『遥か彼方の声を聞きながら……』18話:悲劇の理由が知りたくて
塔の中には、わかりやすく落とし穴や毒矢などの罠が張られていた。すべて解除していったが、埃を見ると最近誰かが一度解除した痕跡がある。
誰かが先に捜査しに来たのか。ダイトキ先輩かもしれない。
塔の上層部は崩れていたが、住居だったらしく朽ちたベッドや魔物の骨なんかが落ちている。勝手に入って死んだのだろう。アラクネの卵が孵った跡まであるが、アラクネ自体はいないようだ。
ベッドの近くに小さな本棚が倒れていた。本も真っ黒になって読める文字はない。
もしかしたら記録と呼べるものは持ち去られてしまったのか。
そう思っていたが、一階にあった埃まみれの絨毯があり、床に絨毯を引きずったような跡があった。めくってみると、鍵穴の付いた地下への入り口がある。
ただ、鍵穴の周りがきれいに斬られている。パッと見では切り口が見つからない。剣術がものすごく得意なのか、魔力による切断ができる人物だろう。それにしても精密すぎる。
ダイトキ先輩は、竹光を持っているけど剣術に関しては相当な手練れなのか。
とにかく鍵を開けなくても地下への扉は開いた。
乾いた血の臭いがする。
「入るのか?」
ロバートさんは緊張しているらしい。
「待っていてもらっても構いませんよ」
「いや、一緒に行く。ただ、吐いたらすまない」
「俺にかけないでくれれば大丈夫です」
壊れた魔石灯に魔力を込めて、地下に放り投げた。地下の床に落ちた魔石灯は、周囲の石畳と苔の生えた壁を照らす。
特に魔物の気配もないし、罠もなさそうだ。
降りて、魔石灯を拾い上げ周囲を照らすと、ドアの壊れた大きな部屋がいくつかあった。ちょうど魔女たちの部屋のように、真ん中に円形の広間があり、扇型の部屋が6つあるようだ。
広間の真ん中に机があって、研究日誌が年代別で積まれている。図も描いてあってわかりやすい。どうやら著者のアンティワープ校長は、魔法を研究していたようだ。
図を見ながら、パラパラとめくっていくと、どうやら人体の研究もしているらしい。
「誰だ!?」
突然、ロバートさんが叫んだ。
魔石灯を照らすと、部屋の中に精巧な人形が飾られている。どうやら魔法を何度も当てられたらしく、彩り豊かに変色していた。
その部屋の中を見ると、人型にならなかった大小さまざまな白い人形が棚に並べられている。棚にあった人形の一つから、葉が生えて枯れていた。アルラウネだろうか。あまりにも精巧に出来過ぎていて、小人族と言われたら信じてしまうかもしれない。
小さなインプのような人形からは、ネズミのような尻尾が生えている。もしかしたら、白く石化しているだけなのか。
「なんだ。彫刻か。魔法も上手いし、なんでも上手いんだな」
ロバートさんはそう言って、大きく深呼吸をして、胸の辺りを擦っていた。本当に吐きそうになっていたらしい。
そこで、ようやく俺は思い至った。
机の本をよく読めばわかることだ。
アンティワープ校長は、かつてこの塔で人化の魔法を研究していたらしい。
「それは、なんの魔法書なんだ?」
「人化の魔法の研究日誌です」
「それは魔族に伝わる秘術じゃないか?」
「かつてセイレーン族の秘密の魔法でしたが、竜がセイレーンと恋に落ちて学んだとされています」
本当は黒竜さんが盗んだんだけど言ってはいけない歴史になっている。
「でも、それって魔物が使う魔法だろう」
「そうですね。魔族が認められている現代では、それほど使っている魔族は見ませんね。他人が使ったら、知恵もない魔物が人の形になってしまいますけど……」
「まさか、外にいた半人半獣の魔物たちは、失敗作が解き放たれてしまったという可能性は?」
「あるかもしれません。でも無理やり魔物たちが脱出した痕跡はなかったように思いますけど……」
扉もしっかりしていたし、塔は上層部だけが壊れていた。
なにより地下は血の臭いがするのに、整理されている。少し前に塔に入った侵入者が片付けたのか。
だとすれば、机に積まれた研究日誌は侵入者からのメッセージだ。俺は転がった丸椅子を引き寄せて、ちゃんと研究日誌を読むことにした。きっと校長を理解するには、この日誌を読むのが一番早いのだろう。
「部屋を調べなくていいのか?」
「ええ、たぶん。この日誌を読むのが今は一番よさそうです」
「読むって、この量をか?」
「大丈夫。2、3日あれば読めますよ」
「俺にはフィアンセが待っている家があるんだけど……」
「水と軽食はあるんで、俺は大丈夫ですよ」
「一人で帰れというのか?」
外には強い魔物がうようよしているんだっけ。ロバートさんが一人で帰るのは無理か。
「ちょっとだけ待っていてください。部屋を調べても構いませんから、初めと終わりの方だけでも読んでおきたいんです」
研究内容はさておき、人化の魔法を研究するきっかけと、どうして広まらなかったのかくらいは知りたい。いや、もしかしたら実は広まっていて、俺たちが気づいていないだけなのか。
きっかけはすぐにわかった。ウェイストランドで出会った竜が人化の魔法を使っていたのが衝撃だったようだ。勇者よりも、圧倒的な魔法の実力があり、魔力量も凄まじいと書かれていた。
もしも魔物を人化の魔法で人にしてしまえば、とんでもない魔法使いの軍団を作れてしまう。当時のアンティワープはこれを危惧している。
竜が本気で、魔物に人化の魔法を教え込んだら、人ではない者たちが町中を歩くことになる。大魔王の復活は近いと予想していたらしい。
アンティワープにとっては「人化の魔法」の研究そのものが、魔物による侵略を防ぐために必要なことだった。
ただ、歴史上、そんなことにはなっていない。
グレートプレーンズの東に魔族の国が出来て、広く魔族が認められる世の中になった。現状、魔王は土の悪魔に見初められたセーラさんただ一人で、魔族ですらない。
完全に予想は間違っているが、アンティワープが研究していた頃は、セーラさんが生まれる前だ。
続きを確認していくと、アンティワープ自身で魔物の軍団を作ってしまおうかという記述もある。研究者として、かなり揺れていたようだ。
アラクネやラミアは、旅の魔物使いから買い取ったものらしい。魔物使いも雇っていて、恋仲だったようだ。研究日誌なのに、いろいろと赤裸々に書いている。本人にとっては、人体の研究、精神のトレースに役立つとか。
地下にて、魔物の繁殖に成功。人化の魔法も半人半獣の魔物であれば、滞りなく成功していた。ただ、人として似ている物ほど、精神が伴っていないことに恐怖心をあおられるらしい。わからなくもない。
ある日、彼女である魔物使いが顔に火傷を負ったらしく、回復薬を塗り込んで回復魔法を使ったことをきっかけに、治る期間に人化の魔法で傷を隠す実験をしたそうだ。
これが思っている以上に成功してしまった。
人に「人化の魔法」を使うということ自体がおかしなことではあるが、成功と書いてあるので、火傷の痕は隠せたのだろう。
治せない傷を持つ者や生まれながらに呪いを受けた者には、有効な治療法ではないかと実験を繰り返したそうだ。
故郷である領地には幽閉された領主の娘がいて、救いに行った。
生まれながらに足が変形していた娘だったそうだが、人化の魔法で治癒したように見せた。
幽閉していた娘が、なんら人と遜色のない姿に、領主たちは喜んだが、魔法が切れれば、また元の姿へと戻ってしまう。
アンティワープたちは大金が入ってきて初めて、人化の魔法を広められることを知った。
折りしも、魔石の採掘事業が活況だった時代だった。
手当たり次第に、各地の領主に「もしかしたら、そちらで幽閉している子を治癒できるかもしれない。人ならぬ姿の子がいれば、一報を」と手紙を送ったらしい。
アンティワープは各地の領主の秘密を握り、地位を上げていったようだ。
ただ、恋仲だった魔物使いとはここで関係が切れてしまっている。いつの間にか、日誌には出てこなくなってしまった。意見が合わなかったのだろうか。
急いで読んでいるので、読み飛ばしたのかとページを戻って魔物使いの行方を探って見ると、「魔に魅せられてしまった」と書かれ、アンティワープの元からは去ってしまったようだ。
「過ぎた魔法は身を亡ぼす。人の世に広めるのは、時をかけること。使用者による予想外の事故は必ず起きる。悲劇を繰り返してはならない」
唐突に注意書きが書かれている箇所があった。
その前のページを戻って読む。
人化の魔法で、人の姿になった娘が、隣の領主の息子と結婚した。滞りなく婚姻は結ばれ、初夜にて花婿も花嫁の本当の姿に気づいたそうだが、それでも愛しあったそうだ。
だが、十月十日後、花嫁は屋敷の地下に蜘蛛の巣を作り、卵にて子を産んだ。
気が狂ってしまったのは婿の方で、屋敷ごと燃やしてしまう。
アンティワープは燃える屋敷から、人の子と魔物の子を救い出した。残念なことに、魔物の子は死んでしまったが、全身にやけどを負ったにもかかわらず人の子は生き残った。
悲劇を経験し、地位を獲得したアンティワープは、その後、誰かを育てることを目指している。
「人化の魔法」は魔道具として指輪に込め、関わった領主たちの子の育成を始めたのもこの頃で、すぐに魔法学院から「教師にならないか」と手紙を受け取っている。
おそらく元々魔物の姿をした親から生まれた子たちは、魔力量が多く魔法使いに向いているのだろう。
アンティワープは、
「人は姿かたちが違えど、人は真っすぐ育てることができる。
人の道を外れてしまうのは、むしろ周囲のまともな姿をしている者たちの方だ」
としている。
俺自身、親はホムンクルスという人工的な魔物の身体をしている。他人事とは思えなくなった。
新しい魔法や珍しい技術は、使用者にとっては素晴らしいものに見えるが、周囲にとっては脅威に映る。まるで今起こっている人工ダンジョンのことを言っているようでもあった。
ガタン。
「ンゴ……」
ロバートさんは読書にのめりこむ俺に呆れて寝てしまっていたようだ。
しばらく日誌の記述が途絶えた後、「山中にて、過去を葬る」と書かれていた。
冒険者を辞めたのか、それとも恋人だった魔物使いを殺したのか。
「我々は、魔法と共に悲劇も作り出しているのか……」
最後のページには、これだけ書かれていた。
「悲劇を試されているのか」
消えかかった魔石灯に魔力を込めて立ち上がった。
人化の魔法についてはかなり飛ばしながら読んだとはいえ、時間がかかってしまった。
「ロバートさん、すみません!」
「んあっ! 終わったか?」
「ええ、だいたいのところは……」
概ね日誌に書いてあることはわかったけど、どうして人工ダンジョンの開発を邪魔するのか動機はわからない。ただ、日誌を読む限り利己的な思いでやっているとは考えにくかった。
「何かを背負っているのかもしれません」
「なにを?」
「それはまだわかりません。とりあえず出ましょうか。お腹が空いて眠いので」
「ああ、俺もお腹が空いたよ。でも出れるのか?」
「たぶん、外の魔物たちはこの塔を守ってるんです。出ていく者はどうでもいいでしょう」
アンティワープに飼われていた魔物の子孫だ。
地下から這い上がり、閂を外して扉の前に立つと、外がなんとなく殺気立っているような気がする。
「走りましょうか」
「おう」
俺とロバートさんは扉から出ると、一目散に駆けだした。
外はすでに日が昇っている。徹夜して研究日誌を読んでいたのか。
真っすぐ来た道を戻るだけだが、周囲から刺さる魔物の視線が痛かった。
ロバートさんのフィアンセの屋敷で、獲れたてのフィールドボアの肉を頂き、部屋まで用意してくれた。
「この度はなんとお礼を言っていいか」
フィアンセの親は害獣駆除のお礼を言っていた。昨日のことだが、アンティワープの過去を辿っていたからか遠い過去のようだ。
「こちらこそ、ロバートさんがいなくてはこちらの目的は達成できませんでした。一晩借りたようで申し訳ありません」
「いえいえ、男同士で楽しむ場所もあるでしょう」
「お義父様、我々は廃墟の調査をしていたまでです。いかがわしい場所など行っておりません」
ロバートさんが弁明をしていた。
「廃墟の調査に一晩もかけるのか?」
それはそれで、別の誤解を生む。
「アンティワープ校長がこの辺りに住んでいたことをご存じですか?」
俺が切り出してみた。
「ああ、なんとなく噂は知っている」
「その廃墟の周りに半人半獣の魔物が増えています。もしかしたら、フィールドボアの群れはそちらを避けて、畑にやってきているのかもしれません。特に強い魔物たちですから、冒険者ギルドに討伐依頼を出すとよいかと思います」
「なんと! フィールドボアが棲み処を追われてこちらにやってきているとは。由々しき事態だ」
ロバートさんの義父は、すぐに部下に冒険者ギルドへ急がせていた。
料理を食べたら、急に眠気が襲ってきて、部屋にて仮眠。起きたのは日が暮れてからだった。
屋敷の広間では、ロバートさんが「いかにコウジがおかしな奴なのか」と語っていた。
「ロバートさん、そろそろお暇します」
「もう行くのか。外はこんなに暗いぞ」
「夜目が効きますから」
「そうか。少ししかいなかったのに、友と別れるのは寂しいものだな」
ロバートさんは、友と呼んでくれるのか。
「そうですね。でも、ロバートさんとはまた会える気がしてます」
「そうだといい。この土地の野菜は学校の食堂でも使われている。畑の野菜を見たら思い出してくれ」
「わかりました」
ロバートさんとフィアンセは、門の外まで見送ってくれた。
「どうぞお幸せに!」
「ああ、またいつか!」
手を振る二人を離れ、街道をひた走る。
時刻は深夜、行商人も馬車もいない。魔物も眠っている。
走りやすくて、一気に北上してしまった。
明け方になり、近くの町の冒険者ギルドで過去の事件について調べてもらおうとしたら、王都でなくては調べられないと言われた。朝飯を買って、結局王都まで森の中を走ることになった。
王都の冒険者ギルドは朝でも混み合っていた。
冒険者たちが掲示板を見る中、俺はまっすぐ受付カウンターに向かう。
「すみません。冒険者補助員の者なんですけど……」
「あ、伺っております」
「え?」
「少々お待ちください」
まだ要件も言っていないのに、なぜか職員さんは奥へ誰かを呼びに行った。
職員さんと一緒に、アイリーンさんが書類を抱えて受付までやってきた。
「コウジくん、本当に来たんですね」
「来ちゃいけませんでしたか?」
「いや、そうじゃなくて、アイルさんから言伝がいくつかあります」
「アイルさんから!?」
「『ちょっと待て』だそうです」
「はぁ」
「それから、この書類をどうぞ」
紙の袋に入った書類の束を渡された。
数字や記号がいくつか見えるが、よくわからない。
「『読めなかったら読める奴を探せ』とのことです。最後に『国に関わると碌なことにならない』」
「はい。それでアイルさんの言伝は全部ですか?」
「ええ、わかりますか?」
「ああ、わかるものとわからないものがありますが……」
「昨日、アイルさんが来ましてね。疲れた様子で、数日中にコウジが来るはずだからと言われたんですけど、連絡先は知らないんですか?」
「知らなくはないですけど……、あまり連絡はしませんね」
アイルさんは忙しい人だ。通信袋で話すよりも会って話す方が楽というタイプ。神出鬼没な人だが、現れたからには必ず理由がある。
もしかしたら、アンティワープの塔の地下への扉を開いたのがアイルさんだとしたら、あの切り口には納得できる。わざわざ日誌を時系列通りに並べてくれたのも、俺が来ることを知っていたのか。
「『ちょっと待て』か。親父の会社もアリスフェイで動いてるんですかね?」
「コムロカンパニーに国境線って関係あるのかしら?」
質問に質問で返されてしまった。
「先日、セスさんから、国に関わることだから、コムロカンパニーは関わらないと言われたんですけど……」
「だとしたら、国からの依頼ではない仕事を押し付けられているのかもしれないわね。コムロカンパニーの本業については、冒険者ギルドではなく商人ギルドだから」
「ああ、なるほど」
とりあえず、アンティワープをとっ捕まえるのは時間を置いた方がいいらしい。
「あの、幾つか過去にあった事件を調べられますか?」
「ええ、冒険者絡みなら、調べられるわよ」
「ある魔物使いについての消息が知りたいんですけど」
「だったら、調べられるはず」
たいていの魔物使いは冒険者として登録している。
俺は、アンティワープと恋仲だった魔物使いを調べてもらった。
「もしかしたら、もう死んでいるかもしれません」
「そう。プライベートなことは教えられないけど、消息くらいなら教えられるわ。3日ほど時間をちょうだい」
「お願いします!」
アイリーンさんに頼み、俺は書類を抱えて学院へと戻った。
事務局で、戻ってきたことを報せ、その足で図書室へと向かう。
昼日中の授業中だ。図書室には、サボっている奴らしかいない。つまり、ゲンズブールさんとミストだけ。
「ああ、ちょうどいい。ゲンズブールさん、この書類の読み方はわかりますか?」
「コウジくん、せっかく日向ぼっこをしながら、寝ていたところなのに邪魔をするなんてひどいじゃないか」
「ウソ。ゲンズブールさんは文化祭を盛り上げるための案を、朝からずっと語っていたところ。ほらね」
ミストが書記をしていたらしい。紙にびっしりと書かれた案を見せてきた。
「この人、本当にイカレてるわ。現実的でできそうな案から、突拍子もないものまで100はあるわね」
「今の総合学院にいる学生たちが全力で文化祭をやったらって想像しただけだよ。それより、コウジくんが持ってきた書類って?」
「これです」
ゲンズブールさんが座っている机に書類を広げた。
「ああ、収支表だね。それにしては金額がデカいな。ああ、領地経営の損益計算表だろう。これ、誰から預かったものだい?」
「アイルさんです」
「アイル!? コムロカンパニーの!? 剣聖でしょ? 会ったの!?」
誰よりもミストが驚いていた。
「会ったのかい?」
ゲンズブールさんまで聞いてきた。
「いや、冒険者ギルドに預けられていたのを、俺が受け取ったんです。アンティワープ校長の捜査は『ちょっと待て』と言伝をされてね」
「そうか……」
ゲンズブールさんはそう言うと、腕を組んで考え始めた。
「ゲンズブールさんもアイルさんに会いたいんですか?」
「そりゃあね。俺の許嫁を知っているだろう? アイルさんを信奉している」
ゲンズブールさんは、書類に目を通しながら答えた。喋りながら同時にいくつも読めるものなのか。
すべての書類に目を通し終えて、ゲンズブールさんは「んん……」と唸った。
「で、結局どこの領地の書類なんです?」
「アリスフェイの各地だね。校長と関わりのある土地かな?」
「もしかしたら、アンティワープ校長が幽閉された人を救った土地かもしれません」
「幽閉された人って?」
俺は、研究日誌に書かれていたことを簡単に説明した。
「つまり校長に闇を知られている土地ということ……。いや、校長の支援者たちか……」
そこまで独り言を吐き出して、ゲンズブールさんは顔を上げた。
「こりゃ不味いかもしれん」
「何がです?」
「ここに書かれているのが、校長を支援する団体、いや領地の収支だとすると、全て赤字で経営難に陥っている。しかも、何年にもわたってだ」
「それって、つまり……」
「近々、領地は没収され、お取り潰しになる」
「領地に住んでいる人たちはどうなるんです?」
「新たな領主を迎え入れないと、奴隷として他の領地に売られるかもしれないね。今のアリスフェイは民が都市に一極集中してしまっている。地方創生と叫ばれて、補助金もたくさん出したが、結局地方都市の一部にしか回らないのが現状だ。魅力ある地方が作られることはほとんどない。そもそもこの国は外国に売れる産業が少ないんだ」
「でも、人間の学校はアリスフェイが一番有名じゃないですか」
「まったくその通りだが、その世界中から集まった知識を地方に運べなくなっているんだ」
「どうしてですか?」
「地方で本を売るよりも、王都で売った方が利益率は高い。教師も地方の貴族に教えるより、都市にいる貴族の息子たちに教えた方がお金は稼げる。だから、地方でくすぶっている人たちは王都に押し寄せてくるんだ」
「じゃあ、どうすりゃいいんですか?」
「それをたぶん、アイルさんたちが考えているところだろうね。校長が捕まるといよいよ地方に補助金すら出なくなるのかもしれない」
「これが『国に関わると碌なことにならない』理由か」
小さな世界で生きてきた俺には、わからないことがある。
「金っていうのは、血液みたいなものさ。身体の中で集まり過ぎても、無くなりすぎても病気になる。そういう意味では、このアリスフェイはずっと病を抱えているのかもな」
人工ダンジョンは、アリスフェイにとっても最後の一撃になるかもしれない。
「国って、そんなに簡単に潰れるんですか?」
ミストがゲンズブールさんに聞いた。
「いや、潰れない。君の故郷である死者の国も潰れなかっただろ?」
「はい」
「国も潰れないし、人も死なない。ただ、人が住まなくなって故郷を失う人がいるだけ。それだけのことなのに、誇りまで失う気持ちになる」
「え?」
「俺の親父が昔住んでいた土地は、今は誰も住まない森になってしまった。随分お金に振り回された人だったな」
ゲンズブールさんの親父は、すでに亡くなられているのか。
「どうにかならないんですか?」
「どうにかしたいのは皆同じだよ」
俺は、少しでも何かできないか、考えた。
そして、すぐに答えは出てしまう。
「そうだ。ロケに行こう!」




