311話
仕事をフロウラさんに任せたセスが早めに来た。
「挨拶回り終わりました?」
「うん、ぼちぼち」
「南半球行きます? そろそろプラナスの花が満開になる時期です」
「そうか。もう、そんな時期なのか」
俺はセスに南半球まで連れて行ってもらうことにした。季節を感じるというのは、『人間らしい生活』にとっては欠かせない。メリッサにも挨拶をしておきたいし。
ということで、地下にあるダンジョンを通っていたら、ダンジョンマスターである土の悪魔に絡まれた。以前のような大きいゴーレムではなく、老けた少年のようなアンバランスな姿だった。
「コムロよ。どうすればいいのだ?」
声は低い。土の精霊から悪魔になって、ほとんど喋らなかったはずだが、今は普通に話すようだ。
「急に出てきて、そんなこと言われても、知らないよ」
「ダンジョンに人が来ないのだ」
真っ黒い目をした悪魔はそう言ってうなだれた。
「まぁ、こんな地下、誰もこねぇだろうな」
「魔素溜まりだったから、魔力は豊富だ。ゴーレムの数も多く、訓練も欠かしたことはない。階層も十分すぎるほど作った。だが、有機物が足りないのだ。冒険者も来ない。来るとすれば貴様たちくらいなもの。懸命に努力をしたのに、成果が出ないのだ。どうすればいい?」
「それはもう設計ミスだよ。ダンジョンや人間に対する分析がバカ。だいたい、このダンジョンの宣伝もしてないだろ? 冒険者ギルドとか行けよ」
「宣伝だと!? 私の姿を見て恐怖しないものなど、貴様くらいなもの。冒険者ギルドになど行けるわけがなかろう」
確かに、セスは話をしている俺たちを見て戦闘態勢を崩さない。
「ゴーレムに行かせればいいじゃないか?」
「ゴーレムは人化魔法も使えなければダンジョンから地上へは体の構造上登れないのだ。攻撃と防御に特化させたからな」
やべー、ただのアホだ。
「おいおい大丈夫か? そんなことでは邪神から悪魔をクビにされるぞ」
「この間、肩を叩かれた」
もう宣告されてんじゃねぇか。
「頼む、コムロ。どうにかしてくれ。今なら、魔王にしてやる」
「悪魔の加護なんていらねぇよ。一旦、ダンジョンから離れて、人間の勉強をしに竜の島に行ってキャバクラ体験してみたらどうだ? ここで努力しててもしょうがないからさ」
「キャバクラ体験?」
あ、キャバクラって言わないんだったか。
「塾だ。塾。人間を学ぶ塾。少し人間の心理とか勉強したほうがいい。だいたい、赤道の壁なくなったら、このダンジョンの存在理由がなくなるぞ。そうなったら、クビだぞ。俺が邪神ならクビにする」
「わかった。竜の島の場所を教えてくれ」
土の悪魔はこの星の正確な地球儀を俺の前に浮かばせた。
「ここな。ここ。黒竜さんって竜がいるから頼め。受け入れてくれなかったら、俺の名前出していいから、な」
「すまぬ。悪魔なのに恐怖を与えられず、申し訳ない」
「うん、それはまた今度、難しいダンジョン作って与えてくれ」
俺がそう言うと、土の悪魔は壁を駆け上がっていった。
「今のは、悪魔ですか?」
セスが武器をしまいながら聞いてきた。
「ああ、ダンジョンのシステムがわかっていなかったらしい。行こう」
「社長、こっちに抜け道があるんで、こっちから行きましょう」
抜け道あるのかよ。ダンジョンマスターへの道は遠いな。
抜け道をセスに背負われながら3時間ほど進むと、地上の明かりが見えてきた。
以前は、赤土の荒れ地でスライムだらけだったが……。
「きれいなもんだな」
地上には、紫色の小さな花の絨毯が広がっていた。
「植物は強い。南半球に来るといつも思います」
そこから、ベルサがいるジャングルの南側までは空飛ぶ箒ですぐだった。せっかく世界樹のプラナスを見るなら、人数は多いほうがいいだろう。
「来たね」
ベルサは花畑の中で、小さな虫の魔物を探していたようだ。
俺たちが空から降り立つと、蝶の魔物の群れが一斉に飛び立ってしまった。
「悪い、逃しちまったか」
「いや、十分観察はした。エメラルドオオシジミと言ってね。群れで海を渡るんだよ。魔石もない生物なのに、大したもんだ」
相変わらず、なんでも詳しい。おもむろにベルサがローブの中から香水を取り出して俺の手に振りかけた。
「いい匂いだけど、なんだ? 臭うか? んっ!?」
俺の手に、飛び立ったはずのエメラルドオオシジミの群れが集まってきた。香水の匂いに引き寄せられているらしい。
「この香水は魔物を引き寄せるフェロモンが入ってるんだけど、不思議なことに生き物にも効果があるんだ。もしかしたら、空間の壁がなくなったら、魔物化するかもしれないね。ほら、あそこに空間の壁がある」
ベルサが指さしたほうを見ると、ジャングルの青々とした木々の影がうっすら見えている。
「島が飛んで壁がなくなるって言うから、下の方からなくなっていくのかと思ったら、そうじゃないんだね」
「え? そうじゃないのか?」
俺もそう思ってたが違うらしい。
「壁が徐々に薄くなってるみたいなんだ。もしかしたら、空間の精霊の力が弱まっているのかもしれないね」
ベルサは空を見上げながら言った。
「赤道付近の漁師たちも、冒険者たちも、世界が分かれていたことを知り始めましたからね。空間の精霊に対する疑いが影響しているのかもしれません」
精霊は崇められてなんぼ。崇められなくなったら、力が弱まるのは道理だ。
「へ~、ここが本部の場所か」
空からアイルが降ってきた。
「花畑なんて素敵ですね。この花から染料って採れますか?」
メルモも一緒だ。セスが花見をすると伝えていたらしい。
「本部?」
俺がアイルに聞いた。
「ああ、強力な魔物を駆除する本部だろ?」
魔物が南半球に移動し、環境要因で新種が生まれる可能性が高い。その新種を殺した魔物は一気にレベルが上って強力な魔物に変わる。それを駆除するというのが今回の仕事だ。レベルが高い魔物が一匹いるだけで、環境が変わることもある。人間ですら勇者一人によって国が変わる。別に誰かに依頼されたわけでもなく、世界の均衡を保つためにコムロカンパニー自ら引き受けた仕事だ。反対する社員はいない。
「ここにコムロカンパニーの社屋でも建てますか?」
金持ちのセスが聞いてきた。
「そういえば社屋なんて考えたこともなかったなぁ。ずっと旅するもんだと思ってた」
今回も拠点として、露天風呂でも掘ろうかと思っていたところだ。社屋があれば、清掃・駆除用品を置いておくのには便利だとは思う。
「私はあれば使うと思う。地図が整理しきれなくなってきたんだよ」
「自前の研究所があると助かるよね」
「私も裁縫室があれば、船に揺られることもないしいいですねぇ~」
女性陣はちょっと乗り気らしい。
「なきゃないでどうにかなるけど、あったらあったで不便ではないよな」
社員たちは空飛ぶ箒で、どこにでも行けるもんな。レベルのない俺だけは、旅をするハメになるのかも。
「それもまたよし、か」
「どうか、したか?」
ベルサが聞いてきた。
「いや、なんでもない。さ、世界樹を見に行こう」
俺たちはセスの魔力の船に乗せられて、南下。
草原がかなり広がり、細い木も生えている。
「植物が広がっているなぁ」
正直、赤土だけの大陸とは思えない。
ドワーフの集落で、軽く挨拶。ドワーフも、子どもが増えた。
メリッサは世界樹の方に行っているらしい。
大陸を渡り、砂の砂漠を越えると、岩場に変わるはずだが……。
砂漠を越えると辺りには青々とした草や3メートルを超える木々の森が広がっていた。フォレストディアがうろついており、鳥の魔物の鳴き声も聞こえてくる。
5年前の景色から一変している。
「驚いたな」
昔の拠点である洞窟に降り立つと、ドワーフの女性が迎えてくれた。
「あれ? コムロカンパニー総出じゃないか? 珍しいね。社長でも帰ってきたのかい?」
冗談のように聞いてきた。
「ええ、帰ってきたんです。メリッサいます?」
「えっ!? ……ちょ、ちょ、ちょっと待ってな、今呼ぶから!!」
ドワーフの女性は、通信袋でメリッサを呼んでくれた。ただ、通信袋からは『それどころじゃないよ』という声が聞こえてきた。
「『それどころじゃない』って、こっちがそれどころじゃないんだよ! あんた、一生後悔するかもしれないよ。今すぐ戻ってきな!」
「そう、ムリに呼ばなくてもいいですよ」
俺が手で制したが、ドワーフの女性は俺の身体と顔をじっくり見てきた。
「いいや、どうせ狩りの最中なんだから、こっちのほうが大事さ! 大変だ! ちょっと皆、化粧化粧! コムロカンパニーの社長さんが若返って帰ってきちゃったよ!」
そう言いながら、洞窟の奥へと引っ込んでしまった。
「俺に会うのに化粧が必要か?」
「自分と見比べられるのが嫌なんだろ? 気にしなきゃいいのに」
「まぁ、腹たちますよねぇ」
アイルとメルモに女心を教えられた。
「今、鳴いている鳥の魔物には魔石がないんだ。すごくないか?」
ベルサは明後日の方向を見ているらしい。
「じゃ、バーベキュー用にちょっと魔物を狩って来ますね」
セスは森のなかに入っていった。
自由だ。よく俺はこんな奴らをまとめていたなぁ。
洞窟の前で待っていると、上からメリッサが空飛ぶ箒で下りてきた。
「大変、大変ってなにが……っ! 大変だね。これは」
メリッサが俺を見て、止まってしまった。
「久しぶり。ただいま」
「おかえり」
メリッサは隣りにいるアイルやベルサを見て、確認している。
「ビックリしたよ。こんな森になってるなんてさ。ツーネックフラワーくらいしかなかったのに。メリッサたちが頑張ったからだね」
「本物かい? コムロカンパニーがいるんだから偽者連れてくるわけないもんね。本物だね。精霊に拐われたって聞いたから……、私、毎日、返してくださいってお願いしてて……」
メリッサが過呼吸になり始めた。
「すまん、心配かけた。大丈夫、生きてるよ。足もちゃんとある」
そう言って俺はメリッサを抱きしめた。
「ほら、触れる」
「うっ、なんでよ~」
なにが『なんで』なんだ?
「なんで5年経ってるのに、若い~。言ってよ~。化粧したのに~」
そう言いながら、メリッサは俺の胸で泣いた。
「泣くなよ。帰ってこないほうが良かったか?」
「そういうことじゃない~……」
しばらくメリッサが泣いていたら、化粧をバッチリきめたドワーフの女性たちが洞窟から出てきて笑った。
結局、その日はバーベキューをして、俺とメリッサが風呂に入り、ドワーフと社員たちがその様子を見るというイベントが始まった。
「今年は例年より、暖かくなるのが遅くて、プラナスはまだだよ」
俺がプラナスを見に来たというと、メリッサが教えてくれた。
「そうか。もうすぐ南半球と北半球を分ける壁がなくなるから、その頃かな?」
「そうなのかい!?」
「うん。ようやくだ。北半球の世界樹も枯れたし、時の勇者と空間の勇者の決戦も終わらせたし、もう壁は必要ない」
「じゃあ、南半球に人が大勢やってくるね?」
「うん、人だけじゃなくて植物も魔物も大勢やってくる」
「こんなことしてていいのかい?」
俺はメリッサの背中を流している。
「準備はしたさ。あとはなにが起こるかわからないからね」
「全部、ナオキがやったことなのかい?」
「いや、もう1000年も北半球と南半球が分けられてたろ? いい加減、頃合いだったんだよ」
「相変わらず、自分の手柄にしないんだね?」
「別に手柄が欲しくてやってないからな。仕事だよ。変な仕事だけどな」
俺がそう言うと、メリッサは「ウヒヒヒ」と笑っていた。
なぜか覗き見しているドワーフたちも笑っている。
「社長! イチャイチャしてるところすみません! ウェイストランドの種苗屋さんから通信です!」
セスが風呂場に来て、通信袋を掲げた。
「なんて?」
『種苗屋のレヴンだ。息子のブロウが風の様子がおかしいから、コムロカンパニーに連絡しろってうるさくて。社長が帰ってきたっていうのは本当か?』
「本当です」
『コムロ社長ですか? 元風の勇者のブロウです! 風の妖精たち全員が異常にざわついてます! 風の様子がおかしい、こんなこと初めてだ……』
1000年間なかったことが起こるだろうな。
「ナオキ! こっちも光の勇者のヨハンから連絡が来た」
ベルサが普通に風呂場に入ってきて通信袋を俺の前に差し出した。
『こちらヨハン。オタリーが嫌な予知をしたって言ってるんだ』
『オタリーです! ナオキさんの姿が見えました! 帰ってきてるんですね!? 全世界規模の嵐が来ます! ナオキさんに伝えてください。僕の予知では彼が嵐の中心にいる!』
「え~、その未来はなんとしてでも避けたいな」
露天風呂に風が吹いてきた。湯冷めしそうだ。
「先に北半球に戻ってるよ。嵐が来るなら、海は使えないかも知れない。メルモ、傭兵の国から南半球までの道を確認しとくよ」
「はい~」
アイルはメルモを連れて、北へ向けて飛んでいってしまった。
「予定より早く、赤道の壁が無くなりそうだね? こうなってくるとナオキしかまとめられなくなるよ」
ベルサが言った。
「俺はレベルがない上に今、素っ裸だぞ」
「仕事かい?」
同じく裸のメリッサに聞かれた。
「変な仕事だよ。清掃・駆除業者の仕事じゃないと思うんだけどなぁ」
「ナオキにしかできないんだろ? じゃあ、服着て準備しないとね! さっ!」
メリッサは俺の濡れた身体をタオルで拭いて、服を着せ始めた。
先ほどまで覗いていたドワーフたちも、俺たちに持たせる食糧や世界樹産の薬や毒などを準備し始めている。
「花見しに来ただけなのに、申し訳ない」
「そんなこと言ってる場合じゃないんだろ? 会いに来てくれただけで、いいんだよ」
メリッサは俺の両頬を叩いて、にっこり笑った。
「社長、フロウラさんに連絡しますか?」
セスが聞いてきた。
「ああ、頼む。お前の運送会社の社員たちにも連絡しとけよ」
10分後、準備を終えた俺たちは北半球へ向けて飛んでいた。