290話
アイテム袋のボックス整理は『空間ナイフ』のお蔭でだいぶ捗った。
なにかに使えるかと思って取っておいたが、結局使わないという物が多い。魔物の骨などはもう使うことはないので、ヘドロと一緒に溶岩の中に放り込むことに。
食料と毒草もちゃんと分けて並べ、寝具や生活雑貨もまとめていく。アイテム袋に入っている食料がなくなっていっていることにセスか誰かが気づいたのか、できたての料理が随時、補充されていった。
「俺は生きてるぞー!」
と、言いたいのだが、こちらからアイテム袋にメッセージを送ることは叶わなかった。
ちなみに、俺にとって一番の宝物であるミリア嬢のパンティは早々にアイテム袋から取り出して、俺の尻ポケットに保管している。
ツナギが大きいため、裾をまくり、袖をまくりながらサンダルでアイテム袋の中のボックスを運ぶ作業。まるで倉庫番のようだ。
床にこびりついたヘドロも、固めのモップでゴシゴシとこすり水で流していく。クリーナップがいかに優れた魔法だったかがわかった。
その間、空間の精霊がなにをしているかと言うと、40型くらいのテレビのような鏡で外界の様子を見ている。若そうな姉ちゃんの生活をのぞき見していたので、自分を投影しているのかもしれない。ただのやべー奴だ。転移魔法の魔法陣に魔力を貰っているので文句はないが、なるべく関わらないでおこう。
すでにこの白い空間で何十時間か過ごしているが、やることがあるからか発狂しないで済んでいる。
「洗剤ってどっかあったかな? 石鹸くらいしかないか?」
俺が石鹸を泡立て、床を掃除していると、空間の精霊が寄ってきた。
「なにをしているのかしら?」
「石鹸で床を磨いてるんだ。特に面白いものでもないだろ?」
「いい匂いがしますわ」
「欲しけりゃどうぞ」
柑橘系の匂いがする石鹸を空間の精霊に渡した。
しばらく空間の精霊が石鹸の匂いを嗅いで踊り狂っていたので、その間に土砂をスコップで山にしていく。土砂は赤土なので、南半球で無茶をしていた頃のものだろう。
肉体労働なのでとても疲れる。ただ、幸い俺がいる白い空間は温度が適温に保たれているため、非常に過ごしやすい。
「意外にお仕事は真面目なのですわね? ワタクシ、男への評価を改めなければならないかもしれません」
食事時に空間の精霊が言ってきた。
「あのなぁ、空間の精霊様よ。普通は誰かのために働くんだよ。日がな一日、人の生活覗き見ているだけじゃ、なんにもならないぞ」
「失敬な! ワタクシだって、しっかり北半球と南半球を分ける壁を維持しています!」
「それ、なんか意味あるのかい? いや、俺は歴史をそんな知らないから1000年前は意味があったのかもしれないけど、今はほら、どちらの半球も見た感じ平和じゃないか? ちょっと南半球の魔素の量が足りないくらいでさ。世界樹はもう南半球にしかないし、そろそろその壁を取り払ってみるのは、どう?」
「ま、ま、またいつ邪神が暴れるかわかりませんから」
「そうかい。いや、いろいろ事情があるんだろうから無理とは言わないけど、いち冒険者からの意見だ。聞き流してくれていい」
そう言って俺が仕事に戻った。空間の精霊は空になった皿を見ながらなにか考えているようだった。
一通り、アイテム袋の整理が終わり、ヘドロはすべて溶岩で燃やし尽くし、水抜きと土砂捨ても終りが見えてきた頃、空間の精霊が声をかけてきた。
「コムロ、ちょっとよろしいかしら?」
嫌な予感がする。
「なに?」
「お願いがございます」
「……それ聞かないといけない?」
警戒しながら聞いたら、ものすごい睨まれた。
「聞くよ、聞く聞く。で、なに?」
「勇者を救ってはいただけませんか?」
「勇者って、空間の勇者っていうのがいるの?」
そう聞くと空間の精霊はコクリと頷いた。
「ふ~ん、でも俺は清掃・駆除業者だからね。人を救うのは、ほら衛兵とか医者とかの役目だよ」
「ならば、勇者駆除を依頼いたしします! 空間の勇者・シャルロッテ、及び、時の勇者・トキオリを決戦の地・バルニバービ島より駆除していただきたい!」
なにを言っているのかさっぱりわからん。
「何語だ? それは」
「よろしいですね?」
「いや、よろしくはない」
「大丈夫。ここでコムロができることは、すでにありません」
それはこちらもわかっているんだけど……。
「バルニバービ島に行ってくれますね?」
「断る」
「断らない」
空間の精霊はすかさず言ってきた。
「ええっ、それは俺に決めさせてよ」
「いいえ、コムロはずっと私がここで覗きをしていると言っていましたが、ワタクシは空間の勇者が心配で見守っていただけです。精霊にとっては勇者は我が子同然。見守るのは当たり前のこと。しかし、海で溺れる人や空を飛ぶことを夢みる人が少なくなり、ワタクシの力も衰えてまいりました。このままではワタクシは消滅してしまいますし、赤道にある壁を維持できません」
「うん、いいんじゃないの?」
空間の精霊はツンとして目をひんむいて俺を見下してきた。
「コムロがせっかく整理したアイテム袋の中身も弾け飛びますよ」
「ああ、それは嫌だなぁ……」
「では、よろしいですね?」
「いや、よろしくは……」
「ありがとうございます!」
断ろうとしたら、お礼をかぶせてきた。
「なんのことはない。初めからこうすればよかったのです」
そう言いながら、空間の精霊は俺の足元に魔法陣を描いていた。
「ちょ、ちょ、ちょっと待て待て! なんの魔法陣、描いてんだ? これ転移魔法のじゃないか? 俺、断るよ! 断るって言ってるじゃないか! どうして止まらないんだ?」
空間の精霊は魔法陣を描ききってしまった。
「人には1000年は長過ぎる……」
「そりゃ、長いね」
「コムロ、2人を解放してあげて……」
空間の精霊は涙を溜めて訴えてきた。
「いやいや、泣いたって嫌なものはい、や……ちょっとー!」
俺の声を聞かず、空間の精霊は魔法陣に魔力を込めた。
次の瞬間、光りに包まれたかと思うと、落下した。
バシャンッ!
俺は砂浜に近い海で尻餅をついていた。尻から落ちたので尻が痛い。
「ツナギもびしょびしょだ。くそぅ、なんだってんだよ」
振り返ると、砂浜。その先には鬱蒼とした森。
「こういうサバイバルは今求めてないんだよなぁ~」
現在レベルなし。新しい体になったからと言ってレベルが復活したというわけではない。
つまり、俺は今、弱い。
しかも、この島には勇者が2人いるらしく、俺はその2人を駆除しろと言われている。
「できるかぁ!」
とりあえず、近くの木の枝にツナギを引っ掛けて乾かしながら、途方に暮れることに。
神様が以前、俺に赤道上にある細長い島について、空間の精霊に関係があると言っていたが、たぶんここがその島だろう。転移してくるときにもちょっと見えたし。
つまり、ここは赤道直下の島で季節は夏。死ぬほど暑い。
「この前まで北極大陸で寒いと思っていたら、今度は赤道って、身体おかしくなっちゃうよ」
いや、そもそも転生しているからおかしいのだが。
しばらく砂浜で燦々と降り注ぐ太陽の光を浴びていたら、眠ってしまっていた。
特に体調が変というわけではなく、日焼けしてのどが渇いたくらいだ。
森の植物は葉が大きい物が多く、バナナのような木やトゲトゲした木などがあり、花は極彩色。食虫植物のようなものも見かけた。
「ジャングルだな。わっ」
目の前をハチドリの魔物が飛んでいった。他にもトゲの生えたトカゲの魔物や黒いサルの魔物などがいる。こちらを見て警戒しているようで、襲ってはこない。
とにかく、のどが渇いたので音を頼りに水辺を探した。
すぐに小さな川の流れを見つけて喉を潤す。
「んぐんぐ、うわぁっ!」
目の前にはゆっくりと動くリクガメの魔物。大きさは1メートルほどだろうか。
探知スキルがないせいで、魔物が近づいてきていることがわからない。
遠くの方で「コケー!」というトリの魔物の鳴き声も聞こえてくる。虫の魔物はサンダルから脚によじ登ってくるし、気を抜く暇がない。
怖いのは肉食獣の魔物と蚊の魔物。食われるわけにはいかないと思っていたが、早々に蚊の魔物には食われてしまった。
武器もないので拾った棒を持って、魔物除けのために白い花を探すことに。小さい川に沿って進んでいくと、大きめの沼に出た。
沼ではカバの魔物とワニの魔物が死闘を繰り広げていたるところだった。巻き込まれたら確実に死ぬやつ。トリの魔物はけたたましく鳴きながら、逃げていた。
見なかったことにして踵を返し、川を遡る。相変わらず、ゆっくり動いているリクガメの魔物の甲羅を撫でて落ち着いてから、さらにジャングルの中を進んだ。
いつの間にかトリの魔物の鳴き声がしなくなったと思ったら、荒い息遣いと草木をなぎ倒すような音が近づいてきた。俺は急いで近くの木に登り、やり過ごすことに。
荒い息遣いの主は大型のグリーンタイガーだった。ベタベタ罠さえあれば、捕獲もできたかもしれないが、今はなにも持っていない。考えてみれば、なにも持たせずに勇者駆除に行けっておかしい話だよ。
グリーンタイガーは完全に俺を標的にして木を登ろうとする。棒でつついたり刺したりしてみたが、グリーンタイガーは木の周囲から離れる気がなく、木を揺らし始めた。
「やめろ! 俺なんか食っても美味しくないぞ!」
危機的状況の中で一番ありきたりな言葉がつい出てしまう。
当たり前だが、グリーンタイガーに言葉の意味など通じるはずもなく、ガンガン木を揺さぶってくる。必死に枝に掴まっていたが、幹がミシミシと音を立て始めた。
島に来て速攻で死ぬのか。せっかく転生までしたっていうのに!
俺はどうすることもできず、揺れる木から飛び降り、地面を転がった。
次の瞬間、俺が掴んでいた木が折れ、土埃が舞った。
身体のあちこちが擦り傷切り傷だらけだが、逃げなくては!
と、思う間もなく、グリーンタイガーが迫ってくる。
咄嗟に地面にあった物を投げつけた。石や小枝、魔物の骨、燃えている木片、なんでもいいから後ろに放り投げる。とにかく、生き延びたかったのだ。たとえ、それが静かに眠っている人であっても、俺は火事場の馬鹿力でグリーンタイガーに向かって放り投げた。
「あれ? 今、俺、人投げた?」
後ろを振り向くと、俺が放り投げた人がグリーンタイガーに向かって、なにか魔法を放っていた。グリーンタイガーは急速に老い、ぐったりとして地面に倒れた。
「おとなしく天に召されよ」
魔法を放っていた男がグリーンタイガーに語りかけると、グリーンタイガーは息もしなくなった。
「す、すみません。必死だったものですから」
とりあえず、放り投げたことは謝っておこう。
「むむっ、そなたは人でござるか!?」
振り向いた男が俺に向かって聞いてきた。男は髷を結っており、黒い軍服のようなものを着ていた。戦った後なのか、服はところどころ千切れたり穴が空いていたりしている。
「ひ、人です! 名はナオキ・コムロ。通称、駆除人。清掃・駆除業者です」
「そうでござるか! 我が名はトキオリ。クロノス・ティタネスの王子にして時の勇者。この決戦の地にて、そなたはなにをしておるのか?」
「いや、空間の精霊に、この地に飛ばされてしまいまして……」
「空間の精霊様とな!? ではスカイポート側の人間か!?」
「スカイポート? すみません、あまり事情を知らされずに転移させられてきたものですから……」
まさか駆除しに来ましたとは言えない。
「そ、そうでござるか。難儀であるな。よし! わかった。とりあえず、我が宿敵・シャルロッテに会わせよう」
「宿敵に会わせちゃっていいんですか?」
「うむ。シャルロッテは宿敵でもあり、妻であったこともある。今は拙者が逃げているところだが、そなたがおれば、気も変わるだろう。ついてまいれ」
武士っぽい。
それが、時の勇者と出会った印象だった。




