336話
「魔物と荒くれ者の相手をしてくれるなら、農業試験場で土壌について詳しく説明できるが?」
俺が前のめりで聞いていたからか、アーキが提案してきた。
「夜なのに、大丈夫ですか?」
「アペニールの者にとって夜は友人。星の明かりさえあれば問題はない」
闇の精霊を崇拝していると夜目が利くのか。
「わかりました。行きましょう。ただ、ちょっと人を呼んでもいいですか?」
俺たちだけがアペニールの学者の話を聞いていてはもったいない。
とりあえず、近くにいるブロウを通信袋で呼び出し、暗い中、アーキたち若手の学者とともに農業試験場の方に行ってみることに。ブロウもクリフトさんたちもそのうち来るだろう。
年老いた学者とレクリア姫は置いていく。冒険者たちに注目されているが、アイルが「闇と土のことはナオキに任す」と残ってくれた。暇つぶしにうちの会社の傭兵になりそうな奴を物色しているので、なにかあれば対処するはず。
農業試験場では魔石灯の明かりが揺れていた。誰かいる。
「すまん、変人がいるんだが構わないか?」
アーキが俺に聞いてきた。
「構いませんが……あちらは?」
「おおっ! アーキたちじゃないか? この畑を見てみろ! 外の奴らも考えている。水魔法の水を混ぜて闇を呼び寄せてるんだぜ」
アーキたちが言う変人は背が低く、自分の背丈ほどもある棒を腰帯に差していた。
「おやぁ? そちらは誰だね?」
変人は畑を荒らさぬよう、つま先立ちでこちらにやってきた。
「コムロカンパニーの社長のナオキ・コムロと申します。あなたは?」
「おいらの名前はルーク。ルーク・スカイポートだ」
お互い魔石灯の明かりを顔に近づけ、自己紹介する。ルークはドワーフの血が濃いようで肌が赤く、顔はどことなくシャルロッテに似ていていた。自然と親しみを持ってしまう。
「スカイポート? 祖先の遺跡を探しにきたんですか?」
「その通り! まさかコムロカンパニーの社長に会えるとはなぁ。運がいい! コムロ氏よ、アペニールに来ないか?」
「ルーク様!」
アーキが敬語でルークを叱った。ルークは偉い身分らしい。
「なんだ、いいじゃないか? どうせコムロカンパニーは入ろうと思えばアペニールに入れるんだぞ。それより公式に招待したほうがいいだろう?」
「レクリア姫がコムロさんを暗殺しようとしたんですよ。アペニールは招待する前に攻められても文句言えない立場です」
「なんと、まぁ、迷惑な親戚だなぁ。せっかく闇の勇者の地位を譲ったというのに、これでは選び直しじゃないか? まったくなにをやっているのやら。でも、どうせなら鎖国を止めてみてはどうだ?」
「あ、それ、今から俺たちが提案しに行くところです」
俺がそう言うとルークは大きな口を開けて「ガッハッハッハ、話がわかるな。コムロ氏よ」とバシバシ背中を叩かれた。
「ルーク様は元闇の勇者なんですか?」
「いや、勇者になったことはない。闇の勇者は、土蔵のなかでどれだけじっとしていられるのか根比べをして決めるんだが、バカバカしくておいらはとっとと外に出たんだよ。それで、親戚のレクリアに決まった」
根比べで勇者を決めるなんて独特の選考方法だな。
「しかし、アペニールに行くのだろう? なぜここにいる? 寄り道か?」
ルークは俺の顔を見た。姫君の親戚ってことは貴族かなにかかな。そういえば服が高価に見えてきた。
「そんなところです。まさか、文明崩壊論をここで聞くと思ってなかったもので、ついでに土壌についても教えてもらいたいと思いましてね」
「コムロカンパニーの社長はもっと偉いんじゃないのか? しかも暗殺されかけたんだろ? 命令口調でもいいんだぞ。もしかして、なにか企んでいないか?」
「企んでますよ。遠大な計画なんです。こんなところで諍いを起こしていては計画は遅々として進みませんからね。ずる賢く立ち回らないと」
俺はふざけたように本当のことを言った。
「ずる賢くときたか。これはうかうかしていると、アペニールはどこかの国に併合されてしまうかもしれんな。ガッハッハッハ」
ルークは豪快に笑った。
「昔馴染みの友に会っている気分なんだが、なんでだろうな」
「ルーク様はシャルロッテに似ているんですよ。それで、ちょっと軽口を。失礼しました」
「シャルロッテとはおいらの祖先のか?」
「ええ、スカイポートにいた空間の勇者です。5年ほど一緒に住んでたんですよ。トキオリとも一緒でしたが」
「ガッハッハッハ!? 嘘を言っているようには見えぬのに、到底真実を語っているとは思えぬ。アーキ、コムロ氏は底が見えないぞ。我らアペニールはとんでもない御仁に目をつけられたのかもしれぬな」
ルークはそう言うと、アーキに「レクリアとクリフトは水源か?」と聞いて、テントがある方へ向かった。
ちょうどブロウが空を飛んでやってきた。
「ど、どうかしたんですか?」
ブロウは魔石灯を掲げて俺に聞く。あくびを噛み殺しているので、そろそろ寝ようとしていたのかもしれない。
「土壌について農学者さんたちが教えてくれるってよ。ブロウも聞いとけ。土を耕しちゃダメなんだってさ」
「耕さないで作物が穫れるんですか!?」
「穫れる」
ブロウの質問に若い農学者が答えた。アーキの専門は古植物らしく、口出しはしてこない。
「不耕起農法というんだが、お前さんがこの試験場を管理している種苗屋だろ?」
「そうです。小麦を育ててますよ。芽が出ているはずですが?」
ブロウは畑に魔石灯の明かりを照らした。
「肥料は?」
「グレートプレーンズ産の水草を使っています」
農学者の質問にブロウが答える。
「あの水草は川の流れを止めるから気をつけて栽培したほうがいいぞ」
他の農学者がブロウに言ったが、「僕が栽培しているわけじゃないので」と戸惑っていた。
「今の畑の状況が続けば、今年はかなり収穫量が多いはずだ」
「そ、そうですか」
突然褒められたのでブロウは照れている。
「冒険者たちにも食料が必要だから、今年はいい。ただな、赤道に近いここの気候だとスコールの被害も多いだろ? 植物も背が低い植物ばかりだと、土が雨で流されてしまう」
「確かにそうですが、僕は風魔法で雨雲を操作しようかと」
ブロウが農学者に返すと「あまり天候を変えるのは勧めないぞ。どこかに被害が出るからな」とキツく注意されていた。
「来年はなにを育てるつもりだ?」
再び農学者がブロウに聞いた。
「来年も小麦の予定ですが……」
ブロウがそう言うと、農学者たちは頭を抱えていた。
「いいか? 輪作をしないと闇にグラデーションが出ないだろ? それから小麦以外も育てたほうがいい。混作というんだがな」
「ん? 闇のグラデーション?」
ブロウは農学者がなにを言っているのかわからず、こちらを見てきた。
「おそらく、同じ作物ばかり育てていると微魔物のバリエーション、つまり種類が固定されてしまって害虫や病原菌が繁殖しやすくなるんだ。いろんな作物を育てることによって、土壌の闇バリアが強化されるってことだ」
「社長、よくそんなことわかりますね」
なぜかブロウだけでなく、農学者たちも「その通り!」「社長さんは話がわかるな」などと褒めてきた。
「あとで小遣いやろうか? いや、そうじゃなくて説明を続けてくれ。耕さないことで収穫量が減ったりしないのか?」
話を本線に戻した。
「耕すと短期的に収穫量が跳ね上がるが、土が痩せてどんどん収穫量が減っていく。中長期的に見れば、耕さないほうが収穫量は徐々に上がっていくはずだ。しかも作業量は減るし、肥料の量も減る。土壌も劣化しない」
「いい事尽くめじゃないか!」
俺が驚くと、農学者たちは深く頷いた。
「本当になにも変わらないんですか?」
「しいて言えば、作物の形や大きさが均一じゃないってことくらいだな」
それくらいなら文句はない。腐ってなきゃなんでもいいくらいだ。
「でも、除草剤がなかったら雑草を一本一本抜いていくことになるんじゃ……?」
ブロウのその質問に、農学者たちは大きくため息を吐いた。
「育った作物の収穫部分以外を残しておけばいい。残った部分で土を覆い雑草が育ちにくくするんだ。あとは、ほら南半球の草原で生えている背の低い草から作物の成長を阻害しない種を探して地表を覆ったりすればいい」
そんなことできるのかよ。
「せっかくの試験場なんだから、実験をしてくれ。農学者からすれば、もったいなくてもどかしいんだ!」
「頼む! 社長さん、農業試験場の敷地を貸してくれないか? そんなに手間はとらせないから!」
「我々が去った後にやることは書き記しておく。記録だけ取っておいてくれないか?」
農学者たちは次々に懇願してきた。
「去った後って、農学者さんたちはどこかに行っちゃうんですか?」
ブロウが俺に聞いてきた。
「ああ、レクリア姫が俺の暗殺に失敗したから、この人たちはアペニールに帰らないといけないんだ。うちの会社としてはとっととアペニールに鎖国を解いてほしいんだけどな」
「鎖国を解くなら、ここにいればいいじゃないですか?」
「考えてもみろ。今、農学者さんたちが話した内容を世界に広めたら、農業の技術革新が起こっちゃうだろ? アペニールからすれば技術流出だ。国力が落ちかねない」
ただし、今のこの世界に不耕起農法を広めたとして、どのくらいの人数の農家が信じるだろうか。実証できれば、本当に世界が変わってしまうかもしれない。
「政治ですか?」
「政治だ。こちらも開国に見合うだけの条件を提示しないといけないしな。ただ、俺を暗殺しようとしてきたんだ。ある程度無理は言うよ」
交渉事は引くと負けると言うし、粘らないとな。
「農学者の皆さんは、実験に取り掛かってください」
「いいのか?」
「ええ、ここはうちの会社の試験場です。社長の俺がいいと言っているので、やっちゃってください。この実験のことはアペニールでは言いませんし、交渉材料にもしません」
「やっぱり南半球に来てよかった!」
「全然、聞いていたのと違うじゃないか! 外の人間のイメージが変わったよ」
「社長さん、アペニールに行くのはちょっとだけ待っててくださいよ。帰る前に大仕事だ!」
農学者たちは慌ててテントへと戻って、自分の荷物を取りに行った。好奇心はどの国でも変わらない。
「社長は乗せるのが上手いですね」
ブロウに褒められた。
「ベルサや学者の知り合いが多いからな。それに俺もどうなるのか見てみたい」
明け方、クリフトさんたちが到着する頃には、概ね予定が決まっていた。
出発は3日後。それまでに農学者たちは実験の準備を済ませておくこと。引き継ぎはブロウと魔体術の門徒たちが引き受けてくれた。
交渉やアペニール入国の相談役にはルークが立候補してくれた。アペニールは祈りの時間などいろいろな礼儀作法や習慣が違うため、誤解を解くことから始めたいとのこと。外の者たちはわからず屋で野蛮だと思われているらしい。こちらも行列に騎馬で乱入して殺されるような真似はしたくない。
レクリア姫は捕虜として交渉材料になってもらう。飯も食うし、元気なのでよかった。むしろ、俺は質問攻めにあった。とにかく世界が知りたいらしい。それはアペニールから来た誰もが思っていることのようだ。
3日間、農作業が続いた。