『墓守りバルザックの預かり:行方知れずの行商人』1話
ある晴れた月夜の晩に笛の音が聞こえてきた。
墓守りの自分は、墓地に併設された小屋に住む爺だ。棺桶に片足どころか半身まで浸かり、10年以上墓守りをしている自分からすれば、今更幽霊が出てきても驚きもなくなっていた。
街はずれで他に誰もいない墓地で、聞こえないはずの笛の音が聞こえてきても死んだ誰かが奏でているのだろうと普段なら気にしない。
ただ、その笛の音があまりに耳心地がいい物だから、コップに酒を入れて表に出た。
秋の夜長に笛の音でいっぱい呑むのも悪くないだろう。
雨上がりの澄んだ秋空に半月が昇っている。
墓地の端には無縁仏の集合墓地があり、傍には大きな楓が植わっている。すっかり秋色になった楓の下で、若い女が笛を吹いていた。
鎮魂の美しい音の調べに誘われて、墓の隙間から白く半透明のオーブが漂っている。シンメモリーという名のそれは魔力と思いが結びついたときに現れる魔物の種のようなものだ。死んだ者の魂と呼ぶ者もいる。
酒がなみなみと注がれたコップには、半月が映っていた。その月の光を吞んでいるかのように、酒が身体に染み渡る。
笛の音はいつしか止まっていた。
「あ、すみません」
女は笛を口から離して、こちらに謝ってきた。足は地面についているし、背景が透けているわけでもない。肌が真っ白で、頬は夜の寒さで赤く染まっている。よかった。死人ではないようだ。
「いえ、美しい鎮魂の音でした。どなたかのご遺族ですか」
「ええ、たぶん……」
「たぶん?」
「わからないのです。父はこのクーべニアの町から送られた手紙を最後に、行方知れずになってしまったのです」
「そうですか。では、まだ生きている可能性が……」
そう言うと、女は首を横に振った。
「父は行商人でしたから。なにかあれば必ず私に連絡が来ます。最後の手紙にも戻ったらまた連絡すると書かれていました。どこかで山賊か魔物に襲われたか、もしくは山のどこかで亡くなっていると思います。もう二年になります」
クーべニアから北には山脈があり、山里に行商に行く人たちは多い。山賊もいないわけではないが、山合には旅で傷ついた冒険者の療養所もあるので滅多に出ない。冒険者のギルドを敵に回すほど、山賊もバカではないはずだ。
「クーべニアには御父上の行方を捜しに?」
「いえ、ギルド職員として赴任してきました。冒険者ギルドの」
言われてみれば、女は白いシャツに黒い職員用のスカートを履いている。
「父がいなくなったのは職員になるための試験の半月前でした。晴れて職員になったことを、父に報告したかったんですけどね」
「捜索の依頼はされたんですか?」
「ええ。ですが1年経っても見つかりませんでした」
冒険者の誰かが依頼を請けたはずだが、山は魔物も多い。生きているかどうかわからない人を探すよりも、魔物を討伐する方が実入りはいい。捜索願は半年も経てば依頼書の束に消えてしまう。
「もしかしたら、父もここに眠っているかもしれないと……」
女は無縁仏の墓を見つめた。
長年の勘だが、この集合墓地に女の父親は眠っていない。もし、いればもっとシンメモリーが女にまとわりついているはずだ。突発的な死を体験すれば、未練が残る。近縁の者も納得できないのであれば、特に思いは強くなるだろう。
「おそらく、ここにあなたの父上はいません」
「じゃあ、やっぱり……!」
そう言ってすぐに女は口を塞いだ。
「何か心当たりがあるんですか」
「私が王都の学校に通っていたので、父は苦労をさせたくないと無理な仕事をしていたかもしれません」
「具体的には?」
「御禁制の薬を扱っていたのではないかと……。年に一度会う時に、ほのかに薬の臭いがしたんです」
「もしかしたら、取引先の山賊とトラブルがあったかもしれない?」
「ええ。そうでもしないと私にあれほどお金を送ってこられるはずがないのです」
最後の手紙が来る少し前くらいから、大金が同封されていることがあったという。
彼女の父親は「いい仕事があったから」と言っていたが、内容については「いつかわかる」と教えてくれなかったという。
「その『いつか』はとうとう来ませんでした」
「父親が本当は何者であったのか知りたいですか?」
「はい。私の晴れ姿のために頑張ってくれていたのはわかります。でも、もし悪事を働いていていたのなら、被害者に申し訳がない。父が何をしていたのか知りたくて、赴任希望を出したんです」
彼女の吐く白い息が、暗い墓地を振るわせているようだった。墓地に潜むシンメモリーが思いを受け取ってしまった。
「その一件、この爺めに預からせてはもらえませんか」
「え、墓守りのあなたに」
「これでも、以前は冒険者見習いのようなことをやっていたこともあります」
自分の冒険者カードを見せながら微笑んだ。
「今は、誰もやりたがらない忘れられた事件を請け負ったりしているんです」
「そうですか……」
「もちろん、成果は上がらないかもしれませんがね」
「もともと誰もやらない依頼ですよ」
「時間のある爺向きです」
そう言うと、女は少しだけ笑った。
「では、お願いいたします」
「承りました」
女の名前はアンネ、父親の名前はハロルドとだけ聞いて、町まで送り届けた。
翌日、副業の古道具屋に行き、準備を始めた。行商人のように肩当付きの服を着て、蓋のある籠を背負い、腰に元主人から貰った切れ味の鋭い刀を差す。魔物除けの薬は有名な駆除会社の物を使い、音爆弾や閃光玉なんかも予備で持って行く。お金は少し多めに持って行くか。
山はもっと寒いから厚手の上着も持って行こう。手拭いは多めに。
古道具で売れない鉄瓶とコップも籠に入れておく。休憩は大事だ。お茶の葉がどこかにあったかな。せっかくだから新茶を買っていこうか。
特に急ぐ仕事でもなく、お金のためでもない。
準備ができたら、近所にある金物屋の倅に古道具屋の店番を頼む。元冒険者たちも仕事としてやってくることはあるが、なかなか居着いてはくれない。冒険者として再起するか諦める者の寄り道として、古道具屋は始めたのでそれでいい。
町の城壁を出たところに、行商人たちの市が立っている。月に一、二度あったが、秋のワインが出荷され始めてからずっと立ち始めていた。
旬の名産品があると、それだけで町は賑わう。
市場も、香辛料から外国から取り寄せたというピクルスやジャムなども置いてある。タバコや砂漠で咲く薬草なんかの店まで出ていた。
「おや、バルザックさん。なにか欲しいものでもあるのかい?」
以前うちの古道具屋にいて、行商人として再起した元剣闘士が声をかけてきた。顔も体も傷だらけだが、悪い人相の方が売れるものがある。
「繁盛しているようで何よりだな。ビクター」
「そうでもないさ。なかなか魔物の素材は使い方を見せないと売れなくてね」
傷のある男が取り扱っているものなら確かなものだろうと思うもので、行商人を始めた頃は繁盛しているように見えた。今は景気も悪くなり、実演して見せないと売れないらしい。
「このマンティコアの汗を魔物がひとたび嗅げば、1年は鼻から臭いが取れないという代物。害獣の被害が多い農場主にはもってこいさ。逆に、このアルラウネの香水は、どんな男でも寄ってきてしまう。あまりに効果があり過ぎて、これを使った娼館はその日のうちに押し寄せた男たちによって潰されちまった逸話まである。ここにあるのはローズの香りを足して、効果を下げているくらいでね……。ああ、どうも毎度あり!」
実際に、何に使うのか見せれば飛ぶように売れていく。
「お香を取り扱っている行商人は限られているかい?」
店先の商品がなくなったタイミングで聞いてみた。
「ワインの香りを楽しみに来ている旅人からすれば、余計な匂いだからね。うちと、この通りの裏手にあるハーブ売りの婆さんがいる。もう一軒あったんだけど、ここ1、2年は見ないな」
きっとそれがハロルドだ。
「その行商人は、山の方に行かなかったかい?」
「ああ、行っていたかもしれない。山の療養所でお香が流行っていると聞いたことがある。今はどうだか知らないけどね。ハーブ売りの婆さんにも聞いてみようか?」
「頼む。ちょっと人捜しをしていてね」
「なんだ、依頼か」
「金にはならんぞ」
「そういう依頼の方が、後で大仕事がやってくるからなぁ。ちょっと待っててくれ。婆さんに紹介するよ」
ビクターはさっと店を畳んで、ハーブを並べている婆さんのもとに連れて行ってくれた。
「療養所でお香を流行らせたのは私だよ。それをハロルドの奴が一手に扱い始めちまって。それから……、それから、あいつはどこかに消えちまったんだ」
婆さんにとってはハロルドは商売敵だったはずだが寂しそうだ。看板には『ご禁制お断り』の文字が書いてある。
「気のいい商人でね。利に敏いから、すぐに販路も開拓しちまう。お香と一緒にハーブも扱った方がいいって言ったのはあいつなんだよ。余計なことをしなくても真っ当にやっていればいいって、こんな看板まで作ってくれた。まったく、どこで眠っているのやら……」
ハロルドは仲間内でも好かれていたのか。
「冬になる前に届けないと山も入れなくなるから、ビクターに頼まないとね」
「俺より冒険者を使ってください。山の方は得意じゃないから」
ビクターは曲がらない膝を見せていた。
「だったら、自分が届けますよ」
「そうかい?」
「その代わりに茶葉を少し融通してもらえませんかな」
「構わないよ。売るほどあるからね」
缶に入ったハーブと一緒に、小袋で貰った茶葉を籠に入れて、ビクターにお礼を言った。
「助かったよ」
「こんなことでよければいつでも。大口の仕事があれば教えてください」
「ああ。お香がまた取引されるかもしれないから、取引先を決めておいた方がいいかもしれない。まぁ、墓守りの言うことだ。話半分に聞いておいてくれ」
「わかりました」