335話
日が暮れ始めた頃、白髪交じりの男ことクリフトが、闇の勇者ことレクリア姫を縄で縛り出発の準備を始めた。
「我らは闇夜のほうが動きやすいのですが、移動は夜でも構いませんか?」
クリフトに聞かれたが、俺もアイルも探知スキルがあるので問題ない。他の傭兵は置いていく。大勢で行くと威圧感が出てしまうので少人数でいいだろう。
「我々の目的は南半球の調査です。目的を忘れたレクリア姫の身勝手な行動によって、コムロカンパニーさんには多大な迷惑をかけました」
俺たちが準備を終えてテントを出ると、クリフトがレクリア姫にお説教していた。
「しかし! 精霊殺しと名高いナオキ・コムロがいるのだぞ! 我が一族が黙って見過ごせるものか!」
「一族のことをお考えなら、戦力を見極めなさい。アペニールは今や吹けば飛ぶような弱小国家。対してコムロカンパニーはグレートプレーンズとも魔族領とも付き合いのある企業。どんな名が轟いていようが、任務を遂行するために南半球に来たのをお忘れですか?」
「忘れてなどいない! 忘れてはいないが……邪神の使いかもしれないのだぞ?」
実際に邪神と付き合いがあるけどな。
「姫、よく考えてください。ナオキ・コムロが行ったと言われている場所はどこですか? グレートプレーンズに魔族領、火の国、いずれも以前よりも発展している地域ばかり。これで邪神の使いと思われますか?」
「ではなぜ我々の国に来なかった? なぜ闇の精霊様だけがいつもいつも誤解され続けなければならない? 一番、人のためにある精霊様だぞ? 闇の力を理解せぬものなど私の敵だ!」
レクリア姫は今にも泣きそうになっている。
クリフトはレクリア姫を見て大きくため息を吐いた。
「ん? あ、すみません。お見苦しいところを……」
クリフトがわざとらしく俺たちに気がついた。レクリア姫は涙を拭って、下を向いた。もしかしたら、クリフトは俺たちにレクリア姫の思いを聞かせたかったのかもしれない。
「レクリア姫、鎖国を解いてもらわないと俺たちはアペニールには入れないんだよ」
「コムロカンパニーは空も飛べるはずだぞ!」
レクリア姫は真っ赤な顔で俺に言った。
「うちの会社、意外にルールは守るほうなんだ。どこかの暗殺者と違ってね」
俺がそう言うとレクリア姫はわなわな震えていた。
「ナオキ殿!」
クリフトが俺に叫んだ。あんまり虐めないでほしいのかな。
「もっと姫君に言ってやってください。我らの話はさっぱり聞かないので!」
逆だった。
「よし、無駄話は置いといて、とっとと行こう!」
アイルが俺たちに声をかけた。
「一旦、我らの調査隊と合流してもよろしいですか? 荒くれ者の集団の中にいて警備の者が消えると動けないと思うので」
クリフトが聞いてきた。
「荒くれ者って?」
「冒険者たちのことだ」
俺の質問にはアイルが答えた。そういえば、こっちの大陸にも冒険者たちがいるんだったな。
「あんたらはどこまで行くつもりだったんだ?」
アイルがクリフトに聞いた。
「西の遺跡まで。祖先の土地かもしれないと学者が言うんですよ」
「この大陸の西に遺跡なんてあったか?」
俺は確認のためアイルに聞いた。
「ああ、出てきたんだ。一応、レミさんにも伝えてはあるけど、先に掘らないといけない遺跡があるからなぁ」
考古学者のレミさんは現在、グレートプレーンズでトキオリの故郷であるクロノス・ティタネスの遺跡を発掘中だ。
「あれ? その南ってことだよな? もしかしてその遺跡ってスカイポート王国か?」
「いかにも、我らが探しているのはスカイポート王国の遺跡。我らアペニールに住む一部の者はスカイポート王国から移住してきたんです。知ってたんですか?」
「いや、まだわからない。アイル、地図見せてくれ」
アイルが俺に自作の地図を広げてみせた。相変わらず、いろんな記号を書き込んだ地図を見ると、ちょうど赤道付近で地形がくびれて、南半球側で西へせり出している。せり出した場所には「遺跡?」と書かれていた。そこから北の海、赤道付近には「謎の島」という記述が消されている。
「バルニバービ島があったところだ。島に入れなかったから『謎の島』になってるだけ」
徐々に1000年前の国の位置が掴めてきた。
「なるほどね。学者って考古学者ですか?」
「考古学者もいますが、農学者がほとんどですね」
農学って確か、めっちゃ範囲が広いんじゃなかった?
「とりあえず、早く行こうよ。先に行ってるよ」
アイルがぐだぐだ喋って動こうとしない俺たちにしびれを切らせて走り出した。
「待て待て! 早すぎるだろう!」
そう言いながら俺も走り出すと、闇の勇者一行も走り始めた。縛られているレクリア姫も付いてこようとはしているが遅い。仲間たちが引っ張っているが、そのうち転ぶんじゃないか。
そう思っていたら、前を走っていたアイルが急に戻ってきて蔓のようなものでレクリア姫を巻いて自分の肩に乗せた。
「面倒!」
アイルは一言だけ全員に告げた。待ったりするのも、走るスピードに合わせるのも面倒だ、ということのようだ。
「悪いね。うちの副社長、気が短いんだ。先に水源の方まで行ってる」
俺はクリフトたちにそう言い残すと、アイルとともに北西へ向けて走った。
月明かりの下、水源の近くに100張りほどテントが並んでいるだろうか。ちょっとした村レベルだ。
「コムロ水源」と名付けられた大きな池の水は近くの農業試験場でも使われているという。農業試験場は元風の勇者で種苗屋のブロウが使っているらしい。
誰でも一日小樽一つ分だけ利用することができる。5リットルくらいかな。管理はうちの会社でやっているらしく、時々傭兵たちが見に来ることになっているのだとか。
「ちゃんと皆、それを守ってるの?」
「守らなかったら、周りの冒険者たちにぶっ飛ばされるからな。風の妖精がブロウに教えたりしてるよ」
風の妖精はどこにでもいるので、悪いことはできないようだ。ミリア嬢も探してくれないかな。今、どういう姿なのかわからないんだけどね。
「あら? 俺たち注目を浴びてないか?」
周囲では冒険者たちが生活しているのだが、夕飯の後片付けや寝床の準備をしている手を止めてこちらを見ている。
「やっぱりそのツナギが目立つんだよ。全身青い奴ってナオキくらいしかいないからな」
「そうか? 目立ったついでに、せっかくだから呼んでみるか。アペニールから来た人いますか!?」
俺は大声で叫んでみた。
冒険者たちは一斉に同じ方向を向いて、魔石灯を照らした。
アペニールから来た者たちはすぐにわかる。黒い袴のようなズボンに白い襟なしのシャツ。メガネをかけたものが多いようだ。サバイバルに慣れていないのか、顔に疲労の色が濃い。
「姫君!」
そのうちの一人がアイルが担いでいるレクリア姫を見ながら叫んだ。
「ああ、大丈夫。俺を暗殺しようとしたから捕まえた。あとからクリフトさんたちも来る。ちゃんと姫君は本国に送り届けるから心配するな」
俺がそう言うと、アペニールの学者たちはがっくりと項垂れて「我らもここまでか」とつぶやいていた。
「なにか諦めないといけないのか?」
「いや、こちらの話です」
顔に深い皺を刻んだ年老いた学者が答えた。
「せっかく南半球に来たんだ。なんでもやってみたらいいじゃないか?」
俺としてはそのために赤道にある壁を壊したようなものだ。おそらくトキオリもシャルロッテも同じ気持ちだと思う。
「姫君のせいで我らは本国に送り帰される」
メガネをかけた若い学者が聞いてきた。
「なんでだ? 一緒に行動しないといけない決まりになっているのか?」
「そのとおり、我らアペニールの調査隊は一心同体。姫君が帰るなら帰ることになる」
鎖国している国から出てきたのだから、余程勇気がいることだろう。それもすべて俺を暗殺しようとしたレクリア姫のせいで終わってしまうのか。正直、もったいない。
「なんとかインチキできないのか? 自分たちは死んだことにするとか」
他人事ではあるが、アペニールの学者たちが不憫に思えてきた。
「たとえ南半球に残っても、魔物や荒くれ者たちに殺される。安心して研究はできん」
年老いた学者がそう言って、大きなため息を吐いた。
「姫さん、これはちゃんと反省したほうがいいぞ。いろんな人に迷惑をかけてるんだからな」
「ぐっ……」
アイルの肩にぶら下がっているレクリア姫はバツが悪そうな顔をした。
「ちょっと学者たちかわいそうだな。うちの傭兵たちを少し出すか? どうせブロウたちもこっちに来ることがあるんだし、そんなに今の業務に影響はないよ」
アイルも学者たちの落胆ぶりを見て提案してきた。どうせクリフトたちを待たなくてはいけない。少し、話でもしておくか。
「どういう研究しているのか教えてくれたら、こちらで警備をしてもいい」
「えっ!?」
「俺たちじゃ力不足か?」
「いや、そんなことはない。南半球に来てから、コムロカンパニーの名を聞かぬ日はなかった。だが、そういうことではなく……」
「国の決まりが問題か? それとも、闇について理解されないと思っているのか?」
確か、クリフトさんは農学者が多いって言っていたな。
「両方です」
年老いた学者が答えた。
「クリフトさんたちには、地中にいる闇がなければ植物は育たないと聞いた。俺たちはその闇を菌や微魔物と呼んでいるが、それは事実だと思っている。闇の精霊の宗教に入るかどうかはわからないが、理解する努力はするつもりだ」
「しかし、そちらの農業試験場では闇を無視しております」
「ブロウが無視していると?」
「ええ、闇を殺して土壌を殺しております」
「それは穏やかじゃないな。詳しく教えてくれないか? ブロウは種苗屋で種や苗の専門家だ。ただ、完璧ではない。闇や土壌について知らないこともある」
「無論、人はグラデーションの中におり、完璧ではないのです。知ろうとしている者は素人。知っている者が手を差し伸べれば、驚くほど早く玄人になります」
「俺たちを闇の玄人にしていただけませんか?」
教わる立場になれば、礼を尽くすのが当たり前だ。自ずと敬語になる。
「荒事は苦手だが、闇について教えることはできます。ふむ、帰る前に一仕事できてしまいましたな」
年老いた学者は笑みを浮かべた。闇について教えてくれるようだ。
俺たちはレクリア姫を担いだまま、学者たちのテントに向かった。
「アーキ、こちらの御仁にスカイポート王国が滅んだ原因を教えてあげなさい」
年老いた学者が若いメガネの学者ことアーキに言った。アーキは戸惑いながら、俺に古い羊皮紙を広げて見せてくれた。
「スカイポート王国という国を知っているか?」
アーキはぶっきらぼうに俺に聞いてきた。
「いや、あまり知らないが、1000年前にシャルロッテという空間の勇者がいたことは知っている。ドワーフ族と人族の混血で、恐ろしく空間魔法が上手い。彼女は時の勇者・トキオリと決戦の地・バルニバービ島で終わらない戦いを繰り広げていた、ってくらいかな」
俺がそう言うとアーキは驚いたようにメガネをかけ直した。
「シャルロッテが混血!? 考古学者の私が知らないことまで知っているのか? 何者なんだ?」
「コムロカンパニー社長のナオキ・コムロだ。そちらの姫君に暗殺されかけてね。それよりもスカイポート王国が滅んだ原因を教えてください」
「なら、社長さん、土とはなにかわかるか?」
「また、『土がなにか』か。土の悪魔にもわからないんだ。俺にもわからないよ」
「んん? そういう哲学的なことは今、置いといてくれ。土とは作物を育てる土地のことだ。土壌と言い換えてもいい。少なくとも我々はそう思っている」
「なるほど、わかった」
「作物を育てるのには地中に闇が必要だ」
微魔物のことだな。
「だけど、人が耕せば耕すほど、地中の闇は地表に晒され、乾燥や日光によって殺される。土壌が劣化するんだ」
「なんだって!?」
その瞬間、俺が常識と思っていたことが崩れた。
「でも、人類は畑を耕し、分業しながら発展したんじゃないのか?」
「その通りだ。だけど、そこに文明の落とし穴がある。見てくれ。この羊皮紙には畑の作物や肥料、殺虫剤について事細かく年代別に書かれている。そしてここに『土が痩せてきた』と書かれているだろう?」
羊皮紙には作物の収穫量が減っていることや、殺虫剤の効果が薄れていることなども書かれていた。
俺は土の悪魔の言葉を思い出す。
『ドワーフたちは邪神に滅ぼされたわけではない。我が消えたと書いてある』
「闇が死ねば、土壌は消える」
アーキはメガネの位置を直しながら、俺に言った。
微魔物が死ねば土壌は消える。土壌が消えれば、文明も滅ぶ。
唐突に文明崩壊論を聞いて、頭がクラクラしてきた。