340話
昼頃に起き出して窓を開けた。
「晴天だな」
まだアイルから連絡はない。なにか手間取っているのか。
「アイル、あと、どれくらいかかる?」
通信袋で連絡してみる。
『ん? ああ、ちょっと今、姫君が親離れしているところだ。もう少しで決着がつきそうだけどね。そっちは?』
アイルの通信袋からは金属がこすれるような音が鳴っている。レクリア姫が殿様と戦っているのかな。
「闇の精霊と話をつけておいた。もう開国することは決まったようなものだ。レクリア姫は人質として必要ないぞ。たぶん」
『そうかぁ。今、ちょっと手が離せないみたいだから、あとで聞いてみる』
「わかった。それから、そろそろ俺の計画を話しておきたいんだけど、社員集められるかな?」
『ベルサ次第じゃないか? 今、南極だろ?』
そうだったな。黒竜さんと南極の魔物の生態調査に行ってるんだっけ。
「あ、そうだ! 黒竜さんのお兄さんがうちの社員になったって言ったか?」
『いや、聞いてないが、ベルサがそんなようなこと言ってたな。大事なことだから、ちゃんと教えてくれよ』
「すまん、暇そうだったからスカウトしたんだ。とんでもない建物を一瞬で作り出す化物だ。うちの会社にはピッタリだろ? お前たちにも紹介しないといけないな。やっぱり一度集まろう」
『どこに集まるんだ?』
通信袋があるから、どこでもいいのだが黒竜さんのお兄さんことゼットは目が見えないからな。
「世界樹がいいだろう。そうすると、先に南半球の水問題を解決しておくか。どうせ通り道だし」
世界の主要な場所には行っておく必要がある。
『さらっと言うなぁ。若い勇者たちも必死で水源は探してるみたいだけど、ナオキに秘策でもあるのか?』
「秘策ってほどじゃないけど、飲水さえ確保できればいいんだよな?」
水魔法で作る水は魔素が濃く魔力過多になってしまうので飲水にはできないらしい。
「ろ過でもするのか? ちなみにベルサと一緒に水魔法で作った水の中に吸魔草を入れたら、一瞬で吸魔草が吸うし、余った水は渋すぎて飲めたものではないぞ」
アイルたちもいろいろ実験しているようだ。
「俺は、いくつか考えて持っていくよ。ま、その前にアペニールの農学者たちを安全に南半球に送り出さないと」
「随分、あの農学者たちが気に入ったみたいだな?」
「土の劣化を防ぐって文明にとっては結構大事なことだと思うんだけどなぁ。まぁ、もちろん俺が前にいた世界は人口70億人とかだったから無理をしないといけないと思うんだけど、この世界はそんなに人口いないだろ?」
「前も聞いたけど、そんなに人がいたら魔物も植物も食い尽くさないと生きていけないんじゃないか?」
「大量絶滅期ではあったと思うけどね」
あの世界は今頃、どうなってるんだろうな。肥満が増えていたから食べ物に困っているようにも見えなかったが。
『あ、勝った! こっちは姫君が勝ったよ』
どうやら親離れ成功のようだ。
「それは、よかったなぁ。とりあえず、農学者たちの選出しておくから、あとから合流してくれ」
『了解。社員の皆にも、なんとなく言っておく』
「頼みます」
通信袋を切って、寝ていたときに固まった身体を解すように伸びをする。天井を見上げると蜘蛛の巣が隅に張られていた。
使っていなかった客室なのだろう。一晩借りた部屋なので、箒でホコリを掃き、クリーナップをかけて掃除。ドアの前に誰かいるなぁと思ったら、掃除担当の女中さんが部屋の外からこちらを見ていた。
「おはようございます。こんにちは、か」
「異国の社長さんって聞いていたんだけどねぇ?」
女中さんは箒を持ったまま、戸惑っている。
「ああ、こう見えて社長ですよ」
「でも、箒を持ってるじゃないですか?」
「社長が箒持っちゃダメですか?」
女中さんは「えぇ、異国の人はわからんわぁ」と言ってベッドのシーツだけ替えていた。
「二人でやったほうがきれいになるよ」
俺は手伝いながら聞いた。前の世界で見たホテルのベッドメイキングを思い出す。
「私の仕事を取る気かい?」
「異国の社長でも雇ってくれますか? 給料は置いといて飯だけはたらふく食べたいんですけど、この兵舎にありますかね? 起きたばかりで腹減っちゃって」
俺がそう言って腹を擦ると女中さんは笑っていた。
「残り物ならあると思いますよ。食堂でおにぎりでも作ってもらえばいいんじゃない?」
気安く話しかける俺に女中さんは、早くも慣れてしまったらしい。
「よし、そうしよう。食堂ってどこ?」
女中さんに案内してもらって、おにぎりを作ってもらった。おにぎりには茶色の調味料が塗ってある。舐めてみると、味噌そっくり。その上、漬物まで用意してくれた。すべて笹の葉で包んで談笑していたら、クリフトさんが慌てて食堂にやってきた。
「起きたなら起きたって言ってくださいよ!」
「起きたよ」
俺がそう言うと、クリフトさんは女中さんたちを睨みつけた。
「お前ら、この人がどういう人かわかっているのか!?」
女中さんを怒り始めたので「俺が悪かった。全部俺が悪い」とどうにか謝った。
現在、兵舎では南半球に向かう兵たちを選出しているという。戦闘技術よりもサバイバル術などに長けている者を選んでいるのだとか。
「農学者の学舎みたいなところはあるんですか?」
「大学があります。案内します」
クリフトさんが6人の兵を集めて、俺を農業大学へ連れて行くように指示を出した。
「クリフトさんはついてきてくれないんですか?」
「ええ、私は姫君の護衛に専念することにしました。兵長も譲ることにしましたし」
クリフトさんの目は決意に満ち溢れていた。
「随分、急ですね」
「それを社長に言われるとは」
「あ、そういえば、レクリア姫は親離れしたみたいです。殿と戦って勝ったみたいですよ」
「え!? いや、まさか……」
「親の知らぬうちに子は育ちますからね」
「いや、そうなると私の給料は誰が払うのかという問題が発生するんですよ」
クリフトさんはレクリア姫を護衛すると決意した途端に、国のトップから離れることになった。軍の所属ではなくなるのかな。
「波乱万丈ですね」
「はぁ……」
クリフトさんの顔が真っ白になってしまった。
「ど、どうすれば」
「これからの時代、国に所属するよりも冒険者とかのほうが面白いかもしれないですよ。ご家族は?」
「います。妻と娘が3人」
「そうですか。まぁまぁまぁ、よくレクリア姫と相談して決めたらいいですよ」
「はぁ」
クリフトさんの目は虚空を見つめ、気のない返事しか返さなかった。人生の節目で、いろんな思いが駆け巡っているのだろう。
結局、俺が6人の部下たちに連れて行かれるまで、クリフトさんは食堂の椅子に座ったまま動かなかった。
「俺も今年中に変わらなくちゃな」
6人の兵に囲まれて、俺は農業大学へと向かった。
すでに再び南半球へ向かうことが知らされているようで、俺が大学の敷地内に入った瞬間、大勢に囲まれた。
「選出はどういう試験でやるんですか?」
「前回の選ばれなかった者も選ばれる可能性があるというのは本当ですか!?」
「南半球の土は質が違うというのは!?」
「現役の農家はダメか?」
老若男女、アペニールで農業に携わっている人たちが集まっている。人だかりができれば周囲も注目し、さらに多くの人が集まってきてしまった。100人、200人では収まらず、6人の兵でも対応しきれなくなっている。
農学者の選出どころじゃなくなってきたな。
「あなた方が行きたいのは南半球か!? それとも世界か!?」
俺は大声を張り上げた。周囲にいた農業に携わる者たちが一瞬黙った。
「北半球と南半球の壁がなくなった今、世界は大きく変わっています。アペニールの農業もまた世界を変えられる可能性がある。そんな能力のあるあなた方が行くべきは南半球だけでいいのか、よく考えていただきたい!」
「異国の人よ! アペニールは鎖国しているんだぞ。儂らは許可されている南半球以外には行けないのだ!」
農家の爺さんが叫んだ。
「周囲の国が南半球への航路を探っているなか、通り道であるこのアペニールが鎖国したままだったらどうなるか想像してみてください。早い段階で侵略戦争が起こるでしょう」
南半球に行った農学者以外はどよめいた。
「まさか、お前は敵国の者か!?」
「ふざけるな! やはり異人などアペニールに入れてはならなかった」
「そんなバカな! 兵は何をやっている!?」
騒ぎになってしまった。煽りすぎたか。
「ここにいる兵は俺を守ってくれています。俺は戦争をしに来たんじゃない!」
「では何をしに?」
農家の爺さんが聞いてきた。
「俺は開国を迫るためにアペニールにやってきました」
「開国? 宣戦布告をしに来たのではないのか?」
「レクリア姫を人質にして、開国させようと交渉しに来たんです」
俺はあえて正直に話した。
「儂らの姫君を? やっぱり悪人じゃないか!」
「なぜ兵たちはこの男を捕縛しないのだ!?」
「南半球への案内人ではないのだな!?」
情報が錯綜しているようだ。
「俺は丸一日、アペニールに滞在してレクリア姫を人質にするのはやめました。残念ながら、あなた方の姫君に人質としての価値はない」
「なんだと!? 不敬な!」
「でも、姫君を人質にしないのは良い判断だ」
「じゃあ、異人にとって価値のあるものとはなんだ!?」
一般的なアペニール人にとって最も知りたいこと。それは外の世界だ。
「俺たちにとって価値のあるものはこれですよ」
俺はそう言って、おにぎりを取り出した。笹の葉から取り出して、口にする。
「失礼、朝からなにも食べてないんですよ。しかし、このおにぎりは格別に美味しい」
「お前にとって価値があるのは握り飯だってのか? ハハハ」
周囲から嘲笑が湧き起こる。おにぎりの価値を知らないらしい。まったくわかっちゃいないな。
「俺にとってじゃない。世界にとってだ!」
余っているおにぎりと漬物を見せた。
「アペニールは宗教国だ。闇の精霊を信仰しているから誤解を受けやすい。だけど、誤解をしているのはあなたたちの方だ。あなたは異国の者をどう思っている?」
一番近くにいた農家の爺さんに聞いた。
「野蛮だ。定住せず、移動しながら魔物を殺し肉を喰らう」
「あなたは?」
爺さんの隣の農学者たちに聞いた。
「妙な葉っぱを吸う人さらいだろ」
「魔物の国すらあると聞いたぞ」
「誤解している。知らないから恐れているだけだ。だけど、わけのわからぬものを恐れるのは邪神への信仰じゃないのか? わけのわからぬものを見つめるのが闇の精霊への信仰心というやつじゃないのか?」
「恐れてなどおらん!」
農家の爺さんが俺に言った。
「なら、教えよう。定住せずに魔物を狩るのは冒険者のことだ。彼らのおかげで辺鄙な村に魔物が出ても対処できるんだ。それから、妙な葉っぱを吸うことはほとんどの国で禁止されている。人さらいは奴隷商という職業があるからさ。奴隷制がある国は多い。借金苦になって自分を売る者すらいる。魔物の国ではなく、魔族の国だ。アペニールのすぐ北にある。姿形は魔物だが、彼らは意思疎通ができ、他国と交易もしている」
「すぐ北に!?」
「魔王がそんな近くに?」
兵たちは驚いていないが、農家たちは顔が青ざめていた。農学者の中には知っている者もいるようだ。
「心配するな。魔王はいない。その代り大統領がいる。俺の親友だ。魔族の国周辺で、魔族を認めていないのはアペニールだけだぞ。そもそも姿形が魔物でも受け入れているのに宗教が違うくらいで受け入れられないっていうのはおかしくないか?」
「儂らが誤解していると?」
農家の爺さんが聞いてきた。
「そう。あなた方は異国の者たちを誤解している。なにより誤解しているのはずっと俺が手に持っているこれだ! すべてこれに詰まっている!」
「だから、ただの握り飯だろ!」
農学者が叫んだ。
「そうじゃない。これは土を耕さずに作った米だろ? この漬物の野菜は? このおにぎりに塗ってある調味料はなんだ? 俺は北半球も南半球も色んな国を旅してきたが、こんなもの見たことがない! その農法はどんな技術なんだ? この野菜の品種は? この調味料のレシピは? このおにぎりは世界で最も価値のあるアペニールの特産品だ。つまり、あなた方の姫君には価値はないが、このおにぎりを作れるあなた方には価値がある!」
そう言うと、周囲の農業関係者たちは静まり返ってしまった。
「あなた方は自分たちの技術を普通だと誤解している。アペニールは鎖国している間に、農業は他では類例を見ないほど発展し、文化は熟成されとんでもない天才を生み出してしまった。今、この好機に鎖国したままでいるのは、この国にとっても世界にとっても大損害だ」
「知らなかった……」
農家の爺さんはポツリと呟いた。
「おわかりいただけたかな? ということで、俺はレクリア姫の代わりになる人質の選出を行いたい! 南半球に行きたいのか、それとも世界に行きたいのか、よく考えて申し込んでください。世界に行きたいなら、内側から鎖国をやめるよう動いたほうがいいかもしれません。すでにレクリア姫は殿に、ルーク様は貴族たちに説明するはずですから。南半球について知りたい人は、南半球から帰ってきた農学者たちに聞いてください」
ただ南半球に行くだけだと思っていた者たちの意識が変わり、南半球に行っていた農学者たちに質問が飛んでいた。
アイルがレクリア姫を連れてきたのは、それから1時間ほど経った頃だった。