307話
火の国まではドヴァンが送ってくれた。
火の国の北にある町・スノウフィールドまでは一本道。行商人や冒険者に混ざって進めば、魔物にあっても誰かが対処してくれる。
朝だと言うのに、国境付近の人通りは激しい。財布袋を盗まれないようにしなくては。
「ほら、よそ見してるとぶつかるぞ!」
「酒が切れた。俺の頭割れてないか?」
行商人なのか傭兵なのかわからない連中もいる。
「近くの森にスノウレオパルドが出たって?」
「あの天才魔道具屋が帰ってきたって本当かい?」
「乗合馬車が通るぞ~! 銅貨2枚で乗れるってよ~」
うわさ話もそこかしこから聞こえてくる。
俺は娼館の情報がないか聞き耳を立てていたが、朝っぱらからそんな話をしているやつはいなかった。
スノウフィールドも地震からすっかり復興していて、以前よりも建物が上に伸びている気がした。立ち食いシチュー屋で簡単な朝食を取って、町を散策しながら情報収集。冒険者ギルドで、西の河港から定期船が出ていることを聞いた。
一応、駆除系の依頼は来ていないか掲示板を見ていると、奥の階段を短いスカートを穿いた若い女性が上がっていく。自然と目で追ってしまう。周囲の男性陣からは「あれが出張娼婦か?」などという声が聞こえてきた。
「あら~、いいサービスですね~」
隣から女性の声がした。
「へ?」
振り返ると、ドワーフのアーリムがこちらを見ていた。
「その服、コムロカンパニーのものとそっくりですが……?」
「アーリム! あ、いや、人違いです!」
どうしてこう知り合いを引き寄せてしまうのか。ここは、知らない人として通し、優雅な大人の夜を満喫するんだ。
「人違いじゃありませんよ。どうして私の名前を知ってるんですか!?」
「そりゃあ有名ですから。この国で天才魔道具屋と言えば、アーリムさんをおいて他にいません。それでは……」
「お待ち下さい! あなた、ナオキ・コムロという人物をご存知ですか?」
「いいえ、まったく知りません。聞いたこともない」
そう言って出口へ向かおうとしたが、アーリムに回り込まれてしまった。
「な、なにか用ですか?」
「この冒険者カードはどこで手に入れたものです?」
アーリムの手には俺の冒険者カード。アイリーンに偽造してもらったやつだ。先程、定期船について聞いた時にカウンターで提示して、落としたようだ。
「あ、それ、ちょっと返していただけますか?」
「ダメです! この冒険者カードにはナオキ・コムロとはっきり書いてある! 偽造したのなら、衛兵に突き出さなくてはいけません」
「人には止むを得ない事情ってあるじゃないですか? 返してください」
「返しません。また偽者が出たのならコムロカンパニーの方々にも報告しなくてはいけませんし、通信機でも呼びかけなくてはなりませんから」
火の国では魔道具の通信機が発展していて、5年前でもラジオのような番組まで出来ていた。それに、ここで社員たちなんか呼ばれたら、本当に娼館に行けなくなってしまう。なにしろ、お金は会社の経費なのだから。
「待ってくださいよ。事情も聞かずに衛兵に突き出すなんてあんまりじゃないですか?」
「そうですね。では事情を説明してください」
「ちょっと込み入った話になるので、ここでは……」
「じゃあ、どこなら説明できるっていうんです?」
「人が少ない場所ってありますか?」
「いいでしょう。こちらに」
そう言って、アーリムが案内してくれたのは、商人ギルドの自室だった。俺は頭を抱えた。天才ってやつはバカなのか? 普通に汚れているし。
「ここなら、誰も来ません。どうぞ、事情を話してください」
「あのなぁ、アーリム。知り合いとして言っておくが、そうホイホイ怪しいやつを自分の部屋に連れてくるなよ。襲われたらどうするんだ?」
「し、し、知り合い!? 誰ですか? あなたは!? 正体を見せなさい!」
どうやら俺が変化の魔法でも使っていると思っているようだ。
「いや、これが正体なんだよ」
「なにを言ってるんです!? ほら早く魔法を解きなさい!」
そう言いながらアーリムは俺の頬を引っ張った。
「痛い痛い! やめろってアーリム! 俺はナオキだ。正真正銘、ナオキ・コムロだ。北極大陸でお前の姉さんのフェリルにも会った。レベルもなくなって身体も変わったんだよ!」
「へ? どうして姉の名を? あれ? 本当に先生なんですか?」
アーリムは俺のことを先生と呼ぶ。魔道具の先生ってことになっているらしい。
「その証拠に、ほらツナギのワッペンには魔法陣が描かれてるだろ? それに通信袋も、ほら」
「あ、本当だ! わー先生だ! なんか若返ってるけど本物のナオキ・コムロだ!」
そう言って、なぜか俺の身体を叩いてきた。
「で、なんで先生はここにいるんですか?」
「アーリムが連れてきたからだよ!」
「いやいや、そうじゃなくて、どうしてスノウフィールドに?」
「傭兵の国で傭兵を雇ったあと、食糧の買い出しにグレートプレーンズに行く途中なんだ」
「空飛ぶ箒を使えばいいじゃないですか?」
「話聞いてたか? 俺は今、レベルがないんだよ」
「ああ、そうか。え? それじゃあ、魔法陣学のスキルもないってことですか?」
「そうだよ」
「え~、バカじゃないですか!?」
「あ、ひでぇ。でも、俺はちゃんと魔法陣帳を残しておいたから、だいたいの魔法陣は描けるけどね」
「なんですか? 魔法陣帳って! 見せてくださいよ!」
「いいけど、ちょっと飯食わないか? 腹減っちゃって」
「あ、ならいいものがあります! 固くなったパンがどこかに……」
そう言いながら、アーリムはベッドの上の荷物を探った。
「待て待て、そんな荷物の中から出てくるものは食べたくないよ。っていうか、部屋が汚いよ! あ、アーリム、お前またパンツと靴下を一緒にしてるな! 股が痒くなる病気になるぞ!」
「しょうがないじゃないですか! 旅から帰ってきたばかりなんですよ!」
「言い訳してないで、ちょっと、まず片付けよう!」
「え? お腹は?」
「あと!」
なんでか俺はドワーフに甘い気がするなぁ。
窓を開けて空気を入れ替え、アーリムの部屋を片付ける。
アーリムは魔道具の修行をするために旅に出ていたという。貝殻とか植物のスケッチ、地図や芝居のパンフレットなど、なにに使うのかわからない物が多い。
「これ、なにに使うんだよ!」
「なんでもいいじゃないですか!」
「捨てていいな!」
「ダメですよ。これがヒントになるんですから!」
片付けていたら、昼を過ぎて夕方近くなってしまった。
「もう、腹が限界だ。一旦、飯を食いに行こう!」
「ふぁい……」
一階にある商人ギルドの酒場でベーコンとバレイモの煮物や、濃いチョクロスープなどを頼んだ。
「アーリムちゃん! 帰ってきたのかい!?」
「おおっ、アーリムじゃねぇか! 悪いけど、魔石灯が壊れちまったんだ」
「通信機の調子もよくないです。魔道具屋さんお願いします!」
酒場ではアーリムが大人気。最近、旅から帰ってきたと言っていたが町の人への挨拶もしてなかったようだ。
「ちょっと待ってください! 私のことは置いといて、ここに控えている方が誰だかわかりますか?」
アーリムは椅子に立って俺を指さした。
「待て待て、紹介しなくていい」
目立ったら娼館行けなくなっちゃうだろ! 相手をしてくれた娼婦が記者に売って、火の国全土に趣味が伝わると、うちの社員たちの耳にも入るに決まってる! 会社の金を使っていることがバレたら、俺、殺されるぞ!?
全力で顔を使い、アーリムに無言の圧力をかけてみたが無駄だった。
「この火の国を救ったナオキ・コムロさんです!」
「どうもー、偽者でーす!」
「偽者が偽者って白状しながら登場するわけないじゃないですか! 見てください、この青い服に通信袋、私の目から見ても本物に間違いありません!」
最後の抵抗も虚しく、俺はスノウフィールドで出張娼婦を呼ぶことを諦めた。
「偽者のほうがいい時もあるんだな」
その後、すごい量の料理を周囲の人たちから奢ってもらい、アーリムの部屋の掃除に戻った。アーリムの指示はほぼ無視して、テキパキ掃除。雑巾やモップで板張りの床をきれいにした。
「クリーナップ使えないから、天井や窓の水拭きは自分でするようにね。じゃ」
「ど、ど、どうしたんですか? やけに急いじゃって」
「うん、娼館行けないなら、こんな町に用はないからね。早く、船に乗ってグレートプレーンズに行かないといけないし」
「じゃ、送っていきましょうか?」
「止めてくれ!」
俺はとにかく違う町に行こうと、商人ギルドから外に出た。
『キンコンカンコン! 本日未明、天才魔道具屋のアーリムさんと火の国を救ったナオキ・コムロ氏がスノウフィールドに帰ってきました! 全『火族』たちにとって大変喜ばしいことですね!』
町の到るところからアナウンスが聞こえてきた。
「なんてことをするんだよ~……」
こうなったら、もうどうしようもない。
商人ギルド・ファイヤーワーカーズの代表であるサムエルさんに奢ってもらうしかないか。奢ってもらったってことにすれば、「金に手はつけてない」し「付き合い」っていう言い訳もできる。
「先生! 河港はこっちです!」
「え? ああ」
無意識で娼館街の方に身体が向かってしまう。
「やっぱり送っていきますよ!」
結局、アーリムに見送られながら、俺は船で火の国を南下。船で美人の獣人奴隷を買ったという商人の話を聞いたが、設備投資や健康維持よりも人間関係がすごい難しいらしい。美人の奴隷を持っていると言うだけで人がたくさん寄ってくるけど、それだけに護衛も必要なのだとか。
湖の畔にある町レイクショアまで3日かかった。
挨拶をしに、サムエルさんの紙問屋に行くと、息子さんが対応してくれたのだが、「父は今、砂漠のオアシスの方にいまして」とのこと。
火の国における娼館の夢は潰えた。
ただ、俺が来ていることを知った火の国の商人たちは、食や宿などの滞在費はもちろん、織物などの工芸品や上質な紙までお土産で持たせてくれた。
しかも、サムエルさんの家族は、俺一人のために馬車まで用意してくれた。
「リベンジ、あ、いや、また来ます! サムエルさんによろしく!」
「ええ、主人には言っておきます!」
サムエルさんの家族に見送られて、俺はグレートプレーンズに向かった。
荷物が満載の馬車が街道を走っている。街道を歩く行商人や冒険者たちからは見られるし、盗賊から狙われるのも当然のことだ。サムエルさんの家族には俺がレベルをなくしたことは言っていない。
案の定、国境付近で乗っている馬車が盗賊の集団に襲われた。
「旦那、すみません。囲まれているようです」
御者の爺さんが申し訳なさそうに言った。
まもなく日が暮れる。
周囲は森。街道の前と後ろにフィーホースに乗った盗賊。森から斧や剣を持った盗賊たちが仲間の合図を待っていた。
御者の爺さんは護身用の剣は持っているものの、最近は使っていないとのこと。そもそも多勢に無勢だ。
「交渉しに行く」って言ってるのに、「盗賊に金を奪われた」じゃ、ちょっと社員たちに合わせる顔がない。
「どうにかするか……、荒事は得意じゃないんだけどなぁ」