351話
青々とした葉が空に向かって日光を寄越せとばかりに広がり、牛よりも大きな虫の魔物が勢力圏を奪い合いながら食うか食われるかの死闘を繰り広げている。緑の匂いは濃く、毛穴という毛穴から入り込んできそうだ。
世界樹は夏真っ盛り。
「……これが世界樹」
フェリルは圧倒され、アーリムは言葉が出ないようだ。
「そう、これが世界樹。一本の巨木が作った世界でも異質な環境だ」
魔力の壁を展開し、茂った葉をかき分けて中に入る。
世界樹を管理しているドワーフたちは、昔、俺たちが拠点にしていたところをそのまま使っている。
お茶を沸かして拠点で待っていると、仕事を終えたメリッサとゼットたちが戻ってきた。
「あれ? 今日来るって言ってた?」
「お、メリッサ。お疲れさま。ちょっとコムロカンパニーの会議でここを使わせて」
「そりゃ、いいけど……。あれ? そのドワーフのお嬢さんたちは、もしかして?」
メリッサがフェリルとアーリムに気づいた。
「ドワーフの女性ばかりの集団が、こんな危険な環境でなにを!?」
「先生、この方たちは?」
フェリルがメリッサたち世界樹の管理人たちを見て、聞いてきた。
「この女性たちが世界樹の管理人さんたちだ。美人揃いだろ? きれいなだけじゃなくて圧倒的に強い。これが君たちが会いたがっていた南半球に住むドワーフの女性たちだ」
「なんだい? やけに褒めるじゃないか? ナオキ、なにかまたやらかしたね?」
「勇者たちの国でちょっと借金を……。いや、それよりも北半球で育ったドワーフの娘さんたちを紹介しよう。フェリルとアーリムの姉妹だ。フェリルは北極大陸で血液の学者さんをしている。アーリムは町ごとを滅ぼしかねない魔道具を作った魔道具屋さん」
「先生!」
アーリムがツッコんだ。
「それほど優秀な魔道具師ってことだよ」
「そうかい、優秀なんだね? 嬉しいねぇ。北半球でもしっかり生きててくれたんだねぇ。差別されたりしなかったかい? バカにされたりは?」
「北半球では珍しい種族ですから多少は……」
「こんなに多くのドワーフを一度に見たのは初めてです」
世界樹の管理をしているドワーフは8人。集落にはもっといる。
「嬉しいねぇ。こんなに嬉しいことはないよ。赤道の壁を隔てて会えなかった同じ種族が再会できるなんてね」
メリッサは「嬉しい」と繰り返して、目に涙を溜めた。
「ごめんね。おばちゃん、泣き虫で……」
メリッサが目に溜まった涙を拭うと、フェリルとアーリムが抱きついた。それでメリッサの涙腺は崩壊。
ドワーフたちはお互いの存在を確認するように抱きしめ合っていた。赤道の壁を隔てて離れ離れになっていたドワーフたちが1000年ぶりに再会した瞬間だった。
「どんな魔法を使ったんだ? あのメリッサが泣いておる」
ドワーフたちだけにしようと拠点の外に出ると、黒竜さんのお兄さんであるゼットが声をかけてきた。
「仕事中は泣いてなかったですか?」
「ああ、あの娘は鉄のように強く、抜け目がなく、迷いがない。人は一面だけで生きてるわけではないのだな」
「そうでしょうね。どうです? 世界樹での仕事は慣れました?」
「腹いっぱい食べられる。ドワーフの娘たちは気持ちのいい働き者だ。人と関わるのもいいものだな」
ゼットは1000年ずっと建物を作っていたのだから、人の営みには関心があるのだろう。
「もし、今みたいに人に命を狙われることもなく、怖がられもしないとしたら、今の世界をもっと知りたいと思いますか?」
「前も言っていた人との共存か。世界樹だけでなく、世界も見ろ、と? 我は目が見えぬのだぞ」
「だからこそ、世界を肌で感じていただきたい。いや、正直に言いましょう。俺の計画にゼットの力が必要なんです。協力してもらえませんか?」
「その仕事の過程で世界に行くということだな?」
「そういうことです」
「計画を聞いてみないことにはな」
「後で、会議の時に話します」
「わかった」
その後、今が旬だという噛み付いてくる果物、カム実の話で盛り上がった。
「ん? 弟の気配がする?」
ゼットが突然、頭上を向いた。
「なんだ、あれは? まさかあの大きさの竜玉は……」
巨体のゼットが怯えている。なにかあったのか。
しばらく待っていると、ベルサと黒竜さんが、直径3メートルほどある丸い魔石を持って拠点にやってきた。
「悪い。遅れた?」
ベルサが聞いてきた。
「いや、まだ始めてない。今、ドワーフたちが1000年ぶりに再会してるとこ」
「そう。よかった」
ベルサと黒竜さんからは海の香りがした。
「弟よ。その魔石は、竜玉だろう? いったい誰の……」
「おそらく始祖の姫君かと……」
「まさか、いや……」
黒竜さんとゼットは黙ってしまった。
日が傾き始めた頃、メリッサたちはアーリムたちをドワーフの集落に連れて行くことに。
「なにかあればまた連絡して」
「ありがとう」
メリッサたちを見送り、俺たちは拠点に入った。黒竜さんとゼットは人化の魔法で人型になり、うちの社員と含め7人がテーブルを囲んだ。
「先に、ベルサの報告を聞くか。ちょっと外にあるバカでかい魔石が気になるしな」
「いいの? じゃあ、南極大陸の報告から。南極大陸の夏は北極大陸と同じように苔や地衣類が繁茂してたんだけど、それ以上に海の中がすごかった。なんて言えばいいか、海藻の森が広がってて、小さい魔物が集まってたし、海獣の動物たちも多かったんだよ」
海獣の動物とは妙な言い方だが、要するに魔石が身体の中に入っていないということだ。言語スキルでこの世界の言葉を理解している俺の耳にはそう聞こえてしまう。
「どうやって海に潜ったんだ?」
「魔力の壁で身体を覆えばいいじゃない? 潜れば潜るほど水圧がかかるけど、私たちにとってはたいしたことないよ。まぁ、とにかく海底には豊かな環境があったんだよ。調査を進めるうちに、あの大きな魔石が見つかった。あれは竜玉と呼ばれるものなんですよね?」
ベルサが黒竜さんに聞いていた。
「そう。竜族が自分の魔力を溜めておく玉だ。元来、竜族は魔力量が他の魔物よりも多いのだ。魔法を使わないと体に溜まっていく一方で、病気になることもある。それで小さな石ころに身体の中の魔力を出して作るのだ」
「レッドドラゴンに貰った大きい魔石もそうですかね?」
俺が黒竜さんに聞いた。レッドドラゴンの魔石は一樽ほどだったが、外にある魔石はその何倍もある。
「ああ、そうだ。あいつも引きこもっていたからな。ただ、南極の海にはあの大きさの竜玉が一面に広がっていた」
「表面に苔が生していたけど、私は南半球に来た時のスライムを思い出したよ。あそこまで大きな魔石は魔物も飲み込めない。南極の海が緑豊かな理由は、あの魔石の魔力を苔や海藻が吸って育ったからだとわかった。でも、あんな竜玉を誰が作ったのかっていう疑問が残る」
「あれほどの大きな竜玉を作るのは我輩たち兄弟でも無理だ」
「周辺を調査した結果、海藻の森からちょっと離れた場所に山が見えた」
「山ですか?」
セスがベルサに聞いた。
「ああ、海底にあるなだらかな山さ。それに近寄っていくとドクンドクンと脈動している。山の表面は鱗のようなものに覆われていて、周辺には石柱がいくつも海底に横たわっていた。おそらくなにか社的なものの跡だと思う」
「鱗は竜のそれに似ていたのだ」
黒竜さんがそう言うと、ゼットは「むぅ……やはり、か」と唸るようにつぶやいた。
「それは巨大な竜が海底に眠っていたということですか?」
「山の全長は3キロメートルほど。見えているところだけで、それほど大きい。つまり、山よりも大きな竜が生きたまま海底に埋まっているんだ。正直、魔物学者として今まで学んできた常識をぶち壊されたよ。どうやって呼吸しているのか、どういう方法で栄養を取っているのか、生殖はできるのか、なぜ海底に埋まっているのか、興味は尽きないが『7つの謎』の一つが、ヒントを教えてくれた」
「それが『海底に眠る花嫁』か?」
「そうだ」
黒竜さんが答えてくれた。
「人族の間ではあの謎についてどう伝わっている?」
「冒険者たちの間でも、『海底に結婚したての花嫁が閉じ込められている』くらいかな? 『世界樹の実』とかと違って、まるで情報がなかったはずだけど……」
元冒険者ギルドの教官であるアイルが答えた。
「そうか。あれは竜族に伝わる伝説なのだ。遥か昔、魔族の王と結婚した花嫁が龍脈の暴走を止めるため、身を投じ封じた。その花嫁の魂は王とともに今も安らかに眠っている。しかし、魂のなくなった妃が子を産んだ。子は鱗に覆われ、膨大な魔力を有し、あらゆる種族よりも長寿となった。それが竜族の始まり」
「竜族でさえ、その話を信じる者はいなかった。それを見つけてしまったのだな?」
ゼットが黒龍さんに聞くと、ゆっくり頷いた。
「おそらくあの竜玉は龍脈を止めた花嫁が作ったものと考えれば、大きさも量も説明がつくのです」
黒竜さんはゼットに言った。
「龍脈ってウーシュー師範の師匠が書いていたっていうアレだろ? 乱れると天変地異が起こるっていう。俺たちも地下に潜った時に見つけたよな」
俺はベルサに聞いた。
「そうそう、あの地底にある膨大な魔力の流れね」
「あの流れを竜の花嫁は止めてるってこと?」
それは魔力過多どころじゃないんじゃ。竜族にしかできない。
「しかも龍脈ってこの星に何本か通ってるみたいなんだ。魔力絡みで起こった事故や事件を地図で確認してみて」
ベルサが言うので、俺たちはアイルが描いた各所の地図を広げ、テーブルの上に世界地図を作った。
「魔族領のマジックパウンドや火の国のスノウフィールド?」
「それからエルフの国の世界樹にメルモの実家付近の山間もおそらくそうだよ」
アイルが言った。
「え? 私の実家ってそうなんですか?」
「あそこら辺はキメラが発生しやすい土地だからね。たぶん、メルモのお父さんは新種のキメラを殺してレベルが上ったんだ」
メルモは衝撃の事実に「そうだったんだぁ~」と呆然としていた。
「ごめん、辛い思い出だったな。気になって前に調べたことがあるんだ」
アイルがそう言うと、「いえ、原因がわかってよかったです」と返していた。
「ということは、突然発生する巨大な魔物も龍脈絡みってことですか?」
セスがベルサに聞いた。
「そうかもしれないね」
「だったら、アリスフェイ王国のマリナポート近海には度々大型の魔物が現れますよね」
「海底よりも龍脈は深いところを通ってるから可能性はあるね」
「あれってマルケスさんのダンジョンが近かったからじゃなかったのか?」
俺がセスとベルサに口を挟んだ。
「成長剤で巨大化してるって私も思ってたんだけど、それだとエチッゼンの大量発生が説明できないんだ。逆に龍脈を原因と考えると説明できてしまうんだよ」
「竜の住処も確認してみるといい。竜は自然と龍脈上に住むと言われているのだ」
ゼットが口を開いた。
「となると、竜の島もそうだし、レッドドラゴンがいた火山もそうだ」
「竜の娘たちは、ウェイストランドの荒野にいた者が多い」
黒竜さんが教えてくれた。
「他と離れているところは置いといて、近いところのを結んでいくと南北に龍脈が流れていることがわかるでしょ? 当たり前だけど南北に線を引いていけば北極大陸に向かう。その線が交わる部分になにがあるかと言うと……」
龍脈の交わる地点を地図で見るとポーラー族の基地があった。
「光の精霊のダンジョンか?」
「そう。龍脈の出発地点には光の精霊が作ったダンジョンがある。魔力が膨大にあって当然だよね」
「じゃあ、終着地点には? もしかして……」
俺は恐る恐るベルサに聞いた。
「北半球の龍脈から、南半球にあった魔素溜まりの場所を直線で結んでいってみて」
今いる世界樹も線で結ぶ。巨大なスライムがあったと思われる場所もアイルの地図には描かれている。それから土の悪魔が作ったダンジョンも。
南半球で線が交わる場所は、南極大陸の海。
「やっぱり。龍脈の出発点が光の精霊のダンジョンなら、終着点は『海底に眠る花嫁』なんだよ。ただ、この1000年の間、龍脈は空間の精霊が作った赤道の壁で止められて、南半球に届いていなかったんじゃないかなぁって思う」
「どうして?」
「海底に落ちてる大量の竜玉から花嫁の山はちょっと離れていたし、周囲に竜玉もなかったんだよね。それにさ、いくら邪神が暴れて地上に魔力溜まりを作ったって、海の底に隠れている魔物から魔力が消えるって変じゃない?」
南半球の海には探知スキルでは反応しない動物が生息している。魔力が地下に流れているなら、海の中から魔物が消えるというのもおかしい気がする。
「ちょっと待って。じゃあ、今まさに、龍脈から魔力がどんどんその海底の花嫁に向かってるってこと?」
それは魔力過多どころじゃないんじゃ。
「いや、それだとおかしくないですか? 赤道の壁が龍脈を止めているなら、僕たちはどうやって南半球に行き来したんです? 土の悪魔が作ったダンジョンも龍脈上にあるんですよね?」
セスがベルサに聞いた。
「私たちが初めて北半球から南半球に向かった時、土の悪魔はなにを持っていた?」
ベルサが全員に聞いた。
「邪神から渡されたダンジョンコアだ。ダンジョンコアは本物そっくりの亜空間を作れる。俺たちは亜空間を通って、北半球と南半球を行き来していたと?」
俺が答えるとベルサは「まぁ、全部仮説に過ぎないけどね」と言っていた。
「竜玉の位置と付着している苔類の様子から、想像して考えると、そう思っただけ。でも、とにかく竜の花嫁が最近、竜玉を作ってないってことだけは本当でしょ。それって、ヤバくない?」
「ヤバいな。龍脈の魔力が集中しているのに、魔力を放出せずに身体の中に溜め込んでるってことだからね」
竜の花嫁が、このまま魔力を溜め続けたら、いずれ死ぬ。そうなると龍脈が乱れて天変地異が起こる。
その場にいた全員が青ざめた。ただ一人、俺だけは、違うことを考えていた。
「でも、龍脈から魔力を引き上げて使っちまえばいいんじゃないか?」