き飛んでしまう。そこをちゃんと一般的な学生や町の人たちの感情に寄り添えているのは、あなたがいるからですよ。自信を持った方がいいわ」
「そう言われると悪い気はしませんね。ありがとうございます」
アグニスタ家の大奥様はそこで一口お茶を飲んでいた。
「あなたがコウジ・コムロさんね。娘からよく話を聞いていました」
「娘? アイルさんですか!?」
「今頃気づいたの?」
言われれば気づくが、アイルさんの姉と言われた方が納得できる。目の前にいるのはアイルの母で、アグリッパの祖母か。どう見ても若い。
「よくぞ、あの家からここまでまっすぐ育ちましたね。それだけで誇っていいわ。むしろよくぞ生き残りました。アイルがね、『コウジはナオキと違って、やる男だ』と褒めてました。どんな道を行こうとも、あの父と母の息子なのですから間違いはありません。間違っていると思うなら、それは世界の方が間違っています」
親父ならまだしも、母さんも知っているのか。
「いいですか。迷うことなく自分の信じた道を歩んでください。ラジオを楽しみにしております」
「ありがとうございます。あの……」
「大奥様、ラジオ局の皆さまは靴を借りに来ました」
筋骨隆々の男性が気を遣ってくれた。
「あら!? すみません。ちょっとファンの思いを伝え過ぎましたわ。靴を持ってきてちょうだい!」
「今、準備させております」
「そうよね。お茶でも飲んで待ってて、準備はしていたの。アグリッパから連絡がないものですから、たくさん手紙が届いていてるのだろうと」
「それが……、どうやらアグリッパ坊ちゃんが今日手紙を渡したようでして……」
「なんですって!? 呼びかけが放送された翌日には手紙を持たせていたはずでしょう?」
「はい。我々も、その翌日には靴の準備をしてカビなど生えていないかしっかり確認しておりました」
「なるほど、少々行き違いがあったようで申し訳ございません。沙汰は追って報せるわ」
アグリッパはどうなっちゃうんだろう。心配でならない。
「あ、こちらでございます」
メイドたちが靴の箱をいくつも積み重ねて持ってきた。高級品の様だ。
「男兄弟の中にアイルが一人だけ娘でしょう。何度もお見合いさせてみたんだけど、親の期待とは裏腹に、とうとう冒険者ギルドの教官になってしまってね。それまで買っていた靴が無駄になってしまったの。それでも、いつか必要になるんじゃないかと思って取っておいたものだから、ちょっと古いかもしれないのだけれど……」
「いえ、このデザイナーの物は古くなりません。今でも通用するかと……」
「それから、こちらはコムロカンパニーにメルモちゃんという方がいるでしょう?」
「私の師匠です」
「あら、そう? なら見慣れているかもしれないけれど、よく私やメイドのために服や靴を送ってくれるのよ。こういう靴はファッションにも合うし、歩きなれていない者でも履きやすくて疲れにくいはずだわ。ほら、今日も履いているもの」
大奥様はスカートのすそを上げて、靴を見せてくれた。白い靴だが、ヒールが高くなく、それでいて上品だ。
「これなら、ドレスにも合うんじゃないかしら?」
「合います。合わせます」
「数はどう?」
ミストがウインクに聞いていた。
「これだけあれば十分です。本当にお貸しいただけるんですか?」
「どうぞ。学生だと人生初めての食事会という方もいらっしゃるんじゃありませんか? 素敵な催しにしてください」
「「「「ありがとうございます」」」」
俺たち4人はありがたく木箱に入った靴を受け取った。木箱の中には防虫剤や防カビ剤などが入っているので、一度日干ししているが、匂いが苦手なら香水を付けることまで勧められた。
「食事会が上手くいくことを心より願っております」
大奥様とメイドたちが外まで見送ってくれた。何かを託された気がする。
きっとこの靴はアイルさんが履くためのものだ。大奥様はアイルさんの晴れ姿を見たかったに違いない。
でもアイルさんは海でシャチの魔物を狩り、人類で最も強い剣士になっている。一国の軍人がどうとか関係ない人だ。誰かに媚びるような人ではないし、女性らしい服だから着ると言う人でもない。我が道を行き、仕事で動きやすい服を着ている。唯一付けているアクセサリーの腕輪も「会社のだ。付けていないといろいろ不都合なんだよ」と言っていた。
だとしたら、何のためにあの靴はあるのか。
なんだかアイルさんの分まで食事会の参加者を美しく見せないといけない気がしてきた。
もしも、食事会が成功したら、今までアグニスタ家でこの靴を保管していた意味もあるような気がする。
「失敗できなくなったわね」
「でも、これで食事会ができるわ」
この時、すでにウインクには成功する道筋が見えていたのかもしれない。




