330話
南半球の世界樹は山脈に囲まれている。その山脈の麓には荒れ地と麻痺薬の材料になるツーネックフラワーの花畑があった。今は草木が生い茂り、ツーネックフラワーの花畑も濃い緑色の草木に隠れてしまっている。
そこから西へ行くと、岩石地帯があり、その先には砂漠が広がっている。
俺が降り立ったのは岩石地帯にある洞窟。7年前はドワーフ族の居住地で今は世界樹を管理するメリッサたちの拠点となっているはずだった。
「洞窟じゃねぇな……?」
岩石地帯には岩石と同じ色の建物がいくつも建てられていた。先日、ミリア嬢とハネムーンに来た時はこんなことにはなっていなかったのに。まるで突然、城下町が出現したようだ。洞窟があった場所には城。ただ人の生活の痕跡はない。
近づいて城を観察。テラスの柵には細かな装飾が施されていた。柱にも模様があり、雨樋にはガーゴイルのような魔物の彫刻まである。ただ蝶番や釘が必要な扉や窓などはない。
「お、ナオキ、待ってたぞ」
ベルサが中から出てきた。
「これ、なんだよ?」
俺はベルサに聞いた。
「ん~、1000年の孤独が到達した技かな?」
「より、わからなくなったんだけど」
「私もよくはわからない。そのためにナオキを呼んだんだ」
とりあえず俺はテラスに降り立ち、城の中に入った。中は真っ暗だったが、ベルサが魔石灯で通路を照らした。中の柱や壁にも竜の文様が彫られている。
「メリッサたちは?」
洞窟を使っていたはずのメリッサたちはどうしたのか。
「いるよ。この城を見物しているはず」
「やっぱりこの城は突然、現れたのか?」
「そうだね。黒竜さんのお兄さんが腕を振る度に出来上がっていった」
「一瞬でか? 建築スキル?」
「一瞬だ。建築スキルとかそういうレベルは超えているだろう?」
彫刻スキルや土魔法などを併用しているとは思うが、腕を振っただけでこんな城ができるものなのか。
「おおっ、ナオキ殿、お待ちしていた!」
陽の光が差し込む明るいホールで黒竜さんに迎えられた。
黒竜さんの側には長身の男が目を瞑って光の差し込む方を見上げていた。服はボロボロのローブ。髭は伸び放題で髪も長い。光の加減で見えにくいが、傍らには巨大な真っ黒の竜が息もせずに口を開けて横たわっている。
「え? あれ? 竜!? どういうこと? 死んでる?」
俺は動かない竜を見ながら驚いた。
「いや、これは兄上の皮だ。今朝、脱皮してな」
竜って脱皮するのか。それにしても皮が原型をとどめすぎている。
「ぐぉおおおっ!」
黒竜さんのお兄さんが「眩しいな」と竜人語で喋った。
「兄上は1000年の間、地下深くで生活をしていたため目が見えないのだ」
黒竜さんが説明した。
「目は見えなくても光は感じられるぞ。魔力もな」
黒竜さんのお兄さんが人の言葉で喋った。
「兄上! 人の言葉を話せるんですか?」
黒竜さんが驚いてお兄さんを見ていた。
「弟よ。そう、なんでも驚くな。我よりよほど奇っ怪な者が目の前にいるぞ。魔物のようでもあり人のようでもある。強いのに傲慢の匂いがしない。いったい何者なんだ?」
黒竜さんのお兄さんは俺に近づき、大きく息を吸った。
「神の使いか? いや、邪神の使い? 争っているのか?」
黒竜さんのお兄さんは目が見えない分、匂いで情報を得られるのか。
「なんでもお見通しのようですね。ナオキ・コムロと申します」
「お主たちのような者がいるとなると竜族は滅んだか? そして人族を観察していた弟を保護したと?」
黒竜さんのお兄さんは俺とベルサに顔を向けて言った。誰がどこにいるのかわかっているようだ。探知スキルか。
「いえ、竜族の皆さんとは友人です。ゾンビ化してしまった光竜さんは駆除してしまいましたが、今は人との共存をしてます。そうですよね?」
黒竜さんに聞いた。
「ええ、我輩が島に竜族を集め、その島の窮地を救ってくれたのがナオキ殿です」
「んん? 古より魔王を輩出してきた竜族を救うということは、お主、勇者というわけではないのか?」
竜族って本来は魔王の家系なのか。強さから考えれば納得できる。
「俺は清掃・駆除業者です。勇者でも魔王でもないですよ」
「清掃・駆除……弟よ。この者は我の理解を超えた。我が魔水をすすっていた1000年の間に随分と世が変わってしまったようだな」
「兄上、説明いたします。ナオキ殿たちは地下で清掃の方をお願いできるか」
「わかりました」
ひとまず、兄弟で情報を共有してもらうことに。
「黒竜さん、お腹空いたら台所にドワーフたちがスープを用意してたから飲んでくださいね」
ベルサがそう言って俺の後をついてきた。
「すまぬな。世話をかける」
黒竜さんが返事をした。黒竜さんのお兄さんは大きな椅子を魔法で作り、腰を下ろしていた。長い話になりそうだ。
俺とベルサは城の奥にある螺旋階段を降りていった。
「この螺旋階段も黒竜さんのお兄さんが?」
「うん、洞窟だったでしょ? 黒竜さんがもっと奥に空間があるはずだって言って、壁や地面に穴を開けて、地中深くにいた黒竜さんのお兄さんを見つけたんだ。で、穴から出てくるときに『美しくない』と言って黒竜さんのお兄さんが階段も城も周辺も魔法で作り変えてしまった」
「こんな魔法聞いたことないよ」
「土魔法で道路を作れるんだから理論上はできるとは思うけど、竜族やエルフみたいな長寿の種族しかできない芸当だと思うね。スキルを取得しようにも鍛錬が100年かかるようなスキルばかりだよ」
階段の手すりにまで竜のうろこの彫刻が施されている。
「いやはや、すごいな。よく生きてたもんだ」
「本当そう。最奥まで降りるともっと驚くよ」
階段を降りきると、音の反響から巨大な空間が広がっているのがわかった。探知スキルで周囲を確認すると、ベルサの言う通り俺は驚愕した。目の前には建物が並んでいる。
天井には発光する微魔物がいたが、夜空の星よりも光が弱い。
「ちょっと待って。ほら」
ベルサが自分のリュックから光の玉が出る杖を取り出して、俺に渡した。
俺がなにもない空間に向かって光の玉を発射すると、両脇には建物が並んでいた。それが奥まで続いている。端の壁が見えない。建物の間には通りがあり、岩でつくった街路樹の彫刻まである。
「地下帝国か?」
「誰も住んでないけどね。ほら、そこら中に黒竜さんのお兄さんが脱いだ皮が落ちてる。掃除しよう」
光の玉に照らされた地面には黒竜さんのお兄さんの皮がそこかしこに落ちていた。
黒竜さんのお兄さんはどういう思いでこの建物を作っていたのだろうか。レッドドラゴン然り、竜族とは引きこもる性質を持っているのかもしれない。それにしても、1000年は長すぎる。
「皮って言っても結構、固いんだな」
俺が竜皮を持ち上げてベルサに言った。
「そりゃあ、竜の皮だからね。それに黒竜なんて、竜族の親玉みたいなものだから滅多に採取できるような代物じゃないよ」
「じゃあ、これで鎧とか作ったらいい値段する?」
「ああ、これだけあれば金に困るようなことはないと思うね」
俺は魔力の紐で竜皮をまとめていく。
グオッ。
どこかから竜の声のような音が聞こえてきた。
「あれ? やっぱり他にも誰かいるんじゃないか?」
「ここは魔素の量が多いし、湿気も多くてカビも発生してるからゴースト系の魔物が出てるのかもよ」
探知スキルを展開しつつ、地下の清掃をしていった。
「いやぁ~広いなぁ!」
町を2つ分くらい片付けたところで、一旦休憩。アイテム袋がないので、螺旋階段の前に竜皮が積まれている。
「南半球で邪神が暴走して空間の精霊が世界を分けて1000年。黒竜さんのお兄さんは地下へと逃げて、ずっとここで暮らしていたんだ。そりゃあ、広くもなるよ」
ベルサは杖から光の玉を発射して、周囲を照らしながら言った。
「どうやって生きていたんだ? 魔水をすすってたって言ってたけど……」
俺はお茶を淹れながら聞いた。
「もっと奥に、魔水の池があるんだよ。もしかしたら世界樹にあったあの湖と繋がっているのかもしれない。魔素をたっぷり含んだ水だから、普通の魔物なら燃えるけど、黒竜さんのお兄さんだから、それで生きていけたんじゃないかな。あとはキノコが生えていただろ?」
建物の間にある通路の溝に時々、キノコが生えていた。
「あれ麻痺薬に使えるキノコだよ。パッチテストしたら、そこだけ痺れた」
「うん、マヒダケの原種みたいなキノコだからね。あのキノコを食べていたのだとしたら、黒竜さんのお兄さんは毒殺はできないかもよ」
「毒殺する気はねぇけどな。レベルも高いんだろ? どうするんだろうな……」
「本当にどうするんだろうね……」
地下には広大な町。1000年間、孤独に生きた竜。今の世界で必要とされるかどうか。強大な力は精霊や悪魔のように人にとって災厄になることもある。
「あの口ぶりからすれば竜族の復権を狙っていたのかもね。竜の魔王を作ろうとかさ」
「ただ、今の時代は魔族もいるし、人と共存する道を進んでいるからなぁ」
「竜の島の商売もうまくいってるみたいだしねぇ」
黒竜さんのお兄さんからすれば、今の世界を見て「自分の世界はここではない」と思うのかもしれない。まるで浦島太郎のようだ。
「竜たちをまとめ上げて人を襲い始めると思うか?」
「それはない。黒竜さんが止めるよ」
「だよな」
「確かなことは、この景色を作るくらいだから、寂しかったんだと思うよ」
もしかしたら黒竜さんのお兄さんも俺と同じように普通の生活に憧れていたのかもしれない。
「黒竜さんの話を聞いて、本人が意思を持つかどうか」
「意思がなければどうする?」
「そうだなぁ……諦めてもらうしかないかな」
「諦める?」
ベルサはボサボサの頭をかきながら、俺の案を聞いて「そりゃ、いい」と笑っていた。
休憩の後、俺たちは一通り地下にあった竜皮を回収し、地上に戻った。
「ナオキと言ったな? 我は見つからぬほうが良かったのかもしれぬ」
世界の様子を聞いた黒竜さんのお兄さんはスープを飲みながら、俺に話しかけた。
ドワーフたちと一緒に夕食をとっている最中である。
「バカ言っちゃいけないよ。さっきスープを飲んで『生きててよかった』と言ったばかりじゃないか!」
メリッサが黒竜さんのお兄さんを叱った。誰であろうと物怖じしないのがいいところだ。
「しかしなぁ、ドワーフの娘よ。このままでは弟に迷惑をかけてしまう」
「兄上、そんなことは!」
黒竜さんをお兄さんが手で止めた。
「人との共存。言うは易し行うは難しだ。我はこの時代の竜ではない。時間を超えすぎた。じっと寿命を待つしかあるまい?」
黒竜さんのお兄さんはそう言って俺の方を向いた。
「残念ながら、そうかもしれません」
「やはり、か」
「ただ、我々、今に生きる者たちはあなたを見つけてしまった。諦めてください」
「諦めろ? なにをだ?」
「このまま引きこもらせるわけにはいきません」
「では、どうしろと?」
「うちの会社に来ませんか? どうせ竜の島に行く気はないのでしょう? だったら、うちの清掃・駆除会社に就職してください」
「フフフフフ……ハハハハハ……なにを言うのかと思えば、なぜお主の会社の社員にならなければならんのだ?」
笑いながら黒竜さんのお兄さんが聞いてきた。
「そうだぞ。どういうことだ? ナオキ殿よ!」
黒竜さんは真面目に聞いてきた。
「正直、これ以上社員を増やす気はなかったんですけどね。ここまで変わった御仁はうちの会社くらい変人の集まりでないと面倒見きれないでしょう。竜の島に行けば、黒竜さんや竜たちが気を使う。他の場所に行けば、勇者や冒険者に狙われる。この地下にいても寂しいだけ。そうでしょう?」
俺は黒竜さんのお兄さんの皿にスープを注ぎ足しながら言った。
「見ましたよ。1000年かけて作ったあの地下帝国を。立派なもんでした。ただ、それ以上に寂しかった。誰も住んでいない建物が並んだ町を見るのはね。普通の生活に憧れていたんじゃないですか?」
「生活か……」
「共に仕事をして、共に飯を食べ、日が落ちれば共に眠り、朝が来れば共に起きる。このスープは美味しいでしょう?」
「ああ、美味しい」
「一緒に食べる者がいるから美味しいんです。今のこの世界には魔王もいなければ、戦いたい勇者もいないかもしれません。でも、美味しい生活があります。俺たち清掃・駆除会社はそういう人々の、魔族や竜族の生活を守っているんです。どうせ暇ならうちに来ませんか?」
「ハッハッハ、まいったな、弟よ。このナオキという男はお前の島の仕事よりも面白い仕事を用意してくれているようだ」
「ナオキ殿!」
黒竜さんに怒られてしまった。
「まぁ、うちの会社はそれぞれ適当にやって困ったら助け合うっていうのが、今のやり方なのでそんなに激務はありません。面白くなかったら、また地下に引きこもればいいですから」
「金や名誉ではなく、目的は生活か。そういう仕事もあるということだな。わかった。しばらく厄介になる」
黒竜さんのお兄さんは俺に頭を下げてきた。
「相変わらず、変なの来ちゃったなぁ」
ベルサは笑っている。
「社長よ。我に名前をつけてくれ」
「名前? 黒竜さんはなんて名前でしたっけ?」
「クロー・Z・オクダケとナオキ殿がつけてくれたではないか!?」
しまった。過去に、そんなしょうもない名前をつけてしまったのか。黒竜さんはすっかり怒っている。
「では、ゼットと呼んでくれ。あまり長い名前は好きじゃない」
「よろしく頼みます。ゼット」
「うむ」
こうして黒竜さんのお兄さんであるゼットがうちの会社の仮社員になった。