337話
「溝を掘って、種蒔いただけでいいのか?」
北へと走りながらアイルが聞いてきた。不耕起農法に面食らったのだろう。
「実験だし、いいんじゃないか。案外、10年後にはあの農法の方が主流になるかもしれないよ」
「そういうものか」
「俺たちもたくさん実験してきただろう?」
「確かに。試してみなくちゃなにも始まらないのは、どこでも一緒か」
「失敗は嫌だけどな。諦めなければ成功するかもしれない」
俺のミリア嬢探しも始まったばかりだ。計画通りにいけばいいんだけど。
「あ、また置いてっちゃったな。ちょっと待とう」
アイルに言われて振り返ると、アペニール人たちが必死でついてきていた。フィーホースに乗ったルークもなぜか汗だくになっている。
適当な会話をしていて、走る速度調節を間違えたようだ。
「アペニールに着いたら、風呂入ろう」
「汗かいてるしね」
「いや、アペニールは鎖国してる国だ。俺たちは色んな場所に行くから、もしかしたら気づいてない病気も持ち込んでしまうかもしれない。エルフの里に入る時と同じさ。クリーナップだけじゃ、落ちない汚れもあるだろう」
「そういうことか。わかった」
東の空に日が昇っているところ。今踏みしめている朝露に濡れた草が、もしかしたら雑草の成長を阻害する被覆植物になるかもしれない。世界は未だ知らないことだらけだ。
北を向けば遠くに霧が見える。あそこが北半球のジャングル。アペニールはもっと東へ行ったところだ。
休憩をはさみつつ、俺たちは北東へ向けてゆっくり進んだ。
農業試験場を出て、4日後。山を越えると、ようやくアペニールの建物が見え始めた。
そもそも赤道に見えない壁があったため、国境線も高い塀もない。急遽関所を作り、南半球への道を通しているところだそうだ。
「じゃあ、皆さん並んで全員にクリーナップをかけていきます。それから関所で洗濯と風呂の用意をしてもらえますかね?」
「風呂と洗濯は中に入ってからでもいいんじゃないか? 町までまだあるぞ」
ルークがそう言いながら、フィーホースから降りた。
「南半球に行ってきたということは微魔物、闇がたくさんついています。それが疫病になるかもしれない。人は大丈夫でも家畜に広がれば、すべて殺処分になる可能性だってあるんです」
「せっかく闇の精霊を信仰しているなら、良い面も悪い面もちゃんと見つめないとね」
俺とアイルがそう言うと、全員納得して並んでくれた。
もちろん、俺たちが今までにない病気に罹るかもしれない。今のところ、アペニールの人たちと話したり触れ合っても特に咳や熱が出てないというだけだ。
「よくぞ、気づいてくれました。我々だけでは危うかった」
全員にクリーナップをかけ終わると、クリフトさんに言われた。
「いや、旅をしている間に覚えたことです。クリーナップでも汚れは全て落ちたわけではありません。だから風呂と洗濯が必要なんです」
学者たちは自分の身体を見て「すごい! 闇が消えてる!」などと言っていた。アペニールでもクリーナップは珍しい魔法らしい。普通に生活魔法はスキル上げないのかな。
関所から和装に胸当てを付けたようなデザインの装備をつけた兵が出てきた。
ルークが事情を説明して、大きな桶に水を張ってもらい、皆で衣服を洗濯。土埃がすごかったので、すぐに水は泥だらけになった。風呂も男女分かれて、近くの民家に用意してもらえるという。
「すみませんね。とても感謝しているとお伝え下さい」
「え? ああ、わかった」
兵は俺がお礼を言ったことに驚いていたようだ。
民家を貸してくれた農民は、風呂に入るまで病気が伝染るといけないので一時的に避難してもらった。茅葺屋根の日本家屋で、周囲は森に囲まれているので日が落ちる前には返さなくては。終わったら、家全体にクリーナップをかけておく。部屋の中に仏壇のようなものがあり、それが祈る対象になっているとか。
「きれいな家ですね。あまり汚れがない。いや、なんというか居心地がいい」
この国で清掃・駆除業者としてやっていくのは難しいかもしれない。
「闇の精霊様の教えです。きれいすぎるのも汚れすぎるのも良くはない。自分の心が落ち着く居心地のいい家に住むのが最も良いとされています」
年老いた学者が教えてくれた。
全員、身を清めてから、町へと向かう。
俺とアイルはクリフトさんや農学者たちに囲まれながらの移動だ。公式に入国してきた者は300年の歴史の中では初だそうだ。
「すまないが、ここは堪えてくれ。特例中の特例だからな。こうする他ない」
先頭を歩くルークが説明してくれた。フィーホースは関所に預けてある。
町には瓦屋根の平屋が立ち並び、町行く人たちは漏れなくこちらを見て一瞬足を止めていた。モンペのような楽そうなズボンに、上は派手な柄の浴衣のようなの服を着ている。柄は家系によって違うらしい。
「特使につき入国を許された者たちだ。道を開けてくれ!」
ルークがそう言うと人通りの激しい通りでも脇に退いてくれる。
種族は人族が最も多い。鎖国しているとはいえ、遭難者や海を渡ったアリスフェイ王国からの密輸船などもあり、時々冒険者や商人なども入国してしまうことがあるらしい。基本的には強制的に本国へ送り返すが、改宗すると永住権が認められるという。
闇は誰にでも平等に訪れるという教えがあるため、ほぼ差別はないとのこと。ルークに関しては所謂、先祖返りだそうだ。ドワーフ族は珍しいので、幼い頃は吉兆の証とされていたとか。
代官所という建物で俺たち二人は待機。ルークや農学者たちはそれぞれ報告しに行く場所があるらしく、どこかへ行ってしまった。残ったのはクリフトさんとレクリア姫たちだけ。暗がりの部屋で胡座をかいて待っていると、徐々に眠たくなってしまう。
グーッ!
レクリア姫の腹の虫が鳴ったため、笑いが漏れた。
「どうなろうと、人間腹は減るからな」
「コムロ社長、なにか食べますか?」
クリフトさんが聞いてきた。
「レクリア姫が食べたいものでいいんじゃないですか?」
「なら、茶漬けですな」
クリフトさんは部下に命じて、お茶漬けを用意してくれた。まさか、ここまで来て帰れという意味じゃないよな。
焼いた魚の魔物の切り身が入ったお茶漬けがお椀で出てきた。
「新鮮な魔物ですから生でも腹は壊しません」
訝しげに見ているアイルにクリフトさんが説明した。
「なるほど、米のスープのようなものだな」
「全然、違うぞ。これはこうして食べるものだ」
俺はお椀に口をつけ、ズゾゾゾと一気にかき込む。縄を解かれたレクリア姫もクリフトさんも皆同じようにかき込んだ。
「美味い! 腹にしみる美味さだ!」
俺がそう言うと、「口に合って何よりです」とクリフトさんが返した。
「アペニールも米食なんですか?」
「いえ、小麦も作っているのでパンや麺類も食べますよ。昔、小人族の商船が遭難してきた時に米の栽培方法を教わったそうです。それから広く食べられるようになりました」
「発酵食品も多いんですか?」
「ええ、闇の力による食品は多いですね。日持ちしますし」
もっと早く訪れていればよかったな。
その後、ルークと一緒に代官がやってきた。
「アペニール以外でのことは預かり知らぬことだ。そちらが如何ようにしても構わん。だが、その闇の勇者は大事な姫君でもある。殺さずに、アペニールまで連れてきてくれたことは感謝致す」
代官は決められたようなことを言った。
「では、本当にどのようにしてもいいのですね?」
俺は代官に聞いた。
「いや、できれば五体満足で無事に返していただきたい。何卒、お慈悲を!」
代官が正座をして床に手をついた。
カタ。
頭の上から音がした。天井に誰かがいる。
「条件さえ飲んでいただければ、こちらはすぐにお返しします。あー、えーと天井裏にいる方々もよくお聞きください。鎖国を解いて世界にアペニールの農学を広めて頂きたい」
「農学? 鎖国を解くだけではないのか?」
代官は鳩が豆鉄砲を食らったような顔で俺を見た。
「ええ、アペニールの農学は世界的に見ても非常に珍しく、時代の先を行く文明を守るようなものに見えました。農学者たちに世界に出る自由を! 開国はおまけみたいなものです。自由に出入りできた方がいい」
「いや、もちろん、私のような地方の代官が決められるようなことではない。貴族たちにも報告しなくてはいけないし、殿に話を通さなくてはならぬだろう。時間がかかることだ」
「わかりました。では一週間後にまた来ますか?」
「一週間!? とても一週間では無理だ」
「無理を承知で言っています。では一ヶ月?」
「とてもとても……地方の貴族が集まるだけでも一月はかかる」
「なら、2ヶ月にしますか? 北半球では冬の終わり、新年を迎えるまでには決めて頂きたい。レクリア姫も早く帰りたいでしょうしね」
「新年まで!?」
代官は驚いてはいるものの、できないとは言わなかった。
「ルーク様、開国に先立ち懸念される事項について、書き記しておいてもらえますか?」
「承知! 誰か紙と筆を!」
クリフトさんの部下が紙と筆、それから墨を持ってきた。
「よろしいですか?」
「よいぞ」
「まずは病気です。今までアペニールになかった疫病が流行る可能性がある。それについては港や関所にクリーナップの魔法陣が描かれた通行口を作るのが最適だと思います。周囲に風呂付きの宿を作るのもいいでしょう」
ルークは高い教育を受けているようで、淀みなく書き記していった。
「それから関税ですね。自国の特産品や技術の流出や他国の文化の流入に注意して頂きたい。バランスを見ながら決めていくといいでしょう。また、吸ったら気持ちよくなるような葉っぱや犯罪者が入国してくる可能性もあるため、税関が必要になってくるかと」
麻薬や犯罪対策もしておいた方がいいだろう。
「あとは内戦についてです。開国に関して、必ずしも意見が合うわけではありません。意見が不一致となれば争うことも辞さないという方々もおられるでしょう。開国するべき理由をしっかり説明し、無血で開国して頂きたいです」
「これまた、難しいことを」
ルークがぼやきながら筆を走らせた。
「確かに難しい。しかし、よく考えてください。北には魔族領、西にはグレートプレーンズ、東の海の向こうにはアリスフェイ、アペニールは国に囲まれている。南半球への中継地点としてここに補給地点があると、どの国からも必要とされる。逆に鎖国したままだと、大きく迂回することになる。俺が開国を迫らなくても、すぐに周辺国が迫ってきます」
アイルが俺の話に補足する形で、地図を広げてみせた。
「また、他国では兵器の開発もされているので、戦争のやり方も変わっていくでしょう。ただ、軍事費に国家予算をかけるよりも交易や文化的な交流によって、戦わない選択もある。その方が安く済むし多様性も生まれるじゃないですか」
「そこは我々も異論はない」
「多様性か、闇の精霊様の教義にも合うなぁ」
ルークも代官も前のめりになってきた。
「国とは土と同じ、容れ物に過ぎない。土に闇の働きがあるから植物が花開くのはあなた方がよく知っている。闇とはあなた方アペニールの国民です。北半球と南半球が繋がった今、赤道に近く最も重要な地点にいるアペニールの方々には賢明な判断を求めます」
俺が喋り終えると、ルークも代官も「まいったな」と腕を組んで天井を見上げてしまった。天井にいた誰かは、どこかへ去ってしまったようだ。
「貴族を集めなければならんな」
ルークはそう言って、代官所を出て行った。
「我々は外の者を誤解していたようだ」
代官はクリフトさんと同じことを言った。
「社長、これからどうされますか?」
クリフトさんが聞いてきた。
「姫君を連れて南半球に帰ろうかと」
「私を帰してくれ。こうなったら私から父上に話を通すのが一番早い」
レクリア姫が懇願してきた。
「たしかにそれが一番早い」
クリフトさんも同意してきた。
「いや、でも姫君は開国の交渉材料だぜ。そりゃ無理だよ」
「では人質交換を。農学者ならいくらでも連れて行っていいですから」
「ん~、それじゃあ困るんだよな」
正直、俺も暗殺未遂の件など、どうでもいい。個人的には「おまけ」と言った開国こそが本命。自由に出入りできるようにしなくてはならない。
「どうしてですか? 農学を広めることが目的でしょう」
「世界にとってはね」
クリフトさんには俺の計画はわからないだろうな。
「では一日! 一日だけ帰してくれ。すべて父上に説明したら、必ず戻ってきて人質になるから!」
レクリア姫はなおも懇願してきた。
困ったな、とアイルを見ると、大きくため息を吐いた。
「私が一緒に行くよ。風呂もトイレもついていく」
「え? どういう……?」
クリフトさんはアイルの言った意味がわからなかったようだ。
「私が一日だけ姫君のお守りをしてやるって言ったんだ。悪いけど、私はそんなに人間ができちゃいない。怪しい素振りの者やムカつく奴がいたら、問答無用で腕の一本や二本は切り飛ばす。いいね?」
「しかし、どういう人物かわからぬ者に……」
そう代官が言いかけた時、天井裏に再び誰かがやってくるのが探知スキルで見えた。
次の瞬間、
ザンッ!
アイルの剣が抜かれたと思ったら、代官所の天井が吹き飛び、青い空が見えた。
「こういうもんだよ」
一同、唖然。
アイルはレクリア姫を縄で縛り上げ、「ほら、行くよ。一日しかないんだからね」と尻を叩いて案内させていた。
「あれがコムロカンパニーの副社長です。俺でも止められないので、各所に連絡したほうがいいですよ」
クリフトさんも代官も何度も頷きながら、慌てて動き始めた。
「よし、俺は闇の精霊でも探すかな」