339話
連れて行かれたのは古い長屋の一室。真夜中だと言うのに、その部屋だけ魔石灯の明かりが点いている。
引き戸を開けると、年齢がわからない女が内職のようなことをしていた。
「オエイ、こんな時間までやってたか?」
「おや? お髭の男爵じゃないか? お連れさんもいるのかい? こんな貧乏長屋に物好きなことで」
オエイと呼ばれた女は立ち上がることもせず、チラとこちらを見て目の前の作業を続けた。薄暗い魔石灯の明かりの下、彫刻刀でなにかを彫っているらしい。闇の精霊はお髭の男爵と呼ばれていた。
「版画かな?」
「ああ、木版画だよ。お連れさんは知ってるのかい?」
「いや、あんまり見たことはない。そんな薄明かりじゃ、目を悪くしないか? 魔石灯の魔石を新しいのに交換しようか?」
「いや、これでいいんだ。朝の日に当てて見たいからね」
光にこだわりがあるようだ。
決して美人ではないが、集中力は凄まじく、近づけない雰囲気がある。
「オエイの作る絵はスキルを超えているのさ」
闇の精霊は自慢するように言った。
「所謂、天才ですか?」
俺がそう言うと、オエイから舌打ちが聞こえてきた。禁句だったか。
「オエイの父親が天才でな。オエイだけがその血を引き継いだ。本人は気に入らないらしいがね」
「私は父親がやりきれなかった仕事を引き継いでいるだけ。それが案外、多いんだ」
そう言ってオエイは笑った。
「機嫌が良さそうだな? オエイ」
「男爵が色男を連れてくるからさ。わたしゃ顔から火が出そうだよ。滅多にこの長屋には年頃の男なんてこないんだ」
俺のことを言っているらしい。長屋には女性ばかりが住んでいるのかな。
「抱きしめたほうがいいですか?」
軽口を言ってみる。
「止めとくれよ! 壁が薄いんだ。皆が聞いてる」
「こんな夜中に?」
「うつし世はゆめ、夜みる夢こそまことってね。この長屋は未だ夢の中にいる宵っ張りの女どもの棲家さ。若い男の香りがしたら、うちに嗅ぎに来ちまう」
嫁に行かず、なにかしらの夢を持った女たちが住んでいるのだとか。
「そうかぁ、邪魔したみたいですね。また来てもいいですか?」
「来る時は手紙で知らせておくれよ。化粧して待ってるからさ」
随分気に入られたようだ。戸口を出たところで再び「あんた!」と呼び止められた。
「名前聞いてなかったね」
「ああ、ナオキです。ナオキ・コムロ。清掃・駆除会社コムロカンパニーの社長をしております。掃除をする時は呼んでください」
「へー、珍しい仕事をしてんだね。わかった。忘れずに覚えておくよ」
「オエイ、また明日の昼過ぎに木版画を取りに来る」
闇の精霊がそう言うと、「へーい」とオエイは顎を突き出して返事をしていた。闇の精霊はオエイのパトロンか。
「いい職人ですね?」
夜道を歩きながら闇の精霊に言った。魔石灯は点けず、月明かりの下、探知スキルで確認しながら進む。
「ああ、次の闇の勇者にしようと思ってる」
「長屋の絵師ですか。思い切った人選ですね?」
今の闇の勇者は姫だ。随分、身分に格差があるように思う。
「駆除人、お前さんの計画を聞いたら、こちらも考えを変えたくなるさ。次の時代は強さよりも、ああいうスキルに頼らない力を持つ者を勇者にしたい」
「なるほど。闇の精霊様は俺の計画が遂行されると思ってるんですね?」
「思ってる。人間の力を甘く見てるつもりはないからな」
結構、信用されてるんだな。
「そうですか。オエイさんの作品を見てみたいんですが?」
「今向かってる場所に飾ってある。あまり人には見せたくないんだけどな」
闇の精霊の隠れ家に向かっているらしい。
「お髭の男爵っていうのは?」
「人の社会に紛れるのも苦労するんだ。僧侶に見つかったら大変な騒ぎになるしな。貴族なら、追い返す理由も考えなくて済む。貴族の仕事をしている時は髭をつけてるから『お髭の男爵』と呼ばれてる」
ある程度地位がある方が自由が効くのだろう。
「お嫁さんは?」
「そんな者はいない。光の精霊と一緒にするな」
「ああ、そうか。ヨハンは光の精霊の好みだったのかな」
俺はイケメンの魔物学者の顔を思い出していた。
「会ったのか?」
「ええ、相変わらず、北極大陸のダンジョンに引きこもってますよ。光の勇者も引きこもりでしたが、俺が外に連れ出しました」
「仕様のない精霊だな。本当に」
闇の精霊は呆れていた。
丘の上に家の影が見えてきた。
「着いた。ここだ」
「え? ここ?」
丘の上まで道は続いているが、闇の精霊は目の前にある崖を指差した。思わず、魔石灯の明かりを点けて確認すると、大きな岩が崖の下にあった。探知スキルでみると、岩を動かすと洞窟がある。
「丘の上の家じゃないんですか?」
「あれは人間生活のための飾りだ。動かすのを手伝ってくれるか?」
闇の精霊に言われ、俺は岩を持ち上げ洞窟の中に入った。
「普段は影になって入るから、岩を動かすのは久しぶりだ」
洞窟の壁には松明がかけられており燃えている。光源が小さいので薄暗い。
「これ一酸化炭素中毒にならないんですか?」
「隙間が空いているから問題はない。それよりオエイの作品を見ろ」
奥に進んでいくと、壁に額に入った絵が飾られていた。
夜の広場で提灯の明かりに照らされた酒を酌み交わしている客たちが描かれている。まるで先程の俺と闇の精霊のようだ。全体的に暗い色彩だが、活気や楽しさが伝わってくる。
「やっぱりオエイさんは天才じゃないですか?」
「なかなか本人が認めないんだ。才能という言葉が嫌いでね。奥も見るか?」
闇の精霊は芸術が好きなようで、石像や木像もそこかしこに置かれている。闇の精霊の他にも神々を模した物もあるようだ。もちろん俺がいつも見ている神々とは違う姿だが。
「見てみろ」
闇の精霊が魔石灯に魔力を込めて掲げた。茶色の壁には白い人の手形がいくつもついていた。さらにその先には、オックスロードを狩る古代の人の姿が描かれている。
「これは!?」
「手形は1万年以上前に、こっちの狩りの壁画は2万年前に描かれたものだ。ここにずっと人が住んでいた証だな」
「今は精霊様が住んでるんですか?」
「そうだ。1万年前はアペニールのアの字もなかった。クロノスティタネスという国の属州だったこの土地に、国ができたのは赤道に壁ができてからさ。オレからすればたった1000年。だが、人の命はそれよりも短く、あまりにも眩しい。精霊にはこれほど美しいものは作れない」
「まさに芸術だと」
「わけがわからないがその美しさに圧倒され、じっくり見つめたくなる。その作者の人生を考えれば必然なのだが、人のつながりや運命という偶然が重ならなければ生まれない。それを芸術と名付けた。駆除人、これがオレの神々への対抗手段だ」
わけのわからぬものを崇めるのが神。拒絶するのが邪神。闇の精霊はわけのわからぬが圧倒されるものを見つめ「芸術」と名付けた。
神々と戦おうとしていたのは俺だけじゃなかったか。
「だから、オレはお前さんに協力するぜ。駆除人」
「助かります」
闇の精霊が仲間になった。
「一つだけ聞いてもいいか?」
「なんです?」
「理由は本当に依頼のためなのか? 他に理由があるんじゃないのか?」
闇の精霊は俺の痛いところをついてきた。
「ちょっと嫁さんと離れ離れになってしまいましてね。どうしても探さなくちゃいけない」
「なるほど、姿形は?」
「わかりません。転生してしまったので」
「そうか。だとしたら、この計画を作ったのは必然だな。それで偶然を引き寄せると」
「ええ、数が多いほうが偶然は起きやすいですから」
「面白い男だ。神々からすれば、人選ミスだがな」
闇の精霊はそう言って笑った。
「西の大平原にチーノという冒険者ギルドのギルド長がいます。よければ声をかけてあげてください」
帰り際、俺は闇の精霊に言った。
「わかった。必ず連絡する」
「では、開国の方、よろしくおねがいします」
「心得た」
闇の精霊のお墨付きをもらえたので、アペニールは遅かれ早かれ開国する流れになるだろう。
海の方から日が昇ってくるなか、俺は兵舎へと戻った。
「どこへ行かれていたんですか?」
兵舎の門でクリフトさんが腕を組んで待っていた。俺にあっさり脱出されて怒っているのだろう。
「ちょっと闇の精霊様に挨拶してきただけです」
「教会ですか?」
「いや、家まで連れて行ってもらったよ。アペニールができる前に描かれた芸術を見てきた」
「アペニール以前ですか?」
クリフトさんは徐々に怒っていることを忘れ、俺の話を聞き始めた。
「美しい壁画でした。あ、それから次の闇の勇者は決まっているようです」
「え!? まだ試験の日程すら決まっていないのですよ」
「本来、勇者は精霊が選びますからね。好きにさせてあげてはどうです?」
「本当に会ってきたんですか? 闇の精霊様に?」
「言ったでしょう。それより、今日はアイルたちが帰ってくる。南半球に戻る準備はできてますか?」
「待っていただきたい。殿がいる城まで数日かかります。いくら走るスピードが速いとはいえ戻ってくるのにも時間はかかるはず」
「お忘れですか? 俺たちは空を飛んで移動できるんですよ」
「では、姫君はここに戻ってくるんですか?」
そうか。レクリア姫は開国させるための人質だったんだよな。ただ、もう闇の精霊が開国する気でいる。ルークが貴族を集めているってことは『お髭の男爵』も招集されるわけだ。貴族方面はどうにでもなりそうだ。
殿にはレクリア姫本人が話をしてくれている。しかも、闇の勇者も変わる。
「いえ、すでに開国はアペニールの既定路線です。正直なところ、そちらの姫君に人質としての価値はなくなっています。できれば、農学者たちと人質交換をしていただきたい。農学者ならいくらでも連れて行っていいんですよね?」
「いや、それは……」
クリフトさんは明らかに顔が焦っている。俺を怒ろうとしただけなのに、いつの間にかこの国の状況が変わってしまっていることに戸惑っているのだろう。
「アイルが帰ってきたら、すぐに農学者の選出を始め、南半球に戻ります。兵の方々も遅れないように準備を。俺はそれまでちょっと寝ます。せっかく部屋を用意してくれたのに悪いですし」
俺はクリフトさんの横を通り、兵舎へと向かった。
兵舎では南半球へ行った兵たちが俺を待っていた。
「社長、いったいどこへ!? 部屋から消えてたんで心配したんですよ」
「心配かけてすまなかったな。ちょっと闇の精霊様と飲んでた」
「闇の精霊様と酒を!?」
「ああ、広場の屋台でね」
俺がそう言うと「そんなバカな」と兵たちは笑っていた。
「兵長はどこにいるんです? 怒られませんでしたか?」
「クリフトさんなら表にいるよ。怒られる前に説明した。あ、午後にはうちの副社長が帰ってくると思うから、また南半球に行く準備をしておいてね。一回行ったから、何が必要なのかわかってると思うけど」
「え!? そんなに早く戻るんですか?」
「我々は聞いてませんよ」
兵たちも戸惑っている。
「もしかしたら、君らは違う任務につくかもしれないけどね。クリフトさんに聞いてみて」
俺はそう言い残し、用意された部屋に向かった。
「そろそろ、社員たちにも計画を話しておかないとな」