『メリッサのワスレナグサ』
「理由が知りたいだけなんだ」
アタシの旦那は、いつもそう言っていた。
「メリッサ、どうして僕らの種族のほかに誰もいないと思う?」
「知らないよ。ルドルフ、石板の解読をしているあんたが知らなきゃ、アタシたちの種族の誰もわかりっこないよ。ゴホッ」
「ああ、ほら。お茶を飲んで」
アタシは生まれつき喘息を持っていた。幼馴染でもあるルドルフは、アタシが少しでも咳をすると、必ず青い花のお茶を淹れてくれる。そのお茶を飲むと、すっと呼吸が楽になるのだ。最近はそのお茶のおかげか、ほとんど喘息の症状も出ない。
「アタシはこれから畑仕事に行くんだから、早いところ朝飯食べちまいなよ」
「うん。それにしてもメリッサの作る朝飯はいつも同じだね」
私の作る朝飯は、蒸したバレイモにスピリリナのソースをかけた簡単なものだった。
「文句があるのかい?」
「いいや、ないよ。むしろ毎日こんな美味しいものを作れるなんて、メリッサは石板に出てくる魔法使いか何かかと疑いたくなるくらいさ」
私の旦那のルドルフは、よく皮肉のようなことを言って人と喧嘩をするが、本人はまったく無邪気で嘘がつけない人だった。だから、族長も石板の解読をルドルフに頼んだのだ。
鉱山を掘り進めていると、時々、かつてこの世界で起こったことを記した石板が出てくることがあった。邪神と悪魔との戦い、竜族の誰かが書いたという伝記、世界が半分に分かれた話や、世界が分かれる前にいた魔法使いや錬金術師の話などが描かれているそうだ。
「最近出てきた石板に、『世界樹』の森に住むエルフっていう種族について書かれていたんだ。僕らの祖先とそのエルフっていう種族は仲が悪かったそうだ。ほら、僕らはそんなに魔力を使わなくても生きていけるけど、エルフは魔力なしじゃ、何の役にも立たない種族だったそうだよ。不思議な種族だよね。もし、世界が繋がったら会えるだろうか。どうして世界は分かれちゃったんだろう。せめて理由が知りたいな」
ルドルフはバレイモを食べながら、ずり下がったメガネを直していた。暗い鉱山の中で石板を解読しているから、ルドルフの目は悪い。腕もほかのドワーフの男どもよりもひと回りは細く、腹もガリガリ。でも、石板に描いてある遥か昔の話をしている時の目は子どもの頃から、ちっとも変わらない。
私はたぶんその目に惚れたんだ。
あの日もルドルフはいつものように、石板を解読しに鉱山の中にいた。私たちドワーフの女どもは草原の畑で水やりをしていた。かつて邪神と悪魔が戦ったというこの地は四方を山に囲まれ、『悪魔の亡骸』と呼ばれる窪地には魔素も豊富にあった。周辺には草木が生い茂り、畑の野菜もよく育つ。
昼飯を食べて、昼寝でもしようとしていた時だった。
空から、巨大な何か邪悪なものが降ってきた。よくわからないけど、とにかく邪悪だとドワーフ全員が感じた。
その後、突風が吹き、空は黒い雲で覆われ嵐がやってきた。家の屋根は飛ばされ、ドワーフたちは鉱山に隠れるしかなかった。
翌日、晴れた空の下、草原の中心から大きな木が生えていた。
「あれは石板に描かれた……いや、そんなはずは……」
ルドルフは木の調査を始めた。
木は窪地の魔素溜まりの魔素を吸い、幹は脈打つように肥大し、枝葉が空を覆う。魔物たちは木に巣を作り、アタシたちは木の成長に目をつけて、挿し木をして果物や野菜を育てた。
食生活は一変して、いち早く挿し木をした者たちから太っていく。まだ、その木がなんなのかわかりもしないのに。
太ったドワーフの一人が、木の根に魔力を吸い取られ死んでいるのが見つかったのは嵐から一週間ほど経った頃だった。
すぐに族長は避難しようと言ったが、聞く耳を持つ者は少なかった。ほとんどのドワーフたちは、魔物が巣を作って生活しているのに、自分たちが生活できないはずがないと考えていたようだ。
アタシはルドルフに相談した。
「メリッサ。たぶん、あの木は世界樹だと思う。どうしてここに世界樹が現れたのか、あの嵐の日に降ってきた邪悪なものは何なのか、石板を解読していた僕が調べなくちゃいけない。メリッサは避難してくれ」
そう言って、ルドルフはアタシの肩にコートをかけてくれた。
「山の上の方は、寒いんだって」
「調査が終われば、ルドルフと会えるよね?」
不安そうなアタシに、ルドルフはずり下がったメガネを上げて、
「もちろんだよ。ほら見てよ、この石版。世界樹の実を食べると、全知全能になれるって書いてある」
と石板を見せてくれた。
「世界樹の実を食べたら、メリッサがどんなに遠くに行っても僕は見つけるよ」
そう言って、避難するアタシを見送った。
黒竜の洞窟に住み始めてから、ルドルフにもらったコートを洗濯しようとした時、ポケットに封筒を見つけた。中には青い小さな花の押し花が入っていた。アタシの喘息を治した花。名前を、
「ワスレナグサ……」
という。花言葉は『私を忘れないで』。
アタシは、ようやくルドルフが死を覚悟していたことを知って、溢れる涙を止められなかった。




