316話
「先生? どうして泣いてるの?」
ミリア嬢に聞かれて、ようやく俺は頬の涙を拭った。
「いや、ごめん。泣いてないよ。それより医者には診てもらってる?」
俺は笑顔で聞いた。
「それが、この騒ぎでしょう? お医者さんもね、なかなかフロウラの方まで来ないし、教会の僧侶さんに診てもらっているんだけど、治らないみたいで」
「そうか。よかったら、俺の知り合いに薬師もいるんだけど、呼んでもいいかな?」
「ありがとう、先生。でも私、お金ないから払えないよ」
「大丈夫、俺はミリアさんに救われたんだ。そのくらい払わせてくれる?」
「フフフ、私は先生になにもしてないわ。いつもお世話になってばかりだもの」
「いや、ミリアさんが世界を隔てた壁を壊したようなものだよ。心配しないで」
「先生はいつも優しいのね」
「優しい人にだけだよ」
俺にとってミリア嬢は死なせてはいけない人だ。どんな手を使ってでも必ず、救う。
「また来る」
お茶屋の外に出ると、ベルサから連絡が来た。
『こちらベルサ、町の安全を確認。このあと世界樹の大型の魔物が襲来しても、元気なやつはいないと思う。菌にやられているはずだから。普通の冒険者でも対応できるんじゃないかな』
「了解」
俺も渾身の魔力を込めて通信袋で返した。近くだから届くだろう。
『ナオキの方はどうだった?』
「うん、ちょっと病気の人がいてね。カミーラを呼んでもらえる?」
『わかった。私たちもそっちに行くよ』
「森のお茶屋にいる」
数分後、お茶屋の前にベルサとアイルが来た。
「カミーラは、ちょうどルージニア連合国の中央にいたみたいでね。半日くらいで来るってさ」
ベルサが教えてくれた。
「ありがとう。助かるよ」
「ナオキ、状況を説明してくれるか?」
アイルも俺の雰囲気を察して、真剣に聞いてくる。
「向こうで話していいか? 個人的な話なんだ」
俺は森の奥に2人を連れて行った。アイルもベルサも長い付き合いだ。どれだけ俺が情けない話をしても、理解はしてくれなくても、聞いてはくれるだろう。
「バルニバービ島には俺と時の勇者であるトキオリ、空間の勇者であるシャルロッテがいたって話はしたよな?」
「ああ、聞いたよ」
ベルサが返した。
「言い換えれば、男が2人に女が1人だ。閉鎖された島という空間で、いい年の男女がその割合でいたら、なにが起こると思う?」
「なにか起こるか?」
アイルはわかっていないようだ。ベルサはうなだれているので、すぐに気づいたらしい。
「女の奪い合いか。魔物でも同じことが起こるよ。たとえ男女が逆でも同じようなことが起こるさ。それが本能だからね。ナオキは別に悪くない」
ベルサは俺の言いたいことをピタリと当ててきた。
「でも、俺はそんなことはしたくなかったんだ。関係性を壊したくなかった。そんなことになったら、勇者駆除は達成できなかったと思うしね。でも、俺の身体は思春期だ。いつもムラムラしっぱなし」
「どうしたんだ? 水を飲んで瞑想でもしたのか?」
アイルが笑いながら聞いてきた。
「俺にそんな高僧みたいな真似ができると思うか?」
「いや、全然」
「でも、人間の意志力にも限界があるだろ?」
アイルとベルサが俺を見た。
「それで、空間の精霊の目を盗んでポケットに入れていたコレを思い出した」
俺はもうボロボロに破けたミリア嬢のパンティを取り出した。
「昔、俺が娼館の掃除をしに行った時、ミリアさんって娼婦がくれた下着だ。後に、そのミリアさんは、俺にEDだと気づかせてくれた人でもある」
「それって会社作る前と再転生の前か?」
アイルが空を見上げて思い出しながら聞いてきた。
「そうだ。節目に会って、よく助けてもらってる人だ。最後に会った時は、娼婦をやめて清掃の仕事をしながらお茶屋を作るって言ってた」
「それがあのお茶屋か?」
ベルサがお茶屋の方を振り返りながら聞いた。
「そう。ちゃんと夢を叶えているよな。その矢先に病気になったのだと思う。俺は彼女を絶対に死なせたくない。彼女のおかげでバルニバービ島での関係は壊れることはなかったと思うし、そのおかげでこうして北半球と南半球が繋がったと思ってる」
「いや、よくわかった。私たちもその人の病気を治すことに協力するよ」
「確かに、よくわかった。とりあえず、ナオキはこれを持って祈っといて」
なぜかアイルとベルサは自分たちの下着を脱いで、俺に渡してきた。
「いやいや、そういうこっちゃないんだけど」
「ナオキなんていつまたどこか遠くに飛ばされるかわからないんだから、持っておきな!」
「大丈夫だよ。ちゃんと替えは何枚もあるんだから! 遠慮することない、大事にしまっときな!」
アイルとベルサはとっととお茶屋の方に行ってしまう。
「お前ら、これ洗ってんだろうな!?」
「「洗ってるわ!」」
2人とも俺がミリア嬢の前で暗い顔をしていても仕方がないことを知っているのだ。ありがたく気持ちを懐にしまった。
お茶屋の側で仮眠していたら、夕方頃にカミーラがエルフの薬師たちを引き連れてやってきた。グリーンディアに乗った薬師たちは、地面に座る避難民たちを見て眉を寄せている。
「病人がいるっていうのはここかい?」
老婆姿のカミーラがグリーンディアから下りながら、避難民に尋ねていた。
「カミーラ、久しぶり。病人は中だよ」
「んん!? まさか、あんた、ナオキ・コムロじゃあ、ないだろうねぇ?」
「そのまさかだ。いいから、中に入って」
「おや? そっちはアイルとベルサじゃあ、ないか? まさか、このナオキが本物だとでもいうのかい?」
「カミーラ、ババアの姿だってケツ蹴るよ。早く中に入って」
「台風の被害に合わせて恩売りにルージニア連合まで来たんだろうけど、残念だったね。うちの回復薬が出回ってるから、暇だろ? 病人は中だよ」
アイルもベルサもカミーラへの対応を心得ているようだ。ベルサの言うことは図星だったようで、カミーラは「ぐぬぬ……」という表情で、お茶屋の中に入った。
「こっちだってバカなエルフたちの反対を押し切って助けに来たんだ。近隣国の災害援助くらいするさ。それが外交ってもんでしょ? それなのに、あんたたちの会社のせいでこっちは見せ場なしなんだからね!」
カミーラは若い姿になりながら、ローブの袖をまくった。
「ここがエルフの薬師の見せ場だ。頼むよ」
「はぁ~、仕方がないね。昔の店子の頼みだから、聞いてあげるよ!」
「いい大家さんだ」
俺は、お茶屋の奥の部屋へと案内した。
ノックをして、ミリア嬢の返事を聞いてからドアを開けた。
「あら? 皆さんお揃いで、どうかしたのかしら?」
ミリア嬢はゆっくりとした口調で聞いてきた。
「ミリアさん、エルフの薬師を連れてきました。腕は一流のはずです」
「エルフの里の筆頭薬師のカミーラよ。私が治せなければ、誰にも……」
カミーラは、少し黙ってからミリア嬢に近づいた。「ちょっと触るよ」と言ってミリア嬢の手を握りながら触診。
「魔石腫だね。しかも内臓にも転移している」
カミーラは触診だけで、ミリア嬢の体内の状況を見抜いたらしい。診断スキルかな。
「エルフの筆頭薬師さん、私は治るかしら?」
ミリア嬢がカミーラに聞いた。
「患者が希望を持つ限り、治る見込みはあるよ」
カミーラはミリア嬢に笑いかけた。
「ベルサ、吸魔剤の用意をしておくれ。私は荷物を取ってくる」
カミーラはそう言って慌てて、部屋を出た。
俺も悪性魔石腫だったシャルロッテに吸魔剤を使った。腫瘍ができる速度を遅くするためだ。専門家ではない俺は結局手術を繰り返して、どうにかシャルロッテの腫瘍を取り除いたが、ミリア嬢に一発勝負の手術などできやしない。
「アイル、すまん。うちの薬師たちを黙らせておいてくれるか。どうしようもないアホたちなんだ。情熱はあるんだけどな」
カミーラはそう言いながら部屋に戻ってきた。アイルは溜息を吐いて、部屋を出た。エルフの薬師たちが避難民と揉めているらしい。
「こいつはカピアラの棘と言ってね。刺しても痛くないほど細い針なんだ。これで、直接腫瘍に攻撃するから、少しの間眠っていてもらうよ」
カミーラはミリア嬢に説明した。カピアラの棘はどこかで見たことがあるような気がするが思い出せない。
「処置はすぐに終わるから、安心していい」
「ありがとう。薬師さん!」
ミリア嬢がお礼を言う。ベルサが用意した吸魔剤にカピアラの棘を浸し、回復薬を準備。カミーラは眠り薬と麻痺薬の混合液を布に垂らして、ミリア嬢に嗅がせた。
呼吸が安定したことを確認してから、カミーラが処置に入る。
「ベルサ、クリーナップを部屋全体にかけておいて。ナオキは回復薬をいつでも使えるように準備しておいてね」
俺もベルサもカミーラの指示に従った。
やはりカミーラは診断スキルが使えるようで、常にミリア嬢の身体に触れていた。
痩せてしまったミリア嬢の身体にクリーナップをかけて、カピアラの棘を刺していく。カピアラの棘は細くなかなか身体に入っていかないが、カミーラは少しずつ腫瘍がある患部まで刺していた。根気のいる作業だ。ただ、開腹手術をするよりよほど安全だと思う。
「ベルサ、吸魔剤の効果が薄れるから、カピアラの棘に魔力を込められないんだ」
「大丈夫。私が入れるから、カミーラは指示を出して」
レベルが高いベルサなら力を入れられる。
カミーラとベルサは2時間ぶっ続けで、カピアラの棘をミリア嬢に刺していった。ミリア嬢の体中に棘が刺さり、吸魔剤の効果が現れるまで待つ。
その間、ずっとカミーラはミリア嬢を診断し続けた。額から汗が滝のように流れている。
「限界だね。ナオキ、回復薬を少しずつかけながら棘を抜いていくよ」
「了解」
回復薬で棘の痕を治しながら、ミリア嬢の身体を拭っていく。
すべて終わったのは真夜中だった。ミリア嬢は眠ったままだ。
「1000年続いた呪いから世界を救ったナオキよ、今更だけど彼女がどういう女性なのか、教えてくれるか?」
すでにカミーラは俺を本物だと認識しているようだ。
俺は魔石灯の明かりの下、すべてを話した。俺が下着を貰うまでのこと、EDに気づかせてくれたときのこと、バルニバービ島でのこと。
「カミーラ。俺はね、どんなことをしてでも彼女を生かさなきゃいけない。確かに俺は、世界の壁を取り払い、北半球と南半球を繋げたかもしれない。でも、彼女がいなければ達成できなかったことだ。ほんの少しの優しさによって救われたんだ。俺にとっては女神だからね。彼女の前で、誇れることなんて、なにもないんだ。感謝しかない」
「そうか……すまない。ちょっと風に当たってくる」
カミーラはそう言って部屋を出ていった。
数十秒後、カミーラの怒声が外から聞こえてきた。
「なにが筆頭薬師だ! なにがエルフの知識だ! 長寿だから、なにか誇れるのか!? あいつはたった5年で世界の呪いを解いた! その英雄の頼み一つ聞けやしない! 貴様ら、今後一切の誇りを捨てろ! 下らぬ誇りを胸に刻んでいる暇があるなら、一人でも多くの者を救え! 1000人救うまで、エルフの里に入ることを禁ずる!」
窓ガラスがビリビリと震えるほど大きな声は、泣き声に変わっていった。
「ちょっと止めてくる」
ベルサが見かねて部屋を出た。
翌朝。雲ひとつない秋晴れ。
ミリア嬢が起きて、お腹が減ったというので、スープを持っていった。
「よかったわ! たくさん寝て、元気が出てきたみたい!」
ミリア嬢がバクバク朝食を食べているところに、消沈しているカミーラが入ってきた。
「すまない。現代の医術ではあなたの魔石腫は治せない。腫瘍の数が多すぎるため、何度も手術の必要が出てくる。でも、それに耐えうるほど、あなたの体力はない。申し訳ない」
「でも、薬師さん、こんなに元気なんですよ?」
「一時的なものだと思う。できる限り、寿命は伸ばしたつもりだ。ただ、半年保つかどうかわからない」
カミーラは淡々と話した。目はうつろで、悔いているようにすら見える。
「そう、そうなの。ほら、先生、見て。立って歩けるのよ?」
ミリア嬢はベッドから出て、窓の方まで歩いた。
「でも、あと半年しかないのね。いや、あと半年もあるのかしら。死ぬなら、こんな晴れた日がいいわ」
「本当に?」
俺はミリア嬢に聞いた。
「え?」
「死ぬにはいい日なんてある?」
俺はもう一度聞いた。
「だって、どんなに生きたいと願っても叶わないのだもの……」
ミリア嬢は「なぜそんな事を言うのか」という目で俺を見た。
「じゃあ、本当は生きたいんだね?」
「……死にたくない。せっかくお茶屋ができたんです! 先生が北半球と南半球を繋げてくれたから、フロウラの町はこれから活気づくんです! 死んでる場合じゃない!」
ミリア嬢の目から大粒の涙がこぼれた。
「生きたいよ~……」
俺はミリア嬢を抱きしめた。
「大丈夫。俺が生き返す。ぶっ生き返すね。アイル、ベルサ、俺を北極大陸まで連れて行ってくれ」
「それは神への冒涜だよ~?」
アイルが聞いてきた。俺がこれからなにをしようとしているのか気づいたらしい。
「なにが神だ。かかってこいっつーんだよ! 空間の勇者と時の勇者を駆除した報酬も貰ってねぇしな!」
「あ~あ、こうなると聞かねぇぞ~、うちの社長はぁ」
ベルサとアイルは笑っていたが、カミーラは呆気にとられていた。