『遥か彼方の声を聞きながら……』9話:現実を見る解像度
王都の中でも、古くからある通りの隅にそのこじんまりとした店はあった。かつては学生たちも通う文具店だったが、今は学内の購買もあるし学生たち自身が取り寄せる品物が増えたため、買いに来る学生たちはほとんどいないという。
「学生になりたい人とか役所の人間しか来てなかったようだ」
ゲンズブールさんから紹介してもらった。
「本当に見もしないで買ってよかったのかい?」
「ええ、立地も学院にそれほど遠くないし、条件にぴたりと当てはまる。敷地面積は狭いけど、三階建てで作業スペースや倉庫まで付いている。十分ですよ」
「ただ、どこも汚れているよ。虫も湧いているようなんだけど……」
「大丈夫です。うちは家業が清掃駆除なんで」
「そうだったな」
雑貨店でコムロカンパニーの商品を買い、店に仕掛けていく。
待っている間に、隣近所にレビィが作ったクッキーを持ってあいさつ回りをしていった。
「通りの隅の方で総合学院ラジオショップを開店させます。よろしくお願いいたします」
「おお、ラジオショップかぁ。どんなものを売るんだい?」
「ラジオで紹介した品物が主ですので、よかったら聞いてみてください」
隣近所には、迷惑がかかるかもしれないので無料で受信ラジオを渡しておいた。
煙が落ち着いた頃にはラジオ局員の3人も、掃除道具を持って店まで来てくれた。
「へぇ~、ここがコウジの買った店ね」
「立地は悪くないんじゃない? 補修は必要そうだけど」
「今、ゲンローさんが棚の枠を作ってくれてるぞ」
「本当、ゲンローさんには世話かけるな。よし、掃除しよう。虫の魔物が苦手だったら、俺に言ってくれ」
「「「苦手だ」」」
3人とも虫は苦手だったらしい。
先に入って袋に死んだ虫を入れていく。窓をすべて開け放ち空気を入れ替えた。
「最初は箒で、あとブラシをかけてくれ。3階もあるからゆっくりやっていこう!」
3階の窓から通りに向かって声をかけると、通りに鍛冶屋連合の皆が来ていた。
「ゲンズブール先輩から話は聞いた。俺たちの商品も置かせてくれるんだろう?」
「もちろん、鍛冶屋連合は常設ですよ」
「だったら、協力させてくれ。床に空いた穴や壁の隙間、雨漏りのする屋根くらいなら、修理はできる」
皆、木の板や金槌、釘などを持ち寄ってくれている。感謝しかない。
「ありがとうございます」
ラジオ局員たちで一斉に掃除をして、上の階からバケツで水を流していった。ここでも壁を上れることが役に立つ。都市生活は、どこでどんな技術を使うのかわからない。
人も大勢来たので、作業は一気に進んだ。
内装はすべて鍛冶屋連合に任せた。計画を話しているゲンローが鍛冶師たちに指示を出していた。
「いろいろな店が出店することになるから、棚も据え置きじゃない方がいいんだ。カウンターも移動式にした方がいいんだろ?」
「そうですね。奥で調理する場合もありますから」
「毎日商売を替えるってこと?」
エルフの鍛冶師が聞いてきた。
「毎日って程ではないかもしれませんが、ラジオで紹介した人がすぐに出店できるようにしたいんです」
「だからカウンターは軽い素材にしたんだ。でも、奥に石釜まで作らないよな?」
「さすがに無理だと思うんですよね。せいぜい炭焼きの串焼きやたい焼き程度だと思うんで、バーベキューセットの持ち込みは許可をしようかと。それ以上凝った物は学院内で作ってから、こちらに持ってきて、温めたり冷やしたりできるようにしようと思ってます」
「ヒートボックスとクールボックスか」
物を温めたり冷やしたりする魔道具のことだ。
「あと、雑貨を売る棚なんですが……」
「おお、作ってきたんだ。折り畳み式の棚を」
重そうな棚だけど、しっかりしている。
「割れ物もあるといけないから、丈夫には作ってある」
「なにからなにまでありがとうございます」
使わない時は上の階においておけばいいだろう。
「あと、外壁の修理なんですけど……。一部に穴を空けてもらえますか」
「構わないけど、何をするんだ?」
「ラジオを嵌めこみたくて」
「なるほど。客引きがいなくても魔道具から音が鳴ってるだけでも、気になるもんだ」
「このラジオショップは、こんな感じです。ラジオで話題にした商売や商品を町中でも売れるようにしたい。まだまだ学生なんで、どれくらい売れるのかわからないし、何をお客さんが求めているのかもわからないじゃないですか」
「いずれ卒業したら、向き合わないといけない現実を見せるってことだろう? 俺は正しいと思うぞ。学内だけで人気でも、外に出れば目も引かない商品だってあるし、学内では人気なくても外では人気になるものだってあるはずだ」
「だから、俺たちはどんな商売をしている学生でも、ラジオで魅力を伝えて行ければいいと思って」
「話題になれば、カミソリでも流行るかもしれないもんな」
「そうです。見たことがないお菓子が流行ったり、売り方次第で流行ったり、するといいんですけどね」
「それが流行を売る店か……」
「期間限定だと、新しい物が好きな人たちは見逃さないように気にしてくれるんじゃないかと勝手に期待してるんですけど、どうなるか、やってみないと。もう、この時点で失敗していることもあるかもしれません」
自嘲気味に笑うと、ゲンローは笑ってくれた。
「失敗したら、ラジオ屋をやればいいさ。ラジオも置くんだろ?」
「ええ、そのつもりでいくつか作ってます。ゲンローさんには番組でのリアクションをお願いします」
「おうよ」
実際に、俺たちはこの時点で失敗していた。翌日から秋の長雨が始まったからだ。
誰も雨の中、出店しようと思う学生たちはいない。
ただし、その分、考える時間ができた。
「結局のところさ。今王都にある商品を、わざわざ学生たちの店から買う必要はないわけだろ? だったら、新しい商品や珍しい商品を買うよな?」
グイルが商売をしている学生に声をかける担当だが、目新しい商売をしている者はいないという。
「自分も含めてだけど、遠くのものでも頼めば来るようになったし、行商人は難しくなってるんだよなぁ」
「今まで、この世界になかったものを売るかぁ……」
俺には思い当たる人がいた。
「こんにちは。シェムさん」
「ん? コウジくん。どうかした?」
魔道具学の授業中にシェムさんは魔石に魔法陣を彫っていた。持ち運び式のダンジョンを作っている天才だ。魔石のような曲線に魔法陣を描ける時点で、かなり器用だ。スキルを使っているのかもしれない。
「なにしてるんですか?」
「今、作ってるダンジョンは仮初めというか、一部屋しか作れてないの。やっぱりダンジョンコアが必要だって結論が出たんだけど、いくら文献を読んでも、魔法陣を重ねがけするという意味がわからないのよね。で、今は魔石にどれくらい魔法陣を描けるのか、古代人の気持ちになって考えてみているところ」
「そうなんですか」
壮大なビジョンを持つ人たちはどこかおかしいのかもしれない。対人を考えているというよりも対人類史みたいなところがある。挑む姿勢そのものの次元が違う。
しかも現実と向き合うことにためらいがない。失敗するなんて思わずに通過点に過ぎないのだ。
「ああ、やっぱり。今の技術ではこれが限界なんだよね」
拳大の魔石にはびっしり魔法陣が描かれている。おそらくそれではダンジョンコアにはならないのだろう。ちょっと浮かぶ魔石くらいだ。
「どうやったら、これ以上この魔石に魔法陣を描けるかわかる?」
「これって、魔法陣が傷つかないようにヤシの樹液か何かでコーティングするんですよね」
「そうね」
「だったら、コーティングした樹液にも描けばいいんじゃないですか?」
「どういうこと?」
「つまり、魔水とコーティング剤を混ぜた物で、魔石を覆い、乾かして固め、その上に魔法陣を彫ればいい。それを繰り返していくと、いくらでも魔法陣が増やせるのでは? まぁ、素人考えですけどね」
小さな瞳のシェムさんは、瞬きしながらこちらを見た。
「コウジくん。頭おかしいって言われるでしょ?」
「言われます。でも、俺、この学院に普通を学びに来てるんです」
「それはたくさん勉強が必要なようね。でもありがとう。あなたが今ここにいてくれてよかったわ」
少しは助けになったかな。
「あれ? 何か聞きたいことがあったの?」
「ええ。どうすれば新しい発想って出てくるんですかね?」
「新しい発想って思ってない人に会うことじゃない? 今、コウジくんがやったように」
「ええ? どういうことですか……?」
「つまり、ずっと考えている人って、どんどん思考が固まっていっちゃうんだけど、外から見ると、そんなことっていう場合があるでしょ。だから、ずっと考えている人のところに行けばいいのよ」
「なるほど」
「そう言えば、最近、ドーゴエ先輩とゴズ先輩がおかしいってダイトキが言ってたけど何かした?」
「しました。あの人たちに商品を考えてもらうのも手ですね」
やはり相談してよかった。
「ありがとうございます。声をかけてみます」
「うん」
授業終わりにアーリム先生に声をかけられた。
「コウジ、ちょっと」
「はい?」
何かしただろうか。
「シェムもいいかい?」
「はい。なんでしょう?」
シェムさんまで呼ばれた。
「さっきアイディアについて話していただろ?」
「話してましたけど……?」
「人のアイディアを勝手に盗んではいけないというのは作り手の不文律として、二人とも知っていると思う」
「はい」
「これにはもう一つだけ裏がある」
「なんです?」
「現実と向き合えない作り手はアイディアが枯渇する。それまでの経験しか使えなくなると、同じものしか作れなくなるんだ。そういう人たちが過去の栄光にすがる時、他人のアイディアを盗む。これだけは覚えておいて」
「わかりました」
「あなた方、若い人のアイディアは時として光のように輝いて見えるわ」
この時はあまり理解ができなかったが、後に起こる大きな事件で俺たちは身をもって知ることになる。
秋の風が床板を冷やしていたが、道場には熱気があふれていた。
ゴズとドーゴエが、他の学生たちを圧倒している。速度を武器にした光の戦士のラックスでさえ、床に転がされていた。
「体の芯がブレている気がする」
「無駄な筋肉を使い過ぎてるから、疲れるんだよな」
「もう十分でござるよ」
見ているダイトキは、二人に動きを鈍くするスローの魔法をかけているらしい。二人は動きの確認をしているだけなのに、転がされている学生たちはわけがわからないだろう。
「俺たちはどうしてこんなに体を動かすのが下手なんだ」
「魔法を使うと精度まで落ちるだろう? どうすればいいのだ?」
「ああ、クソ。授業が終わっちまったか。食事までは少し時間があるな。ダイトキ、悪いがもう一度、スローの魔法をかけてくれ」
「しかし……!」
「俺からも頼む。今の解像度を落としたくない」
渋々、ダイトキが魔法をかけようとしたところで、俺が止めに入った。
「二人とも、そこまでにしましょうよ。炎症の確認を怠ると、後で大変な目に合いますよ」
「コウジ! ……はぁ、それを言われちゃ仕方ねぇな」
「ここ数日、コウジとシェムの強さを痛いほど感じている。人は急に成長しないな」
ドーゴエもゴズも汗が湯気のように立っている。だから、道場を寒くしているのかもしれない。付き合わされる学生たちは、憧れの目をしているもののなにがなんだかわからない様子でいる。
「成長を実感できるだけいいじゃないですか。ところで、二人とも文化祭に向けて、作りたいものってありますか?」
「作りたいもの? 今すぐほしいのは、ぶちぎれた筋繊維を修復するタンパク質多めのスープだな」
「俺は、噛み応えのある睡眠導入剤があると嬉しい」
二人とも食事と睡眠の意識が、以前とはまるで変ってしまったようだ。
単純に成長を実感しているというのが大きいのかもしれない。
「俺たちは強くなれるルートはわかったんだ」
「時間をかけて身体を作っていく方法を理解した。これを正しく動かしたい。練習の時間が足りなくて……」
「そのもどかしさはわかります。たぶん、そのもどかしさを同級生や同じ授業を取っている学生たちも感じるんじゃないですかね?」
「俺たちの稽古を見てればな」
「それを作って、文化祭に出店するのか?」
「そうです。やってみませんか?」
「ああ、だったら、枕もだな」
「皆、俺たちが道場に枕を持ってきたら驚いていた。あの死霊術師のルームメイトにお礼を言っておいてくれ」
「俺からもだ。枕でだいぶ睡眠の質が変わる。こんなことこの学院に来なかったら知りようがない」
その後、二人ともシャワーを浴びてから、レビィと毒使いのマフシュという天井裏に毒を仕掛けていたエルフのもとへと向かった。
俺も面白そうなので、ラジオの取材と称してついていく。
ちょうどベルベ先生の薬学の授業が終わったレビィとマフシュが部屋の窓から出てきたところだった。
「そんなところで薬学の授業をしているのか?」
「明り取り用の窓以外は全部棚で埋まっているのよ。私なんかお尻が大きいから結構大変なんだけどね。それで、3人揃って何か用?」
ゴズの質問にはレビィが答えた。マフシュは黙って、タバコのようなものを咥えていた。授業終わりの一服か。
「禁煙用のフレーバー」
俺が見ていたら、マフシュは面倒くさそうに口を開いた。昔はヘビースモーカーだったが、薬品の臭いと味がわからなくなりそうだから、現在は禁煙しているとレビィが教えてくれた。
「レビィ、タンパク質を吸収しやすいスープって作れないか? あとマフシュ、噛める睡眠導入剤はないかな?」
ゴズが質問しているのに、レビィとマフシュは俺を見た。
「出来る……」
「どうせ、コウジだろ。筋肉ダルマと柄の悪い山賊に何を吹き込んだんだい? キャラ半減じゃないか。特待十生ばかりと関わってると、面倒ごとに巻き込まれるよ」
「吹き込んだのは俺のルームメイトのモデルと死霊術師ですよ。栄養学と睡眠に目覚めたみたいです」
「厄介なルームメイトだこと。作れと言われれば作るけどね。報酬は?」
「少しは出せるぞ。夏休み中に傭兵の国で稼いできたからな」
ドーゴエがポケットを探っていた。
「どうする? マフシュ、報酬もあるならやろうかね」
「コウジ……、と言ったね?」
マフシュは全然俺から目を離さない。
「はい」
「ダンジョンの素材なら幾らでも集められるって本当?」
「まぁ、場所がわかってる物なら」
「今の段階でどこまで見えてる?」
「どこって、この先どうなるかってことですか?」
マフシュはフレーバーを噛みながら頷いた。ビジョンを語れってことだろう。
「レビィさんの作ったスープを乾燥させて粉末状にすれば、保存が利くようになるから商品化は難しくない。噛める睡眠導入剤も歯ぎしり対策にもなるから、量産できれば売れるんじゃないかと思います。特に二人と近しい戦士科の学生たちは、変わっていくのを見ているので人気になるんじゃないかと思います」
「それだけ?」
「ラジオで商品を宣伝して、町の店に卸すつもりなので、衛兵や冒険者にも効果がわかれば売れるはずです。しかも、ゴズさんとドーゴエさんが強くなればなるほど、『強い二人が開発プロデュースした商品』として噂を呼ぶことになり、在庫を抱える心配もなくなるんじゃないかと……、想定しています」
「やる! こんなもん即決じゃないか。町の薬屋で終わりたくないと思ってたけど、あんたたちとんでもない坊やを見つけて来たね。売り上げは経費を差っ引いて、5人で等分に山分け。手が足りなくなったら、それぞれで学生を補充すること。雇った学生への報酬は経費扱い。……それでいい?」
マフシュは一気にまくし立てた。
「マフシュ、お前ってそんなに喋るんだな」
「私は無口なわけじゃなくて、子供みたいな夢を語るだけのバカが嫌いなだけよ。実行できる可能性が十分にあって、後はそれぞれのやる気次第という状況であれば、話はするし、こちらの条件だって出す。当たり前のことを当たり前にやってるだけ」
「それだけ?」
エルフの興奮は耳に現れる。先ほどからぴくぴくと動く耳を、その場にいる全員が見ていた。
「昔、エルフの国の薬師連合が、ある会社を手伝った時、サポートしかできなかったことがある。私はその薬師の娘でね。親に散々聞かされた。『世の中には実現不可能とも思えるようなことを言う奴らがたくさんいる。99パーセントはバカな詐欺師だが、1パーセントは本当に実現させちまうんだって。1パーセントが現れたら、全力で乗れ。サポートに回るな』ってね」
「その手伝った会社って?」
「コムロカンパニー。当時、たった5人だった社員が、小人族の国・シャングリラと死者の国を救ったってね。コウジは社長の息子なんだろ? 親が親なら子も子だ」
「よく言われます。自分は似てないと思ってるんですけどね」
「清掃駆除業なんて、それまでなかったんだろう? 私たちも健康を売ろう。そんな会社は今までなかったはずだよ」
「健康食品会社か。面白そうだ」
「そんな……!? いいの!?」
レビィは困ったように眉を寄せていた。
「俺たちはまだ学生です。これから何者にでもなれるのが特権だって親父が言ってました」
「そうか。失敗してもやり直しは何度でも利くか」
「……ということで、これ、採取する毒草と木片ね。たぶん、ダンジョンの低階層にあるはずだから」
マフシュはメモに毒草と木片の名前と特徴をかいて俺に渡してきた。世界樹でも生えていた植物なので、見ればわかる。
「了解です。じゃ、行ってきまーす」
「ちょっと、コウジ、そのまま行くの!?」
マフシュが目を丸くしていた。
「おい、あんまりうちのラジオ屋を舐めない方がいいぞ」
「コウジ、予備の袋だ。持って行ってくれ」
ゴズさんが大きめの袋を渡してくれた。
俺はそのまま森へと走り、ダンジョンに潜った。
軍手は常時、後ろポケットに入っているし、ゲンローが特別に叩いてくれたナイフも腰に携えている。毒を噴き出す植物が生えていても、手拭いで口を塞げばいい。
ダンジョンのジャングルで、毒草と木片を採取。モンスターはドロップアイテムを残して消えるのに、植物は消えない不思議が、このダンジョンでも通用するらしい。
とりあえず、失敗作もあると思って、袋いっぱいに採取した。
学院の家庭科室へと向かうと、レビィがちょうどチキン豆スープの食材を下ごしらえしているところだった。
「もう取ってきたの!?」
「はい」
「買い出しに出かけるみたいに、ダンジョンに潜るのね……」
マフシュは大きな薬研を用意していたが、口を開けて手が止まっていた。
「じゃ、後よろしくお願いします」
「ああ、後でラジオ局にスープを持って行くよ」
「楽しみにしてます」
ラジオ局に行くと、シェムとダイトキが悔しそうな顔をして俺を待っていた。
ゲンローも顔を真っ赤にして怒っているようだ。ラジオ局の皆は難しい顔をしている。
「ごめん。待たせた?」
「いや、そうじゃないの」
「何かありましたか?」
「うん」
シェムが顔を上げて、俺を見た。
「私が彫っていた魔石が盗まれたの」
「いや、……え!?」
あまりのことに俺は混乱してしまった。ミストに意味もなく打たれて以来だ。
「盗んでどうするの? 売るの? でもあんな魔法陣だらけの魔石、すぐバレるんじゃ……」
「実は昨年も、このテープが盗まれたことがあるのでござるよ」
ダイトキがダンジョンの入り口に使っているテープを見せた。
「つまり犯人はダンジョンの使い方を知っている人物ってことですか?」
「その通り。シェムのやろうとしていることは学内の者なら皆知っている」
持ち運べるダンジョンを広めること。学内で最も広大なビジョンを持っている。それこそ、この星の人類史が書き換わるほどのことかもしれない。
「例え盗んでダンジョンを作ったとして、目的はなんです? シェムさんの名誉を横取りすることですか?」
ダイトキは大きく頷いた。
「もちろん、過去何人も人工的なダンジョンを作ろうと試みてきたのでござる。かつてドワーフ族にだけ伝わっていたとされる禁術だという説もある。また、遺伝子を書き換えた魔物からできたというダンジョン魔物説もある。ただ、一向に人工ダンジョンが発表されない理由が、研究者同士のいざこざにある」
「でも、私は誰とも争っているつもりはないし、誰だってダンジョン制作に挑戦していいと思っている。だから、私の挑戦は誰にでも話しているの。今度こそうまくいきそうだと思ってたんだけどな。もう一回、一からやり直しよ」
「いや、それはひどい話だ。あの曲線に魔法陣を描く作業はかなり時間がかかりますよね?」
「まぁ、そうね。ひと月はかかるかな。でもスキルも上がったから、今度はもっと楽かもしれないけど……」
「そういうこっちゃねぇよ! なんで盗人のためにわざわざシェムが作りなおさなけりゃならねぇ!」
普段は温厚なゲンローが怒っている。
「どんな拙い作品だって、作り手の子どもさ。子ども攫われて作り直すなんてバカをやらせるわけにはいかねぇよ。ラジオで呼びかけよう! そうすりゃ、犯人だってずっと隠し持っているわけにもいかないさ。そうだろ? 局長!」
「そうですね! 呼びかけましょう!」
「でも、なんて言ったらいいか……?」
「素直に言ったらいいんだよ。シェム!」
「台本が必要なら、俺が書きます」
「お願い」
「シェムさん、魔石にコーティングはしました?」
「うん。コウジくんのアイディアを取り入れたんだ。それで乾かしている最中に盗まれたの」
「なるほど。だったら、少し仕掛けてみましょうか」
こういう時の俺は字が上手く書けるようだ。台本はミストがお茶を淹れている間に書けた。
「これでいきましょう。いいですか?」
「うん。これでいこう」
俺たちはラジオの放送を開始した。
「今日は皆さんに緊急の呼びかけをします。シェムさん、お願いします」
「こんばんは。特待十生のシェムです。本日、魔道具学の工房で制作していたダンジョンコアが何者かに盗まれました。拳大の魔石です。もし心当たりのある方がいらっしゃいましたら、ラジオ局までお知らせください。また、犯人に告げます。あなたのビジョンでは、その魔石を使いこなすことはできない。ダンジョンコアは大変危険な代物です。無暗に使用しないように。命に関わりますから」
「以上となります。もし拳大の魔石を見かけたら、ラジオ局にお知らせください。あまり近づかないように。それでは今日の放送は終わります」
すぐにドーゴエが、ラジオ局に駆け込んできた。
「強盗が当たり前の傭兵の国でも、他人の作った物には敬意を払う。呪われる可能性だってあるんだ。傭兵の子どもなら皆知ってる。町の質屋や冒険者ギルドに拳大の魔石が流れたら、すぐに学院に報せるよう頼みにいって構わないか?」
「お願いします。ドーゴエさん」
他の特待十生もすぐに動き始めていた。さらに生産系のグループの鍛冶屋連合や薬学共同体などの学生たちも、雨が降っているというのに建物の外まで探し始めた。
ただ、一向に手がかりすら見つからない。そもそも魔法陣を描けるのは俺とシェムと、校長などの教師数人だけ。未完成のダンジョンコアを持っていたとしても、使いこなせるはずはない。
犯人の目的は本当に、人類初の人工ダンジョン制作なのだろうか。
疑問が頭の中を渦巻きながら、ラジオ局員たちと交代で学内を探し回った。
王都の自宅に帰っていたアーリム先生も戻ってきて、魔道具学の工房内をひっくり返していた。
「木を隠すなら森っていうからね!」
一時間後、アグリッパさんがラジオ局にやってきた。
「創設者の石像の足元に布で包んだ塊がある。ポチが見つけたんだけど、確認しに行ってみてくれないか」
中庭に学院の創設者の石像はあった。その足元には、雨に濡れた手拭いに包まれ、魔石が置いてある。
「私の手ぬぐい……」
手拭いの中には確かに拳大の魔石があった。ただし、なんのコーティングもされていないただの魔石だ。
手拭いには『ごめんね。シェム』と書いてあった。
「これは私のダンジョンコアじゃない。何の魔法陣も描かれていないただの魔石」
「だったら、なんの謝罪だ?」
ゴズさんはキレていた。
「これは挑戦状だ。作る喜びより、褒められる喜びを選んだ犯人からの挑戦状だろ……」
ゲンローの声は低く、怒りが沸点に達している。
「シェム。私とコウジが全力で手伝うから、もう一度、一からダンジョンコアを作れる?」
アーリム先生が、シェムに優しく語り掛けた。
「はい。作ります」
「大丈夫。現実と向き合っていれば、遅くなっても必ず完成させられるわ。足りない物がわかるから。そうでしょ?」
アーリム先生は振り向いて俺たちに聞いてきた。最近、ずっと自身の現実と向き合っているゴズとドーゴエは大きく頷いている。
「犯人はどうなりますか?」
シェムよりも怒っているゲンローが聞いた。
「現実と向き合えなくなった者の行く道は二通りだけ……」
その後、アーリム先生が言った言葉は、秋の深夜に降る雨よりも冷たかった。




